アトリエバラ・スタッフのブログ

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りんごの立体デッサン

2015年10月19日 19時35分03秒 | 芸術

今年アトリエに入会した28歳の男性。本来デッサンから入るのですが入会時に桜の季節でしたので日本画の技法を勉強。そして三年に一度の紙粘土のりんご製作に突入デッサンを後回しになりましたがこの半年、 桜の花とりんごの立体デッサン国労様でした。


 


模写完成

2015年09月06日 12時45分53秒 | 芸術

入会して三年と五ヶ月デッサンが終わり二作の静物画の油彩を終えすべての生徒さんが始めて油彩三作目に挑むのは模写のフェルメール「真珠の首飾りの女」(昔はカラバッジョの作品が多かったですが)本人の新居さんは今少し描きたいようですがひとまず終了です。次はエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの「麦藁帽子をかぶった自画像」に挑戦です。


群馬県展

2010年11月12日 19時21分23秒 | 芸術

昨日・大井さん五年間連続群馬県展入選通知が来ました。おめでとうございます。
今年もこれでアトリエバラ美術教室からの一般公募展の出品は全て終了しました。
群馬県立美術館
第61回県展 美術 11/14(日)~11/23(火・祝)
時間の取れる方は見に行ってくださいませ。

芸術って何?絵画って?

2010年05月08日 19時41分10秒 | 芸術
芸術とは何か?絵画とは?

このテーマは人間とは何かと同じ「問いかけ」に順ずる物と思います。
と・言う事は芸術=人間と直訳しても良いでしょう。

大辞泉には
特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」・・
と解釈を述べて居ります。

私も高校の美術部時代から考えると45年以上芸術にかかわって生きています。

以前から現在の日本における芸術について書いて見たいと思っていたので書いてみます。

このテーマを思い切って私が書くきっかけになったのは
私のブログで知り合った少女のブログが原因でありました。

その少女との知り合ったのは二年以上昔の事でその頃彼女は中国地方のとある県の高校の二年生
美術部で高美展で受賞し美術をこよなく愛する少女でした(小学校から絵画教室に通う)。

そして昨年無事に東京のお茶の水女子大学へ入学
一年が終わり現在は海外のニュージーランドへホームステイ へ。

彼女のブログは大変面白く文才がありります。たかが高校生の日常を綴った日記なのだがと思いながら読んでいても、ついコメントを入れたくなる文脈で人を引きつける要素を持って居りました。
その彼女が我が祖父の卒業した東京芸大の卒業展(今年)を見に行った時のブログ(感想)を読んで感銘(納得)を受けました。

☆本人の許可を得てあるので差し支えの無い限り原文を載せます。




親の友だちのおばちゃんに誘われて、芸大の卒展に行ってきた。
おばちゃんの息子さんが芸大生で、あたしが芸大に入りたかったことがあるって知ってたから、わざわざ声をかけてくれたの。だけど、待ち合わせで、顔が分かるか不安っていうくらい、薄い関係の人。しかも、mit ihrer Tochter und deren Freundin!!(←思わずドイツ語を使いたくなった・笑)
要するに、おばちゃん、その娘(24歳)、その娘の友だちっていう知らない人ばかりの中に入ってきたんだ。


なんでそこにいたのか、よく考えれば不思議だけど、「絵は人をつなぐ」んだね。



芸大の卒展はいろんな意味でヤバかった。
日本画、油画、デザイン、建築、工芸、彫刻の6部門で、それぞれ卒業制作と自画像がセットになってた。日本画はオーソドックスで、自画像との統一がとれていて、素直に美しかった。モチーフが日本画らしくなくて斬新だったり、巨大な挿絵みたいだったり、若者らしかった。
何がやばいって、油画!
正統派な日本画を見た直後だったからかもしれないけど、
「え、ここ、油画?」
て、表示を何度も確かめたもん。


