シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

お知らせ

2012年12月16日 | インポート

お知らせです。

NHK短歌の1月号に、アンソロジー「読書」という記事を書いています。
「読書」に関わる歌28首を選び、簡単な解説をしています。
まあまあ面白い内容になっているんじゃないかと思います。
関心がある方は読んでみてください。(1月~3月まで、毎回テーマを替えて連載します)

「心の花」12月号に「佐佐木幸綱の一首」という短い文章を書いています。

城のある町に来たりぬ夜ふかく青銅の馬溶けはじめたり  『瀧の時間』

という歌について解読しています。
手に入れにくいかもしれませんが、興味のある方は、読んでみてくださいね。


選挙のときに作った歌

2012年12月16日 | インポート

初めて選挙に行ったときに作った歌。

投票を終えてしばらく校庭に飼わるるうさぎけん太を見たり  『青蝉』

もう20数年前になるのだなあ。


  二〇〇七年九月十二日

眼は皮膚のなかに浮かべる島にして〈政治的死者〉語りはじめつ  『西行の肺』



これは、あの辞めた首相を詠んだもので、やや同情的な歌なのだが、まさか〈死者〉が蘇ってくるとは思わなかった。このあたり、自分の不明を恥じるしかないのだが、政治を歌う難しさを感じる。しかし、〈蘇った死者〉は、最も怖いのではなかろうか。


四つ折にして投票をせし紙が函のなかにて薄目をひらく    『燕麦』

ほとんどが「民」の字書きし手をさげて体育館を人ら出てくる

大豆(遺伝子組み換えでない)と書かれしを買うごとき投票を終えたり

権力は選べるものか 選びしと言いながらこの秋は過ぎるか


これは2009年に政権交代があったときの歌。
二首目は、「民」という漢字の字源が「目をつぶされた奴隷」という意味であるらしいことを背後に置いていたのだが、菊池孝彦さんから、それを指摘する評をいただいて、とても嬉しかった。
四首目は、「国民が権力を選べる」というようなことを、当時マスコミはずいぶん言っていたのだが、ほんとうにそうなのか、という意識で作った。これは、今でもよくわからない。「選ばせられている」だけなのかもしれない。

今から選挙に行くが、今回も歌を作っておくようにしたいと思う。難しそうだけど。




 
 


ある手紙

2012年12月07日 | インポート

たまに、まったく知らない方から、手紙をいただくことがある。
一、二年くらい前だったか。
私の歌集を出してくださっている出版社の人から、手紙を転送していただいた。
鉛筆書きの、少しただたどしい文で、私の歌集を読んで感動した、ということが書いてあった。
三重県の人らしい。
文面はまだ少女のような雰囲気なのだが、そこに書かれている境遇が衝撃的だった。
家族を早くに喪い、虐待もされ、小学校までしか出ていない、という。それでも独学で本を読んでいる、といったことが書いてある。若いのに、かなり過酷な生活を送っていることが想像された。

どういう人かわからないので、返事を書くのにためらいはあったのだが、生きることに対する絶望的な思いが、手紙の背後から感じられて、手紙を書くことにした。
私は、平凡な生活を送っている人間なので、こういうとき、何を書けばいいのか、よくわからない。
ただ、短歌でも何でもいいから、自分の思いを書いて表現するといいですよ、ということを書いた。これだけは、私の経験的な真実で、自殺未遂をしてきたような人が、短歌を始めたことで、生きる希望をもった、という例は、いくつか見てきた。もちろん、短歌をはじめたあとも苦しみは続くのだが、その苦しさの質が少しだけ変化するらしいのである。

手紙を出したあと、半年くらい経って返事がきた。
短歌をぽつぽつとつくりはじめた、ということが書いてあった。
そして、暮らしてきた家から立ち退きになり、今は住所不定の身であるというようなことが書かれていた。
だから、もう返事を書きようがなかった。


     *        *


今年の「塔」の10代・20代特集に、「鳥居」という見知らぬ人の名前があった。
ただ2文字だけのペンネームである。
編集長の松村正直さんと話しているとき、締切まぎわに彼の自宅まで原稿をもってきた人がいたという話を聞いた。それが「鳥居」さんだったそうだ。ずいぶん律儀な人だな、とは思ったが、それ以上の関心はもたなかった。

ところが、最近たまたま、この鳥居さんのブログを読んだのだが、そこに書かれている境遇が、以前手紙をもらった人によく似ているのである。
http://toriitorii.exblog.jp/
そこで、コメント欄に「もしかして以前手紙をくれた方ではないですか」と書き込んだ。
詳細は、鳥居さんのブログに書かれているが、やはりそうだった。
鳥居さんは現在、非常にいきいきと活動しているようで、短歌以外にも、貧困について訴える発言をしたり、ボランティアなどをしているらしい。興味がある方は、彼女のブログを読んでみてほしい。現代歌人協会の短歌大会で穂村弘さんの賞をもらったりもしたそうだ。
やはり、〈短歌を書く〉ということには、生きていく力を与える不思議な効果があるのだ、と改めて思った。もちろん、短歌以外でも同じようなことは起きるのかもしれないが。

