シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

高野公彦『明月記を読む』書評

2019年12月23日 | 本と雑誌

現代短歌大賞を受賞した高野公彦氏の『明月記を読むー定家の歌とともに』(短歌研究社)の書評です。

初出は現代短歌新聞3月号です。短い文章なので言い尽くせていませんが。

 

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 藤原定家の歌は難解というイメージがある。また、『明月記』も、大変読みにくい漢文の日記である。

 思わず身構えてしまうのだが、高野公彦の文章はじつに分かりやすく、自然に中世の時代に読者をいざなってくれる。ユーモアも含まれ(これは定家という人のおもしろさでもあるのだが)、楽しく読み進むことができる。
 それはなぜなのか。書く姿勢に、無理がないことが大きいのだろう。読者が難しく感じるところでは、高野も立ち止まり、一緒になって考えてくれる。そんな親身さが嬉しいのである。たとえば、


かすみ立つ狩場(かりば)のおのれまちまちに夏越(なごし)夏越の春のあけぼの

という歌を「男女の事」を思って夢の中で作ったという不思議な記述がある。難解な歌である。

 高野は「なごし」は「和(なご)し」(やわらかい)ではないかと考え、

「男女がそれぞれ『やはらかい、やはらかい』と言ひながら春の曙を眠つてゐる」

という情景を想像する。エロティックで魅力的な読みである。
 このように一首一首をこまやかに鑑賞し、現代の私たちの作歌にも通じる定家の歌の美質を引き出している。それがとてもありがたいのである。
 また、明月記の名場面を選び、現代語で紹介しているところも味わい深い。良経の死を聞き、瓜を食べるシーンなど、色彩が目に残る感じがする。
 定家は職業歌人である。調子が悪く満足な歌を作れないときも、作歌を断ることはできない。


「だが、その苦渋に打ち克つ力、すなはち芸術家としてのパワーと精神的な粘り強さが定家にはあつた。」

 病弱でもあった定家だが、自分の宿命に耐え、息長く歌を作り続けた。その執念に対する尊敬と共鳴が、高野の文章から滲み出ており、読後に優しい温もりに包まれる。貴重な著作である。