あろてあろあ日記

単なる日記です。特にテーマもありません。
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親子

2006-08-27 | Weblog


テンプレートを涼しげなものに変えたら,若干涼しくなってきたような気がしますが,どうでしょう?



先日国選事件の裁判がありました。

僕が今の修習先にきてから,担当弁護士が国選弁護人に選任されたので,公判前の接見から,冒頭手続,証拠調べ,判決まで一通り見ることになります。

収集中に全部終わるような事件を見ておいたほうがいいということで,一回の裁判で終わりそうな自白事件を選びました。

国選事件とは,国の費用で,弁護士を裁判官の命令により選任する制度ですが,実際には,事件ごとに裁判官が直接選ぶわけではなく,裁判所から事件をまとめて弁護士会に回し,登録している弁護士がこれをみて自分で決めることができます。

ですから,弁護士は起訴状を見てどんな事件か中身を見てから選任を受けることができ,裁判所から一方的に命令されるわけではありません。

というわけで,弁護修習中に最後まで終わるように,という観点から,上記の自白事件(犯罪事実につき被告人が争わない事件。一方,争う事件を否認事件といいます)を選びました。


このような自白事件では,犯罪事実には争いがないので,裁判の争点は専ら情状面となります。

情状とは,犯行の重さ,本人の反省の程度,再犯の可能性などの事情を言い,これにより刑罰の重さ・執行猶予の有無がきまります。

執行猶予とは,刑罰を科すが,相当期間その執行を猶予し,その相当期間が満了すれば,刑務所に行かなくてもよい,という制度です。
たとえば,懲役2年・執行猶予5年の判決となれば,2年の懲役刑(刑務所で作業をする)を科すが,執行を猶予され,5年間犯罪を犯さなければ,刑務所に行かなくてもよいことになります。

執行猶予付きの判決となれば,とりあえず刑務所に行かないので,再犯の可能性が問題になります。
再犯の可能性がないといえることのひとつとして,親なり何なりの監督があることがポイントです。
そこで,多くの自白事件の場合,親が情状証人として法廷に出廷し,ちゃんと監督する旨証言します。


本件では,勾留されている警察署に接見にいったところ,被告人の男は既に親から独立して一人暮らしをしていたので,自宅の電話番号を聞き出し,事務所に帰ってから早速自宅の父親に電話して,情状証人の依頼をしました。



ところが,その父親は,子供のころから被告人と折り合いが悪く,被告人が家を出てからも余り連絡を取っていなかったようで,「あんな奴刑務所にぶち込んでおいてくれ」という始末です。
説得はしたのですが,オーケーはもらえず,法廷でうそを言ってもらうわけにも行かないので,裁判までにもう一度考えてみて,連絡をくれ,といって電話を切りました。



しかし,裁判の日が近づいても父親からは連絡がなく,こちらからかけても留守電で,出てもらえません。

そうなると母親にお願いするしかありません。しかし,母親は離婚しており,被告人は連絡先を携帯の番号でしか知らず,覚えていないので,連絡の取りようがありません。

そうこうしているうちに,裁判の日当日となりました。
接見のとき,被告人に反省の色が見られなかったので,あの子供にしてあの親だから,やむをえないな,と弁護士と話しつつ,裁判に臨みました。

もっとも,僕自身は,被告人が逮捕勾留されたあと,父親は,被害者宅に謝りに行き,被告人の一人暮らしの部屋をかたづけに行っているので,もしかして裁判に来てくれるのではないか,と一縷の望みを持ちつつ,裁判所に行きました。


しかし,残念ながら,法廷では,父親らしき人の姿は見られませんでした。


裁判が始まり,検察側の立証が,検察側の都合で次回まで延期になったので,弁護側の立証は次回ということになり,情状証人については,今交渉をしている,とだけ答えて,その日の裁判は終わりました。



ところが,裁判が終わった後,エレベーターで僕と弁護士と一人の女性が一緒になったところ,その女性が涙を流しながら弁護士に話しかけてきました。


その女性は,被告人の母親でした。


父親は自分が法廷には来なかったものの,母親に連絡を取っていたようでした。


早速母親にそのまま事務所に来てもらい,いろいろ事情を聞き,何とか父親を説得してもらうよう依頼しました。母親は監督できない事情があったので,父親のほうが監督者として適当だったからです。



かくして,つぎの裁判で父親が情状証人として出てくれることとなりました。





2回目の裁判当日,父親が証言台に立ちました。

弁護側からの主尋問の後,検察官からの反対尋問となります。

本当に監督ができるのか,と検察官はねちねち聞いてきます。
父親が監督するといっても,被告人も大人なので,監督といっても限界があります。
検察官は,具体的な答えが出ないのをわかっていて,「あなたは,被告人が二度と犯罪を犯さないように監督すると言っていますが,具体的にはどうするのですか」「具体的なことが今ここでいえないのに,そんなんで監督できるのですか」「結局,何も考えていないってことですよね」とねちねち聞いてきます。

検察官の質問の仕方にやや問題があるような気もしましたが,父親と被告人には,少し,事件を起こした背景などについて考えてもらいたかった,というのもあったので,弁護人は特に異議を述べませんでした。


そうして父親の証人尋問は終わり,被告人質問になりました。
すると,被告人の態度が接見のときとはまるっきり違っていました。

接見のときは,自分がミスって犯罪を犯してしまったようなことを言っていたのですが,表情や態度も,答える内容も,真に反省しているのが伺えました。

裁判を自分に有利にするために態度を変えたのかもしれませんが,必ずしもそうはいえない感じがしました。



こうして裁判は終わりました。

事件自体は大したことはない事件でした(といっては被害者には失礼ですが)。
反省の態度が伺われたといっても,また犯罪を犯すかもしれません。
親もちゃんと監督しないかもしれません。


でも。


被告人の関係者は誰も来ないはずの裁判を,傍聴しに来た母親。
口ではなんだかんだ言いつつも,情状証人にたった父親。
そして,検察官にいじめられている父親の証言を,目に涙を浮かべながら聞いていた被告人。


こういう親子だったら,もう一度何とかやっていけるのではないか,そう感じさせる事件でした。


担当弁護士も,なかなかこういう事件はない,といっていましたが,たぶん,僕にとっても,後々まで印象に残る事件となるような気がします。
特に,検察官にいじめられている父親の証言を,目に涙を浮かべながら聞いていた被告人の表情は,きっと忘れないでしょう。


裁判は,事件を扱いますが,事件の背景の人間ドラマも垣間見ることができます。
特に弁護士は,当事者本人と事件の最初から最後まで直接付き合うので,なおさらです。


弁護修習もあと一ヶ月をきりましたが,有意義に過ごしたいと思っています。