宗教法人 鈴川キリスト教会

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

2024年 8月 4日礼拝メッセージ要旨

2024年08月04日 | 礼拝メッセージ
ルカ福音書5:33-39
新しいぶどう洒は新しい皮袋に

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

1,パリサイ人たちの本音
 パリサイ派の人たちの本音は、「今まではこうだったのに。」というものでした。それがあったので、イエス様の言うことなすことが、気にくわなかったのです。この、「今まではこうだったのに。」という思いが私たちを支配すると、クリスチャンとしての成長が止まってしまいます。なぜなら、クリスチャンは、いつまでも悔い改める存在、変化し続ける存在だからです。今まではこうだったから、これからもこれでいいや、というのは、パリサイ人が持っていた考えと同じです。

2,イエス様の教え
 パリサイ派の人たちは、弟子たちが断食をしないことで文句を言いましたが、断食とは悲しむとき、嘆くときに行ないます。彼らは、いつもそれを行なっていたということは、彼らが神とともにいる喜びを持っていなかったことに他なりません。それに対して、弟子たちは喜んでいました。神との交わりが回復すると、いつもそこには喜びがあります。神と交わることによって喜びがあふれます。けれども、パリサイ派の人たちは、罪の赦しを信じていなかった結果、神との交わりがなくなっており、神との交わりがないので、悲しみと嘆きしかなかったのです。もちろん、彼らはそんなことを考えて断食していたのではありませんが、しかし、本物が現われたとき、実際に罪の赦しと神との交わりと、主にある喜びを目の前で見たとき、自分たちがそうでないことに気づいたのです。
 「しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
 その時とは、イエス様が十字架につけられる時です。

3、 5章全体のまとめの話
(1) 新しい布切れは洗うと縮むので、古い着物に継ぎをすれば古い着物が破れてしまいます。
(2) 新しいぶどう酒からは、ガスが出てきます。新しい皮袋は伸縮牲があるので大丈夫ですが、古い皮袋は固くなっているので、新しいぶどう酒を入れると破れてしまいます。
この2つのたとえから分かることは、
古いものを捨てなければ、新しい働きを受け入れることはできないことです。イエス様は、貧しい者に福音を宣べ伝えられました。貧しい人とは、古い自分に死んだ人のことです。ペテロのように、重い皮膚病の人のように、今までの自分の生き方や、自分のあり方に限界を認めている人です。だから、新しい働きが起こったときに、古い人を脱ぎ捨てて、キリストにある新しい人を身に着けることができるのです。古いものを持ったままで、新しい働きを受け入れることはできません。

4,次に、イエス様が彼らの問題の核心を突かれています。
 パリサイ人、律法学者は、古い物のほうが良いと考えていました。他の人々は、新しい物が良いと考えて、イエス様の教えとわざを受け入れていきましたが、彼らは古い物が良いとしたのです。

みなさんはどうでしょうか。イエス様の新しい働きを、自分のものとしたいですか。それとも、今のままでいいと思いますか。罪の赦し、神との交わり、主にある喜びを実際に体験したいと思いますか。それとも、頭で信じているだけで、今のままでいいと思いますか。選択は、ひとりひとりにあります。

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2024年 7月 21日礼拝メッセージ要旨

2024年07月21日 | 礼拝メッセージ
ルカ5:27ー32
わたしについて来なさい

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣


 イエス様の救いを受ける人はどのような人でしょうか。ある人は、「私はクリスチャンになるようなまともな生き方をしていないから、救われない。」などと言います。よい行いをしていなければ救われないのでしょうか。
 イエス様は、当時、人々から嫌われてのけ者にされていた収税人のレビに目を留めて「わたしについて来なさい。」と言われました。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従ったのです。そして大喜びで、多くのに飛びとを招いて大宴会を催したのです。
 ところが、パリサイ人や律法学者は、イエス様や弟子たちが収税人や罪人とつきあっていると非難しました。これに対してイエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(32,32節)といわれました。
 イエス様の救いを受けることの出来る人は、自分を正当化して正しいと思っている人ではなくて、自分の今の状態を何とか変えなければならないと思っている人です。イエス様はその求めに必ず答えてくださり、解決を与えてくださいます。

分かち合いのために
あなたは、どのような求めを持ってイエス様にお祈りしていますか。その結果はどうでしょうか。互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。(ルカ 5:27,28)


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2024年 7月 7日礼拝メッセージ要旨

2024年07月07日 | 礼拝メッセージ
ルカ5:17−26
               
罪の赦し

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

 パリサイ人と律法学者も、群衆たちと同じように、いろいろなところから来て、イエス様の教えを聞いていました。そこに「男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。」(5:18,19)

