シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

平成元(1989)年~平成15(2003)年の話題作

2019年06月02日 | 日記
平成元(1989)年~平成15(2003)年の話題作    吉川宏志選
 
平成時代(の前半)に、どんな短歌が話題になったのか、具体的な作品を挙げながら紹介していきます。
(2019日6月1日に大阪で行った染野太朗氏とのクロストークで使用した資料に、加筆・補充したものです。)
もちろん、話題にならなかった歌にも、優れた歌はいっぱいあるわけです。それはくれぐれも誤解なきようお願いします。
ただ、話題になった作を並べてみたとき、時代の流れや空気が、くっきりと見えてくるのではないか。
そう考えたのが今回の企画の発端です。
 
角川の「短歌年鑑」を参照しつつ、私の貧困な記憶によって歌を取り上げています。
いろいろ見落としや誤りもあるのではないかなと思います。抜けている歌があれば、ぜひ、コメント欄で指摘してください。
大急ぎで書いたので、粗っぽいところもありますが、ご容赦を。
 
平成をふりかえるとき、何かの参考になれば幸いです。
 
 
平成元(1989)年 消費税スタート(3%) 天安門事件
 
日本の長き歩みの中にして長き代すべ給ふめでたき大君  土屋文明「讃歌五絶 昭和天皇崩御を悼んで」(読売新聞1月8日)
槍の穂に唇あてている彼とユダとの年の差が二千年  久木田真紀「時間(クロノス)の矢に始めはあるか」(短歌研究新人賞)
春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状  塚本邦雄『波瀾』
くるしみの身の洞(うろ)いでてやすらへと神の言葉もきこゆべくなりぬ 上田三四二『鎮守』
人を恋ふ心なかりせば須佐之男は流るる箸を見ざりしならむ  稲葉京子『しろがねの笙』
父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ  佐佐木幸綱『金色の獅子』
アリナミンよりほほゑみが効くなんて言の葉で妻が喜ぶとおもふか  松平盟子『シュガー』
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる  辰巳泰子『紅い花』
殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ  水原紫苑『びあんか』
なぜ銃で兵士が人を撃つのかと子が問う何が起こるのか見よ  中川佐和子(朝日歌壇賞)
 
『サラダ記念日』(俵万智・1987)の大ベストセラーが歌壇に衝撃を与え、活性化と混乱が続いていた時期といえよう。
土屋文明の作は、戦争責任を問われることもある昭和天皇を無条件に讃えた歌であり、強い批判が出た。
久木田真紀の作は、女子高校生の受賞として大きな話題となり、歌の巧さ・発想のおもしろさに舌をまく歌人が多かった。しかし後に別人が作っていたことが判明。作者と作品の関係を考えさせられるトピックにもなった。
塚本邦雄の作は、小倉百人一首の周防内侍の和歌の本歌取り。塚本が「あっ」の新仮名を使うとは!と驚かれた。過去の戦争体験を、知的な方法で歌った一首で、やはり名歌と思う。
上田三四二は昭和末期に亡くなり、遺歌集が平成になってから出た。死ぬことで苦しみから逃れよと神の声が聴こえたと歌う。生きることの窮極を描き、忘れがたい。
稲葉京子の作。スサノオが川を流れる箸を見つけることができたのは、人間に対する恋心があったからだと歌う(無関心なら、箸に気づくことはない)。人間の認識の本質を捉えつつ、神話に新しい光を与えている。
佐佐木幸綱の作。小池光、小高賢などとともに男性の家族詠が話題に。「金色の獅子とうつれよ」と歌うが、背後には、そんな立派な父親にはなれないよ、という照れがある。
松平盟子の作は、商品名を軽やかに取り入れながらも、男性の態度を厳しく批判する。フェミニズムの影響が強く表れた一首といえよう。
辰巳泰子『紅い花』と水原紫苑の『びあんか』は現代歌人協会賞を受賞。紅と白、対照的な2歌集として話題に。辰巳の生々しい性愛、水原の美しい幻想。『サラダ記念日』にはないものが歌われ、女性短歌の新しい展開を感じさせた。
中川佐和子の作は、朝日新聞の歌壇に掲載され、幾度も引用された。天安門事件を歌っている。結句の命令形で、読者もこの問いを突きつけられる。

