遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

宮崎家の人々~#3「滔天・槌との出会いと苦労」

2024年05月19日 | 人物
前田槌と宮崎滔天

【滔天、槌と出会う~1889/M22年 滔天18歳 槌17歳】 
 この年、滔天は舶来乞食のイサクと小天へ。
イサクが村の子に英語を教えたが、彼の奇矯な振舞いに誰も来なくなる。
その間、滔天は槌の虜になっていた。
姉の卓同様、武芸を嗜み、毎朝、裸馬に乗り砂浜を駆ける美貌の少女。
槌もまた弁舌爽やかで情熱的な大男に好感を抱く

父の案山子は二人の恋愛に反対したが、恋愛自由主義者のイサクが後押し。
縄梯子を用意し、2階の槌の部屋に滔天を忍び込ませる。
密かに二人は結婚の約束を交わした。

【中国革命への船出~1891/M24年】
荒尾に戻った滔天は、兄・弥蔵の考えで、清国に革命を起こそうとする。
成功すれば、植民地支配されたインド、タイ、ベトナム、フィリピン、
エジプトなどのアジア諸民族地域に拡がる・・・という目論見。
手始めに滔天が上海に赴いたが、旅費を盗まれて失敗に終わる。

【槌との結婚・出産~1892/M25年】
2人は結婚、荒尾に家を借りて住み、長男の龍介誕生。
滔天は革命運動のため奔走、家には殆ど居ず、槌が暮らしを支える。
下宿屋、縫い仕事・・・色々やったが、結核に罹り子らと小天に身を寄せた。
この後、1894(M27)年 二男震作誕生。<日清戦争1894~5年>
1897/(M30)年 長女節(セツ)誕生。

【兄・弥蔵の死~1896/M29年】 兄・弥蔵が病腸結核で死去(29歳)。

滔天の放蕩
革命運動の準備に奔走しながら、イサクの影響か、女性関係も派手だった。
・遊郭で遊び、花柳病にかかった。
・留香(るか?)という芸者に惚れこみ、その家に居続けた。
・愛人(柿沼とよ)と同棲して子供をつくった
卓なら当然別れているところだが、槌は耐え忍んで生涯沿い続けた。

今日はここまで。明日は革命運動の話に絞って、滔天らの動きを追う。
新しい女性も登場する。滔天の妻と妾ではありません、さて、誰でしょう?

妻と妾


それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]