日曜日の朝、カングーを飛ばして
足利へ行きました。
いつか泊まりに行きたい巌華園と
日本最古の学校
足利学校を見たかったのです。
●足利学校徳入門
足利といえば足利尊氏の名が浮かびますが、
足利に着いたら、
日本最古の学校 国指定史跡
足利学校
目指せ!世界遺産!
コピーが目に付きました。
●孔子廟
●断崖絶壁に囲まれた行動山
やはり足利を「歩かなきゃ」と、
足利学校の遺跡図書館で行動山を知りました。
行きたかった巌華園は、行動山の道筋にあるそうです。
”断崖絶壁に囲まれた山中にあり、関東の高野山とも呼ばれていた”と。
山号は行動山。寺号は浄因寺。
和銅7年(714) 行基上人の開創と伝えられている名刹です。
●彼方の断崖の巨石上に見えるのは清心亭。
●行動山公園案内板
昭和50年栃木県名勝第1号に指定されたのですが、以来35年。
いつの頃からか、関東高野の面影はなく。
葛飾北斎の描いた清心亭の「足利行動の架け橋」も
今では危険通行不能です。
車止めから250mの急な階段が続き、
浄因寺山門は午後4時に閉まります。
後は猛犬3匹放し飼い。
寺も物騒な時代になりました。
宗派も真言宗から臨済宗に替わっていました。
日曜日に強羅公園まで
花見に行って来ました。
もちろん、カミサン孝行です。

もう、40年も前に
強羅公園のすぐ近くに
住んでいたことがあります。

その頃は、入園料は無料でした。
ベンチに座って大文字山(明星が嶽)を観ると
家の窓から眺めたのと同じ景色が望めます。
今年はあわただしくて、のんびり桜を眺める機会がなかったので
思い立って遅い花見に誘ったのです。


●玉村豊男のライフアートミュージアムで
カミサンの大好きなアクアバッツアテラスで
大きなピザを食べて、
玉村豊男さんのライフアートミュウージアムで
レストランの空席待ちの間、
あこがれの大きな木卓に坐って
エッセイを読みました。
こんな木卓を作りたいのです。
http://www.tamamura-museum.co.jp/
花見に行って来ました。
もちろん、カミサン孝行です。

もう、40年も前に
強羅公園のすぐ近くに
住んでいたことがあります。

その頃は、入園料は無料でした。
ベンチに座って大文字山(明星が嶽)を観ると
家の窓から眺めたのと同じ景色が望めます。
今年はあわただしくて、のんびり桜を眺める機会がなかったので
思い立って遅い花見に誘ったのです。


●玉村豊男のライフアートミュージアムで
カミサンの大好きなアクアバッツアテラスで
大きなピザを食べて、
玉村豊男さんのライフアートミュウージアムで
レストランの空席待ちの間、
あこがれの大きな木卓に坐って
エッセイを読みました。
こんな木卓を作りたいのです。
http://www.tamamura-museum.co.jp/
●洲崎灯台からの富士「今から70年ほど前。南房総館山、西岬海岸に、
2600坪もの広大な松林に囲まれた一軒の瀟洒な別邸がありました。
その別邸の主は、現鳩山首相の祖父、鳩山一郎元首相でした。
その後、氏は別邸跡地を地元館山市に寄贈。県内初の国民宿舎が
この地に開設されました。以来、大規模な改築工事を経て、
約40年間、国民宿舎鳩山荘として親しまれてきました。」
(松庵パンフより一部引用)
別荘が、どういう経緯で館山市に寄付されたのかは存じませんが、
私が新婚旅行の宿に鳩山荘を選んだ時には、国民宿舎でした。
結婚披露宴は帝国ホテル。
新婚旅行は、ハワイか宮崎日南海岸。
が夢だった新婦にとって、
国民宿舎鳩山荘では、夢も希望もない選択だったと思います。
なにしろ当時の私は両親はすでに他界。
勤め先は、結婚が決まった直後に計画倒産・失業。
手持ちの金は、退職金一ヶ月分。
式場と披露宴だけは、
恩師と朝比奈宋源老師の好意で
鎌倉・円覚寺で挙行出来、仲間たちの肝煎りで
新婚旅行の費用も賄えたくらいです。
近場で格安の国民宿舎が身分相応でした。
その鳩山荘が、民営化復活して、
現在、鳩山荘松庵として生まれ変わっていました。
洲崎灯台に行く途中で、この生まれ変わった鳩山荘を見つけたのです。
●鳩山荘松庵前にて
●洲の崎灯台にて
久しぶりに牛の散歩に出かけました。
ボク的にはヨウ君たちと
親子遠足に行きたかったんだ。
でも、大腸管再検査が6日にあって、
まだ結果は13日の金曜日までお預け。
バスに乗って遠足なんて気力がなかった。
それでも歩かねば。
牛の散歩もさせなきゃね
「アド街でPRしてた銀座界隈のテナントショップへ行こう」
「地方物産を買いに行くのもいいわね」
「ランチは、三笠会館でいいかな?」
「・・・・?」

