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青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

品川宿から西糀谷へ

2009年05月23日 00時00分00秒 | 街道歩き(東海道)
五月でというのに暑い日が続きます。
品川駅中央口を出て第一京浜を横断
左に少し歩くとつばめグリル品川店があります。

つばめ風ハンブルグステーキにトマトが付くと
得した気分になります。
ランチを食べ終わったら一時ちょうど。久しぶりの東海道。


国道を左に進めば八ッ山橋。旧街道品川宿に入ります。
京浜急行北品川・新馬場・青物横丁・鮫州・立会川・大森海岸駅が街道と平行して
続きます。



旧街道はすっかり整備されて見違えるようです。
北品川駅の先西側に観光案内所がありました。
旧道の所々に御休処があります。
目黒川岸に新馬場駅東に荏原神社。
西には品川神社。
元は川を挟んであったそうです。
品川神社のお祭りは6月5金・6土・7日の三日間。
御輿が海に入るので有名でした。
神社の境内にはお富士さまがあります。
富士山信仰のシンボルです。
二度目の東海道品川宿。
土蔵相模跡も、しっかり見ました。
今ではマンション。コンビニになってましたが、
土蔵相模は、飯盛女を抱えた旅館です。
飯盛女は、いわゆる宿場女郎・遊女。
最盛期には千人もいて北の吉原と競っていたそうです。
ここは高杉晋作や伊藤博文が気炎をあげた宿として有名です。
薩摩屋敷は目と鼻、三田ですからね。

青物横丁には品川寺。
江戸府内を守る六地蔵の一つが現存します。
ここを通れば必ず先代の順海和尚の墓参をします。
本堂の左脇を入るとすぐ歴代の住職の墓所。
左奥に檀家の墓地が広がっています。
「墓参りの方以外は立入禁止」の立て札。
この前寄ったのは十年前。
「ちょっとちょっと何をしてるんですか?
ここは入ってはだめですよ」
檀家の墓地の方から若い坊主が来て言いました。
「見られる通り順海和尚のお墓にお参りに」
「関係ない人は入っては困ります」
「お墓参りはいけませんか?本堂に人影もなかったので」
「早く出て行ってください」
品川寺も。いけませんかね?
若いお坊さんは、修行僧だとか。
我が輩の人相風体が、よっぽど怪しげに見えたのか?
醍醐寺にいる順和現住職が聞いたらなんとおっしゃるか?
やっぱり、街道歩きは破れ衣でも衣に編み笠姿がいいですかね?


海雲寺の荒神様にもお参りしました。

荒神様って台所の神様。
懐かしき昭和の頃には、何処の家のお勝手にも、
荒神様のお札が貼ってありました。
平蔵地蔵の故事来歴は、またこんど。

涙橋を渡り。
旧街道沿いの品川区民公園で一休みして、
鈴ヶ森刑場を素通り。
第一京浜国道に出て炎天下を平和島の交差点を直進。
梅屋敷から美原通りへ入る。
産業道路を横断、糀屋駅に一直線。
この辺りで御輿に会う。
今日の目的地は西糀谷3丁目。
「ほんとに品川から歩いて来たんですか?」
「ほんとですよ。顔を洗わせてもらいますよ」
ツバメグリルを午後一時丁度に出て、
西糀谷のトリさんのお宅に着いたのは午後四時半。
東海道を外れて斜めに西糀谷へ道を取ったので、
少しばかり迷った。
トリさんは我が法人の設立以来の古参理事だ。
創立当時の理事で生き残りはトリさんと我が輩の二人のみ。
満身創痍の古参理事と、
二人で京浜急行糀屋駅前の「ひさ奈」で”
イサキの炙りを肴にそば焼酎で乾杯。
「元気だな。あんたは」
「歩いてるからさ」
「今日のイサキ、美味いね」
「活きがいいからさ」
「セイロを食べるだろ?」
「うん。」





 

金沢街道朝比奈の切り通し

2008年12月23日 23時05分00秒 | 街道歩き(東海道)

