アトリエバラ・スタッフのブログ

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やってしまったママ先生。

2006年08月31日 18時11分54秒 | 日記
第21回国民文化祭・やまぐち2006
ママ先生国民文化祭ぐんま2001を河きりに六回目の油絵の出品でママ先生の生まれ故郷のやまぐち2006

一週間前に山口市役所からの電話で今年はサイズが小さくなっているとの電話あり
パパ先生曰く応募要綱読まなかったのか?
今年はあきらめな。

ママ先生毎年50号までだもの。

その後無言。

此処五日、毎日朝方まで50号の絵(7月24日のブログ記)を30号に書き直し(新しい構図で)。

どうにか先ほど書き上げ明日日通より搬入。

滑り込みセーフとなるか。

ぐんま2001で入賞を河きりに各県で入選を果たしとりあえず故郷のやまぐち2006まではと頑張ってきたママ先生。

今年は横で見ていてもスーさんも疲れました。

見ているより自分で描いたほうがええ・・・(疲れた)

作品の写真のアップは後ほど。

とりあえず記。





喜びでいっぱいです。

2006年08月29日 20時28分59秒 | 日記
養老孟司先生から葉書(暑中見舞)をいただきました。

大感激\(^O^)/

葉書をいただいた経緯は後で又書きます。

昨日今日とブログは暗い話。

ここ数日のいやな気持ちがふっとんでしまった。

人間の本当の喜びはお金では買えないない。

たった一枚の葉書がお金では買えない喜びを与えてくれる。

さて写真のように葉書を見てびっくり郵便番号がまったく違う(O.O;)。

郵便番号7000907いったい何処だろう。

この葉書鎌倉の消印ですが日本の何処を回ったのだろう?

こんな先生大好きです。

養老先生のことは又後で書きますね。

いやな事件のブログを書いた後に葉書を見て書かずに入られませんでした。

(先生の直筆ではなく代筆だったかな・・・?お忙しい先生だから。)


マスコミ

2006年08月29日 15時32分02秒 | 日記
スーさんです。

昨日の夕方のニースはほとんどのちチャンネルで福岡追突転落:幼児3兄弟の葬儀についてのニースで埋め尽くされました。

コメントもすべての局で年寄りのコメンテーターが飲酒運転による今回の事故の非難を毎度のことのようにしている姿を見ると腹が立ってきます。

ニースの無責任さ・いい加減さ・弱いものいじめ。

私も孫が二人おりますから、被害者のご家族の胸のうちなどテレビ局の馬鹿なレポーターに我々国民の代弁を事故がおきるたびに聞いてもらわなくても、けっこうです。

私は飲酒運転をさらさら肯定してませんが事故と言うものはも誰しも起こそうとして、おきることではない事をまず認識すること。
相変わらずマスコミの視聴率競争の餌食(被害者とその家族・加害者とその家族)になり私たちに何を考えなければならないか、大事な視点が大きくずれてしまいまうことを恐れます。

今回も市長が誤り(加害者が市の職員だったため)・加害者の身内が謝り・被害者の身内は無念を語りコメンテーターは飲酒運転の行為をののしり
挙句の果てのある局では酒を扱う店に駐車場があることがおかしいなどと言う始末。

又ある局では毎度出てくる酒を飲んで車の運転のテスト結果の報道。

各局すべて一斉に大々的に報じた今回の交通事故もいつものように話題が三日持つでしょうか?

車は凶器です。私は酒を飲みません。

しかし酒を飲まなくても事故は起こります。何が言いたいか・・

例を挙げれは゛各家庭に包丁があります。包丁を凶器に変える人が居る。日本中から刃物をなくせ?

事故がおきる度に各局同じニース。

とにかくニュースは信じられません。

TV局の都合のいいニースしか流さないのだから。

明日私たち一人一人が。加害者の身内になり・被害者の身内になるかわかりませんよ。

今はただそうならないことを祈るだけ・・・・です。

最後に一言付け加えておきます。
かなりマスコミ批判をしましたが交通事故による刑罰が以前にましてかなり重くなったことはマスコミの力もあった事は確かでしょう。

挨拶と先生・約束と先生

2006年08月27日 20時03分36秒 | 日記
スーさんです。

ここ数日むかついています。

ここ十年以上も昔から挨拶が出来ない・約束が守れない大人が急激に増えてます。

二つの事柄が出来ない人間がなぜ増えてきたのでしょうか?

