アトリエバラ・スタッフのブログ

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新しい出会い

2010年05月16日 18時55分03秒 | アトリエバラ美術教室

ハニーさんが亡くなって入れ替わりに

↑名前はラブリーこと愛称ラブちゃんです。
簡単な自己紹介

犬種はイングリッシュ・コッカー・スパニエル
生まれは2009年12月29日
性別は ♀
毛並みはORANGE

新しい家族であり教室のモデルでもあります。

まだやんちゃでとてもモデルとはいかないですが
ほとんどの生徒さんと対面できましたので
将来モデルとしてしてチャレンジしてみてください・
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別れ!

2010年05月11日 16時01分20秒 | アトリエバラ美術教室
2010/5/6(木) のyahooブログに「出会いそして別れの予感」 と題してシェパードのハニーさんの死期について述べましたが本日午前八時病院で息を引き取りました。

まもなく11才を迎える所でした。

応援して抱いた皆様にありがとうございましたと此処でお礼申し上げます。

先週の金曜日にママ先生が実家山口県の方にに不幸がありどうしても
里帰りをしなければならずかかりつけの病院で一日4000円で預かっていただけるので
お願いして旅たちましたが昨日病院からママ先生のほうに電話で様態の変化の電話があり
一日早く夜行バスで前橋駅に帰ってきたのが今朝の10時・病院は駅のすぐ近く・駆けつけたときは
もう手遅れでした。

私も連絡を受けたのがあさの10時すぐに病院に駆けつけましたが其処には力を落とした
ママ先生が待っていました。

病院で内でお願いしている火葬場が同じなので先生にお願いしようとママ先生に話したのですが
どうしても今晩お通夜をしたいということで我が家につれて帰りました。

病院で亡くなり方も眠るように行きましたという言葉が救いですが我が家に帰ってきても
今でも眠っているようで・今でも呼べば起き上がるようです。

巨体を息子と三人で部屋に安置し生前可愛がっていたおじいさんにも会え今残っている家族に再びあえて
病院からそのまま火葬場へ行かなくて良かったと思っています。
悔やむのはロンドンの次女(ハニーさんを可愛がっていた)が戻ってくるまで待てなかった事です。

まだロンドンには知らせないように思っています。(動揺させるだけですから)

ハニーさんがもう危ないといわれたときは以前のブログでは心の小枝が折れる音がしたと書きましたが
今日は太い枝が音をたてて折れる心境です。

此処毎年ペット(我が家の一員)か゛次々となくなり・それぞれ別れのくる事は分かっていても心の痛みはどうする事も出来ませんね。

あまり私はペットロスにならないと思っていたのですが最近歳のせいか涙もろくなり・昔の思い出が走馬灯のように思い出されペットを飼うことの苦しさを感じるようになりました。

人はペットの悲しさを忘れるためには又新しいペットを飼えばいいといいますがそれもまた大変なエネルギーが要ります。

特に去年なくなったシェルティーのラッキー君と警察犬だったハニーさんは散歩の時はリードをつけなくても人の横に立って歩く賢い犬達でしたのでこの二匹はわずか五年じかくの縁でしたが深く心に刻まれる我が家の家族でした。

昔から飼い犬は飼い主の不幸を背負って代わりに行くといいますが今回もハニーさんがおじいさん89才の代わりになって旅立って行ったように思えます。

毎日ラッキー君とハニーさんはおじいさんの部屋の前で一時間でも二時間でもお座りをして餌がもらえるのを楽しみに待つ賢いこたちでした。

ラッキー君が昨年そしてハニーさんととうとうおじいさんの部屋のガラス越しにきちっとお座りをして餌を待つ犬はいなくなりました。

おじいさんも戦争に行った人ですので強い心の持ち主ですがハニーさんの枕元に一時間ほど座り別れをおしんでいました。

明日赤城メモリアルの午前9時の窯にお願いしてありますので骨をもらって我が家のペットの眠る皆が眠る所に一緒に埋葬してあげたいと思っています。



☆そして今日で今月ゴールデンウイークで長い絵画教室のお休みは終わり明日より平常道理に又勉強が始まります。
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芸術って何?絵画って?