まず、油絵の具を使ってる作品が皆無。
そして、なんていうか…独創性を追求しすぎて、個性が崩壊しちゃったって感じ。「病んでる」っていう言葉がここまでぴったりくるものはないと思う。暗いテーマが多いし、声にならない悲鳴が聞こえる。
芸大の油画なんて、エリート中のエリートが集まってるだろうに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
こんな環境だからこそ、人一倍、個性、個性って悩むんだろうな。
(もし、該当者が読んで気を悪くされたらごめんなさい;)



今まで知らなかった分野だったけど、「工芸」が思いのほか面白かった。
足が止まったのは、鋳金で作った大量のヤモリが、金色のハエに群がってる壁面。下には、死んだようにぐったりとしたヤモリが大量に並んでた。

…弱肉強食?

疑問が聞こえたかのように、後ろから制作者が近付いてきて、解説してくれた。
「家守」は「サラリーマン」の象徴で、ハエは「お金」を表してるらしい。上京してホームレスの姿に衝撃を受け、卒業制作という機会に、社会批判をこめてデカイ作品を作りたくなったそうだ。


見てるだけじゃなかなか分からないけど、こうやって解説してもらえると、作者の熱も伝わる。


「鋳金が楽しいんですよ。このヤモリの腐食の色具合がいいでしょう?」
黒ぶち眼鏡で一つ結びの男の人、ちょっと(?)変わってるけど、面白い!




芸大ってやっぱりいいなぁ。
おばちゃんが今度は家においでよって誘ってくれた。少し前まで、髪が爆発してたという息子さんとご対面だ。うわー、どんな人なんだろう。
今年こそ、芸祭にも行かなきゃ♪




絵、描かなきゃ!





と・・この文章を読んで彼女の目(一般人)を通して現在日本における芸術とは何かという疑問を解く鍵が見えてきます。

30年前に開塾したアトリエバラ美術教室ですが当初と今ではまったく指導の仕方が変わって来ております。
始めは受験の指導から始めすぐに子供教室(40名)へとつながり約15年をへて
現在ではほとんど大人の教室になり20代~30代の画家の養成所もかねた指導になっております。

15年前に始めた大人の教室のお手本はまだまだバブルがはじけたとは言え日本が現在のような困窮の状態ではなかったので印象派・近代絵画などをお手本に勉強をしていたものです。

やがていくら日曜画家の教室とはいえ・二年も指導をしていると壁にぶつかり先に進まなくなる。
やはり基礎のデッサンをおろそかにして油絵に入った事が原因である事はすぐに見当が付きました。

そこでデッサンの基礎と模写を取り入れ徹底的に基礎画力のアップに力を入れるようになると生徒さんの画力は今までの非ではないほど上達が早くなりました。

当たり前のことで私も建築デザイナー・陶芸家と本業を学んだ時を振り返れば基礎を学ばなくてプロの作家にはなれないことに気が付きます。

陶芸家を目指す時大学の後輩の作家に指導を受けた時まず100個湯飲みを引いてくださいといわれ
実践をすれば確かに100個目は上達しています・笑い!

絵画も受験の時の指導も理屈より数をこなす事により基礎の技法が身に付きますし
スランプの時の私の原点はいつでも湯飲みの制作に戻るり
教室ではリンゴを原点に戻って描いたり・自分の手を描くなど原点に戻る事によりスランプを乗り越えて行きます。

其処にあるリンゴ・買って帰りたくなるリンゴ・思わず食べたくなるリンゴ・腐ったリンゴ
リンゴといっても無限に表情はあるります。

自分の手も無限に表情を作る事ができます。

予断ですが私の好きなリンゴは岸田劉生の描くリンゴが好きです。

此処からが今回の芸術とは何か?絵画とは?というテーマに迫って行きたいとおもいます。

まず始めに学問として美術(芸術)を考える時非常に面白い事に気が付くはずてす。
学校の授業で小中高と美術という時間の中で私たちは何を学んだのでしょうか?