●銀座熊本館
「熊本県のテナントショップなら、知ってるよね?」
「長津田から田園都市線で表参道乗換で地下鉄浅草行き銀座までね」
「1時間半で着く。ランチに間に合うぞ」
「車で駅まで?」
「バス停まで歩きだ。大丈夫かい?」
「大丈夫」
「銀座でランチだ。ビールが飲める」
行きは予定より10分早く着いた。
まっすぐ地下鉄銀座駅から銀座5丁目並木通りの三笠会館へ。
創業大正4年、三笠はボクにとって懐かしい老舗だ。
ボクが毎週火曜日に通ってた頃は、
一階は喫茶店だった。
火曜会は、詩人の長田恒雄さんが主催していたのだと思う。
昭和30年代の古き良き時代の想い出。
「ランチタイムに間に合ったね」
「一階はイタリアンバール ラヴィオラだって」
「昼はカフェ、夜は立ち飲みも出来るワインバールって書いてある」
「昔ながらのハンバーク。いいわね。さすが三笠だわ」
牛さんはご機嫌だった。ここまでは・・。
三笠会館1階で、ハンバーグランチ1800円なり。
を食べた。
「このスープもいいわね。サラダも」
「銀座だからね。有機栽培 産地直送さ」
「食後のカプチーノも見事だ」
生ビールもランチ特価で500円というのがいい。
通り一つ越えて外堀通りに銀座熊本館がある。
ここで有楽町・銀座周辺マップを手に入れる。
もちろん、銀座周辺のアンテナショップ案内図。
「阿蘇の青高菜と柚子胡椒ふりかけ。有明海の焼き海苔も」
「黒ごまあめと、いきなりだんごも買っちゃった」
晴海通りを日比谷方面に向かう。
数寄屋橋公園を抜けてJRのガードをくぐれば、
表通りに『かごしま遊楽館』だ。
焼酎は重いから、鰹節と水菜と霧島茶を買う。
「日比谷公園のベンチで、熊本館で買ったお団子を食べよう」
鹿児島のテナントショップかごしま遊楽館を左手に出ると、
裏の広場でラーメン屋のお祭りみたいだ。
「うへ、こんなところにゴジラが?」

広場を抜けると、すぐ向こうは右手に皇居の日比谷堀。
左側が日比谷公園。
日比谷公園角の交番前に、冬さくらが満開だった。

●地下駐車場入口前で満開の冬さくら
ボク的にはヨウ君たちと
親子遠足に行きたかったんだ。
でも、大腸管再検査が6日にあって、
まだ結果は13日の金曜日までお預け。
バスに乗って遠足なんて気力がなかった。
それでも歩かねば。
牛の散歩もさせなきゃね

