アトリエバラ・スタッフのブログ

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県展報告・搬出

2007年11月30日 16時43分20秒 | 芸術
しばらくぶりにコメント書きます。
カレンダーをご覧になると記事が12日でストップしてしまったのは県展の発表か13に各自に郵送され<、結果の報告が各自からママ先生の携帯にメールが続々と入った事によりショックを引きずり今日に至った分けてす。

初めから解っていた事と言えやはり結果はショックを受ける結果となりました。
それそれれ半年をついやして清淡込めて仕上げた作品ですが「簡単に落とされます」
県展の裏事情各県の先生と生徒の金銭的癒着体制。私が此の道に入って30年変わっていませんね。

各県から色々と此のブログに(内緒)で投稿ありましたがどの県展も多くの美術教師の天下り先になっていますね。
公務員はいろいろなところに天下り先を持っているものですね。

今回の展覧会場など元高校の建物に展示してある為に最悪ですね。
小学校の生徒の絵を良く廊下に張ってありますがまったく同じです。
幾ら会場になる県立美術館がアスベストで二年も工事の為30号までと
製作手ごろな大きさであっても学校後を改装して教室に廊下に展示
場所によっては光って見えずらかったり・廊下に展示されるとは・・・・。

これが搬入料を6000円も取ってやる県展か、と思いました。
当然教室の生徒さんは、入選と落選(おもった通り)とに分かれましたが
中学生の書いたような作品?が堂々と展示してあるのにはあきれて物が言えません。
当然のごとく初日に言ったものですから、えらい(皮肉)先生が10人ぐらいの生徒さんを引き連れてそれそれの絵画の批評あまりにもお粗末・内容の無さに此処に各期にもなりません。
前にも書きましたが私も県展6年28年も前に出品していましたがあまりにも審査員の暴言にキレテその後中央(上野)しか出品しなくなりました。
時折書くのですが市民展・県展・青年美術展・勤労者美術展など多くの公の美術展は私的な目的に使われる事を私は断固として認めたくありません。
日展・二科・二季さまざま個人の団体は何をやってもかまわないと思います。


今週水曜日より始まり日曜日まで県展は行われます。
やはり6000円の出品料(委員の手当て・私も市民展で委員していましたのて゛)
に使われるなら来年はもっと違う公募展に生徒さんをチュレンジさせて行く事を検討中です。
月曜が搬出日です。
一刻も早く入選作も落選作も引き上げてきてあげたい気持ちで今はいっぱいです。


搬出日
昨日群馬県展終了し本日午前中搬出に二人の先生と出かけました。
県展のコメント書くだけ苦虫を噛み潰した気持ちになるのは以前にも書きましたが
本日搬出に当たってもトラブル発生(怒)
搬出入り口も何も標識が無く入選の絵をもらって車に積み込み交換の券があるのに気づき
もう一人の先生が交換権を持って車から再び会場へ。

しばらくすると先生あわてて交換券と一緒に絵をもってこいという事・車に数点の絵画を積み終えたばかりなのに再び崩して交換権と絵画を持って駐車場から会場まで(かなり距離があります)

私はほんの数秒間の間にこめかみに音を立てて怒りがこみ上げてまいりました。

駐車場から会場に向かい怒鳴り込もうと思いでかけたところ会場で入り口付近に絵画を持って戻って来た先生と出会い私が「これからうなってくるから」と声をかけたのですが、引きとどまるよういわれ我慢しました。

私も委員(違う公的展覧会)をしていた時など委員の方が出品者の方にに気を使ってあげるのが当然なのです。以前にも書きましたが前橋市民展も群馬県県展も・無料で出品しているわけではありません。
出品料を取り(私も昔は当番の手当(日当)・弁当代・などもらってましたが)運営しているわけですのでかなり出品者の方には気を使ったことを覚えてます。

もう来年からは教室からは県内の公的公募展には参加しないように考えます。

本当に公的機関の展示会を各団体の私物化するのは辞めてほしいものです。
私物化をやめるのは簡単な事で展覧会に携わらない第三者が審査をしなければすむことです。

私が出品していた展覧会(数点ありますが)など人間国宝の方もも審査の対象になる展覧会です。
自分の作品が落ちても確実に何故落選したか一目両全でした(力が無い・・笑)

芸術の世界もどろどろとした汚い世界なのです。
この人の世と同様に・・・・
その汚い世界をどう照らすかが今・作品に求められているのかも知れません~。


県展製作課題決まりました。

2007年11月07日 11時36分35秒 | 旅日記
生徒さんのoosawaさんの下絵の構想が決まりUPします。



今回UPした下絵はF10号で荒くイメージを起こしたものです。

これを元に50号に仕上げて行きたいと思ってます。

彼女自身は若柳流(わかやぎりゅう)の師範で

彼女の先生の踊る鷺娘をテーマに今回、取り組みました。

雪の白・着物の白の表現を今後どのように生かし切るかがテーマと成ると思います。

又一人教室から作家の卵が孵化しはじめています。

帰ってきます。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

2007年11月02日 15時00分27秒 | 旅日記
11月2日(金) 21:03~23:39
日本テレビ
Gコード(54315111)

ALWAYS三丁目の夕日◇05年、日本テレビ放送網・ROBOTほか。吉岡秀隆。1958(昭和33)年の東京の下町を舞台に、そこに暮らす人々の喜怒哀楽を描く群像ドラマ。山崎貴監督。昭和33年、建設中の東京タワーを望む下町。則文(堤真一)・トモエ(薬師丸ひろ子)夫妻と小学生の息子、一平(小清水一揮)が暮らす小さな自動車修理工場"鈴木オート"に、六子(堀北真希)が集団就職でやって来る。就職先が大きな会社だと想像していた六子は失望。そんな彼女を、一平はもうすぐ家にテレビが届くと元気づける。一方、鈴木家の向かいで駄菓子店を営む小説家の竜之介(吉岡)は、思いを寄せる飲食店のおかみ、ヒロミ(小雪)のもとにいた身寄りのない淳之介(須賀健太)を預かる。淳之介は竜之介の小説の大ファンだった。力道山の試合中継の日、鈴木家にテレビが届き、一家は近所の人々に披露する。

yahooテレビ欄より