まず受験に必要な五教科は全て学問として一から教科書を使い学びます。
その他の教科も全て基礎から一応指導を受けるはずですね。

体育の授業でも準備運動から始めるまで一応の指導が行われます。

では美術の授業はどうでしょう?
海外などではルーブル美術館に子供(学校)が授業で模写をする。
絵画を描くための鉛筆の削り方は?どの紙(キャンバス)と絵の具の関係は?
木を描くのにどこを注意するのか?人を描くためには・・・・?

そして名画を見る為には何を学ばねばならないのか?
音楽で言えばアナリーゼです。
皆さんご承知ののだめカンタービレinヨーロッパに出てきますね。

(多分、今の大学生ほとんどにいえることなのだろう。のだめの留学1時間目の授業のつまずきは「アナリーゼ・楽曲分析(がっきょくぶんせき)とは、その音楽がどう組み立てられているか調べる事である。アナリーゼ若しくはアナライズ(ドイツ語・英語のAnalyse(分析)」であった。そしてのだめは同級生に大学で何を学んだの?と問われる事になる。)

絵画を鑑賞するのも音楽同様にアナリーゼを学ばなくては絵画はを理解する事はできません。
簡単な事ですね・・英語を数学を科学を・・・理解するために何を学ばなければならないかもう懸命な読者の方はご理解出来たと思います。

絵画は言語に変わる膨大な量のデーターを含んだコミュニケーションツールなのです。

それを道具の使い方一つ、まともに指導せず自分の気持ちを描いてくださいということを平気で言う美術は何なのでしょう?・・一般の大人でも理解不能な自分の今の気持ちを絵に表現するなどまともに美術を50年勉強してきた私にも難問を小中学生の授業で課題に出す教育を考えるとあまりにも異常な状態を子供たちに押し付けているとしか思えません。

そんな中で「芸術は爆発だ」(岡本太郎さん)という言葉が先行し今の美術界が混乱をきたしているように思えます。太郎さんには私が大学一年の時に偶然お会いできて感化されたものです。
そして抽象画の見方を習ったのも太郎さんでした。

パリ万国博覧会・国際博覧会としては1855年~始まったあたりから美術界も大きく変貌をはじめなど印象派など芸術は美術から現代芸術へと変貌をとげて現在に至っています。

私が大学時代は前衛芸術の花盛り実際ピカソの作品を見てもとこが良いのかまったくわからずじまい・笑
多分同級生たちもピカソはすごいと言う言葉の裏側に「なんだかわからね~」が本音だったと思います。
とにかく「デュシャンの泉」という作品を見たときのショックは言葉では言い表せず、あの作品を超える現代芸術をまだ私は知りません・爆

此処で少し整理してみましょう冒頭で紹介したブログの少女の言葉を再び引用するなら


「芸大の卒展はいろんな意味でヤバかった。
日本画、油画、デザイン、建築、工芸、彫刻の6部門で、それぞれ卒業制作と自画像がセットになってた。日本画はオーソドックスで、自画像との統一がとれていて、素直に美しかった。モチーフが日本画らしくなくて斬新だったり、巨大な挿絵みたいだったり、若者らしかった。
何がやばいって、油画!
正統派な日本画を見た直後だったからかもしれないけど、
「え、ここ、油画?」
て、表示を何度も確かめたもん。


まず、油絵の具を使ってる作品が皆無。
そして、なんていうか…独創性を追求しすぎて、個性が崩壊しちゃったって感じ。「病んでる」っていう言葉がここまでぴったりくるものはないと思う。暗いテーマが多いし、声にならない悲鳴が聞こえる。
芸大の油画なんて、エリート中のエリートが集まってるだろうに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
こんな環境だからこそ、人一倍、個性、個性って悩むんだろうな。」

