青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

クリスマスの夜に

2007年12月26日 02時22分15秒 | 日記
約束通り、今夜はカリフォルニアロールを作りました。
ご飯が炊きあがる間に、材料の下拵えをしましたから、
今夜は手早く完成しました。
カリフォルニアロールはロサンゼルスの寿司バーで、
生の肴どころか、海苔巻の海苔も苦手なアメリカ人のために
真下一郎という寿司職人が、カリフォルニア特産のアボガドと、
海苔巻きの海苔をご飯の内側に巻いて、
アメリカ人を遂に寿司好きにしたというのが始まりです。
ロサンゼルスはカリフォルニア州最大の都市です。
ボクは、自由が丘の魚菜学園でアメリカ帰りの元寿司職人の
先生に、典型的なカリフォルニアロールを習いました。     
「アメリカ人は、海苔が歯にくっついちゃうといっていやがるんだ」
「確かに」
「だから、海苔はインサイドにしたのさ」
「インサイド?」
「内側だよ」
【材料4人分】          
キュウリ1本。アボガド1/2個。
蟹蒲鉾12本(3パック中に4本入)。トビコに替えてもいい?
米3カップ(600cc)。米の1割り増しの水加減で炊く。
合わせ酢(酢160g・砂糖大2・塩小21/2・味の素少々。
(炊きあがった飯を熱いうちに飯台にあけて合わせ酢と合わせ、
しゃもじで縦に切り、斜め平らにして切る。人肌に冷ましておく。)
全海苔4枚。いり白ごま大8。     
【作り方】
最初に
巻き簀(す)を拡げてラップで裏表をきちんとくるんでおく。
巻いたラップの10ヶ所ぐらいに包丁先で裏表空気穴を開けておく。
これを忘れると途中でラップがはがれる。
器に手水(酢10%入り)を用意する。
キュウリは種を除き5~6cmの細い千切りに、
アボガドは縦に深く切り込みを入れ、半分に切り、種を取り、
皮をむき、棒状に切る。
(アボガドの種は捨てないで皮をむいた実と一緒にしておくと色が変わらない)
蟹蒲鉾(12本)はほぐしておく。
ラップで巻いた巻き簀に、海苔(裏を表)をのせ、両手で細長く丸めたすし飯2本を 海苔全体(隙間無し)に広げる。
炒り白ごま(大2杯)を、広げたシャリ全体にふりかける。
海苔の向こう両端を両手で持って、巻き簀の上でひょいとひっくり返す。海苔を表にする。インサイドアウトだ。
海苔の中央に、千切りキュウリ・蟹蒲鉾・アボガドを載せる。
シャリの両端を合わせ、巻き簀を左手で軽く押さえて持ち、
右手で巻き簀の向こう(上部)を引っ張って、ロール寿司を締める。
簀を上から引っ張るって巻くのアメリカ巻きだ。
(ロサンゼルスでは1人前5$。トビコが入ると高くなる。)
大皿に盛り、レタスにのせたマヨネーズを添える。
笹の葉を飾り切りにして飾るのもいい。
以上で完成。

昨夜より、誰かさんはご機嫌だった。
昨日、南大沢で買ったサンテロ社のスパークリングワイン
”天使のアスティ”を二人で開けた。今夜もほろ酔い?
メリー・クリスマス。よいお年を!  