鳥居さんの歌をいくつか紹介しておきたい。

・揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
・刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁


彼女の体験を反映していると思われる歌である。淡々と歌われているが、それがかえって、静かな恐怖感を読者に与える。「革靴」や「刺身包丁」が、物体として、ずしりと迫ってくる感じである。目の前のものを、麻痺したような感覚で見ているような印象もあろうか。「あおぞらが妙に乾いて紫陽花があざやか なんで死んだの」という歌もある。

・室内の宙吊りライト散り散りにみな揺れていて我のみ気付く

小さな地震を詠んだ歌だろうか。「散り散りに」がよく、不安な臨場感がよくあらわれている。

・朝焼けを見ると悲しいもう直に明日が来るよ眠れないまま

これは、まあ「悲しい」がやや言い過ぎではあるのだろうが、希望のない「明日」を迎えるつらさが伝わってきて、やはり胸を打たれる。

最初の手紙をもらったときには、かなり心配したのだが、私が思った以上に、ずっと強い人であったようで、それが何よりも嬉しい。これからもさまざまな場で表現を続けていってほしいと思う。


岡部桂一郎氏を悼む

2012年12月01日 | インポート

岡部桂一郎氏が亡くなったことを知り、寂しい。

・ここは故郷の橋ならねども旅人の渡りしあとを木枯わたる  『一点鐘』

という歌を思い出す。
木枯のようにこの世から、すっと去っていかれた。

岡部さんの歌は、文語口語混じりの新仮名表記であって、やわらかい印象を与える新仮名の使い方がとても好きであった。私もずいぶんそれに学んだ気がする。
「短歌現代」2011年10月号に「大正世代の歌」というテーマで書いた文章を、再掲しておきたい。

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「路上の壺」

一九九四年に、私は現代短歌評論賞を受賞した。二十五歳だった。そのとき短歌研究賞を受賞されたのが、岡部桂一郎氏で、授賞式の前に少しだけお話をする時間があったのである。たしか、白くてストライプのあるスーツを着られていて、とても洒脱な感じがあった。
しかし岡部氏は、短歌評論なんて信用していないようで、煙たがるような気配が伝わってきた。しかも年の離れた若い歌人相手だから、あまり話をする気もないようだった。もちろん、それは私の勝手に抱いた印象だったかもしれない。

だが、少し前に読んだ『戸塚閑吟集』がとてもおもしろかったので、その感想を私は述べた。

すると岡部氏は、こんなことを言われた。

「僕の歌は、路に並べて売っている壺みたいなもので、好きな人は勝手に持っていってくれるんだよ。」

こんな風に自分の歌のことを語る歌人には会ったことがなくて、鮮やかに記憶に残った。そして短歌を作り続けていると、たしかに短歌にはそんな面もあるなあ、と感じるようになった。
 岡部氏の戦後まもないころの歌は「肉体短歌」などと呼ばれた。


うち対(むか)ふベアトリーチェにあらなくにほとの柔毛(にこげ)とわが暗き影と

(

)

などの歌について、木俣修は『昭和短歌史』の中で、敗戦後の新しい短歌文学を生み出していくものとは認められず、「俗流」であり「あだ花」であると厳しく批判している(評論不信になるはずである)。たしかに、当時重要だった「戦争責任をどう捉えるか」という問いにこたえる歌ではない。「文学」といった大上段の価値観のもとでは、論じることのできない歌かもしれない。
しかし、この歌は作られて六十年以上経っても、暗い光沢を帯びている感じがする。ベアトリーチェはダンテの『神曲』に登場する〈永遠の女性〉のことだろう。だが、そんな女性を求めることもできず、性愛に溺れていく現実が、乾いた感覚で歌われている。特に下句が即物的で、どこか彫刻を見るような印象を受ける。
短歌史的に評価される歌も、もちろん大切である。しかし、それがすべてではない。日常生活の中から何でもないような形で生まれてきて、それでいて、ずっしりとした存在感をもつ歌もあるのである。「路に並べて売っている壺」という言葉は岡部桂一郎の歌のたたずまいをよく表している。何かを強く主張する歌ではないが、豊かな造形性をもっている。

  臼ほどの大きな月がいま昇る泣いているのか辛棒をせよ     『竹叢』

どんな状況かはわからない。ただ月の重量感だけはくっきりと伝わってきて、「辛棒をせよ」という一語が妙に心に残る。歌というのは、それでいいのだ、という信念を、岡部桂一郎は長い時間をかけて貫き通してきたように思う。