青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

大鳥屋

2007年07月31日 12時50分38秒 | 日記

お久しぶり!労働基準局へ給与規定変更届を届けに行った。
市役所にカングーを置いて行き帰りに大鳥屋の前を通る。
帰りはちょうど昼ご飯時だった。お久しぶり!
カウンターの中からおやじさんの声が掛かる。
定食一つ!
おそばで。
此処のランチは夜遅く迄同額だ。
うどんかそばに、かやくご飯。
今日のおかずは、小鯵のから揚げ四尾。
小鉢は水雲と萌やしの酢の物。
香ものは胡瓜と大根だった。
これで八百十九円也。
食後にアイスコーヒーが出た。
インテリアは全ておやじさんの手づくり。
和風アンチックで、ホッとする。
創業大正九年。
BGM迄、昭和初期のカフェの匂いがした。
市役所近くウエルネスの先?
「お兄さん、クルマ入れてくれる!」
賑やかなタイランドか、インドシナの三人連れの女性が入って来た。
さて、1時50分。腰を上げることにしょう。


書類・書類・書類?

2007年07月31日 03時00分09秒 | 日記

梅雨明けまでは、雨の日は洗濯代が半額というクリーニング店があります。
相模原駅近くの行きつけの店?
昨夜も、今朝も相模原は豪雨でした。
もちろん、洗濯屋さんに行きました。
カングーからお店までで、ずぶ濡れ?
ボクの身体は、雨でクリーニングです。
保育園までの上九沢の道は、川みたいに雨が溢れていました。
そんな川の道を飛ばして走る車があります。
今度はカングーが泥水を浴びます。
自転車や歩行者がいたら大変です。
総合高校の先生が、心配して実習に来ている生徒を見に来ました。
選挙が明けて、”危ない閣はどうするんだろう?”と、
テレビはうるさい限りです。
ボクは、書類に追われて選挙の野次馬になる暇もない。
ブログどころじゃない。監査が終わったのに当分は新設園の書類に追われます。
歩きに行きたいなあ!
行けるかな?
書類・書類・書類?
誰か、手伝ってくださいませんか?

 

 


参議院選挙

2007年07月29日 23時10分08秒 | 日記
午後5時前だった。投票所に行った時は、まだ雨が降り出していなかった。
投票所の中は、いつもより人が多い気がした。
道ですれ違う人も多い。
貼り紙の投票率合計は、まだ37.4%だった。
でも、この分だと45%は超える。
与野党逆転になるだろう。
南大沢のアウトレットにあるスーパーに食料品を買いに行き。
帰る頃には雨が降り出した。
雨の夜道に投票に行く人は少ないだろう。
投票率は下がるかなと思ったが、夕方から雨になることは、僕も知っていた。
夜更け迄、日本中がテレビに釘付けだ。
今夜は日本が、分かれ道に立つ日になるかもしれない。