堀部安兵衛

2007年12月16日 13時14分20秒 | 日記
昨夜は、おでん屋で燗酒を三本飲んだ。
飲んだのは本郷追分け先の”呑喜”だが、
今朝、毎日の日曜版で”池波正太郎を歩く(須藤靖貴)”を
読んでいたら、早稲田の馬場下にある酒屋の話があった。
12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日。
三朝庵の斜向かい地下鉄早稲田駅、
高田の馬場方面入り口を入るときに、
リカーショップ小倉屋の店先で”吟醸酒安兵衛”の幟を見た。
一寸、足が止まったが、
そのまま地下への階段を降りた。
あの小倉屋は、”高田の馬場の決闘”の日に
堀部安兵衛が立ち寄って、五合升で三杯飲んだ店だという。
須藤靖貴氏の文中に、
”安兵衛の恩人、菅野六左右衛門の言葉、
<酒は、人の悲しみを遠くへ追いやるべきもの。
そしてまた、人の世に生きてあるうれしさを、さらにふくらませるべきもの。
こうした酒ののみようを、おぬしは、もはや躰で知ったと見ゆる>
に痺れた。”とある。
もちろん、これは池波正太郎の小説”堀部安兵衛”中にある文章だが。
昨夜、おでん屋呑喜でボクは珍しく三本の燗酒をぐいぐいと飲み。
余りにも飲みやすかったのは、おでんのせいだと思ったのだが、
もしかすると、この七日間の長姉のことや兄弟との思いが、
昨夜の酒で、すべて遠くへ追いやったのかも知れない。
そしてまた、人の世に生きている嬉しさを、
さらにふくらませたと見るべきなのだろう。
池波正太郎作『堀部安兵衛(上下巻・昭和48年3月10日初版)』は、
書斎の本棚に処分せずに納まっていた。
30余年ぶりの再読をしてみようと思う。
祖父母と父母と長姉の眠る墓所は、
安兵衛の木刀を振るったという穴八幡神社の向かいにある。
冬至(12月22日)には、”一陽来復”を求める人で穴八幡は賑わう。
久しぶりに素通りした穴八幡に出かけるかな?
”一陽来復”を買いに!  (写真は六義園の紅葉12/15撮影)



六義園と呑喜

2007年12月15日 19時42分23秒 | 日記
いつものことだが、医者へ行くと、すぐに快復する。
郡山行きは我慢したが、
駒込の六義園の茶屋でおウスを飲んで池を眺めている。
カルガモが澪を残して横切って行く。
紅葉がりには七日ほど遅すぎた。
人出も多いが、烏の鳴き声がやけに”うざい”。
冬の太陽はもう沈み始めた。
日陰の床机は、すでに寒い。
藤代峠を越えて、本駒込口を出る。
フレーベル館の地下で、
バイクに乗ったアンパンマンを探したが、
すでに売り切れ廃盤か?
駒込吉祥寺を過ぎて、おでん屋呑喜を探す。
本郷追分けの手前、
文教学園の先に呑喜はあった。
午後五時開店。
まだ一時間もある。
追分けの交差点を渡って黒門前まで歩く。
カフェルオーの手前に洒落たカフェを見つける。
カフェボンナ。
同世帯の店主が一人で店を守っていた。
球形の電球を店内に散らして、
えび茶色のカウンターと実にマッチしている。
明るい。落ち着く。
ブレンドコーヒー350円。
ブラックでも飲める。
腰を据えて呑喜の開店を待つ。
この店も、ルオーも、
土曜日は午後5時閉店だ。
本郷通りを再び北へ。
追分けの交差点を渡って
呑喜の暖簾をくぐる。
午後5時7分。先客は若い二人。
丸い大鍋の前に同世帯の親父が一人。
鍋の中は、おでん種がほどよく煮えていた。
「お燗酒を。袋とがんもとはんぺんに大根を」
五十年ぶりの”呑喜”だ。
できることなら独り寂しくではなく、
親しい誰かと二人で飲みたかった、
ままならぬのが浮世の常かな?
そう想いながら、はんぺんを肴に
猪口の酒を飲む。
壁に店主の調理師免許証が掛けてある。
九年二月八日生まれ。
昭和三十三年取得。
丁度、一年後輩だ。
おでんは流石に老舗の味。
くどくない薄味で、
いくら食べても食べても飽きが来ない。
それこそ15種ぐらい食べただろうか。
ほろ酔いで〆に茶飯を軽く一膳。
風邪薬を飲んで帰る。

