青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

聖愚者の約束

2012年09月16日 21時37分43秒 | 日記

     ●大塚天祖神社の御輿渡御

大塚も、
新宿も、祭礼だった。



だからといって、祭り見物に来たのではない。
今日の職員研修は、演劇鑑賞だ。
英文学の巨匠、
サマセット・モーム原作のお芝居。
『聖愚者の約束』
モームの作品は、「月と六ペンス」を読んだことがあるが?
この話は」、知らなかった。

流石にモーム。
舞台も構成も、チェスを下敷きにしていた。
チェスを知らないと、最初はちょっぴり難解である。
これこそサマセット・モームの大傑作ミステリー。下半身不随で寝たきりの長男の突然死。自殺か他殺か?
献身的で実に忠実な看護婦の告発から、
事件の真相がますますわからなくなる。



難しい芝居を観た後で、
カラオケ付きパーティールームで
懇親会とは、現代人にはぴったりなのかも?


夕闇の迫る新宿の街で
わが仲間たちは、実に開放的だった。


相思華

2012年09月16日 19時31分06秒 | 俳句

「葉は花を思い、花は葉を思う。」
これは、帰り道の京王電車の額面広告の
文章である。
京王電車の秋の企画なのか?
『花さんぽ』というのが売りらしい。
彼岸花というより、
曼珠沙華と読んだ方が、
俳句としては艶やかである。

 義経寺の 松の根元に 彼岸花
どうだろうか?
親愛なる句友が、曼珠沙華を推すが
義経寺には、曼珠沙華はしっくりこない。 
 
 

  友と踏む 竜飛岬や 月見草

      *添削前 友と来た 竜飛崎に 月見草 

  十六夜や 階段国道 闇迫る

     


手術成功

2012年09月13日 00時00分00秒 | 日記
9月11日午後2時、
協同病院に入院。
保護者として、執刀担当医師から説明を受ける。
要するに、右足股関節部位を人工関節に交換する。

輸血用の血は、二日間で患者本人から採血完了。
不測の事態は99パーセントないでしょうが、
すべては開いて見ないとわかりません。
立会人・同意書署名。
当日までにご用意ください。
明後日12時半には来ていただけますね。
執刀は13日午後1時の予定です。
書類は即日確認・署名本人に預ける。

若い医師だった。
自信が感じられた。
そして、当日。
9月13日午後12時半、病院に待機。
1時間遅れで、本人と同行。
手術室前で別れて
はす向かいの立会人控え室に案内される。
ドラマのように施術の様子を
ガラス張りに眺望室から覗けるのかと
想像したが、立会人控え室は
十人あまりの家族で埋まっていた。
すべては医師を信じるしかない。

午後2時入室・直ちに手術開始。
施術名「右人工股関節置換術クリニカルパス」
ただ
ただ 待つ。

午後5時、手術がすんだと看護師が控え室に。
すぐに担当医師の待つ手術室脇の小部屋に行く。

すべて順調に処置完了。
事前に準備した本人血液も余るとの説明を受ける。
午後5時27分すべて終了。
本人の戻った病室へ。

安静就寝中の患者を
再び余った本人の血液を戻す
点滴管を見守る役を看護師に依頼される。
午後7時半、意識戻る。
すべての血液が戻るのは
およそ3時間と聞く。
午後8時半すぎに病院を去る。

外ヶ浜巡回記録

2012年09月09日 02時06分35秒 | 街道歩き(奥州街道)



・・・と、いいかげんな事を云いのこし、
愛用のボストンバッグを持って地下鉄を虎ノ門から上野に向かったのは十時に近かった。


 ●昭和29年3月24日、当時の龍飛港で伝馬船に移る石上君


 ●当時の外ヶ浜街道
 
外ヶ浜巡回記録
           参加者 早稲田大学児童文化研究会会員 朝比奈・石上・奥寺 以上3名
           後援  東奥日報社・編集局調査部長下山富吉(俊三)・北畠八穂(童話作家)

(1) 1929/03/24夜 龍飛小学校 全校生徒&保護者 約300名
童話 大きなわんわん(朝比奈) 人形劇 狐と烏(朝比奈・石上・奥寺)
(2) 1929/03/25 昼 一本木小学校  全校生徒 300名 
童話 大きなおまんじゅう(石上)、けしの花(朝比奈)
人形劇 狐と烏 (朝比奈・石上・奥寺)
(3) 1929/3/25 夜 袰月小学校   全校生徒&保護者 約500名
童話 赤んぼ婆さん(朝比奈)、童話 大きなおまんじゅう(石上)
幻灯劇 ねずみの嫁入り・杜子春、人形劇 狐と烏 (朝比奈・石上・奥寺)
(4) 1929/03/26 昼  平舘小学校 六年生 100名&来賓 
       口演童話について (朝比奈) 
童話 大きなおまんじゅう(石上)、とりの巣と子どもたち(朝比奈)


   ●当時の外ヶ浜袰月辺り


   ●口演童話「大きなおまんじゅう」を話す石上君(当時大学1年生)

明日は石上慈敬君の27回忌法要が芝の光明寺であります。
奇しくも一昨日、9月6日に彼と歩いた『外ヶ浜』海岸を歩けたのです。
もちろん、太宰治の泊まった「奥谷旅館」に私も慈敬君も宿をとったのです。
奥谷旅館は廃業して現在は、
「龍飛館」と名称を変え外ヶ浜町町営の龍飛岬観光案内所になっています。

私たちは、
龍飛岬灯台村をモデルにした


長編童話『悪たれ童子ポコ』を書いた
津軽出身の童話作家北畠八穂さんの紹介で、
当時の八穂さんの弟子だった
東奥日報社下山調査部長のお世話で
卒業式真っ盛りの四カ所の小学校で巡回子供会を行ったのです。
東奥日報蟹田支局の岸支局長には、
大変お世話になったことを覚えています。
往路は、蟹田から船で7時間。
帰路は各小学校を公演しながら
山背の吹き荒れる砂利道の外ヶ浜街道を踏破したのです。


   ●浅草公園六区で日本放送『ネオンの街に生まれた子』街頭録音に出演中の北畠八穂先生。 

弘前最古のカフェ

2012年09月07日 21時45分04秒 | 街道歩き(奥州街道)

津軽半島歩き旅、
最終日に弘前城まで足を延ばす。
弘前藩は幕末に官軍に就いた。
だから天守閣が東北地方で唯一現存した。
弘前城天守閣は三層である。
三階の天守閣から岩木山を眺める。
会津や白河や白石や八戸や三戸の城跡を見た江戸育ちの青鬼先生にしては、
なんともやるせない気分である?
思い切ってタクシーを拾って聞く。
「弘前で洒落たレトロなカフェに連れて行ってくれませんか?」
「それなら、万茶です」
創業昭和四年の喫茶店万茶は、意外に古びたカフェではない。
テーブルも椅子もメニューも実に新しい。
中年の女性客がひとり。
後で老年の女性客がひとり。
カウンターの奥の壁面に「若い人 石坂生」の色紙。
石坂洋二郎だ。
奈良岡朋子と井上ひさしの色紙も。
焼きリンゴ、
アイスクリーム添えに
太宰珈琲のセット八百五十円。
カウンター手前右側に創業当時の写真があった。
太宰好みの珈琲は苦みがあるが、
砂糖無しで飲める。