アトリエバラ・スタッフのブログ

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皇后 美智子様の絵画?

2007年04月28日 01時08分01秒 | 芸術
スタッフMです。

昨年、美術教室のスタッフが前橋の日赤に入院した時、毎日見舞行った時にふと、
見かけた絵がありました。

えぇぇぇぇ。
まさか。


これって皇后 美智子様の絵画(水彩画)ではないか?
昔、群馬県の地方紙の上毛新聞で掲載された絵を薄っすらと思い出しました。

病棟に行く待合が並ぶ通路の一角にそれとなく他の油絵と並べて展示してあり、
一瞬こんな所に飾っておいていいのかな?(誰か持って行ってしまう・・。心配)

HP抜粋 ・皇后 美智子(こうごう みちこ、旧名:正田 美智子(しょうだ みちこ)、1934年(昭和9年)10月20日 - )とは、日本の皇族。今上天皇(明仁)の皇后。印は白樺。日本赤十字社名誉総裁。

まして美智子様は一時疎開で群馬県の館林南国民学校(現館林市立第二小学校)に通われていた時期も在ったとか。

前橋の日赤に展示してあっても、おかしくないわけで・・。

写真をとるのに一苦労ガラスが反射してしまい中々上手く取れません。
横から撮って加工しましたが、結構回りの写りこみや、色補正が上手く出来ません。

しかし絵画の素晴らしさは伝わってまいります。

絵画のしたの名札に 六 梅 正田美智子とはつきり読めます。

ということは六年生・梅組・正田美智子と読めるわけで
小学校6年生の時に描かれた絵?

あまりにもお上手すぎますね。

しっかりユリの花デッサンがわかって描いているとしか評価のしようがありません。
コンポジションも良いし。

パパ先生の義父のアトリエバラ美術教室の顧問村重先生は東京美術学校(現・東京芸術大学)時代
1941年(昭和16年)雙葉学園小学校二年生の美智子様の授業をアルバイトで行ったそうです。

昨年のアルバムの整理をしていたら発見しましたのでUPしました。

今年こそは良い年に。

2007年01月09日 20時56分46秒 | 芸術
2007年・今年も一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って作る七草粥も終わり、昨日成人式、そして前橋では今日は初市です。

スーさんです。
今年もスタートから日本犯罪史に残る事件(家族間殺人)でスタートを切りましたね。そして昨年に続いて「いじめ」「一般人と大企業の景気に対する温度差の拡大」「団塊の世代の転職問題」「異常気象」「政府の支持率の低下」・・そして世界は「北朝鮮問題」・・何でこんなに「問題」が多いいのでしょうか?ここで「問題と言うと」私は昔、大学の教官時代「試験問題」を作っていました。「問題には答えが存在します。」今おきている日本・世界の「問題」には「答え」が無いのでしょうか?

昨年の暮れにリリー・フランキー原作「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」話題になりました。そして昨日よりテレビで始まりそして4月には映画化。
1960年代、ボクが3歳の頃。と始まる話は私が生まれたより少し後の時代のお話。そして以前のブロク12-05「ALWAYS 三丁目の夕日」は私が9才の時のお話。
2007年11月「ALWAYS 続三丁目の夕日」映画化。
そして昨年話題になった映画(本)を新春ドラマスペシャルで「佐賀のがばいばあちゃん」島田洋七さんは私と同じ年。
私は早生まれなので一学年上か同じ学年。あの頃の日本どこにいても言葉の方言が違うだけで私の育った群馬県も原作の佐賀県にしてもそう子供たちは代わり映えがありません。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「佐賀のがばいばあちゃん」
と三本とも共通点がありますね。
ちょっと「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は時代が若いけれど。

私が群馬生まれ。奥さんが山口生まれ。年は同じ年、しかし私が早生まれなので一学年上。
三本とも二人で観賞しました40年~50年近く昔にタイムスリップ。

あの時代、決して良かった(昔は良かった)とは言いません。「佐賀のがばいばあちゃん」の場面で給食の時間、真っ先に鼻をつまんで一気に脱し粉乳を飲んでいる子供(生徒)を見ると大変懐かしさがこみ上げてきたものです。
(意外といやな思い出が懐かしくおもうのかな?)