さすがに文学(英文学)に進みたいと願っている彼女の言葉は妙に分かりやすく現代作家の心の闇の部分を表現していると感心します。

私は学生結婚ですので絵を描いたり彫刻をしたりなど純粋芸術など手かけてはおられませんでした。
建築デザインを勉強し・20代後半からは陶芸家かの道に全力疾走・笑

デザイナーとして人の求めるもの・喜ばれるものを目指し制作を励んで来ました。
こんな性格ですから各展覧会で入選・入賞してもまして委員推挙されても納得しないと喧嘩・笑

展覧会の裏事情を知るに付け憤激して市・県・全国の作家協会(陶芸)を今か10年以上も昔に脱退。
そして無所属になってせいせいしたのが本音です。

事実私の作品を求めていただいたお客様は私の肩書きで購入された方は90%居られません。作品(商品)が気に入って買い求められています。
残りの一割のお客様が私の肩書(陶暦)きと領収書(贈答品)で購入という30年間を振り返ると作家たるもの人に理解され愛されねばならない事に気が付きます。

どんなアーティストと言えどもパトロン(スポンサー)がつかねばプロとして食べれません・笑
五月五日のニュースで流れた「スペインの画家ピカソの絵画が4日、ニューヨークで競売にかけられ、芸術作品としては史上最高価格となる1億650万ドル、日本円にしておよそ100億円で落札されました。」と流れるとやはり芸術はピカソなのかと思ってしまう大きな落とし穴が存在します。

今こそフェルメールが生きたオランダを参考に考えるなら日本の家屋にあった絵画芸術が花開かない限り、そしていつまでも美術館や展覧会場に並べる巨大な絵画(100号を基準として)が展覧会で募集されている限りこの日本に日本人に絵画芸術の定着は望めないのではないでしょうか。

コロー・対決-巨匠・フェルメール

2008年08月14日 20時12分45秒 | 芸術
「対決-巨匠たちの日本美術」・コロー 光と追憶の変奏曲・ TBS「フェルメール展~光の天才画家とデルフトの巨匠たち~」の三っの展示会を見るべく八月十二日~十三日と二日にわたって上野・茅ヶ崎と出かけてまいりました。

今年の夏の上野はすごい展覧会が目白押しでやはり六本木の新美術館(国立新美術館etc)群に負けじと頑張っている。

今回、国立新美術館の「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密」日本初公開となるスペイン絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの≪薔薇色の衣裳のマルガリータ王女≫(1653-54年頃)見たいと思いましたがとにかく一日で三つの展示会は時間があったにせよ体が付いて行くか心配でした。

そして上野10時12分の特急あかぎで上野の公園口に立った時ものすごい人の数が美術館方面に向かい急ぎ足で移動しているのです、そしてその光景を目の当りにして一瞬の動揺はその日の一日の不安をよぎらざるを得なかったのです。

駅から一番近い所で西洋美術館・「コロー 光と追憶の変奏曲」から入館するなりやはり3列渋滞での絵画との対面・新日曜美術館・美の巨人たちで解説を見ているのでテレビカメラで見る作品より落ちる作品当然本物が上回る作品・今回の主題の「コローのモナリザ・《真珠の女》1858-68年」の本物は体に震えの来る作品でした。ポスター・チラシ・テレビ・パンフどれを見ても本物には到底及ばぬ作品は昨年のフェルメールの≪牛乳を注ぐ女≫ を見た時のショックと同じでした。(本物の良さは本物からしか得られない)

続いてコロー展で三時間を費やし国立博物館の対決-巨匠たちの日本美術へ足早に移動したのですが・・・

まさにいやな予感的中(笑)以前のレオナルドダビンチの「受胎告示」より建物の外の人が並んでいる。。。。。

テントも張られ日射病対策もあったのですが入館までの時間20分と言う事で実際30分ほどで入館。

何故こんなに人が出ているのかと言えば二日前よりラストまで俵屋宗達・尾形光琳の二代作家の風神雷神図屏風が展示されたと言う事で又一気に入館者が増えたようです。
しかし私の見たかった長谷川等伯の国宝松林図屏風が見られなかったことは誠に残念です。