1,中風の人の癒やし
 彼らの信仰を見て、イエス様は言いました。「友よ。あなたの罪は赦されました」(5:20)
この記事もいやしの記事ですが、前のツァラートの人のいやしと同様、単なる肉体のいやしだけにはとどまらないで、イエス様のことばが持つ力は、人間の必要の一番深いところにまで入り込んで、物事を解決する権威のあることを明らかにしています。
確かに肉体のいやしは必要です。私たちは、命にかかわる重病にかかったことを告げられたら、必死になってできるだけのことをするでしょう。費用が足りなければ、何とかして工面するに違いありません。また、私たちは社会的関係を正しく保つためにも努力します。大きくは国際間の問題から小さくは家庭内の問題に至るまで、正常な状態を維持するためには大変な努力が払われます。しかし、人間にとってはそれらのこと以上に、神との関係を正しく持つことの方がはるかに重要なのです。

2,律法学者の理屈
 イエスのことばを聞いて、居合せた律法学者やパリサイ人たちは不快に思いました。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
(5:22)
 しかしイエス様は、この中風で苦しんでいる人が、中風のいやし以上にその罪の赦しを必要としていることを知っていました。福音書には、ほかにもイエスが病人のいやしの際に、ただその病気を直すだけにとどまらず、イエス様を救い主と信じる信仰告白に導いたことがたびたび記されています。この場合も、イエス様のことばには病気を直す力も、罪を赦す力も兼ね備わっていることを明らかにされました。

3,イエス様は罪を赦す権威を持っておられる
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」。こう言ってからその中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われました。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰って行きました。
私たちキリスト者は、この「地上」で、イエス様から罪の赦しのことばを与えられています。このため神をあがめ、イエス様に仕える者に変えられ、主にある兄弟姉妹たちとの交わりの中に入れられています。このように、主イエス様が罪を赦す権威のあることばを持っていることのゆえに、バプテスマのヨハネはイエス様を初めて見た時、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言ったのです。(ヨハネ1:29)。またここでイエス様は、後日弟子たちを世に遣わすにあたって、彼らが罪の赦しをもたらすメッセージを携えて出て行くことを予告さしておられます。

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2024年 6月 30日礼拝メッセージ要旨

2024年06月30日 | 礼拝メッセージ
ルカ5:12ー16 
重い皮膚病の癒し

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

 イエス様は私たちの生活を変えてくださいます。私たちは、どんなことをイエス様に期待するでしょうか。
 ある時、全身が重い皮膚病で苦しんでいる人がイエス様に助けを求めたのです。
これは、ただ単に病気の癒しを求めたのではありません。実は、そのような人々は社会から隔離されて、全く阻害されていたのです。町に出ても、自分が「汚れている」と叫ばなければならないことになっていたのです。

1.イエス様は予想を超える方法で癒して下さった。
 イエス様は、手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われ、すぐに、そのらい病が消えたのです。当時は、重い皮膚病を持っている人にはさわることが許されていなかったのです。彼にとっては全く予想を超えたことでした。
2.主は律法の規定を重んじられた。
 主は、体の癒しだけではなく、社会的な制約から解放してくださいました。そのために、律法の規定に従うように求められたのです。これはその人の今後の生活にとって、大切なことでした。
3.主は、私たちのすべての状況を解決してくださる。
 主が私たちの生活に変革を与えてくださるのは、一面的なことではなく、すべての状況を解決して下さるのです。特に、私たちの周囲の人々との関係です。
4.主は、祈りの生活を大切にしておられた。
 イエス様の周囲には多くの人々が押し寄せ、大変忙しい毎日を過ごしていました。しかし、イエス様は、よく荒野に退いて祈っておられました。これこそイエス様の原動力でした。

分かち合いのために
 あなたがイエス様に期待することは何ですか。互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカ 5:16)


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2024年 6月 16日礼拝メッセージ要旨

2024年06月16日 | 礼拝メッセージ
ルカ5:1ー11                       
私は、罪深い人間です

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣


 私たちが、想像もつかないほどの出来事に直面したときには、どのような反応をするでしょうか。また、クリスチャンとしてのすばらしい生活を経験する秘訣は何でしょうか。
1.イエス様との関わりを続ける。
 イエス様が人々に話されたときには、ただ単にお話しをされるだけではなく、実際に行動することを求められました。ゲネサレ湖の岸辺で多くの人々に話しておられたイエス様は、小舟に乗って話し続けられました。今の私たちならば、聖書を読んだりお祈りをすることにより、主との交わりの時間を持ち続けることです。
2.主の言われたことを実行する。
 主は、話が終わるとシモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われたのです。するとシモンが答えました。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」 主との交わりを通して、示されたことを実行するのです。
3.主のすばらしさを体験すると、自分の本当の姿を発見する。
 シモンがそのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになったのです。これを体験したシモン・ペテロは主の足下にひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言いました。
4.主は新たな使命を与えて下さる。
 主は「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」答えられました。そして、彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従ったのです。生活の優先権をイエス様に従うことにおくようにとのチャレンジです。

分かち合いのために
 毎日の生活の中でクリスチャンとしてのすばらしい生活を体験するために、あなたに必要なことは何ですか。互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。(ルカ 5:10,11)


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