初めて歩いた。
ご先祖様の開いた鎌倉の道を!
鎌倉の古道、昔のままに残っている道。
朝比奈三郎の造ったという
朝比奈の切り通し。



朝比奈の切り通しへ行くなら、
鎌倉駅から歩くより、
金沢八景駅からバスで朝比奈の停留所下車の
コースを選んだ方がずっと歩きやすい。
「京急金沢八景駅を出たら、
国道16号の交差点を渡ってすぐ右手に
鎌倉駅行きのバス停があるが、
逆に左に一停留所戻って、
パチンコ屋の前から乗った方が良い。
そっちから鎌倉行きの始発が出るからね。」
とは駅前の本屋さんの助言。


       ●切り通しで見た磨崖仏


       ●浄妙寺奥の石窯ガーデンテラス

バス停朝比奈から切り通しを登るのは、
今の季節なら、汗も滲まないほどの楽な登りだ。
登り切った辺りに磨崖仏のある。
その先から鎌倉方面に向かう下りになるが、
この辺りは、滑川の源流にあたり。
坂の中央、左右の苔むした岩から清水が湧きだしている。
靴底から水がしみこむなんて靴はどうもね?
だが、滑りにくい靴は街道歩きの常識だ。
まあ、普通のウオーキングシューズで大丈夫。
まあ、まあ、空気も美味いし!
湧き水が川になる光景なんて、
歩きにくいのを帳消しにすること請け合いだ。
滑川が川らしくなって道から分かれた辺りからは、
俗界に戻る。
バス道路に出て十二所の停留所の向こう側には、
MUG仲間の峰本さんの蕎麦料理の支店がある。
今日のお勧めランチは、浄妙寺境内の
石窯ガーデンテラスの予定。
浄明寺町内にある浄妙寺というのが、
ちょっぴり不可解だが?
拝観料100円也を払わないと
境内奥の石窯レストランに入れないというのも
「不思議な話だよね?」
「良いじゃない。お寺の奥さんがやってるんだから」
「100円は通行料?住職のお小遣い?」
「お布施!お布施!」
「お布施って?」
「あなたの”欲を捨てる”ために仏様にあげるお金さ」
「あんたたち、ケチね!」
「早く、石窯のパンが食べたいな」
お寺に似合わない超モダンなガーデンテラスだった。
保育園の木卓と同じ、
ジャービスのテーブルと椅子が並んでいた。
多分ね?
「膝掛けをお使いになりますか?」
「まるでヒコウキみたい」
「意外に冷えるんですよ」
「いいね、いいね!」
海の幸の軽い煮込み、石窯パン、スープ、珈琲か紅茶付き。
牛肉の赤ワイン煮(ビーフシチュー)、石窯パン、サラダ、珈琲か紅茶付き。
どれも2,730円也。
洋風庭園に寒桜が咲いていた。


        ●ガーデンテラスの寒桜
         この洋館と庭園は元犬塚貴族院議員の邸宅とか。
         お寺の庭とは思えないわけだ。

三国峠・天国と地獄・生きる

2007年09月09日 00時00分00秒 | 街道歩き(東海道)

