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シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

8月23日現代短歌シンポジウムのご紹介

2014年06月22日 | インポート

8月23日(土)の午後、京都・新都ホテルで現代短歌シンポジウムが開催されます。
是非、おいでください。(下記からお申し込みください)

http://everevo.com/event/13080

高野公彦氏の講演
鷲田清一氏と内田樹氏と永田和宏氏の鼎談と、

とても楽しみな内容になっております。

内田樹先生の評論には、私はほんとうに大きな影響を受けました。
次は、2012年角川短歌8月号の「私を支えた歌論」という特集の中で書いたものです。
短いもので、意を尽くせていませんが、お読みくだされば幸いです。
内田先生の身体論や共同体論、師弟論は、短歌における文体の問題や結社の問題などを考える上で、非常に大きなヒントになると思います。
最近刊の『街場の共同体論』(潮出版)も、とても考えさせられ、心に沁みました。


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●私を支えた歌論


 「私を支えた」ということになると、内田樹氏の評論について書かざるを得ない。

 この数年間、内田氏の著作を繰り返し読むことで、短歌について新しい見方ができるようになったし、どのように批評の文章を書けばいいのか、ということも学んだように思う。

 もちろん内田氏は直接に短歌について書くことはない。しかし、氏の文章には歌論のヒントになるようなアイディアがいくつも散りばめられている。
 たとえば、最近の『呪いの時代』(新潮社)を覗いてみよう。

▼▼▼引用はじめ▼▼▼
 「『記述』することによって僕たちは何かを確定し、獲得し、固定するのではなく、むしろ記述すればするほど記述の対象が記述し切れないほどの奥行きと広がりをもつものであることを知る。対象はそのつど記述から逃れてゆく。千万言を尽くしても、眼前の花一輪も写実的に描写し切ることができない。写生が僕たちに教えるのは『なまもの』の無限性、開放性と、それに対する人間の記号化能力の恐るべき貧しさです。」
(p.56)
▲▲▲引用おわり▲▲▲

 〈写実〉また〈写生〉について、短歌ではこれまで幾たびも論じられてきた。
 しかし、そのほとんどは「どのように写生するか」または「写生とは何か」という観点から書かれたものだった。

 だが、内田氏の発想は全く違っている。内田氏は、世界の豊かさは言葉(記号)によって記述することはできない、と言う。そして、描写が不可能であることによって、かえって生命には無限の広がりがあることを「祝福」することになるのだ、と説くのである。

 この論理展開には逆説的なところがあり、内田氏の著作を読み慣れていないとわかりにくいかもしれない。具体的な歌に沿って考えてみよう。
 『万葉集』には「見れど飽かぬかも」という結句の歌がいくつも存在する。


  百(もも)づたふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕ぎくれど粟(あは)の小島は見れど飽かぬかも
                                              (巻九・一七一一)


 柿本人麻呂作と伝えられる歌。たくさんの島を漕ぎめぐってきたけれど、粟の小島の美しさは、いくら見ても見飽きることがない、という意味。

 つまり、人間は風景をいくら見続けても、すべてを見尽くすことはできないのだ、という不可能性がここには表現されている。
 そして、この風景を歌い尽くすことはできない、という断念があるからこそ、逆に読者には「粟の小島」の言語化できない美しさが手渡されることになる。

 正岡子規の有名な藤の花の歌でも、彼がせいぜい描写できたのは、藤の花ぶさの畳に届かない短さだけであった。花がどのような色をしていたか、などということは一切歌われていない。しかし、描写されないことによって、かえって「なまもの」である藤の花の美しい生命力は伝わっていくのである。
 ほんとうに美しいもの、豊かなものを写生することはできない。人間にできるのは、その周辺にあるささやかなものを書き留めることだけである。


  ヴェネチアのゆふかたまけて寒き水黒革(くろかは)の坐席ある舟に乗る
                                   佐藤佐太郎『冬木』


 こうした歌が典型的なのだが、「黒革の坐席」を描くことが重要なのではない。むしろ、それを描くことで、言葉では表すことのできないヴェネチアの夕暮れの無限の美しさを讃えているのである。
 ほんのわずかなものを写生することによって、写生できないものの奥深い生命感に触れることができる。それが〈写生〉の根源にある思想かもしれない。

