あろてあろあ日記

単なる日記です。特にテーマもありません。
目的地を定めない旅行もいいものです。

本人訴訟

2006-12-10 | Weblog
民事裁判の修習もあと一週間となりました。


日本では,弁護士が代理人につくことを義務付けておらず,一般人が自分で裁判を起こすことができます。これを「本人訴訟」と呼んでいます。

当然のことながら,市販されている裁判関係の本などを見て訴状等書面を作ってくるのでしょうが,恐らくその本の意味していることを理解していないためか,内容はめちゃくちゃで,書いてあることを咀嚼しながら,善意に解釈しながら読んでいかなければなりません。

裁判の当日も,裁判手続を理解していないため,法廷の手続に反するからといってこれを排斥するわけには行かず,手助けしながら進めていかなければなりません。
特に,証人尋問の際などは,本来は証人に事実を語らせて証明することが目的なのですが,自分が言いたいことを押し付けているだけになってしまうことが多いです(最も,この点があてはまる弁護士もたまにいますが

このような本人訴訟は,弁護士費用を工面できないので自分でやっている場合も多いのですが,弁護士の法律相談ぐらいは行ったが,本人の要求が法律上無理無理なので弁護士に断られたが,どうにも腹が収まらず裁判にいたっていると思われる場合もあります。
実際に,弁護修習のとき,法律相談で,近所の痴話げんか的な相談があったこともあります。

裁判所としては,国民に裁判を受ける権利が認められ,民事訴訟法が本人訴訟を排斥していない以上,法廷の形式的な要件を満たしている限り,これを受理しなければなりません。

もっとも,通常の当事者双方が対等に法廷で争う「弁論」ではなく,法廷ではなく,小さな会議室みたいなところで,細かい法律上の手続にとらわれず,ざっくばらんに行う「弁論準備」や「和解」という手続もあります。

ただ,「弁論準備」はあくまで「弁論」の準備であり,明らかに不当な主張の場合,わざわざ準備するまでもなく,また「和解」も明らかに不当な主張の場合相手がこれに応ずるはずもなく,そもそも明らかに不当な主張をするような本人自体が和解に応ずるわけありません。

このような人に対しては,裁判所が,事実上,その人が起こしている裁判の意味を説明してあげてもいいかもしれませんが,その説明も聞かず,上級裁判所に控訴してしまうかもしれません。


こういう人は,本人としては,正義感が強いつもりでやっているのかもしれませんが,「自分が正しくてもその通りにならないこともあり,場合によっては妥協しなくてはならないこともある」といった,『生きるための知恵』のようなものを,大人になる過程で学んでこれなかったのかもしれません。


いずれにしろ,弁護士の場合,依頼者が不当な要求をする場合,これを断ればいいだけですが,裁判所の場合,公的サービスとしての性質上,簡単に排斥するわけにはいかず,そのため特に事務方の手間などが結構問題となっているように感じます




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