日本は自由主義・民主主義国家とは挨拶しなくてもいいのでしょうか?
約束破っても個人の自由でいいのでしょうか?

なぜこのような「挨拶と先生・約束と先生」とタイトルにしたか。

私が国立大学の教官時代そして現在も教室を経営していても強く違和感を感じる時は、国立××大学教育学部の生徒(将来先生を目指す)・××保育園の保育士(幼児の先生)・××医療従事者(患者さんから先生と呼ばれる)・ほかにもありますが、世の中でいつか先生と呼ばれる人、現役の先生と呼ばれる人々。

「挨拶と先生・約束と先生」出来なければ一番いけないポジションの人が一番出来ていない。

今の子供は・青年は挨拶が出来ない。

子供や青年が悪いのでしょうか?

親も悪いが先生が出来ないのであれば生徒も出来ない(当然だと思いませんか)

もちろん挨拶や約束を守ることは学校だけで教えることではありません。

しかしの知り合う方々の大半の教育者を志す人、現役の先生と呼ばれる人達。

(私も呼ばれますので注意しなくては

挨拶や約束事ができない人が多いですね・・・・・。

最低限のルールが守れない人とは一緒に勉強したくないですね。

なぜこんなに怒ってしまったか。

此処、続けて三組もこのような人達にめぐり合ってしまったからです。

こういうこと書けるブログとはストレス発散の場所になりますね。

あまりこういう使い方はしてはいけませんね。

ごめんなさい。


岡本太郎とマスコミ

2006年08月24日 13時21分14秒 | 芸術
スーさんです。

岡本太郎さんを前回取り上げて最後に二人の太郎さんを次回取り上げますと書きましたので続きを書きましょう。

今回のブログの題がなぜ岡本太郎とマスコミか。

日テレプラザで開会している(8月31日まで)明日への神話・岡本太郎・テレビで二時間報道を二回大変盛り上がり百人のアーティスト?が出演。

しかしあっという間に今現在太郎さんの太の字も聞こえなくなりました。

同時に今私の周りからも・・・聞こえなくなりました。

こんなものなのですよ。

今の日本は。

以前に書きましたが私が大学入学時に岡本太郎と会っていなければ二十世紀のアートは多分理解出来なかったと思われるほどの人なのです。

私の大学の恩師たちも新制作協会の創立会員の先生達である意味、太郎さんより年上ですばらしい先生ばかりです。

私がなぜ太郎さんんと、さんずけするのか。太郎先生ではないからです。

此処から二人の太郎さんを書きたいと思います。

テレビなどで知られている太郎さんはやはりアーティスト岡本太郎先生だと思います。
しかしそれは太郎さん事態が作品になっていたのだと思います。

ほとんどの方は「芸術は、爆発だ」の太郎さんを連想するでしょう。
私もある部分そうです。

しかし彼の生い立ちの即席を見るとまったく別の太郎さんが見えてきます。

岡本太郎は1911年東京に生まれる。 慶応幼稚舎、普通部をへて東京美術学校に入学。 半年後、中退。 1929年、渡欧。 パリで前衛芸術運動に参加し、ソルボンヌ大学で文化人類学を学ぶ。1940年、帰国。

