遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

宮崎家の人々~#9「滔天・二人の留学生」

2024年05月25日 | 人物

日清・日露戦争に勝利、列強の仲間入りした日本政府。
そこに清政府から「中国同盟会」取締りの要請が来る。
数人のリーダーを除けば、清からの留学生が同盟会の殆どを占める。
そこで文部省は、「清国留学生取締規則」を公布した。(1905/M38年11月)

"学校の寄宿舎・指定下宿に住まわせ、学校外での行動を取り締まる事"
"素行不良で退学させられた学生は、他の学校には入学させないこと"
留学生たちが特に反発したのがこの2点である。
役人得意の言葉使いが丸見え、革命運動も素行不良だと学生が考えて当然!

留学生たちは各学校一斉に同盟休校に入って抗議デモをする。
実践女子大留学中の秋瑾女史は、留学生会館で学生たちに演説。
”自由の権利を保障しない国にいる価値は無い! 全員、帰国しよう!”
2千人ほどが帰国したというが、秋瑾自身も翌月帰国した。

 秋瑾(しゅうきん) 1875/M08ー1907M40 

こうした行動を、マスコミは非難と揶揄混じりに報じた。
"清国の留学生は省令を余り狭義に解釈したのである
また、清国人の特有性である放縦卑劣のために団結も薄弱である"

この、清国人を放縦卑劣と書くマスコミの神経もよくわからない。
もっとも今のマスコミも何一つ本質は変わっていないが・・・

さて、省令公布とマスコミ報道に悲嘆、自殺した留学生もいた。
その名は陳天華。
 
陳天華(ちん・てんか) 1875/M08-1905/M28

彼は法政大学に留学中の学生。来日前から黄興、宋教仁らと知合う。
留学中は、中国同盟会や民報社の中枢メンバーとして活躍中。
その彼が、マスコミ報道のあった日に、大森海岸で抗議の入水自殺をした。

リスト最後の「絶命書」には、革命の心構えとして、
”責任感を持て"と"外国を頼るな"と書いてあるそうだ。
滔天も、"革命とは?”、と何度も何度も自問した事だろう。
その彼なら、もう一つ書き加えるかもしれない・・・”義侠心を持て!”

今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]