会津西街道を踏破してから、
何だか、ボケッとしてしまった。
昨夜の土曜日は、
三船敏郎、仲代達矢、香川京子が演じた映画ではなく、
佐藤浩市、阿部寛、鈴木京香のリメイク版
”天国と地獄”を観た。
今夜の日曜日は松本幸四郎とフカきょんの”生きる”を観た。
志村喬がブランコで歌った
”ゴンドラの歌”は、ボクの好きな歌の一つだ。
そろそろ、あの歌が似合う年齢になったのかも?
松本幸四郎も好きな役者だが、
志村喬のブランコのイメージが脳裏に浮かんで、
ラストシーンはブランコではなかったかと、
気になったのは何故だろう?
今日は、牛の散歩に駿河小山から山中湖畔平野への道を、
カングーを転がして、
三国峠(神奈川・山梨・静岡)まで出かけた。
峠に車を置いて、
鉄砲木の頭(明神山)迄登って、
山中湖と富士山を観ようかと思ったのだ。
行けたら逆に三国山から明神峠を越えて、
アザミ平でフジアザミの群落を観るつもりだった。
残念ながら、牛の散歩は思うようにはかどらない。
先ずはランチを登山の前に食べなければ?
御殿場インターを出たところで、
箱根へ向かってハイランドホテルでランチのつもりだったが、
”時の栖”の看板を見て、
牛の希望で地ビールランチに変わった。
地ビールを飲んだ牛が山道を歩くわけがない。
鉄砲木の頭のすぐ下まで来たところで、
三国山から雲が下りてきて、
不気味な霧がススキの草原を隠した。
「牛が一緒じゃ戻るべきだね?」
「そうね。少しのんびりしすぎたし?」
登山の鉄則は”撤収はためらうことなかれ”だ。
それに、雲に巻かれて富士山が見えるわけがない。
”日曜日のドライブは四時前に帰路に付くこと!”
これも、ドライブ旅行の鉄則だ。
平野の石割の湯も横目で見て、
道の駅”道志”迄ノンストップで下った。
それで、夜は”生きる”だ。
天国と地獄のラストシーンで、
佐藤浩市が、鈴木京香にぴったりの
ハイヒールを造った”手に職”の明るさ?
生きるのブランコで、松本幸四郎がいかにも楽しそうに
ゴンドラの歌を歌ったというラサール巡査の話。
今になって想い出すと、喫茶店で歌った聞くに堪えない
歌との違いを、うっかり見過ごすところだった。
志村喬のゴンドラの歌を、今でも脳裏に残るということは、
きっと黒沢監督のすごさだったんだなと思う。
「火曜日に誕生会があります。
けんちゃんと一緒にきてくれませんか?」
と恵美子先生からメールが来てた。
「ケンちゃんのもげた首を修理できたらいいのですが?
明日頑張ってみます」
二つの映画・ドラマに貰った元気を明日は、
ケンちゃんの首修理に注いでみようと思う。
霧で撤収した三国峠には、
今度は電車とバスで再挑戦してみよう。
まだまだしたいことは沢山あるからね?


 


大きな散歩!

2002年01月05日 00時00分00秒 | 街道歩き(東海道)