「アド街でPRしてた銀座界隈のテナントショップへ行こう」
「地方物産を買いに行くのもいいわね」
「ランチは、三笠会館でいいかな?」
「・・・・?」

●銀座熊本館
「熊本県のテナントショップなら、知ってるよね?」
「長津田から田園都市線で表参道乗換で地下鉄浅草行き銀座までね」
「1時間半で着く。ランチに間に合うぞ」
「車で駅まで?」
「バス停まで歩きだ。大丈夫かい?」
「大丈夫」
「銀座でランチだ。ビールが飲める」
行きは予定より10分早く着いた。
まっすぐ地下鉄銀座駅から銀座5丁目並木通りの三笠会館へ。
創業大正4年、三笠はボクにとって懐かしい老舗だ。
ボクが毎週火曜日に通ってた頃は、
一階は喫茶店だった。
火曜会は、詩人の長田恒雄さんが主催していたのだと思う。
昭和30年代の古き良き時代の想い出。
「ランチタイムに間に合ったね」
「一階はイタリアンバール ラヴィオラだって」
「昼はカフェ、夜は立ち飲みも出来るワインバールって書いてある」
「昔ながらのハンバーク。いいわね。さすが三笠だわ」
牛さんはご機嫌だった。ここまでは・・。
三笠会館1階で、ハンバーグランチ1800円なり。
を食べた。
「このスープもいいわね。サラダも」
「銀座だからね。有機栽培 産地直送さ」
「食後のカプチーノも見事だ」
生ビールもランチ特価で500円というのがいい。
通り一つ越えて外堀通りに銀座熊本館がある。
ここで有楽町・銀座周辺マップを手に入れる。
もちろん、銀座周辺のアンテナショップ案内図。
「阿蘇の青高菜と柚子胡椒ふりかけ。有明海の焼き海苔も」
「黒ごまあめと、いきなりだんごも買っちゃった」
晴海通りを日比谷方面に向かう。
数寄屋橋公園を抜けてJRのガードをくぐれば、
表通りに『かごしま遊楽館』だ。
焼酎は重いから、鰹節と水菜と霧島茶を買う。
「日比谷公園のベンチで、熊本館で買ったお団子を食べよう」
鹿児島のテナントショップかごしま遊楽館を左手に出ると、
裏の広場でラーメン屋のお祭りみたいだ。
「うへ、こんなところにゴジラが?」

広場を抜けると、すぐ向こうは右手に皇居の日比谷堀。
左側が日比谷公園。
日比谷公園角の交番前に、冬さくらが満開だった。

●地下駐車場入口前で満開の冬さくら

昭和30年代の日比谷公会堂で東京仏教諸団体連合主催の
毎年4月8日に盛大に花祭りが行われた。
スポンサーは博善社(中山理理社長)。
昭和60年の春、全日本仏教青年会が裏方を引き受けて
ボクも公会堂内を飛びまっわった記憶がある。
まだ学生だったボクは、
たまたま日比谷公会堂のエントランスホールに居て、
「誰か居ませんか?首相夫人がお見えです」
「はーい。ただいま」
確か、佐藤栄作総理の夫人といえば、
寛子さんだ。
和服姿の首相夫人が、spも連れずにエントランスを歩いていた。
「よくいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
ボクは、間近に見る首相夫人に、こちんこちんになって
挨拶した。
会は、すでに開会してたのだと思う。
エントランスにも舞台裏へと続く通路に人影はない。
「仏教青年会の方ですね。ご苦労様です」
何も話せなかった。
まだ純情だったのだ。
寛子夫人を一人で先導したというだけで舞い上がっていたのだ。
たったそれだけだ。
寛子夫人は、当時、全日本仏教婦人会会長だったと記憶している。
日比谷公園の噴水の見えるベンチに座って、
ボクと牛さんは、熊本館で買った
おもいっきり団子を食べた。

公園のあちこちにバラが咲いていた。

若い二人のデートにはこちらの方がいい。
ホントは、ボクも?

