・・・と、いいかげんな事を云いのこし、
愛用のボストンバッグを持って地下鉄を虎ノ門から上野に向かったのは十時に近かった。
●昭和29年3月24日、当時の龍飛港で伝馬船に移る石上君
●当時の外ヶ浜街道
外ヶ浜巡回記録
参加者 早稲田大学児童文化研究会会員 朝比奈・石上・奥寺 以上3名
後援 東奥日報社・編集局調査部長下山富吉(俊三)・北畠八穂(童話作家)
(1) 1929/03/24夜 龍飛小学校 全校生徒&保護者 約300名
童話 大きなわんわん(朝比奈) 人形劇 狐と烏(朝比奈・石上・奥寺)
(2) 1929/03/25 昼 一本木小学校 全校生徒 300名
童話 大きなおまんじゅう(石上)、けしの花(朝比奈)
人形劇 狐と烏 (朝比奈・石上・奥寺)
(3) 1929/3/25 夜 袰月小学校 全校生徒&保護者 約500名
童話 赤んぼ婆さん(朝比奈)、童話 大きなおまんじゅう(石上)
幻灯劇 ねずみの嫁入り・杜子春、人形劇 狐と烏 (朝比奈・石上・奥寺)
(4) 1929/03/26 昼 平舘小学校 六年生 100名&来賓
口演童話について (朝比奈)
童話 大きなおまんじゅう(石上)、とりの巣と子どもたち(朝比奈)
●当時の外ヶ浜袰月辺り
●口演童話「大きなおまんじゅう」を話す石上君(当時大学1年生)
明日は石上慈敬君の27回忌法要が芝の光明寺であります。
奇しくも一昨日、9月6日に彼と歩いた『外ヶ浜』海岸を歩けたのです。
もちろん、太宰治の泊まった「奥谷旅館」に私も慈敬君も宿をとったのです。
奥谷旅館は廃業して現在は、
「龍飛館」と名称を変え外ヶ浜町町営の龍飛岬観光案内所になっています。
私たちは、
龍飛岬灯台村をモデルにした
長編童話『悪たれ童子ポコ』を書いた
津軽出身の童話作家北畠八穂さんの紹介で、
当時の八穂さんの弟子だった
東奥日報社下山調査部長のお世話で
卒業式真っ盛りの四カ所の小学校で巡回子供会を行ったのです。
東奥日報蟹田支局の岸支局長には、
大変お世話になったことを覚えています。
往路は、蟹田から船で7時間。
帰路は各小学校を公演しながら
山背の吹き荒れる砂利道の外ヶ浜街道を踏破したのです。
●浅草公園六区で日本放送『ネオンの街に生まれた子』街頭録音に出演中の北畠八穂先生。