ゴールデンウィークの初日は、出張の最後の日で、午前中に仕事から解放される。
東京駅である。
新幹線の指定席はほぼすべて満席状態。
疲れていたので迷ったのだが、以前から行きたかった秦野というところに行くことにする。
さすがに「こだま」の自由席は好いていていて、小田原まで行く。そこから、小田急で数十分。秦野の駅に着く。バスに乗り、「中庭」というところで降りる。明るい山里という感じの場所だ。
源実朝は、雪の降る鶴岡八幡宮で、甥の公暁に殺害された。
首は持ち去られ、行方不明になっていたのだが、ここ秦野で供養されていたという話があるのである。葉室麟の『実朝の首』という小説を最近読んで、行ってみたいと思っていたのだった。
これが「御首塚(みしるしづか)」と呼ばれる五輪塔。
近くには、歌碑があり、
ものいはぬ四方(よも)のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
という一首が、佐佐木信綱の筆によって刻まれている。
言葉をもたない世界の獣でさえ、親が子をいとおしむ心をもっている。じつに感動させられることよ、という意味の歌である。鎌倉の武士の世は、親と子が相争い殺し合うということが珍しくなかった。じっさい、実朝も、兄の頼家が、母方の北条氏によって殺されるという事件を経験している。「けだものすらだにも」という語の背後には、それに引きかえ我々人間は……、という嘆声がこもっていたのかもしれない。
実朝の歌を、もう少しだけ、ここに引き写しておきたい。
うばたまや闇のくらきに天雲のやへ雲かくれ雁ぞ鳴くなる
●上の句の、何度も言葉を重ねて闇の雲を描こうとする執念。闇の中で生きる意識が濃密に伝わってくる。
くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入るときの空にぞありける
●「まふり」は布を染料にひたして振って染める意味。鮮烈な赤が見えてくる歌で、中世の和歌の中では突出してまがまがしい強烈な印象を残す。
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
●この歌は、清冽で、若々しい身体性まで感じられる一首である。韻律がじつにいい。
萩の花くれぐれまでもありつるが月いでて見るになきがはかなさ
●塚本邦雄が絶賛した歌。〈不在感〉とでもいう感覚が伝わってくる一首で、夕闇のうつろな空間が、現在の我々の目にもたしかに感じられる歌だと思う。
神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは
●さまざまな解釈がある歌だが、神も仏も、結局は人の心のなかの存在にすぎない、と現代風に読んでみたい気にさせられる。この認識の静けさに、私はひんやりとしたものを感ずるのである。
首塚から少し歩くと、金剛寺という寺がある。実朝を供養してきた寺だという。
観光客が来るような寺ではないらしく、案内も何も書いていない。
お寺の玄関のブザーを押し、若いお坊さんに拝観をお願いする。
もうすぐ法事がはじまるそうだが、少しだけなら、ということで案内していただく。
ま新しい実朝の木像の横に、灰色の古びた像が置かれてあった。
正式に鑑定したことはないらしいが、鎌倉時代のものであるのだろう。
長い時間を経て、顔かたちもおぼろになっているが、どこか懐かしい感じがして、源実朝の像として、じつにふさわしい姿であるような感じがした。
京都から来た、というと、お坊さんはかなりびっくりされていたが、あまり訪ねてくる人もいないのだろうか。関心のある人はぜひ行ってみてください。
近くの野原の写真です。カラスムギ、これが「燕麦」(えんばく)らしいです。
秦野のことが書いてあったと教えてもらい、いまごろ拝見しました。
御首塚にいらしたのですね。
ほんとうに実朝の首だったのかは不明なんですが、波多野氏をたよって首をもって逃げてきた武、大津という武将の子孫がいまも住んでいます。タケメガネなんていうお店がありますし、大津さんという友人もいます。
秦野は前田夕暮の出身地です。次回は秦野図書館の夕暮記念室にもぜひお運びください。