平成2(1990)年  イラク軍、クウェート侵攻  東西ドイツ統一
 
八重洲ブックセンターに万巻の書はありて哀しき肉のついに哀しき  藤原龍一郎「ラジオ・デイズ」(短歌研究新人賞)
切なさと淋しさの違い問う君に口づけをせり これはせつなさ  田中章義「キャラメル」(角川短歌賞)
せつなしとミスター・スリム喫(す)ふ真昼夫は働き子は学びをり  栗木京子『中庭(パティオ)』
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘『シンジケート』
鷗外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき  小高賢『家長』
人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに  香川ヒサ『テクネ―』
さんさんと夜の海に降る雪見れば雪はわたつみの暗さを知らず  山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』
侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる  黒木三千代「クウェート」(歌壇11月号)
 
藤原龍一郎の作。マラルメの詩句「肉体は悲し。万巻の書は読まれたり。」を踏まえる。本も商業主義に組みこまれていく時代を、巧みな本歌取りで批判。塚本邦雄らが絶賛した。
田中章義作。男性の『サラダ記念日』を要望する動きは確かにあったと思う。田中の歌はそんな時代の流れに応えるものであった。
栗木京子作。フェミニズムを揶揄するように、主婦のアンニュイを歌っている。働く女性に対する、意識的な挑発がある。
穂村弘の登場は、大きな衝撃を当時の歌壇に与えたが、この一首は特に、どう読めばいいのか分からないという困惑を招いた。上の句の意外性、下の句の大胆さ。短歌の自由さを大きく広げる一首だった。
*この3首、それぞれの角度から「せつなさ」を歌っているのがおもしろい。あるいは「せつなさ」がこの頃のキーワードだったのかもしれない。
小高賢の作。「明治の家長」のようにはなれない、という歌。家族が変容していく中で、父としてどう生きればいいかわからない、という悩みが、やや他人事のように歌われているところが、おもしろい。
香川ヒサの歌は、1988年の角川短歌賞受賞のときからよく取り上げられていた。知的な空間把握、「鬱」という字を視覚的に捉えているところなど、香川の方法に、知らず知らずのうちに影響を受けている歌人は多いのではないか。
山田富士郎は現代歌人協会賞を受賞。この歌などには、時代の流行とは隔した詩的な美しさがある。
黒木三千代の「クウェート」一連は、当時の歌壇で、賛否両論の激しい議論を招いた。「レイプ」という語が短歌に使われること自体、この頃は、拒否感が強かったのである。

平成3(1991)年 湾岸戦争 EU創設 ソ連崩壊
百年はめでたしめでたし我にありて生きて汚き百年なりき  土屋文明『青南後集以後』
ごろすけほう心ほほけてごろすけほうしんじついとしいごろすけほう  岡野弘彦『飛天』
空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラ・ゾーン)に立ち止まる夏  梅内美華子「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」(角川短歌賞)
水の婚 草婚 木婚 風の婚 婚とは女を昏(くら)くするもの  道浦母都子『風の婚』
しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ  河野裕子『紅』
ミサイルがゆあーんと飛びて一月の砂漠の空のひかりはたわむ  高野公彦「オプション」(歌壇3月号)
今夜とて神田川渡りて橋の下は流れてをると気付きて過ぎぬ  森岡貞香『百乳文』
石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ  馬場あき子『南島』
システムにローンに飼はれこの上は明ルク生クルほか何がある  島田修三『晴朗悲歌集』
言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン! 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
淡雪にいたくしづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり  林和清『ゆるがるれ』
おもむろにまぼろしをはらふ融雪の蔵王よさみしき五月の王よ  川野里子『五月の王』
 