「対決-巨匠たちの日本美術」しかし旨い企画を立てたものです。

此処に対決の文字が入っていなけれはここのでの盛り上がりは無かったでしょう。

何回か国立博物館は入っているので襖絵そして今回の作家の作品の多くは常設にも存在します。

ほとんどの日本人古びた屏風絵・茶碗・掛け軸・浮世絵いつ見に行ってもあまり関心を示しませんね。

今回のような取り上げ方をすると日本人は見に行くのですね。

いつも東京に出かけ美術展を見て、ある意味文化レベルの低さを感じる今日この頃です。

本来・芸術・美術などは普段の我々の生活の中にあってこそのartであって美術館・博物館に存在する物ではないのです。

ヨーロッパ・アメリカなどに比べると数10年・いや100年単位でこの国の文化は遅れているのかも知れません。

そして最後に「フェルメール展~光の天才画家とデルフトの巨匠たち~」と廻る予定でしたが約6時間の見学で両足が(前もって両足にシップを貼って。。)持ちません。

まだ始まったばかりで入場まで1時間待ちとの事入場を断念しました。
特に東京都美術館は会場が狭い所ですので絵画の鑑賞を想像するだけで引いてしまいました(笑)











村上隆「マイロンサムカウボーイ」16億で落札

2008年06月04日 16時03分40秒 | 芸術
村上隆「マイロンサムカウボーイ」16億で落札のニュース
このニュースはある意味衝撃的であり、最近の村上氏の活躍からすれば当然の結果と彼の哲学を理解している人にとっては納得のニースなのかもしれない。

ニューヨークで活躍の「千住 博氏」(日本画家)の言葉を借りて言えばアメリカの9.11事件以来アート界も大きく変わった!と言うことのようだ。

二十世紀を代表するポープアートの延長線上をひた走る村上隆氏
二十一世紀をになおうとするアートと言う言葉を美術と言う言葉に変えたほうが理解しやすい千住 博氏

苦肉にも二人とも芸大の日本画卒業とは・・・

An Exhibition Tour with Takashi Murakami - Part 1


画像があります


記事抜粋
村上隆氏のフィギュア作品に16億円 NYで競売
05/15
村上隆氏のフィギュア作品に16億円 NYで競売 競売大手サザビーズによると、日本の現代美術作家、村上隆氏のフィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」が14日夜、ニューヨークでオークションに掛けられ、1516万1000ドル(約15億9200万円、手数料込み)で落札された。予想落札価格は300万~400万ドルだったが、大きく上回った。
同作品は1998年制作で、アニメの登場人物のような頭部を持つ男性のフィギュア。素材はグラスファイバーなどで高さ254センチ。


のだめ『のだめカンタービレinヨーロッパ』

2008年01月06日 18時08分29秒 | 芸術
スーさんです。
乱筆乱文スタイルで一気に書いてしまいます。

のだめカンタービレ昨年のドラマは非常に日本人が一般的に不得意なジャンル(クラッシック音楽)に興味をもたらせた素晴らしい(非常に楽しい)ドラマだった。
1月4日~5日と二夜連続ドラマスペシャル『のだめカンタービレinヨーロッパ』が放映された。
そして1月2日~3日に一挙昨年のすべてを二夜にかけての放送・前半を見ていなかった私はすべてを改めてみる事が出来た。

普段は感動や意義のあるテレビドラマのコメントはこのYahooには書かずgooブログに書いてきた。

てっきり「のだめカンタービレ」はgooブログに書いてあると思い探してみたが見当たらない。確かにドラマとしては面白くクラッシックに興味を持てなかった私にも最後は感動の場面を与えてくれ、クラッシック音楽の入門が出来た。