日比谷公園から斜め北東方向に有楽町駅に向かい。
有楽町駅ガード下をくぐると正面にマルイがある。
左側に交通会館。
「こんなところにマルイがあったんだ。まだ新しいビルね」
「交通会館は、まだ健在だったんだ」
ここの1階に北海道と、秋田県のアンテナショップがある。
地階に、和歌山県と、富山県のアンテナショップ。
北海道どさんこプラザで、大正金時・白花豆・虎豆を買う。
秋田ふるさと館で、奥州いぶり(大根)を。
わかやま喜集館で、小梅かわしまと紀州柿二個。
いきいき富山館では、黒作りと、蕪すしを。

●富山名物かぶら鮓
「白エビとます寿司が買いたかったんだけど?」
「ます寿司は午前中で売り切れだってさ」
「まだ沖縄と岩手が残ってるんだ。控えて控えて」

●富山名物いかの黒作り(写真借用)
交通会館八重洲側に出て外堀通りの斜向かいに
銀座わしたショップがある。
沖縄県のアンテナショップだ。
いつの間にか銀座は夜。
この先は銀座1丁目。
柳通りだ。新しく植えられた若い柳の並木が続いている。
タコライス(沖縄ハム)、黒糖しょうがパウダー。
生海ぶどう、うす塩スパム、生姜、黄人参。
「大丈夫?そんなに買い込んで」
「ちょっぴりずつだから」
「これから歌舞伎座の向かいまで歩ける?」
「足じゃなくて、腿の付け根が痛むの?」
それぞれのアンテナショップで買った名物のビニール袋が、
いつの間にか10袋は超えていた。
「デパートだったら大きな紙袋に入れてくれるだろうけどね」
「トートバックを持ってくるべきだったね」
柳通を少し歩くと、銀座の柳碑の辺りに、
案内図になかった山形館があった。
通りの地下に東京メトロが走っている。
おいしい山形ぷらざ2階には、
「レストランがあるのね」
「ヤマガタサンダンデロだって、イタリアンだ。寄る?」
山形県は、この夏に旅行したばかりなので、
あつみ蕪と、晩菊と、菌床しいたけだけ買って、
先を急ぐ。
日曜日の夜の銀座は、人通りがまばらだ。
昭和通り手前で右に折れて、マロニエ通り、松屋通り、
晴海通りで昭和通りの交差点を斜めに横断する。
左手に歌舞伎座。
「歌舞伎座、まだ工事が始まってなかったのね」
「もう、少しで終着点だ。がんばって」
歌舞伎座のホントウに向かい側に、いわて銀座プラザがあった。
岩手県も、目下、街道歩きで歩いている県だ。
ぐるりと店内を歩いただけで、
目の前にある東銀座駅の階段を下りる。
「ああ疲れた」

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「カングー使ってもいいでしょ?」
「イケアへパソコンデスクを買いに行くんですって」
「いいよ。もう出るの」
「道が混むから早く出たいんですって」
「じゃあ、ボクは、箱根へでも行くかな?」
ゆっくりと朝刊を読み。
一人で朝食を取り。
洗濯物をデッキに出す。
文化の日だ。
秋晴れだった。
気温11℃。
風が冷たかった。
寒さに震えながら
高原を歩く気力はなかった。
三日後に再検査を控えていた。
こういう時は、歩きなれた街がいい。
取りあえず日本橋へ行くか。
全ての街道は日本橋から始まる。
ボクにとっての原点だ。
二階から長男が下りてきた。
「出かけるのかい?」
「ちょっと」
「駅まで乗せてくれるか?」
「いいよ。橋本駅でいい?」
「うん。ところで大きな本屋って八重洲口だっけ?」
「新宿の三越にもあるよ」
「そうか、新宿の方が近いね」
すでに正午。
京王線快速新宿行きで調布乗換新宿へ。
車中で”9割の病気は自分で治せる”を読む。

