シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

第17回クロストーク短歌のご案内

2023年10月31日 | 日記

― 短歌の比喩の最前線 ―

短歌では比喩がよく用いられます。現在の短歌ではどのように比喩は用いられているでしょうか。また、短歌史の中で比喩はどのように変化してきたのでしょうか。

今回はゲストに、最先端で活躍している二人の若い世代の歌人を招いて、比喩をテーマに語り合います。(吉川宏志)

 

ゲスト

toron*さん  歌集『イマジナシオン』2022年

大森静佳さん  歌集『ヘクタール』2022年(第4回塚本邦雄賞)等

 

日 時  12月2日(土) 午後2時~4時45分 (受付 1時40分~)

場 所  大阪市立総合生涯学習センター 第3研修室

      〒530-0001 大阪市北区梅田1-2-2-500 大阪駅前第2ビル5階

     (Tel 06-6345-5000) 

 https://osakademanabu.com/ 

 

【Osaka Metro】御堂筋線・梅田/四つ橋線・西梅田/谷町線・東梅田
【JR】大阪駅/東西線・北新地駅
【私鉄】阪神電車・大阪梅田/阪急電車・大阪梅田

会 費  2,500円 

申込方法 メールでお申し込みください。 

      crosstalknokai●gmail.com(●を@に変えてください)

      件名「クロストーク短歌の申込」

      本文に①お名前 ②連絡できる電話番号 を記入ください。 

      折り返し、仮受付のメールで振込口座をお知らせします。

      ご入金を確認後本受付となります。

      一度お預かりした会費は、会の中止の場合を除いて返金はできません。

     *定員(32名)に達しましたら締め切りますのでご了承ください。

 

●お願い●

コロナとインフルエンザの感染予防対策にご協力ください。当日に37度以上の発熱、咳・喉の痛みなどの症状がある場合は、ご出席をご遠慮願います。


第16回 クロストーク短歌のご案内

2022年11月05日 | 日記

第16回 クロストーク短歌のご案内

 

ゲスト 島田幸典 (「八雁」選者  歌集『no news』・『駅程』) × 吉川宏志

 

前半「今年の歌集6冊を読む」

後半「ペットを詠う」

 

今回は2部構成で、前半は今年の歌集6冊を取り上げ、現代短歌の最新の潮流を探ります。

後半は、今や家族の一員ともいえるペットがいかに詠われているかを考察します。

今回は島田幸典さんをゲストにお迎えして、吉川宏志とトークを展開します。

皆様のご参加をお待ちしております。

 

日 時  12月3日(土) 午後2時~4時45分 (受付 1時40分~)

場 所  大阪市立総合生涯学習センター 第一研修室

      〒530-0001 大阪市北区梅田1-2-2-500 大阪駅前第2ビル5階 

 https://osakademanabu.com/   (Tel 06-6345-5000) 

【Osaka Metro】御堂筋線・梅田/四つ橋線・西梅田/谷町線・東梅田
【JR】大阪駅/東西線・北新地駅
【私鉄】阪神電車・大阪梅田/阪急電車・大阪梅田

 会 費  2,500円 

      申込方法 サークル青蝉の会までメールでお申し込みください。 

      crosstalknokai●gmail.com  @に変えてください) 

      件名「クロストーク短歌の申込」

      本文に①お名前 ②連絡できる電話番号 を記入ください。 

      折り返し、仮受付のメールで振込口座をお知らせします。

      ご入金を確認後本受付となります。

      一度お預かりした会費は、会の中止の場合を除いて返金はできません。

     *定員(50名)に達しましたら締め切りますのでご了承ください。

      コロナ感染予防対策として、入室できる人数が制限されています。

     *コロナ感染予防対策にご協力ください。

1、コロナ感染者の増加により予防措置として自粛要請が出た場合は、開催を中止いたします。

  その時には連絡を差し上げますので、日中にご連絡できる電話番号をお知らせください。

2、当日は必ずマスクの着用と入室時に手指の消毒をお願いします。

3、当日に37度以上の発熱、咳・喉の痛みなど風邪の症状がある場合は、ご出席をご遠慮願います。


第15回クロストーク短歌

2022年04月27日 | 日記

第15回 クロストーク短歌のご案内

― 「源氏物語 宇治十帖の世界へ」 ―

 

