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青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

鹿沼栃窪の木喰堂

2010年06月06日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)


鹿沼栃窪の薬師堂こと木喰堂へ
午前10時に到着。
栃窪のみなさんが、薬師堂を開いて
待っていて下さいました。
以前は毎月第1日曜日にお堂を
開いておりましたが、
今では1月と4月と8月の第1日曜日
午前9時から正午まで。
年に3回しかお堂は開きません。
今日は6月。
木喰会の訪問に
特別ご開帳ということです。


「この木喰仏の背中をご覧下さい。
この裾のところに”千の内1”と
彫ってあるのが見えますか?」
”千内1”とは、
”千躰仏の内の一つ”であるという意味です。



「確かに彫ってある。”千一”です」



「これは世に言う。”持仏”。
守り本尊というのですね」


夜の紅葉狩り

2009年12月07日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

浅草で昔ながらのあんみつを食べ、
大急ぎで駒込へ
駒込には長兄の家があった。
高1だった末弟と二人で
半年ほど狭い子ども部屋に
住んだ。
毎晩けたたましく響く
末弟のクラリネットに
半年で逃げ出した想い出がある。
そのクラリネットを今年も
鑑賞に出かけたのだ。

駒込駅のすぐ前に、
川越藩主柳沢吉保が築園したという
六義園がある。
12月13日まで夜間解放している。
紅葉には少し遅いが
ライトアップされた紅葉は、
まだまだ見るに堪える。

         ●六義園玉藻の磯から中之島を見る

残念ながら肉眼ではよく見えるが、
デジカメでは無理だ。これは携帯の写真。
夜紅葉を眺め、
吹上茶屋で、練り切りとお薄で一休み。
今は都営公園だから、抹茶とお菓子で500円也。
入園料も65歳以上半額の150円。
同行の牛さんもご機嫌である。
       


栃木散策

2009年09月20日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)


src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/c4/89084ab73bdaa84879519415039fa7a4.jpg">
           ●例幣使街道
19日の土曜日夜、
アド街で栃木を特集していた。
蔵のある町、栃木へずいぶん前から
一度は行ってみたいと思っていた。
四連休になった今年のシルバーウイーク。
「わざわざラッシュに揉まれて旅行もないだろう」
「そうね」
それでも、何処へも出かけないでは落ち着かない。
「もしかして、栃木はアナかも?」
「JRは繁忙期じゃないわね」
「ようし、行こう。栃木へ」

●巴波川の船遊び


      ●日本一美味な黒蜜入り寒天の女将と
       寒天の効能か?二人合わせて146歳

日光御成街道、東川口から岩槻へ再訪

2009年06月15日 00時15分49秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

日曜日です。歩かなきゃ!
とにかく武蔵野線で東川口駅へ。


              ●東川口駅前のパイプを手にした犬のブロンズ


              ●大門宿本陣の総門
薄曇りの御成街道(さいたま鳩ヶ谷線)を東川口駅から北西へ歩きます。
6月の東風は、街道歩きにはありがたい涼風でした。
数年前に歩いた時は、排気ガスを避けて大門宿本陣前で東北自動車道を越えて、見沼用水河畔の緑のヘルシーロードを歩きました。今日は、以前見逃した街道沿いの寺社仏閣を辿ろうと思いました。膝子の一里塚も見とどけるつもりでした。


              ●見沼用水河畔沿いの緑のヘルシーロード

野田村小学校(現野田小)は、まだ紅顔の美少年時代に早稲田大学児童文化研究会の仲間と緑陰巡回子供会に訪れた小学校です。当時は近くに白鷺が群巣したサギ山の林がありました。
あの日、私の話した童話は小川未明の名作「港に着いたクロンボ」です。
あの日も涼風が広い校庭を吹き抜けていました。ボクは朝礼台に立って話していました。話ながら、ふと気がつくと宮城道雄の琴のレコードが流れていました。係の先生が、私の話に合わせてバックミュージックを入れてくださったのです。
あんな経験は二度とありません。港に着いたクロンボは、小川未明独特の詩情豊かな童話です。校庭で私の話を聞いていたのは3百人ほどでしたか。文字通り咳一つせず全員が話に聞き入っていました。
 その感激が忘れられず、二度と港に着いたクロンボの話をしたことがありません。あの曲は”鹿の遠音”でしたか?琴ではなく尺八だったかも。遠い昔のこと、定かではありません。