”高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満症、痛風、便秘症、頭痛、腰痛症、
不眠症、自律神経失調症などを総称して「喜劇の病気」と呼ばれています。
理由は簡単です。
それらの疾患は悲劇のヒロインの病気には絶対になり得ないからです。「セカチュー」のヒロイン、亜紀の病気が、白血病ではなく”メタボリックシンドローム”であったとしたら、あれほど話題にならなかったでしょう。・・・”
・・・私の周りではこの「喜劇の病気」と「悲劇の病気」を明確に区別しています。・・・「喜劇の病気は」原則として自らの力で治すことが出来ますし、仮に医者の力が必要な場合でも、ほんのわずかなアドバイスで事足ります。・・・
日本には「おいしい患者」が実に多くいます。・・「おいしい患者」とは、言うまでもなく、医者にとって非常にありがたい患者さんだということです。・・・
文句も言わずに定期的に通院してくれること。・・・
黙って薬を飲み続け、検査を受け続けてくれます。・・・
命にかかわることもなく、さりとて完全に治らないことが、重宝するのです。・
・・・・・・。”

ボクの読書は、たいていが電車・列車内である。そして、書店での立ち読み。新宿駅東口から三越新宿店に入る。6,7,8階にジュンク堂書店がある。
確かに広いスペースにぎっしり書物が詰まっているという感じだった。書棚の脇にベンチもある。立ち読み、いや座り読み自由の書店だ。午後1時過ぎから午後3時まで高価な本を片端から坐り読みをする。
読み疲れて宿の街に出る。
空腹をアカシアで満たす。
アカシア定番のロールキャベツ中1個とライス。締めて700円也。
少し歩く。
自然と歌舞伎町に足が向く。
日暮れ前だから、ポン引きの姿もない。
コマ劇場はすでに閉館。
円形舞台が独楽(コマ)の回る姿に似ている事から付けたという。
ここで親友のポンちゃんがアルバイトで照明係をしていたので、
時々楽屋口から入ったことがある。
愛飲の”人参ジュース”は、ポンちゃんに連れて行ってもらったコマ劇場裏のスタンドバーのマスターに習ったものだ。
「団長、人参ジュースはぜったい身体にいいですから飲んで下さいよ」
ポンちゃんは、ボクのことを”団長”と読んでいた。
そのポンちゃんは、もういない。
50年以上も前の話だから、スタンドバーもない。

歌舞伎町から西武新宿駅前を抜けて、花園神社を通る。
そういえば、この辺に”クラブ踊り子”があった。
伊豆の踊子の踊り子だ。
踊り子のマダムは、あの小説家、川端康成から五十万円の帯をもらったという話を聞いたことがある。伊豆の踊子のモデルは彼女だったのだろうか?
まさか?
新宿には想い出が詰まっている。
1時間半、新宿の街を歩いて帰る。
万歩計8,309歩。


足の故障で当分の間お休み。
メタボ予防に歩くのがよいのだが?
一人寂しく伊勢原駅へ向かう。
「歩く旅シリーズ街道古道を歩く」
”歩いてみたい懐かしい道”
「大山道【道灌の道】を独行する。
太田道灌がこんなところで誕生したとは
知らなかった。
小田急線伊勢原駅前から神奈中バスで大山ケーブル行きに乗る。
13分で石倉橋下車。
ここから北へ裏道、大山古道を伊勢原駅へと
太田道灌の遺跡を巡って戻るのだ。
道灌は江戸城を創ったことで知られている。
”七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき”
の故事は余りにも有名だ。

●謀殺された道灌を守って殉じた七人の家臣の墓所
道灌は、主君扇谷上杉定正の屋敷に招かれて、
風呂場を出たところで殺されたという。
25歳で旧江戸城を、川越や岩槻城も築城したというから
その才能を恐れられたのかも?

