平成17年発行の本。
グルメ広報誌『百味』に連載されていたものをまとめたものだそうです。
名作の食卓
― 文学にみる食文化
著者:大本 泉
発行:角川学芸出版
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文学作品の中に登場する食にまつわる物事に注目して、それが象徴するものを読みとり、なおかつ背景となる食文化について思いいたそうという内容。
雑誌で長いこと続いた連載だというだけあって長さも深さもほどほどで、気軽に読むには最適です。
たとえば、夏目漱石の『坊ちゃん』では、着いて早々に食べたものが蕎麦であることをとりあげ、うどん文化圏に赴任しながら、わざわざ蕎麦を選ぶ彼が土地に馴染む気のさらさらない余所者であることを読みとります。
とりあえず名物のうどんを食べてみるかという気にならなかった彼から透けてみえる、受け容れないがゆえに受け容れられることもない孤独も。
採りあげられているのは全部で30篇。
明治期のものから、平成まで幅広く集められています。
村井弦齋『食道楽』から始まって、芥川龍之介、志賀直哉らの作品をはさみ、村上春樹『風の歌を聴け』で終わる『「穀物・豆」の文学レシピ』の章には7編。
『「魚・肉」の文学レシピ』の章では、上司小剣『鱧の皮』から三浦哲郎『とんかつ』まで。
間に新見南吉の「ごんぎつね」がありました。遠藤周作『沈黙』なども。
次は『「果物・野菜」の文学レシピ』の章。
正宗白鳥、有島武郎、有吉佐和子、池波正太郎、向田邦子、江國香織の5人で、池波正太郎はもちろん『鬼平犯科帳』です。
第4章に『おやつの文学レシピ』。
樋口一葉『にごりえ』、稲垣足穂『チョコレット』、永井荷風『墨東綺譚』、織田作之助『夫婦善哉』。
最後の章は『広義の「食」の文学レシピ』となっていて、彼抜きはあり得ないでしょうと思える、正岡子規が登場します。
そのほか、谷崎潤一郎、檀一雄、吉行淳之介、吉本ばなな、村上龍。
第5章から続けて読むことになるあとがきには、『「食」は「生」なり』である。そして「文学」は「生」をうつす鏡である。』とありました。
なるほど、と、既読、未読あわせて、興味深く読了。
いずれ、いくつかの作品は読んでみようと思います。
ところで、こういった話題のなかでよくとりあげられる鴎外の饅頭茶漬け。
さすがにもうその衝撃も薄れましたが、別の大衝撃がありました。
正岡子規が「ベースボール」を「野球」と訳したというのは俗説だとあったのです。
雅号のひとつに幼名の「升(のぼる)」にかけた「野球(のボール)」があるために生まれたものか、と。
えっ! そうなの?! そうなんですか?!
検索しましたらば、最初に「ベースボール」を「野球」と訳したのは「中馬(ちゅうま)庚(かのえ)」という方で、野球殿堂入りなさっているそうです。
子規は「ベースボール」の訳語としての「野球」を生み出してはいないのですが、新聞の連載にルールを解説した文章を寄せたり、野球を材にとった句もあったりと普及に貢献したとのことで、現在、野球殿堂入りしています。
そうだったのか…と、大衝撃を受けた1冊となりました。
でも、10人に8人は子規って答えそうな気がする…と思うのは自己弁護…でしょうねぇ。
[読了:2012-10-12]
あー、そう考えるとすごくわかりますねー。正直、私も、味噌味のいも煮は別の食べ物だと思ってしますし。
「坊っちゃん」の生徒さんたちも、そばなんか食ってるぞ!くらいな勢いだったのかも。
>ヒステリー状態のときの漱石の暴力
えっ。癇癪持ちとはよく書いてありましたが、暴力までですか?そ、そうだったんだ…。ちょっとショックです。
なるほど!!言われてみれば、たしかにそうですね。庄内地方で醤油味の芋煮を主張するのと同じくらい、反発を受けるかも(^o^)/
ただいま、半藤茉利子さんの『夏目家の糠みそ』を読んでおります。ヒステリー状態のときの漱石の暴力はすごかったようで、奥さんがよく耐えたものだと驚きます。