            ●膝子の一里塚

なだらかな天久保坂を過ぎ、さぎ山記念公園の先で左折し、見沼自然公園北の緑のヘルシーロードに排気ガスを避けました。旧街道歩きにこだわらなければ、やはり現代の健康的な道を選ぶのが賢明な歩き方だと思います。見沼用水は、鳩ヶ谷から岩槻市境七里まで続いています。
            本日の万歩計合計:26,537歩。
            所要時間:午後12時40分から午後5時20分。
            帰路の乗車駅は、野田線七里駅です。
注:「鹿の遠音」は、琴古流本曲のみならず、尺八古典本曲の中でも最もよく知られた曲の一つですが、古典本曲では例外的な、二管吹き会わせ形式の曲です。秋の深山に鳴き交わす二頭の鹿の様子をあたりの情景とあわせ描写したものと言われています。


日光御成街道岩槻・幸手

2009年01月12日 00時00分29秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

折角の連休、
奥州街道仙台宿までは踏破したのだけど、
その先は雪!春までお休み。
とにかく歩く。歩いておかないとね。
日光御成街道、岩槻から幸手への道を
2003年4月に
歩いたときは、
半日も、恵泉幼でのんびりしてたので、
岩槻は駆け足で通過した。
今日も、何となく出遅れて
岩槻駅に着いたのは14時49分。

太田道灌墓所にお参りして、
本町通りを東に進む。

渋江の交差点奥の時の鐘を見る。
この辺りの町名は本町になっているが、
以前は渋江郷であったと案内石柱がある。
ここから左へ日光御成街道は幸手へと北進する。
この道を幸手街道とも?
しばらく歩いて、道を外れて右(西)に曲がる。
岩槻総社の久伊豆神社を訪ねることにする。

ここには神社経営の岩槻保育園がある。
流石に岩槻の総社。鳥居をくぐると樹木に覆われて
昼なお暗い参道を、家族連れの初詣の客が続いていた。

社殿の脇には、樹高13㍍の大サカキがあった。

おとりさま

2008年11月17日 23時12分10秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

        ●鷲神社入口の人出
アド街でおとり様が出てきました。
「忘れてた。11月はおとり様だったんだ」
5日が一の酉、17日が二の酉、29日が三の酉だ。
「今年は三の酉まであるんだね。よーし、行くぞ。おとり様へ」
いつだったか、日光街道を神田から上野・鶯谷・入谷を抜けて
千束・竜泉寺まで歩いたことがある。あの日のおとり様は閑散として
殺風景だった。
「よーし、賑やかなおとり様へ行くぞ!」




        ●鷲神社正面
 
横浜線を菊名経由で東横線中目黒乗換。
恵比寿・六本木・入谷で降りる。
入谷から歩けば、千束はすぐだ。
お昼は、だいぶ寄り道だけど
”千束いせや”の天丼か。
”寿司元”で、ズケかな?
熊手は、アド街お勧めの”よし田”で買おう。
お土産は、二葉屋の”切り山椒”
王様堂本店の”おかき”がいい。




        ●熊手屋 一番人気の”よし田”
         名札は売約済み


「この小さいのはいくら?」
「三千円!」
「こっちは?」
「六千円!」
「すると、この辺は一万円?」
「一万二千円!」
ケンちゃんなら、ここで
「ひゃ、おどろいた!」
というところだ。
「この六千円のにする。いくらにしてくれます?」
「負けられないね」
「負けてくれなきゃ、ご祝儀が出ないよ」
「・・・・?」
「五千円にして、どうせ負けた分は
ご祝儀でそちらへ戻るんだからいいでしょ」
「はい、五千円。それから千円はご祝儀ね」
この買い方は一昨日のアド街で見たんだ。
やけに小さな熊手に六千円也が消えた。
お昼の寿司元で食べた上ちらしが千八百円だっつーのにね。
下から二番目ということは、上じゃなくて中か?
寿司元の中ちらしは千五百円だっけ。
熊手一つで、四人前食べられる。
ケチだね、こんな吝い計算する旦那。
よし田のオカミさんが胡散臭い顔をした。
「オカミさん、やっぱり手締めしますか?」
若い衆も、こんなケチな客に手締めは不要という目つきで言った。
「そりゃ、ちゃんとご祝儀下さったのだから、三本締めしますよ」
「はい、よござんすね。シャンシャンシャン・・・」