旧道をしばらく戻ると右手に山王社上柏屋神社がある。
このお宮の奥に上杉定正の屋敷があった。
お宮を横切りすぐ先右側に七人塚。
三百メートルも歩くと洞昌院の入口左手、

●薄暗い木立の中に道灌の胴塚がある。

●市米橋脇の咳止め地蔵尊
大山阿夫利神社二の鳥居を迂回して下り、
東名高速の下を抜けると、
右手に北条早雲が道灌の霊を祭ったという五霊神社。

●五霊神社
大山道をしばらく歩くと県立伊勢原高校入口に突き当たる。
高校の崖下を迂回して左折、
正門前の裏通りを下ると耕雲寺前を少し下ると
広い通りに出る。
市米橋交差点だ。
道路の向かい側に渋田川。
橋の左手に咳止め地蔵尊の小屋がある。
渋田川沿いに東海大学医学部付属病院の下を
抜けてルート246を越える。
その先左手に高部屋神社の森。
その先の交差点を右折。
渋田川、道灌橋を渡ると左手に
太田道灌の菩提寺、大慈寺。
渋田川の右手に首塚がある。

●太田道灌墓所(首塚)
胴塚の周囲には供養に植えられたという古い松の切り株が、
残るが、陰気で裏寂しいいかぎりだった.
ここ、首塚は明るい小公園。
傍らを流れる渋田川の土手に桜並木が続く。
流れには大きく育った鯉が泳いでいた。
ここから南西に半時間弱で伊勢原駅である。

蔵の町栃木の例幣使街道を歩く。

●例幣使街道
アドガイ効果で、土地っ子が魂消るほどの人出だった。
乗り放題一日200円也の
市営 「のらっせ号」は、満員だ。
東回り西回りで
一台のマイクロバスでは足りるわけがない。
一人きりのシルバー運転手さんが
ガイドと車掌兼ではクタクタ。
午後から助っ人を一人呼んだんだんだって。
「混んでてごめんなさいね」
運転手さんが可哀想

『ALWAyS かまや』もアドガイ効果で満員。
四十分待ち。

シェフもてんてこ舞い。
うなぎのミルフィーユも骨っぽかった。

巴波川(うずまがわ)の女船頭さんも
歌うどころジャなさそうだ。

独り元気なのが、
日本一美味な黒蜜寒天を商う喫茶店巴波の女将
三宅島産天草を早朝四時からぐつぐつ煮て
毎日、寒天を造っているそうだ。
凄いね
御年70歳だって。
六つ違いの兄さんとツーショット
栃木名物 馬鈴薯入り焼きそばは売り切れだった。

●例幣使街道
アドガイ効果で、土地っ子が魂消るほどの人出だった。
乗り放題一日200円也の
市営 「のらっせ号」は、満員だ。
東回り西回りで
一台のマイクロバスでは足りるわけがない。
一人きりのシルバー運転手さんが
ガイドと車掌兼ではクタクタ。
午後から助っ人を一人呼んだんだんだって。
「混んでてごめんなさいね」
運転手さんが可哀想


『ALWAyS かまや』もアドガイ効果で満員。
四十分待ち。


シェフもてんてこ舞い。
うなぎのミルフィーユも骨っぽかった。

巴波川(うずまがわ)の女船頭さんも
歌うどころジャなさそうだ。

独り元気なのが、
日本一美味な黒蜜寒天を商う喫茶店巴波の女将

三宅島産天草を早朝四時からぐつぐつ煮て
毎日、寒天を造っているそうだ。
凄いね
御年70歳だって。
六つ違いの兄さんとツーショット

栃木名物 馬鈴薯入り焼きそばは売り切れだった。



『鼠小僧次郎吉』の墓と、


猫に小判の『猫の墓』にお参りして来ました。
もちろん、そこで、面白い話を仕入れて来ました。
取材散歩ですからね。

詳しい話は、また明日。


緑を求めて東京散歩へ
邪宗門へ行ってきました。
邪宗門って、ご存じですか?
かの若くして自死した芥川龍之介の名作”邪宗門”?
はたまた、北原白秋の奇怪なバテレンの長編詩”邪宗門”?
秀吉・家康に逆らった邪宗の宗徒”日蓮宗不受不施派”?
もしかしてオカルトバージョンの居酒屋?
どれも不正解!