(多分多くの視聴者も同様だろう)初め音楽番組それも音大・クラッシックがテーマと解っていたら絶対見ないドラマであったろう。

途中からチャンネルを切り替えた時突然出てきたのだめのキャラクター面白く見始め途中からだんだんとそして原作が漫画・・・

などとわかるにつき、次の週が待ちどうしくなったドラマであった。
前置きがだいぶ長くなったが何故感動してもクラッシック音楽の入門が出来ても私達のブログgooに書かなかったか今回の1月4日~5日とヨーロッパ特別編を見て書かなかった理由がわかった。

音大の落ちこぼれがオケを作り成功するまでのクラッシック音楽をを聞いて涙が出る前回のドラマでも今回の4日の千秋君がコンクールで優勝する所など涙がとめどなく流れるシーンであった。

でもやはりあそこでドラマが終わっていたらブログに書くことはなかったろう。
そしてこのドラマの最大の主人公「のだめカンタービレ」が5日の最終日のすべてに音楽(クラッシック音楽)のすべてが語られ、それを見事にのだめ(上野樹里)が演じきったように感じる。

此処からがこのブログに書かねば成らないところである。「のだめカンタービレ」は二人の主人公(男女)が登場する。もちろん。のだめ&千秋である二人とも確実に天才(クラッシックに適したもって生まれた素質)と呼んでもいいのだろう。

私達artを学び志すものにいつも突きつけられる事がある。

art・芸術とは何か?考え方も人により世代に渡り多岐に渡るが今回の「のだめカンタービレ」は最後のラストに「野田恵」を使って素晴らしく解りやすいドラマとして一般の人々に訴えていたと思う。アートとは斯様なものであると。

一人の名門・英才教育・を受けた千秋真一という先輩そして普通の家庭に育ち普通の教育(ピアノのレッスンは通った)を受け、幼稚園の先生を目指して音大に入ったちょっと変わった女の子(楽譜を楽譜どうりに読めない)

確かに漫画のドラマ化として面白くクラッシック(オーケストラの各楽器)の意味を噛み砕いてドラマで説明され知らない間にグイグイとドラマの中のクラッシックに興味を持たされていった。

何故興味を持てたのか?、我々素人(クラッシック音楽の何たるかを知らない)と「のだめ」が同じ目線に存在して描かれていたからだと思う。

今回の新春二夜連続「のだめカンタービレ」は二人のアーティストを目指す若者を通して、すべてのアーティスト(クリエーターを含む)人々のバイブル(教科書)になる。ちょっとオーバーに書きすぎた甲斐もあるがそのくらいのドラマに仕上がっていた。私は今、作家活動からから半分・画商・半分・指導者に転向している。千秋君の指揮者としての考え方・心の動揺・オーケストラの各楽器(パート)の人達とのコミュニケーション・それらをフランツ・シュトレーゼマン(竹中直人)かコミカルに指導して行く。もともと千秋は音楽の基礎(絵画のデッサン)が出来ていたため彼が成功して行く姿はアート(音楽)を知る上であまり参考にはならないだろう。

しかし野田恵は違う、かなりデフォルメされ完全に演技は漫画の世界であるがゆえに音楽の勉強がいかなるものなのかを最後の一話で簡潔に説明してる。
そして又私達が知らなかった音楽・・音を楽しむ事とは何かを説明しているようだった。

多分、今の大学生ほとんどにいえることなのだろう。のだめの留学1時間目の授業のつまずきは「アナリーゼ・楽曲分析(がっきょくぶんせき)とは、その音楽がどう組み立てられているか調べる事である。アナリーゼ若しくはアナライズ(ドイツ語・英語のAnalyse(分析)」であった。

のだめは同級生に大学で何を学んだの?と問われドラマの成り行き上千秋の嫉妬から音楽を見失い最悪な事にのだめの指導者のCharles Auclairt(シャルル・オクレール)先生に「好きな曲を弾いてごらん」と言われ嫉妬で覚えた曲を弾く。