あの頃の子供たち誰が自家用車持って乗り回す時代が来ると思った子供がいたでしょうか?

しかし現代では冒頭に書いたような「殺人事件」や「陰湿ないじめ」(昨日のSMAP&SMAPで、ゲストにヤンキー先生を迎えていじめ問題を取り上ているのを見ていて、もういじめている生徒だけでなく学校も教育委員会も巻き込んでの犯罪行為ですね。)昔の大人は言いました。
「臭い物には蓋をしろ。」・・・・・・。
__________________________________________________________________むぅぅぅ。

アトリエバラ美術教室も6日7日と始まりましたがお正月連休と重なり明日(10日)から本番ですね。

絵を描くということは頭の中に描く物体が理解していなければ描けません。
わかっていて描かないのと、わからなくて描かないのでは全く違うのです。
絵を描く(クリエーティブ([形動]創造的。独創的。「―な仕事」))と言うことは最初に書いた「自分が自分に与えた問題を解く」事なのかも知れません。
「答えは一つでは在りません。」しかし真理は一つですね。
太陽は西から昇り東に沈むことは決してないのです。
もしそのような時が訪れるとしたら・・・。おしまいです。

例年の課題です。(私達、人に物事を指導する人間は特に)

今、私は何をして、何を見ているのか・・そしてどこに向かっているのか、いつもチョット考えて見ましょう。

明けましておめでとうございます。

2007年01月01日 23時28分50秒 | 芸術
スーさんです。
明けましておめでとうごさいます。
31日~1日と年をまたいでぎりぎりアトリエバ・ラデザイン室の仕事、メニューデザインが仕上がりました。半年ほど時間をかけすぎましたがまあまあの出来になったように思えます。

落ち着きましたらアトリエバラのホームぺじのアップを行ってゆきたいと思います。

教室も6日の土曜から始まります。
13日は市民展の搬入など・・結構いそがくなりそうです。

今年も生徒の皆さん各・展覧会や各自のレベルアップがんばりましょう。
今年は受験の生徒さんもおられます、一緒に考えましょう。

群馬県展

2006年11月21日 16時15分32秒 | 芸術
スーさんです。
昨日行って参りました。(写真は、生徒さんの前でママ先生を撮りました。♪)

群馬県展も出品するのをやめて20年、生徒さんが入選したので20年ぶりにママ先生と見に行きました。
ママ先生は時々見に行っていたようですが。

私の一言の感想「何じゃこれは」
デジカメを持っていったのですが生徒さんの作品と数人の知り合いの作品二~三枚「はい、おしまい」写す作品がない!

前橋市民展は毎年、当教室の生徒さんが出品しているので見に行ってますが数点は「お~ぉ・いいね」と思える作品がありますが本当に20年ぶりの県展の油部門にはなかったですね。水彩は数点いいのがありましたよ。

20年前を思い出しますね。私も県展では毎年連続入選しておりましたが祝賀パーテーで酒の上で審査員の先生から一言「抽象やれば賞をあけるよ」
私も若かったので「ふざけるな」の一言でパーテー会場を後にしたことを思い出しました。
(私に言った審査員は亡くなったとか)

まあ、どこの美術界も多かれ派閥で賞の持ち回り・・・。
わかってはいるのですがあまり気持ちのいいものではありません。

話は生徒さんの大井サンですが私も会場でしばらく遠くから彼女の作品を見る一般の方の視線を見ていました。
かなりの方が彼女の作品の前に来ると一瞬でも足が止まるなり、チラッと見て通りすぎてゆきます。

そのときの私の感想「やったね」

artの見方は8月8日のブログ「岡本太郎」でも書きましたが私が18才のとき太郎さんが語ってくれた(そのときは抽象絵画でしたが)見方は普通に一点一点見るのではなく普通に会場を歩いていれば作品が語りかけてくる。