2010年05月08日 19時41分10秒 | 芸術
芸術とは何か?絵画とは?

このテーマは人間とは何かと同じ「問いかけ」に順ずる物と思います。
と・言う事は芸術=人間と直訳しても良いでしょう。

大辞泉には
特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」・・
と解釈を述べて居ります。

私も高校の美術部時代から考えると45年以上芸術にかかわって生きています。

以前から現在の日本における芸術について書いて見たいと思っていたので書いてみます。

このテーマを思い切って私が書くきっかけになったのは
私のブログで知り合った少女のブログが原因でありました。

その少女との知り合ったのは二年以上昔の事でその頃彼女は中国地方のとある県の高校の二年生
美術部で高美展で受賞し美術をこよなく愛する少女でした(小学校から絵画教室に通う)。

そして昨年無事に東京のお茶の水女子大学へ入学
一年が終わり現在は海外のニュージーランドへホームステイ へ。

彼女のブログは大変面白く文才がありります。たかが高校生の日常を綴った日記なのだがと思いながら読んでいても、ついコメントを入れたくなる文脈で人を引きつける要素を持って居りました。
その彼女が我が祖父の卒業した東京芸大の卒業展(今年)を見に行った時のブログ(感想)を読んで感銘(納得)を受けました。

☆本人の許可を得てあるので差し支えの無い限り原文を載せます。




親の友だちのおばちゃんに誘われて、芸大の卒展に行ってきた。
おばちゃんの息子さんが芸大生で、あたしが芸大に入りたかったことがあるって知ってたから、わざわざ声をかけてくれたの。だけど、待ち合わせで、顔が分かるか不安っていうくらい、薄い関係の人。しかも、mit ihrer Tochter und deren Freundin!!(←思わずドイツ語を使いたくなった・笑)
要するに、おばちゃん、その娘(24歳)、その娘の友だちっていう知らない人ばかりの中に入ってきたんだ。


なんでそこにいたのか、よく考えれば不思議だけど、「絵は人をつなぐ」んだね。



芸大の卒展はいろんな意味でヤバかった。
日本画、油画、デザイン、建築、工芸、彫刻の6部門で、それぞれ卒業制作と自画像がセットになってた。日本画はオーソドックスで、自画像との統一がとれていて、素直に美しかった。モチーフが日本画らしくなくて斬新だったり、巨大な挿絵みたいだったり、若者らしかった。
何がやばいって、油画!
正統派な日本画を見た直後だったからかもしれないけど、
「え、ここ、油画?」
て、表示を何度も確かめたもん。


まず、油絵の具を使ってる作品が皆無。
そして、なんていうか…独創性を追求しすぎて、個性が崩壊しちゃったって感じ。「病んでる」っていう言葉がここまでぴったりくるものはないと思う。暗いテーマが多いし、声にならない悲鳴が聞こえる。
芸大の油画なんて、エリート中のエリートが集まってるだろうに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
こんな環境だからこそ、人一倍、個性、個性って悩むんだろうな。
(もし、該当者が読んで気を悪くされたらごめんなさい;)



今まで知らなかった分野だったけど、「工芸」が思いのほか面白かった。
足が止まったのは、鋳金で作った大量のヤモリが、金色のハエに群がってる壁面。下には、死んだようにぐったりとしたヤモリが大量に並んでた。

…弱肉強食?

疑問が聞こえたかのように、後ろから制作者が近付いてきて、解説してくれた。
「家守」は「サラリーマン」の象徴で、ハエは「お金」を表してるらしい。上京してホームレスの姿に衝撃を受け、卒業制作という機会に、社会批判をこめてデカイ作品を作りたくなったそうだ。


見てるだけじゃなかなか分からないけど、こうやって解説してもらえると、作者の熱も伝わる。


「鋳金が楽しいんですよ。このヤモリの腐食の色具合がいいでしょう?」
黒ぶち眼鏡で一つ結びの男の人、ちょっと(?)変わってるけど、面白い!




芸大ってやっぱりいいなぁ。
おばちゃんが今度は家においでよって誘ってくれた。少し前まで、髪が爆発してたという息子さんとご対面だ。うわー、どんな人なんだろう。
今年こそ、芸祭にも行かなきゃ♪




絵、描かなきゃ!