白河から須賀川へ

2007年12月03日 11時43分31秒 | 街道歩き(奥州街道)
白河駅を九時十八分に出て、駅裏の小峰城を見る。
女坂の切り通しを難無く越える。
坂下に哀れな遊女の墓碑が遺る。
彼女も会津攻防戦の犠牲者だ。
根田宿、小田川宿、太田川宿、踏瀬宿、
大和久宿、新田宿、矢吹宿、久来石宿、笠石宿、
を経て須賀川駅に着いたのは十九時ジャストだ。
万歩計を忘れたので正確な距離はわからないが、
ほぼ九時間弱歩き続けた。
三十六キロ弱は歩いたことになる。
須賀川宿入り口の一里塚は夜の闇でデジカメも効かなかった。
一里塚から東北本線のガード下をくぐり抜ける。
線路沿いの坂道が真っ暗だったが、
後はぽつぽつと街灯があり、須賀川の街は明るかった。
でも、街灯が華やかなのに人通りが皆無と言っていい。
日曜日の夜だというのにだ。
足に豆が出来たようだ。
須賀川で帰ることにした。
今は高尾行き快速の車中だ。
ローカルの不便さで、須賀川で五十分。
新白河で一時間のロスタイムがあった。
終電ぎりぎりの帰宅になる。
歩いたのが九時間。
帰りの時間が五時間。
一人旅の気楽さ。
ロスタイムは有効に使った。
その話は別の日に!
写真の紅葉は踏瀬宿の農家の廃屋の庭に
眺める人も居なくなって、すでに落ち葉で地面を朱に染めていた
見事な紅葉の古木だ。
奥州街道もこの辺りまで来ると、
閉店した商店や、
廃屋になった古民家がちらほらと在る。
実に寂しい。

祝・岩槻恵泉五十年!

2007年12月02日 00時00分00秒 | 街道歩き(奥州街道)

岩槻恵泉幼稚園が創立五十周年を迎えた。
あーちゃんの結婚のお祝い会に恵泉に行ったのは
まだ二十代だったから、
恵泉は開園間もなくだったんだ。
あーちゃんと初めて会ったのが五十六年前。
あーちゃんもボクもあの頃とゼンゼン変わらないみたいだ!
その日は奥州街道、第二の旅の途中だったので、
ボクは早々に大宮駅に戻って新幹線に乗った。
今夜は新白河泊りだ。
駅南口前のサンルート新白河。
この前は白河の関を見損なったので、
恵泉の講演会もパーティもキャンセルして先を急いだのに、
すでに関行きの終バス(pm3:00/ホテルから10km)は出た後だった。
往復20キロでは、タクシー代も五千円超える。
諦めて夕方の道を新白河から白河駅へと歩くことにした。
ホテルを出て、すぐの交差点に”とうふのしずく”という
洒落た造りのカフェがあった。
間もなく四時だ。
日暮れ前に白河駅迄行きたかったので、
カフェを横目に先を急ぐ。
旧街道手前に名物こがねもちの店を見つける。
ここの甘納豆が美味しいのよ!
と話していたお客にツラレテくるみゆべしのこがなもち二つと濡れ甘納豆も買う。
こがねもち一つ八十四円。
関のつゆ甘納豆中袋二百g 五百二十五円。
安い。
こがねもち屋から白河駅に向かって、
すぐに見覚えのある道に出た。
左に曲がってしばらく歩くと、
菓子司山本屋の斜向かいに月よみの庭
この店は創業明治25年。
黒あんまんじゅうがお勧め。
月よみの庭は200年以上の歴史をもつ白河石
ふんだんに使った石庭だ。
白河石は火砕流堆積物で、桐の下駄の減りが少ないと
説明板にあった。
白河石は、黒目と白目の二種類あり、黒目は近頃産出量が減少して
貴重になっているらしい。
白目は栃木の芦野石に似て軟質で苔も生えやすいので
好まれているとか。月の庭では黒目が目立っていた。
”水清き所、良石あり”とも書いてあったが、
もう、日暮れ時だったせいか、
ボクには、ただ黒くて薄い石板が無造作に
積み拡げただけで、良石?には見えなかった。
月夜に観なければ、判らないのかも?
樹齢百年の赤松”優陽の松”が
うら寂しい風情で枝を広げている。
赤松の向かいに玄豆庵という珈琲豆の店がある。
寄ってみたかったが、豆腐のしづくに寄るつもりでいたので
先を急ぐことにする。
枡形の旧街道はこれで二度目だ。
白河駅には午後四時半に着く。
駅周辺にコンビニと蕎麦屋ぐらい。
高校生が何人か、
コンビニの雑誌コーナーで漫画を読んでいるのが
ガラス越しに見える。
外は既に日没、さすがに寒い。
白河駅の待合室でぎりぎりまで待つ。
午後五時発黒磯行き。
一分遅れで新白河駅に午後五時六分着。
この電車は、ここで十九分まで停車する。
駅前のホテルに寄って、
ホテル裏の道を、カフェとうふのしづくまで戻る。
四分も掛からない。
すでにカフェは真っ暗だった。