森鴎外の愛娘、女流作家森茉莉のこよなく愛したというカフェ。
今はやりの昭和30年代は夕陽が丘スタイルが似合う洒落た喫茶店です。

写真は作道明店主。
45歳の若さで急逝した初代引田天功の愛弟子です。
我が輩の親友、故中島政良ことポンちゃんも、
初代天功の弟子と自慢してました。
ポンちゃんからリングやカードマジックを学んだ我が輩は、
初代天功の孫弟子と自慢できるかもしれない。
もちろん、技はハチャメチャ不肖の孫弟子ですが?
下北沢で買った”るるぶ世田谷編”で、
このカフェの記事を見つけて、
喧噪の下北の迷路を抜けて
歩きに歩いて、
わざわざこの店に向かったのです。
わかりますか?
この心境?
カフェ邪宗門のお勧めは、
珈琲餡蜜(餡蜜に珈琲を注いで食す)です。
店にたどり着くまでに小一時間は下北界隈をうろついたので
特性珈琲あんみつが目の前デンと置かれたとき

がつがつと食べたので写真を撮れなかったのです。
代わりに昭和のマジシャン氏とツーショット!
ぜひ、本多劇場の帰りにでもお出かけください。
気が向くと本物のマジックが観られますよ。
おばちゃんたちにお勧めは、カフェ邪宗門の奥に
”美空ひばりの部屋”があることです。
それこそ”ひばりフアン”必見の部屋です。

文学老年には、北沢川文化遺産保存会推薦の
”北沢川文学の小道”を歩こうがお勧めです。
カフェ邪宗門のルーツはオーナーの本家が柳川にあるそうです。
すなわち、柳川といえば北原白秋ゆかりの地。

昨夜の通夜は雨だった。
今朝は午前9時から葬儀。
「私はね、60歳過ぎたら年賀状も葬式も結婚式も
冠婚葬祭すべて遠慮すると決めたんだよ」
恩師の後藤先生の話を、
ボクも見習おうと決めていた。
そうは思っても、世間の義理をすべて絶つと言うことは
なかなか覚悟がいるものだ。
その通夜と葬儀に出席した。
故人が89歳の天寿を全うしたということなので、
逆縁よりまだ辛くはない。
そんな日の午後、森林浴に出かけることにした。
例によって牛の散歩。
行き先は高尾駅からほど近い多摩森林科学園。
今が見頃の八重桜を観に。
森林科学園には1966年に農林省の桜対策事業の一環として
江戸時代から伝わる日本全国の多くの桜が集められている。
名木や接ぎ木クローンなど寒桜、彼岸桜、山桜、染井吉野、大島桜。

通常は入場料大人300円、子ども50円だが、
4月に限り400円、子ども150円也。
「高齢者割引はないんだ!」
「独立行政法人・森林総合研究所になったから、懐も厳しいんだね」
「そうかも?」
そんな声が入場口で聞こえた。
園内は、以前来たときより整備されていた。
桜の時期だけだろうか?
遊歩道はすべて一方通行になっていた。
大島桜や染井吉野の咲く頃は、花見客で行列ができるのだろうか?
「一日、1万に入れば400万か?」
誰だ?そんなさもしい計算をしてる奴は?
風に鳴る木々の音が、心地よかった。
暑いくらいの午後だったが、木漏れ日も爽やかな気持ちにさせてくれた。
正味1時間強の散歩だったが、気分は上々。
折り詰めでも持参して、再訪したい。


河津桜を観に行きました。
例によって”牛の散歩”?
伊豆急河津駅から河津川の土手に
緋寒桜と早咲き大島桜の自然交配種の
早咲き桜が植えられています。
河津桜は、1月上旬にはつぼみが膨らみ2月上旬から3月上旬まで
凡そ一ヶ月の間花見が出来ると言われています。
今年は雪が降って寒いせいか、
さすがの早咲き桜もメインルートは、
蕾は硬くちらほら咲きでした。
木宮橋を渡り峯温泉側の
土手道を歩くと、目白が桜花の蜜を吸いに、
幾羽も集まっていました。
沢田の涅槃堂に着いたのは、
午後一時を少し過ぎた頃でした。
このお堂は、牛さんが祖母と二人で
戦火を避けて数ヶ月寝泊まりした想い出のお堂です。
その頃、ボクは吉野川の畔に疎開して
素潜りで寝鯉を追っていました。

