あろてあろあ日記

単なる日記です。特にテーマもありません。
目的地を定めない旅行もいいものです。

民裁修習終了

2006-12-17 | Weblog
民裁修習(裁判所民事部)が終了しました。
あすから,同じ裁判所で,刑事部での修習(刑裁修習)になります。


民事裁判の修習で一番ためになったのは,弁護士を第三者的に見ることができたことでした。

弁護修習では,一人の弁護士にずっとついてまわるので,そもそもそれほどたくさんの弁護士を見るわけではありません。

しかし,民裁修習では,法廷が開かれる日は,証人尋問がなければ,一日に15から25件くらい事件があり,弁論準備や和解がある日は,一日に7から12件くらい事件があります。すべての事件に弁護士がつくわけではありませんが,一日に相当数の弁護士を見ることができます。

これだけたくさんの弁護士を見ていると,訴訟準備がきっちりできている弁護士とそうでない弁護士,書面がしっかりかけている弁護士とそうでない弁護士,証人尋問のうまい弁護士とそうでない弁護士,和解などで当事者をしっかりコントロールできている弁護士とそうでない弁護士など,さまざまな弁護士がいます。


弁護士に限られた話ではありませんが,自分の地位や立場になれると,どうしても周りが見えず,反省しなくなり,自分が不適切な方向に行こうとしているのに,修正できなくなってきます。特に,弁護士は独立性が強いのでその危険があります(もっとも,組織に属していても,組織自体が間違ってると自分自身にかかわらず誤った方向に行ってしまう危険もありますが。)。


そうであるとすると,弁護士になるにあたって,柔軟な修習生のうちに,いろんな弁護士を見ておくことは貴重な経験です。
もちろん,修習生のときだけでなく,弁護士になってからも,自分が修習生だったころを思い出して,常に自己反省することが重要です。なぜなら,いま弁護士である人も,元修習生であったはずなのに,そのころ感じたことを忘れてしまっているように感じられる人が多いからです。


民事裁判官の仕事ぶりを見るのが民事裁判修習の目的ですが,裁判官は弁護士を第三者的に見ているので,上述のような点が民裁修習の一番ためになったことになってもいいかな,という気がします。




裁判所全体の雰囲気としては,みんないい人ばかりでしたが,なんとなく裁判所は中立・公平な立場で事件を見ている,っていうことを強調したがる雰囲気があるような感じがしました。
でも,何が中立・公平かというのは,相対的なものであるし,別に弁護士が中立・公平な解決の道を考えていないわけではありません。

ただ,一方,弁護士の間には,裁判官は当事者の気持ちをわからない,冷たい,というような批判をする人もあり,これに対しては,裁判官だって当事者の気持ちを理解しようとしていないわけではありません。

結局,裁判官も弁護士も,互いに,相手の立場を理解する必要があり,修習生のときに各修習でしっかり勉強し,それぞれの立場についたのちに,適宜思い出せるよう注意する必要があるのだろうと思います。


そういう意味で,やはり,弁護士事務所・裁判所・検察庁を回る今の実務修習制度はすばらしいことを実感します