ソ連崩壊など、世界史的には凄い変動があった年だが、それを詠んだ話題作はあまり記憶がない……。共産主義にかつて夢を見た世代の歌人は存在するのだが、あまりに衝撃的で、言葉にできなかったのではないか。そんな印象を私は持っている。
土屋文明の作。百歳となった記念の歌。自在な調子で歌っているが「生きて汚き」という言葉には、読者を粛然とさせるものがある。
岡野弘彦の作。「ごろすけほう」は梟の鳴き声だろう。「ごろすけほう」の繰り返しが、夢うつつのような世界に導いてゆき、夢の中で人を恋するような思いが伝わってくる。オノマトペの歌の例としてよく取り上げられる。
梅内美華子の作。清冽な青春歌として、高い評価を得た。このみずみずしさは、現在でも色褪せていないと思う。
道浦母都子の作。結婚という制度を、上の句の名詞の並列や、下の句の言葉遊びで、軽やかに批判している。
河野裕子の作。道浦の歌とは対照的。フェミニズムでは主婦という生き方が批判されることがあったが、それに対する反発がある。ただこの一首、その文脈から切り離されて、保守的な家族観を肯定するために使われることもある。
高野公彦の作。湾岸戦争の「テレビゲームのようだ」とも言われた映像を歌う。「ゆあーん」は中原中也の詩「サーカス」からの引用。こうした歌い方への賛否は当時もあった。
森岡貞香は長い歌歴をもつ歌人だが、『百乳文』で非常に注目を集め、再評価が進んだ。時間感覚が揺らぐような、奇妙な文体のねじれ。こうした文体自体への探求は、その後の歌人に大きな影響を与えた。
馬場あき子の『南島』は、沖縄を歌う、ということに真正面から取り組んだ一冊として、記憶すべきだろう。沖縄に行くことで、自分が無意識に持っている「やまとごころ」が揺り動かされるのである。
島田修三は、大学教員のトホホな生活を露悪的に詠み、筒井康隆の『文学部唯野教授』(当時のベストセラー)と重ねるようにして読まれることが多かった。社会構造を示す「システム」という言葉も、この頃から一般的になったのかな。
加藤治郎の作。記号短歌では、荻原の▼▼▼とともに双璧をなす歌。パソコンが普及しはじめ、言葉が記号化する感覚が広がっていたころの歌。批判が多かった歌ではあるが、「!」を無音で読む、という発明はやはり大きかった。
林和清の作。その一方京都では、時代の流行に逆らって、美しさや深さを追求する動きがあったことを記しておきたい。林さんは「新伝統派」と呼んでいた記憶があるが、どうでしたかね。
川野里子は短歌評論の書き手として先に注目されたが、大きな自然を力強く歌った作が、高野公彦や伊藤一彦らから絶賛された。

平成4(1992)年 PKO協力法可決
 
昭和天皇雨師(うし)としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり  山中智恵子『夢之記』
君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る  安藤美保『水の粒子』
水流にさくら零(ふ)る日よ魚の見るさくらはいかに美しからん  小島ゆかり『月光公園』
▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!  荻原裕幸『あるまじろん』
うちいでて鶺鴒あをし草深野一万人の博士散歩す  坂井修一『群青層』
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年  岩田正『郷心譜』
一脚の椅子半ばまで埋もれて今日砂原は切なき凶器  三井修『砂の詩学』
 
山中智恵子の作は、昭和の終焉を歌った作として、現在最も引用されているように思う。「雨師」とは雨の神。戦時中、神だった人を葬ることで、自分の中の天皇制は終わったと歌う。
安藤美保は将来が期待されていた歌人だったが、20代で事故死した。みずみずしく自由な恋の歌が、とても痛ましい。私とほぼ同時期に学生歌人として活躍していた人で、直接会ったことはなかったけれど、ほんとうにショックだった。
小島ゆかりは、この第2歌集から非常に注目されるようになった印象がある(たぶん)。やわらかな文体、そして意外性がありつつ納得させられる発想。この一首を愛誦する人は多いだろう。
荻原裕幸の作。湾岸戦争、PKOという時代の動きの中で、日本がもし空爆されたら、という想像を、記号を用いて、斬新な手法で表現している。「表層的なものにこそ本質がある」と論じられた当時のポストモダンを最も体現している作だと感じる。
坂井修一の作。当時は大学教授の人数も多く、「一万人の博士」が散歩する、というのも単なる幻想ではなかったのである。上の句は古典和歌を踏まえ、現在と過去が交錯するように歌う。
岩田正の作。評論家として有名で、社会派的な歌を作ることが多かった岩田が、突如、ユーモア全開の歌を作りはじめたことに、歌壇では衝撃が走った。この歌、特に、当時「マジかよ…」と思いました。これもバブル期の社会の反映か?
三井修の作。湾岸戦争後、中東の国々が改めて注目を集めていたとき、砂漠の国バハレーンに駐在して、その風景や社会をリアルに描いた三井の歌集は大きな話題になった。