長野の「無言館」の作品も強烈に語りかけてきましたね。

最近では私より八歳年下ですが「木原和敏」さんの作品、画廊で拝見しました。私は「好き」ですね。
ぜひ購入したかったのですがいかんせん今の私に手の出る値段(150万)ではありませんでした。

県展の帰りに木原さん(画廊で販売していた15号の油絵)ぐらいの力量の有る絵が一点も感じられなかったね、と二人で話しながら帰途に着きました。

今後も木原和敏さんがどのように作品が展開してゆかれるのか楽しみです。

今後もアトリエバラの生徒さんには大志(画家)を持って進んでいってもらいたいとおもいます。
Boys, be ambitious!

群馬県展入選

2006年11月15日 18時24分08秒 | 芸術
久しぶりです、スタッフMです。

取り急ぎ、アトリエバラ美術教室の大井サン油絵30号「The eyes」群馬県展初出品初入選おめでとうございます。


コメントはパパ先生が改めてブログに紹介します。

本当に取り急ぎで恐縮ですが、おめでとうございます。

ちょっと絵が描ける用になりたい。

2006年10月30日 16時11分04秒 | 芸術
スーさんです。

最近特にアトリエバラ美術教室に多くなった問い合わせに「ちょっと絵が描ける用になりたい。」「ちょっと絵手紙がかけるようになりたい」など「ちょっと・・できるようになりたい。」というメールや電話が増えてまいりました。

人間が行うことで、ちょっと勉強すればできるようになる事柄は現実世界に存在しません。

勉強もスポーツも料理も芸術も人間が生きて行く上で必死に努力してマスターしない限りどんな些細な事も出来るようにはならないのです。

人間ちょっとで出来るようになるのでしたら学校も何もかもいらないでしょう。

以前、講演を何回か頼まれましたが、お聞きに・お見えになっている方は、関心が有るだけ良いのですが、それでも私は講演の終わりにこうつけくわえます。
「この話を聞いても何も出来るように、なったわけではありませんよ。」
「毎日少しでいいから考えて行動を起こさなければ、何も改善したことにはなりません。」

「ちょっと出来る」という言葉をもう一度整理してみると。
私が陶芸家を目指すとき「千個の湯飲みを作れば上手くなる」といわれ達成したからプロとなりちょっとした湯飲みが作れるのです。

大学を出て建築デザイナーを目指したときも最初の一年は睡眠時間2~3時間、現場と事務所・自宅でも枕の横にはスケッチBOOKアイデアーが浮かばなければほとんど寝ず。
そうやってちょっとデザインが出来るようになるのです。

今の世の中変なキャッチコピーにだまされすぎています。

「金儲けの出来る本」「・・・の解る本」(パソコン関連の本)「・・・がすぐ出来る本」(料理関係などの本)どの書籍も出来る人が読めば理解できますが素人が読んで出来たときいたことはありません。

一つのことをマスターするのには10年かかります。
スタートラインにたつだけで、昔の人は「石の上にも3年」

教室のキャッチコピー

こんにちわ・・・・(~-~)
アトリエバラ美術教室です。よろしくね。
「絵を描いてみたいんだけど。ちょっと描けたら・・」
そんなあなたにも絵は描けますよ。
そんな人生を目指している人達が集まって勉強してます。
ちょっと立ち寄って見ていってくださいませ。

と書いてあるのは絵画に興味があり努力を惜しまなければ誰しも描ける様になることは間違いありません。(教室を27年しているとその辺は断定できますね。)


地三郎先生

2006年10月02日 18時21分32秒 | 芸術
スーさんです。
地三郎先生 ・・生涯現役
しいのみ学園・園長 医学・文学・哲学・教育学博士 明治39年生
縁あって義父(彫刻家・村重勝久)が依頼されたかの有名な「しいのみ学園・園長」の地三郎先生の銅像を
ママ先生里帰りの際に撮影してまいりました。制作(彫刻家・村重勝久・村重昭)

「しいのみ学園・園長」に関心の方はリンクにアクセスしてください。