再び、丸真正宗を買いに

2007年10月05日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

 
東十条から川口まで再び取材して歩いた。

光御成街道(岩槻街道)だ。
赤羽駅を新荒川橋に向かう途中に岩淵宿がある。
荒川を挟んで西が岩淵。

東側が川口宿だ。
日光御成(岩槻)街道は、王子駅ガード西側から東十条駅西側沿いに現在の赤羽駅までJR京浜東北線沿いに通じている。
王子大坂の先から赤羽駅西口まではなだらかな坂道を幾つか越えるが、
赤羽駅で高架下をくぐり抜けて高架沿いに東側を進む。
赤羽駅前から斜めに北進する一番街の左手高架沿いのバス通りが、
旧御成(岩槻)街道だ。
駅正面から500mほどで宝憧寺のある丁字路に突き当たる。
宝憧寺は、丁字路の対面、左角だ。
丁字路で駅前から来る路線バスも右左折するが、信号も横断歩道もなかった。
右手遙か50mほどに一番街入り口交差点の信号が見えた。
信号まで右折して渡れば往復100m?
ちょうど女学生が一人横断してたので、
大通りをボクも突っ切って宝憧寺門 前に向かう。
門左脇に古い石の道標があった。
元文五年建立「東 川口善光寺道 日光岩付道」
「西 西国富士道 板橋道」、「南 江戸」と彫ってある。
宝憧寺の正式名称は、医王山東光寺宝憧院。
真言宗智山派の寺院だ。
創立寛正二年。開山は宥鎮和尚。
元は浮間村西野(今の浮間町4丁目)にあったが、荒川の氾濫を避けて現地に移転したと案内板にあった。
浮間村当時は、広大な寺域があったらしい。
山内に三猿を刻んだ地蔵の石像がある。
本堂に参拝して、丁字路を北北東に御成(岩槻)街道を、
次のポイント、小山酒店脇の岩淵宿問屋場跡に向かって脚を早める。 岩淵宿の痕跡はもう失われて、
その酒屋の脇に岩淵宿問屋場跡の碑があるだけだという。
ボクが岩淵宿を通過したのは、平成15年の2月だった。
まだ御成街道の踏破記録はインターネットに無かったし。
当時は、

とにかくその日の目的地まで迷わず到達することで、精一杯だった。
今度は、一昨年の秋に御成街道を踏破した人の道中日記を
インターネットで見つけて足跡を辿っている。
街道歩きが流行になってきたのだ。
小山酒屋はまだ残っているだろうか?
街の個人商店は生き残るのが至難の時代だからな。 歩き始めて200mほどで
南北線赤羽岩淵駅を見つける。
地図では、北本通R122がここで直角に折れて新荒川大橋に向かっている。
この国道の北側から荒川土手辺が岩淵宿だ。
国道の交差点で右側に渡り、更に横断して北北東に直進する。
道路沿い奥に、大萬寺、正光寺、梅王寺がある。
地下 鉄赤羽岩淵駅下り口前に、派手な大萬寺の看板があった。
正光寺には、大観音像がある。
大通りから100m奥に高い台座の上に鎮座する観音像が見えた。
ただし、大観音像正門が、半分崩れかけていた。
これも岩淵宿の名残か?
第四岩淵小学校への歩道橋を横目で見上げて、
向こう側に戦災を免れた多分昭和初期の瓦屋根の古家が見えたが、
先を急いで通過。
酒屋をきょろきょろ探す。
小山酒店は、こちら側だと思う。
あった!
なんとも古びた酒屋が?
酒屋の看板に、小山酒店 東京23区唯一の地酒”丸真正宗”
のキャッチコピーがある。
東京唯一の地酒だって?
人と気のない店内を、覗いたが。
覗いただけで問屋場跡を探す。
酒屋すぐの荒川寄りに、申し訳程度の小庭に植栽。
北区が立てた問屋場跡の石碑と案内板があった。
宝憧寺前の道標は時代物だが、ここのは現代の物だ。
まあ、区役所が調査して”跡”だというのだから信用する。
でも、つまらぬ。
待てよ?
花より団子ならぬ”石碑より地酒”だと、
問屋場跡の石碑をカメラに収めて、酒屋に戻る。
店に入ると、 ”丸真正宗”の小瓶が、入ってすぐの棚にずらりと並んでいた。
どれも空き瓶だった。
「いらっしゃい」と店の奥で男の声。
なんだ人がいたんだ?
「看板に東京の地酒って書いてあったんですけど、何処で作ってるんですか?」
「この店の裏で造ってるんです」
「え?」
店を出て隣のマンション(前に問屋場跡の石碑がある)の脇の路地を入ると、
確かに”小山酒造”があった。