「源氏物語」の「宇治十帖」は、哀切で連綿とした美しさをもつ名篇です。

今回は、「宇治十帖」の概要とその魅力を1日で語り尽くすという企画です。

「源氏物語」を愛し長年にわたって読み続けてきた林和清氏と、

現在「かつて源氏物語が嫌いだった私に」を「歌壇」で連載中の吉川宏志による対話を行い、

現代短歌の中で古典をどのように生かしていけばよいか、というところまで踏み込んでいきたいと思います。

皆様のご参加をお待ちしております。

(写真は宇治上神社)

 

日 時  2022年6月4日(土) 午後2時~4時30分 (受付 1時40分~)

場 所  大阪市中央公会堂 大会議室

      〒530-0005 大阪市北区中之島1丁目1番27号  (Tel 06-6208-2002)

      【大阪メトロ】御堂筋線 淀屋橋駅<1>番出口から徒歩約5分

      【京阪電車】本線 淀屋橋駅<1>番出口から徒歩約5分

                        中之島線 なにわ橋駅<1>番出口から徒歩約1分

会 費  2,500円 

      申込方法 メールでお申し込みください。 

      crosstalknokai●gmail.com(●=@に置き換えてください) 

      件名「クロストーク短歌の申込」

      本文に①お名前 ②連絡できる電話番号 を記入ください。 

      折り返し、仮受付のメールで振込口座をお知らせします。

      ご入金を確認後本受付となります。

      一度お預かりした会費は、会の中止の場合を除いて返金はできません。

 

*定員(40名)に達しましたら締め切りますのでご了承ください。

(コロナ感染予防対策として、入室できる人数が半数に制限されています。)

*コロナ感染予防対策にご協力ください。

1、コロナ感染者の増加により予防措置として自粛要請が出た場合は、開催を中止いたします。その時には連絡を差し上げますので、日中に  ご連絡できる電話番号をお知らせください。

2、当日は必ずマスクの着用と入室時に手指の消毒をお願いします。

3、当日に37度以上の発熱、咳・喉の痛みなど風邪の症状がある場合は、ご出席をご遠慮願います。


三枝昂之『遅速あり』

2020年04月16日 | 日記

三枝昂之『遅速あり』が、第54回迢空賞を受賞されたとのこと。

おめでとうございます。

この歌集について、ある会で話すつもりが、コロナウイルスのために中止になってしまいました。

その資料に、短いコメントをつけて掲載します。

 

くぬぎは深くコナラは浅く身を鎧い樹の肌に樹の温かみあり

木肌の特徴をよく見ています。クヌギの木肌は特に襞(ひだ)が深いです。冬の雑木林でしょう。自然に対する親近感がよく表れている歌です。

 

里山に木の葉すくいて挙がる声おのこごの声その父の声

下の句がシンプルな対句で、落葉で遊んでいる男の子と父親の楽しそうな様子が伝わってきます。素朴な作りの良さがあります。

 

ここが故郷であるかのように如月の樹々の高さを風が響(な)りたり

故郷から離れて生活している人の歌。ここは故郷ではないが、暮らしているうちに故郷のような懐かしさを感じるようになってきた、という思いが詠まれています。「樹々の高さを風が響りたり」がいい表現。「高さを」の「を」という助詞もいいですね。「高さに」ではない。「を」のほうが空間の広がりが生まれる感じがします。