平成5(1993)年 非自民党の細川内閣成立

疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた  斎藤史『秋天瑠璃』
うろこ雲亡き人かずにゐる父に燃えて雁来紅もさやうなら  馬場あき子『阿古父』
言葉とはつまりは場(ば)かも風中の戦車に登り口開く人  佐佐木幸綱『瀧の時間』
わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり  坂口弘『坂口弘歌稿』
学校へいじめられに行くおみな子の髪きっちりと編みやる今朝も  花山多佳子『草舟』
今日われはオオクワガタの静けさでホームの壁にもたれていたり  早川志織『種の起源』
 
斎藤史の作。「そりやぁあなた」に驚かされた。口語化が大ベテランにも浸透してきた、という文脈でよく引用されていた。また、老いの歌の新しい方向性を示した一首とも言えよう。
馬場あき子の作。馬場の数多い歌集の中でも、父の死を詠んだ『阿古父』はしみじみとした美しさがあって忘れがたい。この一首も結句が口語。全体の揺らぐようなリズムが独特で、哀感が深い。
佐佐木幸綱の作。ルーマニアなど、東欧で革命が続いた。その中の一場面だろう。「ことば」「ば」という押韻が印象的だが、言葉というものは置かれた場によって意味が変わるのだ、という認識を説得力のある表現で示している。
坂口弘の作。連合赤軍事件で獄中にあった人の歌である。内容的に、ショッキングな歌であった。マスコミにも大きく取り上げられたが、短歌として歌うことで殺人が救済されてしまうのではないか、という議論もあった。
花山多佳子の歌。家族の痛みを、淡々と、劇的にならないように歌っていく花山の歌集は、華やかに注目されることはなかったけれど、今でいうフォロワーが静かに増えていったように思う。
早川志織の歌。自分をオオクワガタのような意外性のある生き物にたとえ、違和感のようなものを表現するのは、おそらく早川が生み出した方法である。現在でも、この方法を用いた歌は作られ続けているのではないか。

平成6(1994)年 松本サリン事件 村山富市内閣成立 バブル崩壊 関西国際空港開港
 
叱つ叱つしゆつしゆつしゆわはらむまでしゆわはろむ失語の人よしゆわひるなゆめ 岡井隆『神の仕事場』
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい  大滝和子『銀河を産んだように』
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった  加藤治郎『ハレアカラ』
 
岡井隆の作。音喩とも呼ばれる、音の奇妙さによって、言葉にできないような違和感を表現した歌。いわゆるニューウェーブ的な方法を、岡井が吸収した作ともいえる。難解な歌だが、美智子皇后が、ストレスのため一時的に失語症になったということがあり(1993年)、そのことを詠んでいるという説がある。岡井は、かつて左派的な作を作っていたのにも関わらず宮中歌会始選者に就任したために大きな批判を浴びた。この歌はそれに対する秘かな反撃だったのかもしれない。
大滝和子の作。「銀河を産んだように」という比喩のスケールがすごい。上の句の細部からの飛躍が見事なのである。非日常的な大きなものへ、という当時の若い世代の指向があらわれている。
加藤治郎の作。音喩という方法の、最も成功した例であろう。「ゑゑゑ」という響きのまがまがしさ、鶏肉との視覚的な重なり。湾岸戦争に対して傍観的でいるしかなかった日本人の苦しみが反映しているともいえるだろう。