戦災も免れたか、”東京銘酒 愛酒報国”の看板が、工場の正面上に残っていた。 この辺は、秩父山系からの良質の浦和水系があり、
昔は2㍍掘ると湧き出した。
現在は、地下130mの深井戸から汲み上げた地下水と吟味した米で醸造している。
土産に300㍉㍑瓶650円の純米吟醸を買う。

 


ルオー

2007年10月01日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)


50年ぶりに東大前のルオーに寄りました。
お茶の水から本郷3丁目を過ぎて、
病み上がりの足慣らしに日光御成街道の出発点を
少し歩こうと思ったのです。
赤門を過ぎて本郷通りを反対側に渡って、
少し進むとルオーがありました。
お昼を半分回っていましたから、
店内はランチのお客で満員でした。
特製カレーライス、飲物付き950円也。
ランチにしては良い値段だと思いましたが、
みんながカレーを食べていました。
一つだけ空いた二階の階段脇のカウンター席に座って
ボクは店内を眺めました。
店内には品の良い年老いたウエートレスと、
学生みたいな若いウエーターの二人だけでした。
「50年ぶりなんです。」
と、ボクは二人に言いたかったのですが、
ただ、「カレーライス」
と言っただけです。
美味しかったです。カレーライス!
他の客は、みんなが、フレッシュジュースを頼んでいましたが、
ボクは、小さめのホットコーヒーを頼みました。
珈琲も美味しかったです。
もちろん、ブラックで飲みました。
ルオーには学生の頃、
絵描きだった彼女に連れてきて貰ったのでした。
ルオーですからね?
階段の壁に、大きなルオーの自画像がありました。
店内全体が50年の歴史を、ボクに話しかけてくるようでした。
昼休みが終わって空席が目立つまで、
ゆっくりカレーライスを食べました。
付け合わせの小皿のラッキョウと福神漬けを、
ちゃんと全部食べました。
「50年ぶりなんです?」
そう言いたかったのですが、
黙って学生風のウエーターに950円払って、
ちょっとだけ一階の店内を見渡して外へ出ました。
本郷通りを歩いて行くと、
気がついたら中山道との分かれ道、
本郷追分けを通りすぎて、
駒込吉祥寺の門前まで来ていました。
”日光御成街道の出発点”を
また素通りして来ちゃった?”
想い出のルオーを見つけたけれど、
”追分け”を忘れたでは、街道歩き失格です。
ボクは引き返すことにしました。
御成街道を歩いた4年前に見落とした幾つかのポイントを確認するのが、
今日の散歩のテーマです。
本郷通りを途中で右に折れて、
中山道まで出ることにしました。
中山道を逆にたどれば、日光御成街道との分岐点。
本郷追分けに出るはずです。
しばらく路地を進むと、少し広い道路に出ました。
”多分、この道が中山道だな?”
でも、御成街道よりずっと狭い通りでした。
ボクは、中山道の方が御成街道より
大きい道だと思いこんでいたのです。
車も少ないし、落ち着いた通りでした。
しばらく歩くと本郷税務署がありました。
その先は商店も増えて、
商店街の登り旗”にR17”の文字が見えました。
R17というのは中山道のことだ。
中山道は、右に大きく曲がって、
その先に本郷通りの見慣れた景色が見えました。
道路標識が右に”R17”と示していました。
中山道はここから本郷通りを神田まで続いているんだ。
ということは、この交差点が”本郷追分け”だ。
左角に古い酒屋がありました。
時代物の屋根はそっくり今風の看板に三方を覆われて隠れていました。
看板にはローマ字でTAKASAKISAKETENとありました。
御成街道側に回り込んで看板の上を覗くと、
半分錆びて朽ちかけた細い鉄骨が見えました。
確かにこれが街道歩きの案内書に出ていた
老舗の大店だ。
反対側の角に広がる東京大学は、
この大店と同じ歴史を重ねているが、まだまだ健在だ。
酒屋と大学?
格差の現実が、街道の分かれ道に歴然とあるということか?
でも、ここまで独り生き残っただけ凄いじゃないか。
ボクは、次の素通りしたポイント、
西原一里塚に向かうことにした。