木更津にて

2007年07月20日 19時17分07秒 | 日記

「食事も出来ない状態なんです!」
秀子から、そんな電話があったんだ。
「担当医が、親しい方がいたらお呼びした方がいいでしょうと?」
親族招集の連絡から三日め。
東京湾海底トンネル・アクアライン経由のバスで木更津駅に着いた。
木更津病院?
長兄の入院先は木更津病院という話だった。
なんか可笑しい?
駅前にあった行き先表示は、君津中央病院行きとある?
バス案内所で尋ねる。
「木更津病院というのは確かにありますが、JRでひと駅先です。でも、君津中央病院の間違いじゃないですか?」
電話を掛けて来た末弟に確認の電話をする。
やはり、君津中央病院だった。
「地元の人は木更津中央病院って言うんだよ!」
バス案内所の係員は笑っていた。
待てよ?
末弟は病院じゃないのか?
君津中央病院は木更津と君津の間の丘の上にあった。
大規模な君津市と木更津市と周辺町村の建てた総合病院だ。
玄関脇のカウンターで尋ねる。
「六階東病棟617号室です。突き当たり左手にエレベーターがあります。
六階にナースステーションのカウンターがありますから、そこで訊いてください」
617号室にたどり着く迄に
三つのカウンターで患者名を告げなければ長兄のベッドにたどり着けなかった。
それほど大きな病院ということだ。
病室は個室ではなかったが、カーテンで仕切られた
プライベートスペースは広かった。
カーテンを開けると、長兄はベッドに座って本を読んでいた。
「もう、だいぶいいの?」
3年ぶりだった。
顔がまるで生きていなかった。
大変だったんだ。
「何も食べる気がしなくなったんだ。
おかゆも受け付けなかった。
食べないから衰弱した。
歩く気力もなくなった。
このままではお仕舞いだなと思ったよ。
この病院で四年前に手術したんだ。
それから、月に一度は検査に来ていた。
先月もだ。
予約がないからと急には受け付けてもらえない。
ベッドは空いてるけど、医者が不足なんだ。
順番待ちで急患もだめだという。
やっと、無理に頼んで診てもらったら、即入院だ。
担当医に会うまでが一番苦労したよ」
長兄は、病室前のロビーの席までボクを誘って話し始めた。
話しているうちに、何故だか幽鬼のような顔に
生気が戻ってきた。
その時、目の前の部屋に若いナースが来て、寝ていた患者に声を掛けた。
「Yさん。歩く時間ですよ」
カーテンの陰からやせ細った中年の男が、
奥さんに背中を支えられながら歩行補助柵に掴まりながら現れた.
「さあ、歩きましょう」
両脇をナースと夫人に支えられて、いかにも不安そうに男がボクと兄の目の前の廊下をよろよろと進んだ。
「ここの医者は、手術が終わったその日に、”歩け”と言うんだ」
「一歩でもいいから歩きなさいだ」
「すごいね?」
「歩かないと死ぬぞ!ってね」
ボクの座っている目の前を、男が夫人に支えられながら歩いていた。
ナースは、もう手を離している。
夫人も離れた。
男は、壁の手すりにしがみつくようにして、ゆっくりと歩いて病室に入った。
兄も、手術直後にああやって歩いて居たのだろうか?
まだ入院して一週間も経たない。
検査と点滴と輸血の五日間だった。
そして、食事も出来なかった兄は、
自力で歩ける迄に快復していた。
昨日から普通に食事が出来るようになったと言う。
ホッとした。
「いつ頃までここにいるんだ?」
「今度の食事不能の原因は胃潰瘍だそうだ。胃潰瘍は薬で治る。
外科病棟の患者は、手術が必要無くなればすぐに退院だ。
入れておいても意味がないからな。
二、三日で帰れるよ」
「病室も快適だし。ナースも親切だが、食事が今一なんでね。
それに、近頃のテレビドラマは、どうも肌が合わない。本も飽きたしね」
兄は東京湾に出て毎日釣りをしたいのだ。
「今年の東京湾は釣れるぞ。」
「船も替えたぞ。中古だけどプラスチックだから、ペンキを塗り直せば新船同様だ。
エンジンも40馬力にした。ただ、もう一人では出られないんでね。
エンジンどころか、10ガロンのガソリンタンクも持てない。梯子で下りなくてはならないのでね」
「わかった。行こう。釣りに!」
君津中央病院の医者は、”一歩でも歩け!”と言う。
病気を克服するためには、まず生きようとする患者の心意気が重要なんだ。
そして、身体を動かすことが。
年を取り、子どもたちも巣立ち。孫も近くにいなくなり。
もちろん、釣り仲間も?
長兄の若さの秘訣は、クルーザーを操って魚を追うことだ。
ボクの、街道一人歩きも同じ事だ。
ヘミングウエイの”老人と海”までダイナミックでなくても、
何とか兄に、船と海と釣りを残してやりたい。
「退院したら、電話するからな。きっと、来いよ」
「うん。来るさ」
八月に海釣りに行く約束をして、
ボクは、一人でアクアライン経由のバスに乗って帰った。