平成7(1995)年 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 オウム真理教の幹部逮捕
 
日本(ニツポン)は不戦の国と我(わ)が言へばただ曖昧に白人ら笑む  渡辺幸一「霧降る国で」(角川短歌賞)
そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より  小池光『草の庭』
鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅  永井陽子『てまり唄』
おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に  伊藤一彦『海号の歌』
「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」  奥村晃作『都市空間』
ハンバーガー包むみたいに紙おむつ替えれば庭にこおろぎが鳴く  吉川宏志『青蟬』
 
渡辺幸一の作。ロンドンで金融業界で働く人の歌。湾岸戦争で、金は出すが多国籍軍に参加しない日本の姿勢に批判があった時期であった。それが差別にもつながっていく辛さをストレートに歌っている。
小池光の作。『草の庭』は、戦後的な懐かしい情景をくりかえし描き、失われゆくかつての暮らしへの哀惜がにじんでいる歌集だった。この歌も、子ども時代の記憶のような、不思議な懐かしさと怖さがある。
永井陽子の作。この年は、新しい時代に対する揺り戻しのような感覚が、どこかある。永井の歌も、何か懐かしさがあるのである。奈良公園の夕暮れを描いたこの歌の優しさを好む人もとても多い。
伊藤一彦の作。宮崎の地から、現代の流行とは異なる時間感覚で歌おうとする伊藤の営為は、この歌集が読売文学賞を受賞することで、広く認知されるようになる。自転車の名が「海号」というのがユニーク。
奥村晃作の作。ミツビシボールペンの歌など「ただごと歌」が有名だったが、穂村弘は、ロッカーを蹴るなという一点に集中するゆえに狂気が生み出されていることを指摘し、奥村の歌を別の角度から高く評価した。
吉川宏志の作。自作ですみません。この年、第一歌集出しました。「紙おむつ」が、一部の男性歌人には衝撃だったようで、なんでこんな小さなことを歌っているのだ、というような揶揄もあった。ただ、男性の育児の歌の嚆矢にはなっていると思う。

平成8年(1996)年 薬害エイズ問題
 
ミーティングルームの窓よりゆうだちは馬の香を曳き分け入ってくる  小守有里「素足のジュピター」(角川短歌賞)
死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦(れき)は秋にはじまる  小島ゆかり『ヘブライ暦』
廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  東直子『春原さんのリコーダー』
 
小守有里の作。都市生活の中で、自然や野性を感じる、希求する、という歌い方で、新鮮な印象を与えた。現在でもこの歌のようなタイプの作は多いのではないか。
小島ゆかりの作。この当時、米川千嘉子『一夏』、河野裕子『紅』など、「海外生活歌集」が何冊か出版され話題になった。この歌は「ヘブライ暦」という題材の珍しさ、情感の豊かさが印象的だった。
東直子の作。結句に突然あらわれる「来て」が、不思議で、かすかなエロティックさもある。不意に異質な声が入ってくる、という新しい口語の文体のはじまりとなった一首なのではないか。

平成9(1997)年 臓器移植法成立 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件) 山一証券自主廃業 京都議定書採択
 
野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて  斎藤史(宮中歌会始 お題「姿」)
夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで  前登志夫『青童子』
男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす  俵万智『チョコレート革命』
一茎の荒地野菊が一行の詩句とぞなりて瞳にそよぐかな  築地正子『みどりなりけり』
私ならふらない 首をつながれて尻尾を煙のように振る犬  江戸雪『百合オイル』
あんたホホしようむないことしようかいな格子は春の銀色しづく  池田はるみ『妣が国 大阪』
橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ  渡辺松男『寒気氾濫』
 