 

 



 


パイレーツ・オブ・カビリアン

2007年06月23日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

宇都宮駅に下りたら、
先ずは駅ビル一階の”みんみん”で
焼き餃子240円。と水餃子240円を食べる。
みんみんの餃子は淡泊な味だ。
行列が出来る店だが、回転が速いのですぐに座れる。
ただし、焼き餃子はすぐ出てくるが、
水餃子は、中々来ない。
今夜は宇都宮泊まりだから、
夕食までシネコンで映画だ。
いかにも街の裏口という感じのうす暗い長い通路で線路を越えて東口へ。
右手にベルモール行きのバス停。
バスは出たばかりか、
乗り遅れた女子高生の二人連れが、そばのタクシー乗り場に行った。
先客の小母様に声を掛けて、
ボクもタクシーにする。
「ベルモードのシネコンまで!」
「映画を見るのですか?」
タクシードライバーが怪訝な顔をした。
映画は若者と相場は決まっているのか?
パイレーツ・オブ・カビリアン/ワールド・エンド?
もう、ポスターもカタログもない。
タイトルだけじゃ。どんな映画か判らなかった。
こんなところが、浮世離れした我が輩の良いところか?
”6本見たら1本無料!”の入会案内を配っていた
案内のおばさんに訊く。
小母さんにも、中身は説明出来ないだって?
そんな難しい映画なんだろうか?
「でも、先週はすごい行列が出来てましたよ。わたしも見たいと思ってます」
”これに決めた!”
”ダイハード2”は一時間半待ちだった。
それに、カビリアンは上映開始時間JUSTだった。
シルバー割引1000円也。
こう言うときだけ老人顔になる。
若者だらけのシネコンでは、何も見せなくても老夫婦だ。
”はい、二千円”
「9番にお入り下さい」
九番のドアを開けると、コマーシャル映像が始まっていた。
暗い客席は、若い匂いで溢れていた。
予告編が半時間も続いただろうか?
映画という奴は、10分や15分遅れて入っても大丈夫だ?
本番だけでいいならね?
なんだ。人気のディズニー映画じゃないか。
かの人気男優、ジョニー・デップ扮するキャプテン、ジャック・スパロウ!
カリブ海の愉快な海賊の物語だ。
二枚目俳優は、ウイル・ターナー役のオーランド・ブルーム?
とにかく面白い。
幽霊船と海賊船の激突シーンはすごい!
実に迫力がある。
旅に出て、こんな映画はいいかも!
というわけで、気分はカリブの海賊?
疲れたときには、元気が出る映画だ。
夜食は、宇都宮餃子館で、”スタミナ健太”他八種を食べる。


日光街道千住宿

2007年05月04日 02時25分48秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

日暮里から常磐線で北千住へ
奥州街道・日光街道の出発点、千住宿へ行く。
古街道歩きのガイドブックでは、
鶯谷駅で下りて、入谷の鬼子母神へ寄り、
竜泉寺の一葉記念館から吉原へと
コースがあったが、
例によって出足遅く
鶯谷到着が四時では、肝心の千住の宿場通りが日暮れになる。
というわけで、逆コースを取ることにした。
なにしろ、入谷の鬼子母神は、
一昨年、去年と朝顔市に出かけた。
何しろ初めての通学が根岸小学校だった。
根岸界隈は、先刻ご承知だ。
その上、日光御成街道経由で日光まで踏破ずみだ。
明るい内にと北千住に足を伸ばす。
北千住駅に下りたら、さすが由緒ある千住の宿場。
駅は豪華な駅ビルと、
駅前脇にはマルイの大きなビルがあった。
どちらも客で溢れている。
おなじみのア、ラ、カンパーニュの洋菓子売り場もある。
マルイ前のエスカレータを下りて右に進む。
駅前再開発で歩きやすく変わった。
しばらく進むと、長円寺。こぢんまりとした地蔵堂。
眼病に御利益があるらしい。めの字の絵馬が並んでいた。
更に進んで旧家の門に突き当たり、
犬猫が通るような狭い路地を左に進むと日光街道に出る。
右に進んで荒川土手の手前に、最初の名所、名倉医院を見る。
名倉といえば、ボクの幼少の頃は、骨接ぎの代名詞だった。
ここが、接骨の名医として有名な名倉の本家だ。
回れ右をして、旧日光街道、宿場町商店街を歩く。
すぐ左に甘納豆で有名な大塚製菓所。
昔ながらの乾いた甘納豆が一袋190g250円。
また買いに来たくなる味と安さだ。
右側に槍かけだんごのかどや。
手作りなので売り切れたら終わり。
甘納豆は買えたが、団子屋はもう閉めていた。
信号のある交差点の角に、いかにも戦前の家というのがあって。
宿場通り側に、懐かしい屋根の上の物干し場があった。
宿場通りの所々に古い板で、
「元嗅ぎ煙草屋とか青物問屋」などと書いた表札があった。
通りの右側に、