太郎さんの事を詳しくネットで検索してみてくださいね。

やさしくその太郎さんが私に現代アート(38年前)に18才の画学生にほんの数行で教えてくれたのです。

太郎さんはたくさんの本を書いてます。

その本の内容をここに書くつもりはありません。

其処にかかれている内容もさることながら、文体です。

私も本を出版してますが、これほど誰にでも心に響く文章の書き方があるだろうか。

これが「芸術は、爆発だ」のあの人の書いた文章か。

本に書いている太郎さんはまったくの別人です。

すべての本を読んでないので決め付けは良くないですが。
一言一言の文章から心の中に暖か~い風が吹く感じです。

これが目の玉をひん剥いて叫んでいる岡本太郎が書いた本なのか。

人の前では太郎さんは目いっぱい虚勢を張っていたのかもしれないなと同じクリエーターとして今は感じています。

でも太郎さんは岡本敏子という一人のすばらしい女性との出会いが唯一の・・・・。

もしも太郎さんが敏子さんにあっていなければ・・・・人生は・・・・。

すなわち二人の太郎さんとは私達自分自身のことです。

どんな人間も多面性を持ち・環境・時代・色々な要因(しがらみ)そして一番私が大切だと思う事は、出会い。
それらの事で人は善にも悪にもなる。

残暑お見舞い。

2006年08月19日 15時25分08秒 | 日記
スーさんは夏ばてで伸びてます。

今回も涼しげな富士山をアップしてみました。

2001年11月九州に向かう機上より撮影。

先ほどの天気予報では関東地方の猛暑は後一週間は続くとか・・・。

今週の教室はお休みですが生徒さんも夏バテを乗り切ってください。

スーさんに代わってスタッフEでした。



ブログの書き方難しい

2006年08月11日 11時41分51秒 | 日記
ブログの書き込みが中々続かないのは、まだまだ良くブロクの構造がわかっていません。わからないよりなれません。

結構書いているのですが幾度となくほぼ書きあがって文の注釈にホームぺじを引用しようとして、検索サイトについ癖でクリックして探し当てた文章を引用しようと元のブログに戻るとすべて文章が初期化されています。

ほぼ書きあがって投稿ボタンを押す寸前にすべて文章がパー!!!!!!!
もう一度書くのも・・・。

二度も経験すると新規に違うネットを立ち上げて検索すればよいことに気がついたのですが、習慣とは恐ろしい。

つい検索サイトをクリック。

元に戻るボタンを押すとすべてクリアー。アァァァァ

この現象はgooブログだけ?

はじめから長い文章を書くときはテキストを使うようにしますがなんかめんどくさい。

昨日本焼き(陶芸)が終わり現在窯の温度480度明日には窯だしが出来ます。

お店の食器もだいぶガタがきてていたので新しく出せそうです。

しかし今回は新しい釉薬を調合したので明日になるまで結果がわかりません。

それが素人は陶芸の醍醐味とかいいますが。
われわれプロは面白いところ?つらいところ?

岡本太郎

2006年08月08日 19時39分45秒 | 芸術
岡本太郎さん

今なせ゛スーさんは岡本太郎か・日本テレビが企画した明日への神話がきっかけとなりました。

太郎さんと始めての出会いは昭和43年6月21日銀座の松屋の太郎展でした。

私は大学に入学して3ヵ月目のことです。

入学してすぐにプロゼミいう授業があり芸術論で打ち負かされていた私は
松屋で行われていた太郎展に今思うとなぜ銀座まで出向いていったのかわかりません。

しかし38年前のことですが太郎展の会場の風景は忘れることは出来ません。

鮮明に覚えております。

そのころの私は美大に進んでもピカソ?・マチス?シャガール・・・・?
「どこがいいのだろう」「どこがすごいのだろう」

まったく二十世紀のアヴァンギャルド(ダダイズムやシュルレアリスム(超現実主義)など、第1次世界大戦後のフランスを中心にヨーロッパで起こった芸術運動、芸術革新運動。または、その運動のなかで「前衛、先駆け」の意味で使われた言葉。)の世界「わからねー」と当時群馬の田舎から18で上京した私がいました。

話は戻って松屋の太郎展・会場を入ると確か200号ぐらいの太郎さん独特の作品が目に飛び込んできました。

そのときでです。

肉体は作品の前に立っているのですが心体は後方一mほど後方に飛ばされていました。
そして作品は大作が次から次へと私に迫ってまいりました。

そして会場を後にするとき私の左手には一冊の光文社発行の「新版今日の芸術(生活を想像するエネルギーの源泉)」岡本太郎をしっかり握り締めておりました。

上の写真は本(今日の芸術)の表紙で裏は作家石原新太郎さんが推薦文を書いています。
今思うと面白い組み合わせてですね。

56年生きてきて一冊の本から多大な影響を受けたことはこの時が初めてで最後です。

1996年1月7日八十四歳で亡くなりましたが私の中では今現在二人の太郎が生きています。

次のブログに二人の太郎さんについて書いてみたいと思います。

ラベンダー畑

2006年08月04日 13時23分23秒 | 日記
本日も猛暑の予感・・・
たんばらラベンダーパーク(群馬県玉原・7月31日)ラベンダー

スーさんはお留守番。

ママ先生と響先生と愛犬ラッキー・とハニーと響先生のお友達
ラベンダーパークに行きました。


かなり寒かったようです。
その日は前橋も過ごしやすかった。

ラベンダーの見学もさることながらドッグランが目的で出かけました。

平日にもかかわらすかなりの人出・車も県外ナンバーがかなり来ていたとか。
特に所沢ナンバーが目に付いたとか。

今年は玉原高原は寒くてまだラベンダーの満開には早かったようです。
昨日からの暑さで満開になるでしょう。