遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

草枕・那美を巡る人々~#4「民権活動・結婚~「草枕」出版まで」

2024年05月09日 | 人物
昨日に続き 安住恭子著「『草枕』の那美と辛亥革命」から我流引用記述

 今日は 前田卓を中心に父・兄妹らも含めた主要トピックを年譜形式で書く
 なお 卓は明治元年生まれ 元号数字で分かるので歳は省略

1880/M13 父・案山子(53)が各地で自由民権活動家の演説会を開催する
1882/M15 小天の案山子別邸で岸田俊子演説会 妹の槌(4歳年下)らも演説
1887/M20 卓が現・玉名市の豪農の長男植田耕太郎に嫁ぐ 案山子の勧め?
植田は案山子らと共に行動した自由民権運動活動家でもあった
1888/M21 卓が植田と離婚し小天へ戻る~理由は不明(植田が不真面目?)

1889/M22 宮崎滔天がイサク・アブラヒムを伴い小天へ 滔天が槌と出会う
 ・・・自由恋愛主義者イサクが二人を煽り縄梯子で槌の部屋に忍び込ませた・・・
1890/M23 第1回衆議院銀選挙実施 案山子が熊本1区から出て当選する  
1891/M24 槌が滔天と結婚 現・荒尾市に新居を構えた 槌20歳 滔天21歳
1893/M26 この頃迄に卓は民権活動家の永塩亥太郎と同棲(東京で)
 案山子は東京にも家(妾宅?)があり卓は幼少時から父と何度も上京していた
1896/M29 永塩と別れる 彼は移民斡旋事業に関わる

1897/M30 暮れから翌正月にかけ 漱石が山川と小天へ 別邸に滞在する
1901/M34 前田家に相続争い勃発 本家は下学・清人が継ぐ
また他の弟妹は隠居した案山子と分家 すでに家産は大きく傾いていた
1904/M37 卓 軍人加藤練太郎と結婚 1年で離婚 原因は加藤の妾問題
案山子没する(77歳)
1905/M38 卓上京する 民報社で働き辛亥革命と関わる 
1906/M39 漱石が「草枕」を発表する

今日はここまで 年譜整理で終ってしまった
3人の男ども 誰も那美さんの男女同権の願いを叶えてくれなかったようだ
実は "野武士"のモデルは誰か・・・探したが 結局 見つからなかった
それより上京後の卓のスパイもどきの働きのほうが面白そう

グールドの32章・・・の続きはいつか改めて・・・
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]