「いまある商品が無くなったら店じまいします」
という張り紙がしてある小さい店があった。
鼈甲細工の店だ。
鼈甲はずいぶん前に輸入禁止になって材料が底をついたのだろう。
覗いて見たかったが、鼈甲細工は昔から高価なものだ。
投げ売りをしてるわけではない。
残念ながら長崎で耳かきを買ったことがあるが、
その時、かみさんもブローチを買って、他にプレゼントしたい女性もいない。娘がいたらな。
そう思いながら通りすぎた。
宿場通りを抜けた辺りに、
旧家の蔵を移築してオーップンした千住宿歴史プチテラスという
感じの良い洒落たギャラリーがあった。
丁度、五時ジャストだったが、六時までです。と品のいい小母ちゃまが
いて招き入れてくれた。
素敵な押し花の絵の個展だった。
槍かけ団子の斜向かいに残る横山家寄贈した蔵だという。
前後の庭も洒落ていた。
内庭の奥に、鹿と蝸牛の彫ってある大きな石灯籠があった。
「あの鹿と蝸牛は何の意味があるのでしょうか」
と個展の留守番をしている小母ちゃまに聞かれた。
「蝸牛会のある光明寺で聞けばわかるかも」
と言ったら、帰り際に「これ、美味しいんですよ」と言って、
昆布飴をくれた。
宿場通りを歩きながら一つ口に入れたら、確かに美味だった。
千住大橋の手前左側に足立市場がある。
千住宿は、”やっちゃ場”で賑わった宿場だ。
やっちゃ場は、問屋の競り声が、「やっちゃ、やっちゃ」と聞こえたので、
市場のことを”やっちゃ場”というらしい。千住のやっちゃ場は主として青物市場だ。品川と並ぶ江戸への入口、出口の宿場だったから、千葉や埼玉の野菜がここで先ず競りに掛けられ、府内の市場へ動いたのだろうか。
江戸、明治、昭和の戦前まで、千住のやっちゃ場は栄えたという。
「やっちゃ場の女」という映画を見たことがある。
いかにも威勢のいい女性だ。
千住大橋は、隅田川を跨いでいる。
橋を渡ると南千住。右手に素簑雄神社。
大銀杏がある。
左斜めに南千住の駅の先に、
小塚原刑場跡。回向院。
刑場跡は、JR線路脇の今は、回向院から分離した延命院墓地だ。
露天の大仏がある。
うす暗くなったら、さぞ不気味な所だろう。
そろそろ夕方だ。
逆行なので、狭い墓地の中に入って、大仏の背中の写真を撮る。
それでも、二組の観光客に会う。
後戻りして、三ノ輪橋に向かう商店街を抜ける。
三ノ輪橋は、早稲田から来る都電の終点。
これに乗れば、王子を経由して早稲田まで行ける。
古き時代のちぃんちん電車の生き残りだ。
三ノ輪から根岸へ抜けた辺りで、
方向感覚が可笑しくなった。
ガイドブックのコピーしか持たなかったのが
不用意だったか、吉原遊女投げ込み寺、
浄閑寺は大通りの向こうに見たが、
その先で迷子になった。
大通りを避けて裏道を歩いていた。
気がついた時は、見返り柳も大門跡も通りすぎた。
道路標識は、根岸五丁目。
右と左、西と東を間違えたのだ。
逆コースをとったのが裏目に出た。
吉原へ出るつもりが、逆に日暮里に出た。
案内板を見ていたら、斜向かいにグリルがあった。
すでに六時半。
昆布飴一つで歩いていたので喉も渇ききっていた。
~下町の小さなレストラン~
三河名物みそトンカツ
根岸で、何故みそトンカツなんだ?
なんだ。そうだった。江戸は家康と三河武士が開いた町だった。
迷子になったら、店に入る。
これが街道歩きの常識だ。
というわけでみそトンカツを注文した。
ビールはママさんお勧めのハートランドビール。
ハートランドは肉料理に最高だ。冷え具合も最高だった。
みそカツも、もちろん美味。
近所の人たちが来るのか、ボクの他に三家族で満席。
一家族が外で待っていた。
老夫婦と息子の三人でやっている店だ。
実に暖かい。流行るわけだ。
また来たくなる下町の小さなレストラン!
店名は「三好弥」東日暮里4-2-19 
日暮里まで1キロぐらいか。
新宿駅に着いたのが七時半。
歩数18505歩。
 