と・・この文章を読んで彼女の目(一般人)を通して現在日本における芸術とは何かという疑問を解く鍵が見えてきます。

30年前に開塾したアトリエバラ美術教室ですが当初と今ではまったく指導の仕方が変わって来ております。
始めは受験の指導から始めすぐに子供教室(40名)へとつながり約15年をへて
現在ではほとんど大人の教室になり20代~30代の画家の養成所もかねた指導になっております。

15年前に始めた大人の教室のお手本はまだまだバブルがはじけたとは言え日本が現在のような困窮の状態ではなかったので印象派・近代絵画などをお手本に勉強をしていたものです。

やがていくら日曜画家の教室とはいえ・二年も指導をしていると壁にぶつかり先に進まなくなる。
やはり基礎のデッサンをおろそかにして油絵に入った事が原因である事はすぐに見当が付きました。

そこでデッサンの基礎と模写を取り入れ徹底的に基礎画力のアップに力を入れるようになると生徒さんの画力は今までの非ではないほど上達が早くなりました。

当たり前のことで私も建築デザイナー・陶芸家と本業を学んだ時を振り返れば基礎を学ばなくてプロの作家にはなれないことに気が付きます。

陶芸家を目指す時大学の後輩の作家に指導を受けた時まず100個湯飲みを引いてくださいといわれ
実践をすれば確かに100個目は上達しています・笑い!

絵画も受験の時の指導も理屈より数をこなす事により基礎の技法が身に付きますし
スランプの時の私の原点はいつでも湯飲みの制作に戻るり
教室ではリンゴを原点に戻って描いたり・自分の手を描くなど原点に戻る事によりスランプを乗り越えて行きます。

其処にあるリンゴ・買って帰りたくなるリンゴ・思わず食べたくなるリンゴ・腐ったリンゴ
リンゴといっても無限に表情はあるります。

自分の手も無限に表情を作る事ができます。

予断ですが私の好きなリンゴは岸田劉生の描くリンゴが好きです。

此処からが今回の芸術とは何か?絵画とは?というテーマに迫って行きたいとおもいます。

まず始めに学問として美術(芸術)を考える時非常に面白い事に気が付くはずてす。
学校の授業で小中高と美術という時間の中で私たちは何を学んだのでしょうか?

まず受験に必要な五教科は全て学問として一から教科書を使い学びます。
その他の教科も全て基礎から一応指導を受けるはずですね。

体育の授業でも準備運動から始めるまで一応の指導が行われます。

では美術の授業はどうでしょう?
海外などではルーブル美術館に子供(学校)が授業で模写をする。
絵画を描くための鉛筆の削り方は?どの紙(キャンバス)と絵の具の関係は?
木を描くのにどこを注意するのか?人を描くためには・・・・?

そして名画を見る為には何を学ばねばならないのか?
音楽で言えばアナリーゼです。
皆さんご承知ののだめカンタービレinヨーロッパに出てきますね。

(多分、今の大学生ほとんどにいえることなのだろう。のだめの留学1時間目の授業のつまずきは「アナリーゼ・楽曲分析(がっきょくぶんせき)とは、その音楽がどう組み立てられているか調べる事である。アナリーゼ若しくはアナライズ(ドイツ語・英語のAnalyse(分析)」であった。そしてのだめは同級生に大学で何を学んだの?と問われる事になる。)

絵画を鑑賞するのも音楽同様にアナリーゼを学ばなくては絵画はを理解する事はできません。
簡単な事ですね・・英語を数学を科学を・・・理解するために何を学ばなければならないかもう懸命な読者の方はご理解出来たと思います。

絵画は言語に変わる膨大な量のデーターを含んだコミュニケーションツールなのです。

それを道具の使い方一つ、まともに指導せず自分の気持ちを描いてくださいということを平気で言う美術は何なのでしょう?・・一般の大人でも理解不能な自分の今の気持ちを絵に表現するなどまともに美術を50年勉強してきた私にも難問を小中学生の授業で課題に出す教育を考えるとあまりにも異常な状態を子供たちに押し付けているとしか思えません。