六十数年ぶりの寝釈迦さまとのご対面です。
涅槃堂は無住のお堂です。
沢田ので寛永年間から現在まで
よくぞ護持したと思います。
当番の若い衆?が
拝観料200円を集めて
釈迦一代記絵の解説をしていました。
涅槃会は、四日後の15日に毎年開催するそうです。

河津川畔を下って、
荒波が寄せる河津浜海岸を見下ろす
断崖上の旧道を抜けて、今井浜に出ました。
今井浜の海では何人かのサーフィンボーダーが
波と遊んでいました。
今井浜東急ホテルを回り込んで、
今井浜海岸駅の先の町営温泉
サンシップ今井浜で海を見ながら
露天風呂で今日の散歩の汗を流しました。
たっぷり一時間弱、温泉に浸かって波をながめていました。

今井浜海岸駅で伊豆急に乗ったのは午後4時23分です。
熱海から小田原で小田急ロマンスカーに乗り換えて、
町田モディのア、ラ、カンパーニュでディナー。
牛の散歩の歩行成績、合計23,831歩。
牛さんの腰と脚の痛みは、
露天風呂とディナーで消えたそうです。

ボクの右眼の内出血も鏡を見たら
半分以上消えていました。
仕事の悩みも?


明日の日曜日は東京も雪になるそうです。
それじゃあということで、
しばらくは奥州街道はご遠慮することにして、
暖かい湘南に出かけました。
そうです。歩かないとストレスが溜まるし。
青鬼の健脚も老化?
牛さんも肥えすぎるしね?


小田急町田から快速で江ノ島駅まで行って、
江ノ島海岸を小動(こゆるぎ)岬へ。
小動神社でぱちぱちと。
岬の東から波打ち際を、
稲村ヶ崎へと歩きました。
そうです。
かの有名な”七里ヶ浜”。
湘南の午後。
寒さに震える奥州からみれば、
湘南の海は春でした。
いいですねえ。
リード無しの小さなブルドックと
浜辺を散歩する湘南の若奥様?
どうみてもモデルとは思えない女性を
午後の海をバックに
パチパチパチとシャッター音を
響かせて撮影してる三人の男たち?
今日の七里ヶ浜は浪も静かでした。
稲村ヶ崎で新田義貞徒渉記念の
明治天皇御製の歌碑を見てから、
”新田義貞が鎌倉攻めの折に
黄金拵えの太刀を海に投じて
潮を引かせ、
岬の海側から
鎌倉を奇襲して以来、
スムーズに岬の海側を通ることができる”
とガイドブックに書いてあったので、
岬の向こうへと思ったのですが?
現在は浪に浸食されて通行不能。
がっくりして、かの有名なボート遭難の歌
「真白き富士の峯、緑の江ノ島・・・」
の碑もパスして
山側の切り通し(自動車道路)を
排気ガスを浴びながら岬の東側へ抜けました。
稲村ヶ崎西側からは
海側に自然歩道が由比ヶ浜まで続いています。
岬波打ち際の道は錆びて朽ち果てた
鉄の階段が残るだけ?
遙か向こうに逗子マリーナのマンション群が見える。
由比ヶ浜海浜公園の先で左に折れ、
長谷駅脇のハワイアンカフェで小休止。
江ノ電で藤沢駅まで戻る。
江ノ電は土曜日というのに?
土曜日だからでしょうか?
やけに混んでいました。
本日の散歩、16,078歩。
牛の散歩には丁度良い距離でした。

【七里ヶ浜から稲村ヶ崎を望む】


【小動神社】