いちはやき春の河口が見えるはず父と息子の肩車あり

これも、(他人の)父と子の歌ですね。自分の息子は、もう子育ての時期を過ぎてしまい、他人の父子関係が懐かしく、うらやましく見えてしまう、という思いも背後にあるのかもしれません。肩車の視線の高さだと、遠くの早春の河口が見えるだろう、という想像が、さわやかな一首。


二十日月の明るさを言うメールありいつの世も人は人に告げたき

月の美しさを他人に告げたい思いは、古典和歌のころから変わらない。今は、それをメールでやっているだけなのだ、という思想が歌われています。はるかなものへの思いが、ときどきこの歌集にはあらわれますね。「二十日月」という選択もいいし、下の句の愛誦性のあるリズムもいい。

 

岸に待つ暮らしがあればひと筋の水脈(みお)を広げて帰りくる船

漁をして暮らしている人でしょう。家族が岸に待っているんですね。昔ながらの生活を営んでいる人々へのあこがれがこうした歌にあります。下の句が美しい。

 

寒林に枝打つ音が響きたり一人の男の一つの戦後

これは林業をしている男。この歌も、質朴な暮らしをしている人々への親近感があらわれた歌といえるでしょう。「寒林」から、決して楽ではない暮らしがイメージできます。自分とは全く別の世界に、ともに戦後の時間を過ごしてきた男がいる。共感と、距離感がないまぜになったような思いがあるのだと思います。

 

遠くにてかなかなの声湧きあがりわれのみが聴くあかつき方を

これはリズムが柔らかくて、美しい一首ですね。こういう歌は、あまり解釈をしなくてもよくて、快い調べを味わえばいいのだと思います。

 

落葉松の針をつまみて手に載せるわれの肩からかたわらの手に

隣りに誰かいるんです(たぶん妻でしょう)。自分の肩に落ちてきた落葉松のとがった葉を、かたわらの人の手に載せてあげる。行為だけを詠んでいますが、ほどよいロマンティシズムがある感じがします。


ひとり来て花を捧げる 永遠はないがしばしの陽だまりはある

墓に献花している場面でしょう。箴言的な下の句が印象的です。「陽だまり」だから、冬の日なたのイメージ。日なたといっても、とてもはかない。でも、そんな冬の日なたに、永遠的なものを感じることは、ときどきあるのではないでしょうか。そんな感覚を掬い取っている歌だと思います。


翳りなきあかるさとして素枯れたる一樹一樹も甲斐のみほとけ

これも冬の林の歌。寒林の歌が多いですね。枯れた木の一本一本を、仏像のように感じている。とてもおもしろく、すごくスケールの大きなイメージです。甲斐は、三枝さんの故郷でもあります。

 

うつしみを抱く蒼穹よ胸中に農鳥岳があれば帰らず

農鳥岳は、山梨と静岡の境界にある山だそうです。故郷の山なんですね。自分は今、農鳥岳が見えない地に暮らしている。しかし、自分の心の中に農鳥岳があるから、故郷には帰らないんだと歌っている。啄木みたいで、ちょっと古風でしょうか。でも、私はこの気持ちがよく分かるので、好きな一首です。

 

水張田となりてととのう出羽の国かなたに雪の月山を置き

五月くらいの東北に行くと、水田が見渡すかぎり広がる風景に驚かされます。田に水が入って風景が「ととのう」感じはよく分かる。一面に広がる水田の端のほうに、月山(がっさん)がちょこんと見えている。「ととのう」「置き」という動詞の選びがおもしろい。

 

冬枯れのこの国原に薪を割る音がひびきて年あらたなり

これも日本の風土に対する心寄せ、というべき歌でしょう。「国原(くにはら)」ですから、古代的な、土地に対する敬意があります。現代では、こうした「くに」への思いは、実感しにくくなっているし、抑圧されてもいます。でも、新しい年を迎えるとき、「薪を割る音」が響いて、古代から連綿と続いてきた時間と空間の中に、自分も存在しているのだ、という思いを抱くこともある。この歌はいかにも短歌的な歌かもしれない。様式的、といってもいいでしょう。でも、こうした歌も、とても大切なんじゃないかと私は思いますし、「薪を割る音」が確かに響いてくる感じがします。