  大きな散歩をしています。

 九月二十九日、四時(七つ)に三郎を起す。
日本橋には七時に着く。 
「三郎。京都までだ。三条大橋まで歩ければ、お前の病気も、きっと治る。」
 日本橋の中央に『日本道路元標』がある。
車をやり過ごして元標の上に立つ。
いよいよ三郎と二人で、大きな散歩に出立だ。
西銀座で若き日の勤務先日進広告社跡地を見る。
新橋で烏森神社に。
光明寺へ足を向けたが、思い直して芝大門角で小休止。
泉岳寺で線香を求めて四十七士全員に手向ける。
品川駅南インターシテイーで朝食。
鯨塚を見る。品川寺で順海前住職の墓参。
明日は、東海道品川宿制定四百年祭りで順和和尚も醍醐寺から帰山するという。初日は立会川駅まで。
  翌三十日、六郷橋を渡り川崎宿。
十月六日、神奈川。十一日、権田坂越えで戸塚。
十二日、藤沢。遊行寺に照手姫の墓を訪ねる。
十九日、大磯。二十日、国府津。二十二日、雨に降られる。
湯本まで。
二十六日、甘酒茶屋で休み、元箱根のユースホステルに泊まる。
翌二十六日、石畳の急坂を下り三島へ。
  十一月九日、沼津。十日、原、吉原。十五日、岩淵(富士川)。
十六日、蒲原、由比。十七日、興津、江尻(清水)。二十五日、府中(静岡)に宿泊。ここから一泊二日のペースをとる。
二十六日に安倍川を渡り蔦の細道を登る。
岡部、藤枝、島田、金谷、日坂、掛川、袋井、見付と歩き。
浜松には十二月八日夜。舞阪、新居、白須賀から二川を経て吉田(豊橋)。
御油、赤坂、藤川。岡崎には二十三日夜。
二十七日、知立。二十八日に鳴海、宮(熱田)。
三十日、桑名から四日市。大晦日の日没に四十六次目の宿場町、亀山宿に着く。
 ここまでで延べ八十二万六千八百二十五歩
というわけで、三郎と二人でまだ『大きな散歩』を続けています。
                                                                     <2002.1.5&amp;nbsp; 青鬼>
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園舎と住まいの改築に二年余、
気がついたら三郎とペチが、心身共に壊れていました。
ペチは新居に5ヶ月住んだだけでした。
一切肉も食べなくなったペチを抱いて思いました。              
「そうだ。散歩に行こう。
睡眠薬を飲まなければ眠れなくなった三郎を治すには
ペチの大好きだった散歩がいい。
それもとびきりの散歩が」。
「東海道五十三次。歩き通せば友達に自慢できるぞ!
京都に着けば、大津の若様がきっと祇園の御茶屋へ連れて行ってくださるぞ!
去年の四月に、若様と舞子さんに会いに行ったの覚えてるだろ?
都踊りの二階の席で、綺麗なお姉様に手を振ったの覚えているだろ?」
横山台を七つ(4時半)に立って、日本橋の道標を6時に越え、 
旧東海道散歩旅行を始めたのです。      

ペチが死んで7日めの朝のことでした。
小田原までは日帰りで、
箱根八里からは一泊泊まりで、少しずつ距離を延ばして行きました。
年内に京都までが目標でしたが、
100キロの巨体を支える三郎の足は、初日から豆が破れ、
エアロビで鍛えた身体は嘘のようです。
大晦日の夜に、東海道四十六次目の亀山宿にたどり着きました。
相模原から行ったり来たり。
歩き着いた場所まで、列車に乗って行くのです。
九月末から大晦日まで、仕事の合間に出かけました。
一日歩く距離は、平均20㌔前後です。
但し、帰りの駅があるところまでは歩きます。
最長は水口宿から草津宿まで、
36㌔でした。
関の木賃宿から鈴鹿峠を越えて、水口の宿までも長丁場でした。
あの道には、近くに電車の駅がないのです。
街道歩きのアイデアは、
高島屋のダイレクトメールで見つけました。
ホームページ作りに苦心してたので、
インターネットで、その人を探しました。
その人の名は、”浮浪雲”
現代の新方式の街道歩きの先達です。
折しも東海道宿駅制開通400年祭でした。
品川宿を歩いた日に、お祝いの幟を見たのです。
東海道沿いのバスや電車がタイアップして
JR東海が大々的にPRしてたのです。
旧東海道の宿場街が観光名所として現存する辺は、
400年祭実行本部事務局に申し込むと、
10冊にまとめた日本往来・東海道ウオーキングマップが貰えました。
付録にJR東海割り引き券も付いていました。
二割引きから最高半額まで、
新幹線も割引になりました。
10コース全部歩き通して各駅に置かれたスタンプを押せば、
東海道踏破の証明書も貰えました。
余り歩きたがらない三郎を急き立てるのに、
刺激になりました。
但し、JR東海の割引は鈴鹿峠の手前の関宿までです。
半年の間に、
飛び飛びに32日間。 延べ歩数826,825歩、537kmも歩けたのです。
互郎は75キロにもどり、幻覚も幻聴も消え、睡眠薬も不要になりました。
講師も定年。可愛い学生達とも別れ、
園長職も譲って、
ボクも、少し暗くなっていました。
最初は三郎の病気を治すために歩いていたのですが、
いつかボクが若返りました。
名古屋は大雪と聞きました。
鈴鹿峠も雪でしょうか。
残る7宿。こんどは一気に京都を目指します。