 内田樹氏の文章を、私なりに敷衍して書いてきた。このように、内田氏の発想を短歌に応用しながら考えることが、私にはとても楽しいのである。文章を読みながら、共に考えるという感覚を与えてくれるからだ。

 良い評論とは、正しい結論が書かれた文章なのではない。結論を強引に押しつけたりせず、読者も一緒になって、対話をするように思索を続けることができる。そんな親しみやすさや開放感のある評論が、もっとも貴重なのではないだろうか。
 内田樹氏は「読者に敬意をもつこと」が文章を書く上で大切だと、どこかで書いていたが、これもまさに私を支えた一言であった。


お知らせ 続 いま、社会詠は

2014年03月22日 | インポート

 

クロストーク短歌

 

続  いま、社会詠は

 

 

 

 インターネット上で起きた社会詠論争をきっかけに、2007年2月4日、「いま、社会詠は」というシンポジウムが、京都で行われました。

 

小高賢・大辻隆弘・吉川宏志・松村正直(司会)というメンバーを中心に、熱い議論が繰り広げられました。

 

それから7年。東日本大震災や福島の原発事故など、大きな時代の変化を感じさせる出来事が次々に起きています。そして、今年の2月、小高賢氏が急逝されました。

 

今回のクロストーク短歌では、小高賢氏を悼みつつ、7年前の社会詠論争を振り返り、いま何が変わったのか、変わらないものは何なのかを、じっくり語り合いたいと思います。みな様のご来場をお待ちしています。

 

 

 

          鼎談

 

  大辻隆弘  松村正直  吉川宏志

 

 

 

 <st1:olkevent w:st="on" start="2014/06/07/13/30" end="2014/06/08/05/00" alldayevent="0">

日 時 7日(土) 午後30分~5

</st1:olkevent> (受付 1時~)

 

 場 所 難波市民学習センター 「講堂」(tel 06-6643-7010

 

 大阪市浪速区湊町1丁目41 OCATビル4

 

      【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
 
JR】「JR難波」駅上 【近鉄・阪神】「大阪難波」駅下車

 

 当日会費  2,500円  (前納会費2,000円)

 

      一度お預かりした会費は、会が中止の時をのぞいては返金できません。

 

      ただし、事前連絡していただければ、次のいずれかに充当させていただきます。

 

 次回の「クロストーク短歌」は500円で受講できます。

 

       ②代理受講。(受講される方のお名前をお知らせください。)

 

 申込方法 メールでお申し込みください。

 

 メール宛先 afuju608@@oct.zaq.ne.jp @を1つ削除してください。  鈴木まで

 

 件名「クロストーク短歌の申込」 本文に①お名前 ②連絡できる電話番号

 

       を送信してください。折り返し、受付メールを送ります。

 

  (定員になり次第締め切りますので、ご了承ください)

 

 

 

*7年前の『いま、社会詠は』は、青磁社より記録集が刊行されています。

 


お知らせ

2013年12月02日 | インポート

以下のような会がありますので、お知らせいたします。

当日参加でも大丈夫だと思います。

吉川宏志のクロストーク短歌

~史跡を歌う~



 前回好評だった吉川宏志氏(「塔短歌会」所属)のクロストーク短歌。第2回目の今回はゲストに島田幸典氏(「八雁」所属)を招いて、「史跡を歌う」をテーマに対談していただきます。みな様のご参加をお待ちしております。

「旅先で、史跡を見ることは多い。史跡は、歌に詠みたくなる魅力をもっている。

短歌の中で、どのように歴史を表現すればいいのか。古い時間を感じさせる歌の魅力を語り合いたい。」

          *次回のクロストーク短歌は2014年6月の第1土曜の予定です。



                                   青?の会



日 時  12月7日(土) 午後2時~5時 (受付 1時30分~)

場 所  西区民センター (℡06-6531-1400)

     (地下鉄千日前線「西長堀」下車5分)

当日会費  2,500円


久しぶりです。

2013年09月16日 | インポート

最近忙しくて、なかなか更新できませんでした。
いろいろと締切に追われています。
昨日(9月15日)は、大飯原発が停止した日で、これもしばらくぶりに脱原発のデモに行ってきました。
円山公園から祇園、四条通りから河原町、京都市役所まで、台風の前の雨の中を歩きました。