斎藤史の作。2・26事件で、幼なじみを処刑された斎藤史は昭和天皇を批判する歌も作っているが、この年、歌会始に招かれた。そんな場で、大らかで美しい歌を詠み、懐の深さ、凄さを見せた。
前登志夫の作。山や川に自分の身体が一体化してゆくような歌。ゆったりした調べが快い。このころ、佐佐木幸綱が「アニミズム」を提唱したが、それを最も体現している歌の一つだと思う。
俵万智の作。『サラダ記念日』以後、新しい方向性を生み出すのに苦しんでいた感があった俵であったが、不倫を感じさせる刺激的な恋の歌を打ち出していく。「優等生」的な印象を壊そうとする意図もあったようである。
築地正子の作。アニミズムの歌として、佐佐木幸綱がしばしば引用した歌。ただ私見だが、この歌は荒地野菊を詩句になぞらえる意図が、やや目立ちすぎているように思う。
江戸雪の作。社会の規範に束縛されたくない、という願いを歌い、強く生きようとする。この歌も「私ならふらない」というきっぱりとした断言がかっこいい。
池田はるみの作。大阪弁のやわらかなエロティシズムを歌に取り入れ、独自の世界を生み出している。
渡辺松男の作。これもアニミズム的な歌と言えるだろう。橋を生きているもののように捉えた上の句がとても印象的。こうした表現は、現在作られている短歌の基盤になりつつあるのではないか。

平成10(1998)年 長野冬季オリンピック

名を呼ばれ「はい」と答ふる学生のそれぞれの母語の梢が匂ふ  大口玲子「ナショナリズムの夕立」(角川短歌賞)
白鳥のねむれる沼を抱きながら夜もすがら濃くなりゆくウラン  岡井隆『ウランと白鳥』
ねばねばのバンドエイドをはがしたらしわしわのゆび じょうゆうさあん 加藤治郎『昏睡のパラダイス』
雨の日に電話かけくるな雨の日の電話は焚火のようにさびしい  永田和宏『饗庭』
たましひに着る服なくて醒めぎはに父は怯えぬ梅雨寒のいへ  米川千嘉子『たましひに着る服なくて』
 
大口玲子の作。日本語教師として、国際化する時代の一端を印象的に描いている。「はい」という発音にも、生徒たちの母語の匂いがする、という発想が鮮やかだし、「梢」という喩がとても巧い。
岡井隆の作。原発事故以前に、原発を正面から詠んだ連作として記憶に残る。ゆったりとしたリズムによって、白鳥とウランが併存する世界を、陰影深く描いている。
加藤治郎の作。身体的な不快感に引きつけながら、オウム事件の得体のしれなさを描いている。当時よくテレビに出ていたオウム広報部長の上祐史浩の名前を、音喩として使っている。
永田和宏の作。前衛短歌の影響を強く受けていた永田は、日常性や風土を重視して歌いはじめるようになる。『饗庭』はその結実として評価された。口語のやわらかなリズムの背後に、孤独感が漂う。
米川千嘉子の作。「たましひに着る服なくて」というフレーズが心に残る歌。怯えながら、寒がりながら死んでゆく父の悲しさ。父の弱さを見つめるまなざしに、独特のものがある。

平成11(1999)年 国旗国歌法成立 東海村臨界事故
 
鴨のゐる春の水際へ風にさへつまづく母をともなひて行く  春日井建『白雨』
吾亦紅(われもこう)じくっじくっと空間を焦がしていたり 戦争ははだか  渡辺松男『泡宇宙の蛙』
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ  竹山広『千日千夜』
 
春日井建の作。前衛短歌の中心であった春日井が、日常の風景を穏やかな明るさで描きはじめた歌集『白雨』には、批判的な意見もあったように思う。しかし、「風にさへつまづく母」という表現の哀切さは心に残る。
渡辺松男の作。前歌集よりもさらにシュールさが濃くなり、謎めいた魅力あるいは狂気をもつ歌を生み出しはじめる。「戦争ははだか」は奇抜なフレーズだが、妙に頭に残る。「じくっじくっ」という響きがやけに怖い。
竹山広の作。阪神淡路大震災を詠んだ歌だが、災害が起きるたびに思い出される歌となっていった。長崎の原爆で生き残った竹山の体験が、「天運」という言葉に、深い実感を与えている。
 
平成12(2000)年 三宅島噴火 沖縄でサミット開催

ねむる鳥その胃の中に溶けてゆく羽蟻もあらむ雷ひかる夜  高野公彦『水苑』
ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて  永田紅『日輪』
かへりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき  大松達知『フリカティブ』
校正しついに消しおり〈南京〉を虫の体液ほどのインクで  吉川宏志『夜光』
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな  大滝和子『人類のヴァイオリン』
 