 

読んで、来て、訊いて、語って、泡盛を飲んで、沖縄はいまなお見えず

これは沖縄で短歌のシンポジウムをしたときの歌で、私もいっしょだったので、共感する歌です。沖縄に来る前にいろいろな本を読んで、現場の人の話を聞いて、シンポジウムで語り、その後の打ち上げで泡盛を飲んで、濃厚な時間を過ごしたのですが、それでもまだやはり、沖縄の人間ではない自分には、見えないものがある。しかし、見えないからこそ、また読んで、また来て、また泡盛を飲もう、という思いになるのではないでしょうか。

今年も沖縄に行きたかったのですが、コロナウイルスの影響で難しいかな……

 

枇杷釉のぐいのみに呼び止められて二、三歩戻る菊屋横町

「菊屋横町」は萩市にある古い町らしいです。萩焼なんでしょう。枇杷色のぐいのみ、というのが、色彩感があっていいですね。通り過ぎたんだけど、欲しくなってまた店の前に戻ってきた。「呼び止められて」という擬人化が、この歌では効いています。楽しい旅の歌です。

 

もうニュースは消しておのれに戻りたり非力な非力な言葉のために

これは、東日本大震災のときの歌ですが、現在のコロナウイルスの蔓延の状況でも、通じる一首だと思います。テレビのニュースで報道される圧倒的な現実を前にすると、もう何も言葉が出てこない。けれども、「非力な非力な」自分の言葉に戻っていって、そこから表現を立ち上げていくしかない。非力であっても、自分自身の言葉を拠点にするしかないんだ、という決意です。これはとても重要な歌だと思います。

 

(二〇一九年四月二〇日・砂子屋書房)


大口玲子歌集『ザベリオ』

2020年04月16日 | 日記

大口玲子さんの歌集『ザベリオ』が第12回小野市詩歌文学賞を受賞したとのこと。おめでとうございます。

「うた新聞」の10月号(だったはず)に書いた短い書評を転載します。

とてもいい歌集なので、興味がありましたら、ぜひ読んでみてください。

===========================

 

子は不意に死を怖れつつ指さして冬の星座を教へくれたり


 子どもは、本当は大人よりもずっと強く、死の不安を抱えて生きているのだと思う。永遠の星空を見つつ、生のはかなさをふと思い出す息子。簡潔な中に、深い感情の襞がある。
 大口玲子も、子どもと同じ怖れを持って生きている人だ。それも漠然としたものではなく、戦争や核兵器の恐怖を、身体の奥底から想像してしまう。そして、子どもの抱くおびえに、身体が激しく共鳴する。


子は読書感想画を描き戦争孤児の涙をみどり色に塗りたり

 

 不安を打ち消すには、行動するしかない。大口の社会詠には、行動へと掻き立てられる切迫感と、気の焦りが生み出すユーモアが同居している。そこに独特の分厚い存在感がある。


押し黙り橘通りを歩きゆくデモに見惚れて転ぶ人あり
まづわれは一礼したりおそれながら傍聴人にはお尻を向けて

 

 二首目は安保法制を違憲とする訴訟の原告となったときの歌。深刻な場面だが、ぎこちない動きや恥じらいが伝わってきて、そこに生身(なまみ)の〈私〉が鮮やかに立ち現れるのである。
 神の問題も、大口の歌を論ずる上で外すことができないが、紙面がわずかなので簡単にしか書けない。


宮崎でもつとも広き法廷に空席ぽつり イエスが座る

 自分の行為を遠くから見つめるものとして神は存在する。闇の時代にも神のまなざしはあり、その中で命を繋いでいこうとする願いが、次の歌に込められていて、胸を打たれた。


たいまつの火を掲げ先を歩みゆく子を見失はぬやうに歩めり

(青磁社・2860円)