そんな中で「芸術は爆発だ」(岡本太郎さん)という言葉が先行し今の美術界が混乱をきたしているように思えます。太郎さんには私が大学一年の時に偶然お会いできて感化されたものです。
そして抽象画の見方を習ったのも太郎さんでした。

パリ万国博覧会・国際博覧会としては1855年~始まったあたりから美術界も大きく変貌をはじめなど印象派など芸術は美術から現代芸術へと変貌をとげて現在に至っています。

私が大学時代は前衛芸術の花盛り実際ピカソの作品を見てもとこが良いのかまったくわからずじまい・笑
多分同級生たちもピカソはすごいと言う言葉の裏側に「なんだかわからね~」が本音だったと思います。
とにかく「デュシャンの泉」という作品を見たときのショックは言葉では言い表せず、あの作品を超える現代芸術をまだ私は知りません・爆

此処で少し整理してみましょう冒頭で紹介したブログの少女の言葉を再び引用するなら


「芸大の卒展はいろんな意味でヤバかった。
日本画、油画、デザイン、建築、工芸、彫刻の6部門で、それぞれ卒業制作と自画像がセットになってた。日本画はオーソドックスで、自画像との統一がとれていて、素直に美しかった。モチーフが日本画らしくなくて斬新だったり、巨大な挿絵みたいだったり、若者らしかった。
何がやばいって、油画!
正統派な日本画を見た直後だったからかもしれないけど、
「え、ここ、油画?」
て、表示を何度も確かめたもん。


まず、油絵の具を使ってる作品が皆無。
そして、なんていうか…独創性を追求しすぎて、個性が崩壊しちゃったって感じ。「病んでる」っていう言葉がここまでぴったりくるものはないと思う。暗いテーマが多いし、声にならない悲鳴が聞こえる。
芸大の油画なんて、エリート中のエリートが集まってるだろうに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
こんな環境だからこそ、人一倍、個性、個性って悩むんだろうな。」

さすがに文学(英文学)に進みたいと願っている彼女の言葉は妙に分かりやすく現代作家の心の闇の部分を表現していると感心します。

私は学生結婚ですので絵を描いたり彫刻をしたりなど純粋芸術など手かけてはおられませんでした。
建築デザインを勉強し・20代後半からは陶芸家かの道に全力疾走・笑

デザイナーとして人の求めるもの・喜ばれるものを目指し制作を励んで来ました。
こんな性格ですから各展覧会で入選・入賞してもまして委員推挙されても納得しないと喧嘩・笑

展覧会の裏事情を知るに付け憤激して市・県・全国の作家協会(陶芸)を今か10年以上も昔に脱退。
そして無所属になってせいせいしたのが本音です。

事実私の作品を求めていただいたお客様は私の肩書きで購入された方は90%居られません。作品(商品)が気に入って買い求められています。
残りの一割のお客様が私の肩書(陶暦)きと領収書(贈答品)で購入という30年間を振り返ると作家たるもの人に理解され愛されねばならない事に気が付きます。

どんなアーティストと言えどもパトロン(スポンサー)がつかねばプロとして食べれません・笑
五月五日のニュースで流れた「スペインの画家ピカソの絵画が4日、ニューヨークで競売にかけられ、芸術作品としては史上最高価格となる1億650万ドル、日本円にしておよそ100億円で落札されました。」と流れるとやはり芸術はピカソなのかと思ってしまう大きな落とし穴が存在します。

今こそフェルメールが生きたオランダを参考に考えるなら日本の家屋にあった絵画芸術が花開かない限り、そしていつまでも美術館や展覧会場に並べる巨大な絵画(100号を基準として)が展覧会で募集されている限りこの日本に日本人に絵画芸術の定着は望めないのではないでしょうか。
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GW終了です。

2010年05月05日 18時27分37秒 | アトリエバラ美術教室
今日でゴールデンウイークも終わります。
教室も後一週間ほどお休みです。

そろそろ体調を整えて来週から始まる教室に元気で戻ってきてください。
ここ数日真夏日が続いていますが体調管理に気をつけてくださいませ。
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