先生は「あぁ~全然駄目・僕は好きな曲と言ったんだ・特技を見せろとは言っていない。」「それにそう言った難しい曲を引ける子は君じゃなくても今は沢山いるから」「君は此処に何しに来たの」・・・・・・

と、問いかけた。

そして其処から真の「のだめ」の勉強が始まった。曲を理解する。作曲者を知る。曲の生まれた時代背景の勉強。etc

のだめの初リサイタルが始まる・・
其処に登場してきたのはドレス姿の野田恵でなくモーツアルトの扮装をしたのだめである。(当然モーツアルトの衣装でなくてはならなかった)
そして最初の一曲は私達日本人なら誰でもわかる(?)キラキラ星「キラキラ星変奏曲」
そして千秋がつぶやく。
「この音色・・・」
「いつの間に・・・」
「あいつちゃんとわかっている・・このきょくを。教会の響を・・」
「そしてモーツアルトを・・・・」
「モーツアルトがキラキラ星変奏曲・・35年の人生の内10年もの月日を旅についやしたと言われ、旅をしない音楽家は不幸だ。と沢山の人に言語に音楽に触れてきたモーツアルトがシャンソン曲に触発され生み出した変奏曲」

私が幼い時に覚えたキラキラ星がこのような曲だった事に感動を得た。

続いての演奏・・千秋つぶやく
「次にピアノソナタ第18番モーツアルトの最後のピアノソナタだ・・」
「バッハを思わせるバロック的対位法・・難解な曲・・」
「普通違う旋律が出てくるだろう所で第一主題と同じものが・・・・」
「やっと違う旋律が出てきたと思えばすぐに消え・・・」
「どうすんだ・・と、戸惑わせておいて」
「あっさりまとめる・・・」
「そのバランス感覚・・」
「モーツアルトって理論でどうこうっていえる相手ではないんだよな・・」
「あいつはそこまで解って弾いている・・・」

そしてモーツアルトは終わりラスト三曲目とめと場面は進む。
この二夜連続ドラマスペシャル『のだめカンタービレinヨーロッパ』ラストの千秋の言葉がすべての事柄に当てはまるのだろう。

私達が日々忘れがちな事を「のだめ」のように耳がよく一回聞いて自己流にピアノが弾けてもそれは人に届かないと言う事を。

今アトリエバラではルネサンス芸術 -The Renaissance-~バロック美術 -The Baroque-~ロココ美術 -Rococo-~ロマン主義 -The Romantic Movement-あたりを主に重点を置いているこのあたりをしっかり学ぶ事により近代が見えそして自分達(生徒さん)が目指す21世紀の世界に入れるのだと思っている。

私達の大学時代は安保闘争の真っ只中・・
美術史の大事さを理解していなかった自分が今思うと残念(恥ずかしい)である。

しかしいまさら後悔しても始まらない・・・。
此処2~3年新日曜美術館・美の巨人達・迷宮美術館などDVDに録画していまや50タイトルをゆうに超えてしまった。(今後管理が難しい・・笑)

一枚の絵が仕上がるまで(一つの曲が生まれるまで・一冊の本が書店に並ぶまでetc)
すべての事柄を『のだめカンタービレinヨーロッパ』最後の章で見事にのだめのスタッフ一同が演じて見せてくれたように思えたのであった。






県展報告・搬出

2007年11月30日 16時43分20秒 | 芸術
しばらくぶりにコメント書きます。
カレンダーをご覧になると記事が12日でストップしてしまったのは県展の発表か13に各自に郵送され<、結果の報告が各自からママ先生の携帯にメールが続々と入った事によりショックを引きずり今日に至った分けてす。

初めから解っていた事と言えやはり結果はショックを受ける結果となりました。
それそれれ半年をついやして清淡込めて仕上げた作品ですが「簡単に落とされます」
県展の裏事情各県の先生と生徒の金銭的癒着体制。私が此の道に入って30年変わっていませんね。

