8月11日、12日の夏休みに、宮城に行きました。
一つの目的は、津波の跡を見に行くことでした。
災害のあとを見に行く、というのは、正しい行為なのかどうか、私にはわかりません。
ただ今回は、高校3年生の息子を連れての旅だったので、
ぜひ息子に見てほしいという思いがありました。テレビだけではなく。
松島から石巻はまだ線路が復旧しておらず、代行バスで沿岸を走ります。
ときどき、木が倒れたり、家が壊れていたりする様子が車窓から見えます。
石巻駅に着いたのは午後4時くらい。
まず、この町の出身の石ノ森章太郎の漫画館に行きましたが、激しく壊れていて、
休館中です。川の中州にあるので、特に被害が大きかったようです。
その周辺は空き地が多くなっていて、子供が遊んでいたり、スケートボードをしている人もいます。一瞬、平和な光景のように見えますが、あたりには壊れた工場が内部をむきだしにしていたりして、異様な感覚に襲われます。
なぜか自由の女神の像が立っていて、半身は無惨にもぎとられたままに立っています。
息子も、この情景には、衝撃を受けたようでした。
そこから、対岸に渡り、海のほうに向けて歩きはじめます。
更地になったところ、建て替えたのか、新しそうな家もあったりします。
そしてときどき、ひどく壊れた家があり、内部がなまなましく見えていて、寒気のようなものに襲われます。
その一軒には猫が棲みついていて、じっと土間にしゃがんでいます。
美容室のパーマの機械などが、道端にそのまま打ち捨てられているところもありました。
ある学校では、一階部分がすべて流されて、黒く汚れてがらんどうのような状態になっている。
また、あるところでは、野原のようになったところでバーベキューをしていて、肉を焼く香ばしい匂いが漂ったりしている。
普通に生活しているところと、廃墟のままのところが混じったまま、町が存在しているという感じがします。災害のあと時間が止まっているような場所と、時間が動き出している場所が、併存している、と言ってもいいのかもしれない。
ニュースを見ていてもわからない、被災地の現実に、少しだけ触れた感じがしました。
そこからさらに海へ向かって歩いていくと、瓦礫を山のように積み上げたところが見えてきました。
3・4階建てのビルくらいの高さでしょうか。近くにいくと、今でもかなり異臭がします。
分別もしてあり、木材などは分けて積まれています。
このように一か所に集めるだけでも、どれくらい大変だっただろうか、と思います。人々の黙々とした努力に心を打たれます。
ここからはもう海が近い。夕暮れの海で、釣りをしている人が、数人見えました。
津波が、何キロも内陸に押し寄せてきたことは、知識では知っています。
しかし、実際に歩いてみると、まさかこんなに離れたところまで、海が来たのか、と、
とても信じられない。
いまでは、静かな風景が広がっている海辺が、一年半前には、まったく異なる姿になっていたとは、なかなかうまく想像できません。ただ、廃墟のようになった家々を見ると、想像を絶する恐ろしいものが、自然の中には存在していることが、ひしひしと伝わってきます。
私たちがふだん信じている〈現実〉というものは、とてももろく薄っぺらいものなのだ、ということを、今更ながら感じたのでした。