四万六千日

2007年07月10日 01時36分39秒 | 日記

今日7月10日は四万六千日だ。
7日、8日は入谷鬼子母神の朝顔市。
9日、10日は、浅草寺観音様のほおずき市だ。
ほうずき市の方は、初めは芝の愛宕神社に立ったというが、
愛宕神社の市でも四万六千日と呼んでいたので、
「四万六千日なら観音様が本家でしょう」と、いつの頃からか、
浅草寺境内がほおずき市の本家本元になったとか?
何しろ、この日にお参りすれば、四万六千日参拝したことになるという。
たいしたありがたい日なのだ。
同じお参りなら、人より少しでも早いほうが御利益があると、
前日の9日に出かけた気の早い江戸っ子が大勢いたとかで、
いつの頃からか、7月9日、10日に観音様に出かけるようになった。
とはいっても、現代は、”ほおずき市”でほおずきを買うついでに
観音様にお参りする人の方が多いそうだ?
折角だから、観音様に、せめて10円お賽銭をちゃりんとあげて、
家内安全、商売繁盛、受験合格、恋愛成就。
世界平和を祈願のほどを!
たった10円で、四万六千回分の願いが叶うなんて、
宝くじより得だと思わないかい?
”南無観世音菩薩、トウジンダンダンネ!”
ところで、浅草寺にお参りしたら、右手に回って三社様の裏に
かの新門辰五郎が信仰した被官稲荷がある。
被官は就職のことだ。
あまりお参りする人がいないから、
御利益あるかも?
夕方5時にカングーを駅前駐車場に置いて、
浅草観音様に6時半に着いた。
今日はケンちゃんの首がもげちゃったし、
新しい門の鍵が手間取っているし?
苦しいときの神頼み?
何しろ今日行けば、
四万六千回分の御利益だ。
実際、今でもそう思ってるのか?
それも、出かけて確かめたかった。
ほおずき市の露天は浅草寺の右手、
三社様前の広場にあった。
雨はまだ降ってはいなかったが、
人出はそれほど多くはない。
普段の観音様の人出と大差はなかった。
ほほずき市のついでにお参りらしい。
本堂の中はいつもより明るく力強い読経が聞こえたが、
お賽銭の音もまばらだった。
賽銭箱のすぐ前に三分も待たないで出たくらいだ。
ボクの横に来た浴衣姿の女の人が、
そっと手を伸ばして賽銭箱のすき間に紙幣を入れた。
千円札か一万円札か見えなかった。
四万六千日分のお賽銭だと思えば一万円は安いのかもしれない。
被官稲荷にお参りしてから、
仲店裏の梅園で、少しだけ時間をつぶした。
あんみつ六百円。
既に外は暗くなって、露天の灯りが風情があった。
ほほずき一鉢二千五百円!
朝顔市の朝顔と同じ値段だ。
もう少し待った方がいいかも知れない。
「風鈴サービスしちゃうよ」
「旦那さん、千五百円でどうだい。風鈴もサービスだ」
雨がぽつぽつ降ってきた。
ほおずき鉢、風鈴付きと、
大きなオレンジ色の枝付きほほずきを三本。
値切って保育園のお土産に買った。
生まれて初めてだ。
ボクがほほずきを買ったなんて。
「旦那さん。来年も同じ場所に店を出してますから、来てくださいよ」
四万六千日分お参りしたのに、
来年もここに来るのだろうか?


会津若松鶴が城

2007年07月07日 19時56分52秒 | 街道歩き(会津西街道)
会津西街道の旅、終着点を会津若松鶴が城に決めた。
芦ノ牧温泉渓山を九時半に出て、西若松に午後一時半。
此処まで休み無しでかんかん照りの土手道を四時間歩く。
さすがに脚が痛みだす。
西若松駅でせめてかき氷が食べたかった。
何故か駅前広場に店はない。店舗のスペースもない。
諦めて右折、炎天下の大通りを鶴が城に向かう。
残るは五百米の筈だった。
歩けども歩けども城への入口がなかった。
夏の太陽は益々激しい。
汗もすでに枯れたのか、滲むこともなかった。
やっとのことで鶴が城南門に入る。
広大な城の外郭を文字通り迂回したのだ。
鶴が城天守閣正面口に待望の喫茶室があった。
すでに午後二時二十分。
会津西街道踏破の感激より
冷たい飲み物にようやくありつける嬉しさの方が勝っていた。
けれども着いた。
会津西街道歩き旅は終わった。
二百円也のソフトクリームを舐め、
無料の冷水を三杯も飲んだが、
喉の乾きは癒えなかった。
終着点にたどり着いた感激も無かった。
何故だろう?
ここはまだ、ゴールでは無いということか?
歩き足りないというのだろうか?