各県から色々と此のブログに(内緒)で投稿ありましたがどの県展も多くの美術教師の天下り先になっていますね。
公務員はいろいろなところに天下り先を持っているものですね。

今回の展覧会場など元高校の建物に展示してある為に最悪ですね。
小学校の生徒の絵を良く廊下に張ってありますがまったく同じです。
幾ら会場になる県立美術館がアスベストで二年も工事の為30号までと
製作手ごろな大きさであっても学校後を改装して教室に廊下に展示
場所によっては光って見えずらかったり・廊下に展示されるとは・・・・。

これが搬入料を6000円も取ってやる県展か、と思いました。
当然教室の生徒さんは、入選と落選(おもった通り)とに分かれましたが
中学生の書いたような作品?が堂々と展示してあるのにはあきれて物が言えません。
当然のごとく初日に言ったものですから、えらい(皮肉)先生が10人ぐらいの生徒さんを引き連れてそれそれの絵画の批評あまりにもお粗末・内容の無さに此処に各期にもなりません。
前にも書きましたが私も県展6年28年も前に出品していましたがあまりにも審査員の暴言にキレテその後中央(上野)しか出品しなくなりました。
時折書くのですが市民展・県展・青年美術展・勤労者美術展など多くの公の美術展は私的な目的に使われる事を私は断固として認めたくありません。
日展・二科・二季さまざま個人の団体は何をやってもかまわないと思います。


今週水曜日より始まり日曜日まで県展は行われます。
やはり6000円の出品料(委員の手当て・私も市民展で委員していましたのて゛)
に使われるなら来年はもっと違う公募展に生徒さんをチュレンジさせて行く事を検討中です。
月曜が搬出日です。
一刻も早く入選作も落選作も引き上げてきてあげたい気持ちで今はいっぱいです。


搬出日
昨日群馬県展終了し本日午前中搬出に二人の先生と出かけました。
県展のコメント書くだけ苦虫を噛み潰した気持ちになるのは以前にも書きましたが
本日搬出に当たってもトラブル発生(怒)
搬出入り口も何も標識が無く入選の絵をもらって車に積み込み交換の券があるのに気づき
もう一人の先生が交換権を持って車から再び会場へ。

しばらくすると先生あわてて交換券と一緒に絵をもってこいという事・車に数点の絵画を積み終えたばかりなのに再び崩して交換権と絵画を持って駐車場から会場まで(かなり距離があります)

私はほんの数秒間の間にこめかみに音を立てて怒りがこみ上げてまいりました。

駐車場から会場に向かい怒鳴り込もうと思いでかけたところ会場で入り口付近に絵画を持って戻って来た先生と出会い私が「これからうなってくるから」と声をかけたのですが、引きとどまるよういわれ我慢しました。

私も委員(違う公的展覧会)をしていた時など委員の方が出品者の方にに気を使ってあげるのが当然なのです。以前にも書きましたが前橋市民展も群馬県県展も・無料で出品しているわけではありません。
出品料を取り(私も昔は当番の手当(日当)・弁当代・などもらってましたが)運営しているわけですのでかなり出品者の方には気を使ったことを覚えてます。

もう来年からは教室からは県内の公的公募展には参加しないように考えます。

本当に公的機関の展示会を各団体の私物化するのは辞めてほしいものです。
私物化をやめるのは簡単な事で展覧会に携わらない第三者が審査をしなければすむことです。

私が出品していた展覧会(数点ありますが)など人間国宝の方もも審査の対象になる展覧会です。
自分の作品が落ちても確実に何故落選したか一目両全でした(力が無い・・笑)

芸術の世界もどろどろとした汚い世界なのです。
この人の世と同様に・・・・
その汚い世界をどう照らすかが今・作品に求められているのかも知れません~。