高野公彦の作。『水苑』は詩歌文学賞、迢空賞をダブル受賞し、2000年を代表する一冊となった。鳥の胃の中の羽蟻、鳥を照らす雷。内側の中にさらに内側がある、生命世界が目に浮かぶように描かれた歌。
永田紅の作。下敷きの硬さという表現がとても新鮮。その言葉の確かさが、「ああ君が遠いよ」という嘆きをしっかり受け止めている。上の句に独語的な口語があり、下の句にリアルな情景がある構造は、若い歌人の間で「つぶやき実景」とも呼ばれたりもした。
大松達知の作。これまでの恋の歌は、逢っているときの高揚を詠んできた。しかしこの歌は逢ったあとのラーメンが楽しみだと歌う。恋さえも突出したことではなく平坦化していく。現代短歌のフラット化の典型といえる一首であろう。
吉川宏志の作。これも自作ですみません。現在も続いている歴史修正主義を、かなり早い時点で歌にしている。菱川善夫氏から、テーマとしては重要だが、消してしまっていいのか、という批判があったことも忘れがたい。
大滝和子の作。『短歌パラダイス』(1997年)の歌合で、「芽」という題で作られた一首。「釘の芽」という発想のおもしろさ、「神御衣」という比喩の美しさ。歌合という遊戯の中から生まれた宝石のような一首。

平成13(2001)年 小泉内閣成立 ニューヨーク同時多発テロ アフガニスタン空爆

眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)  佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」(角川短歌賞)
一分の黙禱はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ  竹山広『射禱』
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔  飯田有子『林檎貫通式』
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき  穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ  岩井謙一『光弾』
午後三時県境に雲影(エコー)あらはれて丹波太郎は今生まれたる  真中朋久『雨裂』
事故ありてニューヨークに原爆炸裂す不機嫌なる日のわが白昼夢  来嶋靖生「カタリカタリ」(短歌研究10月号)
 
佐藤弓生の作。かっこ付きで(わたしはここだ)と、別次元の声が入ってくる文体。東直子の歌などでも指摘したが、平成短歌で生まれてきた文体の一つであろう。上の句は、どこか童話のようで、光のイメージがとても美しい。
竹山広の作。原爆の追悼行事の形骸化を詠んだ歌といえようが、それ以上に、時間の不思議さを感じさせるところがある。竹山の社会に対して「深くうたがふ」姿勢は、現代の社会詠の指針となっていった。
飯田有子の作。「枝毛姉さん」とは誰? 内容の奇妙さ、「たすけて」が繰り返される歌のつくりなど、非常に斬新な一首。穂村弘が高く評価し、大きな話題になった。穂村は「酸欠世界」の中で、歌があえいでいるため、このような文体が生まれていると述べた。そして、小島ゆかりや吉川の歌は、酸欠状態の中で自分だけ酸素ボンベを使っているようなものだと批判されたのでありました。
穂村弘の作。「まみ」という女性に成り代わって作られた歌集の冒頭の一首。「ほんかくてきよ、ほんかくてき」の平仮名表記と結句の字足らずのリズムがとても魅力的で、少女の息づかいのようなものが確かに感じられる。
岩井謙一の作。広島、長崎に落とされた原爆の光が、今も宇宙を突き進んでいるのだ、という発想に驚かされる。科学的にも、それはありうるのだろう。結句は原民喜の詩の引用。
真中朋久の作。気象予報士という立場から、自然を科学的な視点でとらえた歌が新鮮だった。「丹波太郎」は雨雲の名前という。多様な職業の歌人が登場し、さまざまな視線から、社会や自然を詠んだ歌が生まれるようになったのも、平成時代の特徴だろう。真中と岩井の歌集は現代歌人協会賞を同時受賞している。
来嶋康生の作。9月11日にニューヨーク同時多発テロが起き、たまたまその直後にこの歌が発表されたため、予言した歌として少なからず話題になった。歌としてそれほど優れているとは言えないだろうが、詩歌はときどき時間を先取りすることがあるものである(信じたくない人は信じなくてよろしい)。
 