 




 


朝顔市に

2006年07月08日 19時28分23秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)
朝ではなくて午後四時半頃に鶯谷から陸橋を渡った。
畏れ入谷の鬼子母神だ。
毎年七月の六、七、八日。朝顔市だ。
まずは鬼子母神様にお題目。
お堂右手に売り場がある。
朝顔みたいに涼しげなお姉さんがいた。
さすが下町。話し方も歯切れがいい。
お姉さんに、朝顔を選んでもらう。
ここ、境内の売り場は下谷一丁目町会の店。
外回りの歩道に並ぶ屋根付きの売り場は植木屋さんだという。
どの鉢にも四種類の朝顔が育っていた。
「こんな風に根本の太いのが丈夫なんです。
色は四色、でも夕方だから何色かよくわかりません。
色の希望は?
私は素人だから、自信がないんですが。
いいですか?」
「お姉さんの選んだ鉢を信用するさ。
色もお楽しみでいいよ。
きっと朝になったら見事に咲くよ」
女の子は一つ売れて嬉しそうに笑った。
明日の朝が楽しみだ。

宇都宮へ到着

2005年12月05日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)
2005年12月5日 (月)
ようやく宇都宮まで 木喰五行の旅を辿って、
ようやく宇都宮にたどり着きました。
JR東北線自治医大駅から石橋駅・雀宮駅を通り過ぎて、
五時間歩いて宇都宮です。
72才の一人旅、なんとか再開できそうです。
相模原から八王子へ、
西国分寺で武蔵野線に乗り換えて武蔵浦和駅で富士山を見ました。
埼玉でも富士山が見えるんだ。
埼玉の人に叱られそうな感動です。
大宮駅から東北新幹線で宇都宮へ向かいます。
ジパングクラブで三割引というのはぼくのような旅人には助かります。
きょうで歩き始めて三日目、少しずつ足も慣れてきます。
夕方5時を過ぎると日が暮れます。
夜の裏道は外灯も少なくて、
左腕に国勢調査で頂いた光る腕輪を巻いて車よけにします。
宇都宮から道が分かれます。
左へ進めば日光へ、右へ曲がれば那須野原です。
さてどちらの道を行くべきか。
間もなく雪になりそうです。

小山から

2005年11月26日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

 2005年11月26日 (土)  小山から小金井、自治医大まで

再び歩き始めて二日目。
JRジパングクラブの会員になって三年目になりますが、
なかなか使う機会がありませんでした。なにしろ200キロ以上にならないと割引にならないのです。
気がついたら小山まで往復で200キロ超えていました。
3割引は大きいです。
八王子から西国分寺、武蔵野線で南浦和へ出る。
大宮から新幹線に乗れば小山はすぐです。
駅ナビで時間を調べるのにも、ようやく慣れました。
というわけで小山まで。出足が遅いので歩き始めが午後になります。
冬の日は5時には暮れる。
なんとか二駅、自治医大駅まで歩きました。


小山から自治医大駅まで

2005年11月26日 00時00分00秒 | 街道歩き(日光御成・日光街道)

2005年11月26日 (土) 小山から小金井、自治医大まで

再び歩き始めて二日目。
JRジパングクラブの会員になって三年目になりますが、
なかなか使う機会がありませんでした。
なにしろ200キロ以上にならないと割引にならないのです。
気がついたら小山まで往復で200キロ超えていました。
3割引は大きいです。
八王子から西国分寺、武蔵野線で南浦和へ出る。
大宮から新幹線に乗れば小山はすぐです。
駅ナビで時間を調べるのにも、ようやく慣れました。
というわけで小山まで。
出足が遅いので歩き始めが午後になります。
冬の日は5時には暮れる。
なんとか二駅、自治医大駅まで歩きました。