山口明子さんの第1歌集『さくらあやふく』(ながらみ書房)は、印象深かった1冊で、ある新聞の時評にも取り上げた。しかし書ききれなかった歌が多いので、再び紹介しておきたい。作者は岩手県の人。
・夏休み家に帰れば我が茶碗戸棚の奥にしまはれてをり
・「他人読むべからず」とある亡き父の日記をひらく 他人でなければ
・目の前に君がゐるのに次に出す手紙の言葉さがしてゐたり
・コスモスの紫もつとも深まりぬあなたを連れてふるさとへ行く
第Ⅰ部の作品より。青春期の歌だろう。故郷を離れ、清新な恋をする。それが素朴な文体で歌われていて、甘く胸を打つ。懐かしいタイプの歌だけれど、こうした抒情はやはり大切にしたいと思うのである。早くに亡くなった父を詠んだ2首目も、結句に確かな愛情がこもっている。
・面を取り稽古したりし者のみに吹く風子らとともに受けをり
・正座して竹刀のささくれいぢりつつ補員となりし少女うつむく
・問題児とわが書きたる子昼食時友のこはれし机をなほす
・立ちつくす 学級新聞発行者「山口」の文字に画鋲が二つ
・雪玉のぶつけし跡が教室の壁にいくつもありて暮れゆく
・物盗りて見つかりし子と帰る道 青き木枯らしに洗はれてゆく
荒れた学校に教員として赴任し、剣道部で教えているらしい。もっと直接的な学校の歌もあるのだが、3~5首だけでも、鬱屈のこもった学校の雰囲気がそこはかとなく伝わってくるのではないか。厳しい状況だが、それでも暗くはならない健康さがある。6首目など、万引きの子を引き取るという辛い場面なのだが、子どもとはどこか心が通じている感じがする。無言のまま、しかし、子どもを信じつつ帰ったのだろう。
そして剣道を通して子たちと関係を深めていく歌が、しっかりとした手ごたえを感じさせる。1首目の「稽古したりし者のみに吹く風」という表現は、箴言風でありながら、身体的な実感もあって、好きな歌だ。
・逆子なる子のいくたびもわが肉を蹴る屋根雪の次々と落つ
・陣痛の強まるゆふべ稜線のむらさきいよよ濃くなりてゆく
・息深く吸ひ込みて送る心音の低下せし子にいのちの風を
・教室の壁蹴られれば子の心さするがごとく腹に手を当つ
・産み終へしのちにも続く陣痛の波に静かに夕空の燃ゆ
出産の歌は、これまでも多くの女性歌人によって作られてきているが、山口さんの歌もなまなましい感覚があふれていて、心に残る。雪(1首目)、稜線(2首目)、夕空(5首目)のような自然と、身ごもっている身体がつながっているように歌っているところがいい。出産のとき、自然と一体化するような感覚を、女性は抱くのかもしれない。
特に3首目の息を吸って「いのちの風」を子に送るという歌は、斬新な表現。4首目の、教員生活とからめて胎児を詠んだ歌も、切実な響きがあって、忘れがたい。
・振り速くなりし男(を)の子と打ち合へる竹刀に産後の体よろこぶ
も幸福感と充実感に満ちた一首。
・子のいぢめらるる理由を探す朝雪原のつぶ無数にひかる
・「行つて来ます」言はずに登校したる子の茶碗のねばねばいつまでも洗ふ
・五百人の園児の揃ふ運動会すぐに見つかる踊らぬわが子
しかし、生まれた子には学習障害があり、周りから誤解されることも多く、心を痛める日々を送ることになる。しかし、歌を通して真摯に、まっすぐに状況を見つめている。その姿勢が、じつに強靭で、爽やかさまで感じさせる。このようにひたむきに自己の生活を詠んでいく姿勢を、私は重要なものだと思うのである。もちろん先鋭的な表現を追究していくことも大事だが、それと同時に生活に根ざした感情を歌っていくことも忘れてはいけないと私はおもう。
・みちのくに灯の消えし夕 食糧を雪に冷やせる夫の手見つむ
・使ふ時来たかと夫の持ち出せるウェディングキャンドル余震に揺るる
・カーナビは知人の宅を不意に告ぐ がれきのみなる道走るとき
・風吹けばをらぶごとくに軋む家解体可とふ文字にじませて
最後に、大震災を詠んだ歌を挙げておきたい。2首目など、ちょっとしたユーモアも感じさせるのだが(もちろん、夫は真剣なのである)、その奇妙な感じが、震災時の非日常性を強く感じさせる。3首目は、カーナビという人工的なものがいかに無力かが露わになり、「がれきのみなる道」の無惨さが読者に重く迫ってくる。
この震災の連作「さくらあやふく」で、山口さんは心の花賞を受賞したそうである。
私は、山口さんには会ったこともないし、今回初めて歌を読んだのだが、共感することが多かった。さまざまな人に読んでもらいたい一冊である。
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名前は違うけどね。