会津へ

2007年07月07日 08時59分24秒 | 街道歩き(会津西街道)
料理はイマイチだが、風呂はよかった。
露天風呂が二つ。岩風呂と桧風呂。
どちらも温めで眼下に阿賀川渓谷。
対岸は山が迫って景観は言うことなしだ。
貸し切りシステムなので、のんびりと一人で温泉三昧!
湯量は少ないが確かに掛け流しだ。
透明なマグネシウム泉?
二十四時間自由に入れますと。
湯野上温泉駅発午後三時。宿に午後六時十分着。
直ぐに写真の桧風呂で汗を流した。
今朝は岩風呂に。
泊まり客は他に那須から来たと言う中年の夫婦のみ。
朝九時に会津に向かう。
車で十六キロ。
歩くと十八キロか?
今日も快晴。

芦ノ牧温泉へ

2007年07月07日 01時13分59秒 | 街道歩き(会津西街道)

湯野上温泉駅で阿賀川対岸に渡る駅下の吊橋の有無を尋ねる。
今は無いと!
国土地理院の二万五千分の一の地図にあるんですよ?
吊橋はありません!
女駅員の答はガツンと聞こえた。
湯野上温泉民宿案内図には記載されていなかった。
だから、尋ねたのだ。
残念だが諦める。
吊橋を渡れば国道を回避出来る筈だった。
阿賀川右岸沿いの国道には大内宿への分かれ道の先にトンネルがある。
歩行者にとってトンネルは最悪だ。
トンネルは雪・落石?除け隧道だった。
川側に柱が続く開放的な道だった。
距離三百!難無く通過した。
国道を歩く、約四キロ一時間余。
トンネルを出ると歩道は無い。
乗用車が猛スピードで過ぎる。
トラックは意外に徐行してくれる。
会津方面の標識の先に再びトンネルの暗い入口が見えた。
トンネル入り口に案内板。右折方面は芦ノ牧温泉へ。
旧道への分かれ道である。
もちろん右折する。
急にのどかな里山風景になる。 小出集落だ。
旧道の右側に畑仕事の老婆。
落花生畑だ。
集落の外れがなだらかな坂。
雷神社の幟が二本。
お宮の急な石段を登る。
古い石柱に大きな字で”神威赫々”とある。
お社は朽ちかけて賽銭箱も無かった。
雷神は不在か?
若郷湖に架かる橋を渡る。
間もなく芦ノ牧温泉南駅。
標識のない急階段が右にある。
多分この上が駅だろう。
駅の山側に桑原集落。
湖底に沈んだが、
ここに移住したという記念碑があった。




田島駅発車

2007年07月06日 14時55分12秒 | 街道歩き(会津西街道)
半年ぶりに会津田島に着いた。
野岩鉄道が田島で会津鉄道にチェンジする。
乗り継ぎ待ち30分。
売店で燻製卵をおやつ用に買う。一個百円。
田島町役場を訪ねたら、南会津町役場に変わってた。
飛騨の兄貴と長津田駅に七時四十五分待ち合わせ。
浅草経由で東武特急スペーシア十時発で五時間。
乗り継ぎ待ち時間ロスタイムが、なんと二時間!
今日の街道歩きスタート地点湯野上温泉駅に午後三時着だ。
これじゃあ、ちょっと酷くない?
写真は、田島陣屋跡の石碑。現在は南会津役場がある。
田島は、南会津地方の中心。江戸幕府の直轄領だった。

夜明けの街で

2007年07月05日 00時09分53秒 | 日記
夜明けの街で

角川書店

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駄目なときは駄目なんだ。
オイスターバーに坐り込んで
アメリカ産のクマモト牡蠣を肴に
ジンジャービアを
立て続けに三杯
だからって、何も変わらない
リニューアルしたショッピングビルディングの九階で
ほろ酔い気分で坐り込んでた
人生これから何をして生きる?
待ったって
誰も来ない
みんな消えていなくなった
間もなく我が輩も潮時だろうか
閉店間近の本屋に寄って
東野圭吾の”夜明けの街で”を
買った。
夜明けまで夢を見るつもりだ。