平成14(2002)年 日韓サッカーワールドカップ 小泉首相、北朝鮮に訪問 拉致被害者帰国

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき  大辻隆弘『デプス』
ビルの瓦礫を前にしおこるUSA、USAの連呼、なんぞ羨(とも)しき  岡井隆『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』
生死(いきしに)のけじめはないよなんとなく猫いて大き満月が出る  岡部桂一郎『一点鐘』
立ち直るために瓦礫を人は掘る 広島でも長崎でもニューヨークでも  三枝昂之『農鳥』
横顔を見せつつ橋をゆきちがう光の中の北山時雨  島田幸典『no news』
「大丈夫」と言つてしまつてから不意に雪より冷えて泣く我がゐる  大口玲子『東北』
 
大辻隆弘の作。ニューヨークのテロを詠んだ歌では最も話題になった一首であろう。「紐育空爆之図」は会田誠の絵画。アメリカへの空爆を、われら(日本人)はずっと待ち続けていたのだ、という反米意識の表明には、激しい批判も向けられた。トランプ政権の現在、なおも問題作であり続けているだろう。
岡井隆の作。岡井も最も強くテロに対して反応した歌人の一人である。「USAの連呼」に素朴なナショナリズムの高揚を見て、それを羨むような、微妙に韜晦するように詠んでいる。当時の日本では、ナショナリズムに対する禁忌意識がまだ強く、アメリカのように素直にナショナリズムを発露できないことへの苛立ちもあったのではないか。
岡部桂一郎の作。岡部も大ベテランの歌人だが、『一点鐘』の出版により、再評価が非常に進んでいった。岡部の歌は飄々としていて、伸びやかなリズムが魅力である。生と死を超越するような言葉に、私も大きな影響を受けた。
三枝昂之の作。悲しみの中でも、何か行動をすることで、人間は生きる意欲を取り戻すことができる。思索的だが、素朴なヒューマニズムに裏打ちされた歌で、普遍性がある。
島田幸典の作。「京都派」(と勝手に呼んでおく)の第一歌集。端正な文体で、風景を描写した作が多く、ニューウェーブ的な作風が増える中で、反時代的な風貌をもつ。現代歌人協会賞を受賞した。
大口玲子の作。自らの鬱病を正面から歌った連作に、すごい迫力があった。東北の風土の厳しさや美しさの中で、徐々に癒していく姿に、私は深い感銘を受けた。

平成15(2003)年 イラク戦争 個人情報保護法成立
 
崩れゆくビルの背後に秋晴れの青無地の空ひろがりてゐき  栗木京子『夏のうしろ』
芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし  小中英之『過客』
別に嫌な人ではないが演出の方針なればギラギラと撮る  矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』
「水菜買いにきた」
三時間高速をとばしてこのへやに
みずな
かいに。             今橋愛『O脚の脚』
 
栗木京子の作。栗木も9・11テロやイラク戦争を積極的に詠んだ歌人。テレビの映像を、短歌でクリアに表現するという試行がしばしば見られる。この歌では「青無地の空」に冴え冴えとした技巧がある。
小中英之は、現代短歌の流行からは離れた位置で、寡黙に繊細な歌を作り続けた。『過客』は遺歌集である。この世の中で、自分は「過客」なのであり、定まった居場所などないのだ、という孤独感が、晩年の歌にも漂っている。
矢部雅之は、テレビカメラマンで、報道の世界をリアルに描いている。また、アフガニスタンに撮影に行き、写真と短歌を組み合わせた形で歌集を出版。大きな話題となり、現代歌人協会賞を受賞している。
今橋愛のこの歌も、穂村弘が高く評価して、よく引用された歌である。水菜を買うために三時間高速をとばすという恋の激しさを詠んでいるが、あまり歌の意味は重要ではないのかもしれない。とぎれとぎれの文体の幼さや儚さに、従来の短歌とは異質なおもしろさがあり、注目されたのだろう。「水菜」が不思議に印象に残る。
 

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