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かなり多くの人が参加されていましたが、尊敬する槌田劭先生をお見かけして、挨拶することができました。槌田先生はもう80歳近いはずですが、大変お元気で、颯爽と歩かれていました。
「絶望せず、自分のできることを、こつこつと続けることですよ。」
と、おっしゃっていただき、心に沁みました。
何も行動していないなあ、と反省することは多いのですが、少しずつ書いたり、デモに参加したりしていくしかないのだと思います。

デモのあと、京都市役所の地下に降りていったら、
ばんばひろふみさんが来ておられ、「いちご白書をもう一度」を熱唱されていて、驚きました。


生き行くは楽し

2013年06月17日 | インポート

今年は、近藤芳美生誕100年ということで、各誌が特集を組んでいる。

私は残念ながら、近藤氏とお話しをする機会はなかった。
何かの賞のパーティーのときだったか、会場へ、夫人と寄り添いながらゆっくりと歩いてゆく後ろ姿だけが、不思議に記憶に残っている。


    *            *           *

もう20年以上前のこと。
どこかで行われた短歌のシンポジウムを聴きにいったことがある。
私はまだ二十歳そこそこだった。

パネリストの一人が(誰か思い出せない)、心を打つ秀歌として、

  生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも
                       近藤芳美『埃吹く街』

という歌を挙げ、それに比べると、最近の歌はつまらない、といった発言をしたのだった。

どんなきっかけだったのか(たぶん会場で最も若かったからだと思うが)、私は発言を求められた。
そこで私は、この歌は、状況などがほとんど表現されていないので、「湧く涙」が理解できない、そんなにいい歌とは思えない、と言ってしまったのである。

すると、パネリストの人は絶句してしまって、すごく寂しそうな表情を浮かべていたことを憶えている。
たしか、シンポジウムが終わったあとに、永田和宏さんだったか、「吉川の言っていることも分かるんだけどねえ……」と複雑な顔で言われたことも憶えている。

この歌は戦後まもないころの歌である。何かの歌劇を観にいったときの場面であろう。
戦争が終わり、平和な時代が戻ってきて、「生き行くは楽し」という言葉が、身に沁みて作者には感じられたのである。同時に、生きる喜びをもたぬまま死んでいった若者たちへの辛く悲しい思いも、この涙にはこもっていたに違いない。

現在の私は、この歌が、かなりよく理解できるようになった。
ただ、若いころの私がもった違和感も、全否定はできないように思う。

時代の状況を知らないと、この歌は単なる甘い歌になってしまうのではないか。
一首だけを独立させて読んだとき、イメージの豊かさや衝撃力において、やや弱いのではないか。
近藤芳美のほかの歌、たとえば、

  降り過ぎて又くもる街透きとほるガラスの板を負ひて歩めり  『埃吹く街』

が、時代背景を超えて映像が鮮やかに迫ってくるのと比べると、いくぶん物足りないような印象を受ける。
「生き行くは楽し」の歌は、当時はかなり有名だった一首らしいが、今ではあまり取り上げられることがないように思う。

ある世代の中では愛誦歌であったが、それ以降の世代には継承されていかなかった歌だったのだろう。

時代背景や時代の空気を背負った歌をどう読むのか。
これは難しい問題である。
「その時代を勉強すれば、歌は理解できる。それをしないのは読者の怠慢だ」という人もいる。
それは正論だと思うが、どんな歌も「勉強」して読まなければならないか、と言えば、それは違うような気がする。
短歌は書かれていることだけを読むべきなのか、作者の生涯や時代状況を踏まえて読むべきなのか、なかなか結論が出せないテーマなのである。

ただ、25年くらい短歌を続けてきてわかったことがある。

「この歌は理解できない」と言ったときに、ふっと寂しそうな顔をする人がいる。
そんな寂しげな表情に出会ったときは、それをすぐに切り捨ててしまわず、ときどき思い出してみることが大切なのだろう。
そうしているうちに、いつか、その歌のよさに気づくこともあるようだ。