●斗螢稲荷からの土手道
昨夜、誕生童話会で一年ぶりに「ジンボン時計」を話したが、
どうも、いけないと思った。
枕で”お爺さんが越えるはずの小さな山を忘れたのだ。
童話というのは絵のように情景が聞き手の脳裏に浮かばなくてはならない。
「老いたな」
気がついたら、お婆さんがおむすびを作るのも忘れていた。
「やっぱり、歩きに行こう」
「歩きに行くのですか?」
「うん。夜のうちに古川まで行くことにする」
14時15分相模原駅発。八王子、西国分寺、
武蔵野線武蔵浦和経由、大宮へ。
16時06分発やまびこ59号盛岡行乗車。
古川駅に17時55分着。
駅ナカで夕食を取ることにする。
駅ビル一階に新宿さぼてんがあった。
迷わず店内へ。
「お客さん、東京ですか?」
「わかるかい?」
「言葉で。驚いたでしょう。寒いので」
「まだ外に出てないので。そんなに寒いの?」
「さっき、雪が降り出しました。道が凍るから滑りますよ」
健美豚ロース定食1,290円也。この店では最高級の定食だ。
●プラザホテル古川
古川から築館へ三ヶ月ぶりの歩き旅。
目覚めると、
屋根も道も真っ白だった。
●古川市台町商店街
朝食バイキングを売り物にしているだけあって
和食も洋食も結構いけてる。
のんびりと食事をしてホテルを8時45分出立。
滑らないように新雪を踏んで歩く。
台町商店街は朝が早い。
再開発も終わり一昨年、
シネマコンプレックスリオーネ古川もオープンした。
●四季彩通りの黄色いポスト
日本一美しい町を目指す「四季彩通り商店街」を通過、
●江合橋から白鳥を
国道4号線に合流してして陸羽(奥州)街道をしばらく進むと、
旧道は左へと分かれて荒谷集落へ向かう。
●荒谷宿旧道中程の案内板
旧街道分岐点に大きな標識。
「千葉周作が幼少期に過ごした地、斗螢稲荷神社へどうぞ」と。
荒谷集落をしばらく進むと
荒谷郵便局(荒谷宿本陣跡)の先にも案内看板があった。
●斗螢稲荷境内にある周作旧居跡
周作の出生地は、この地という説と、
陸前気仙郡気仙村、現岩手県陸前高田市の説が有力である。
幼名を於英松といい、五才頃父幸右衛門に連れられて、
この明神下に住居を定め江戸へ出るまでの十年余を過ごしたという。
周作の少年時代の逸話として、
斗螢山の麓を流れる小川の岸辺にカメ蜂の巣があり。
それを木刀一本で退治した話や泥棒を捕えた話、
あるいは桜ノ目石母田邸にあった道場やぶりなど話が残っている。
周作の父はこの地で見廻り役などをし屋敷跡は、
後世まであったという。
●斗螢稲荷神社
当時この辺りに相馬藩で北辰夢想流を創始した
千葉吉之丞という武士が居を構えていた。
周作父子はこの地で吉之丞を師匠として北辰夢想流の剣法を学んだ。
その後に周作は江戸へ出て小野派一刀流を学び、
北辰一刀流をあみだした。
北辰という名称も北斗七星を意味し、あるいは斗螢が妙見に由来しているかもしれない。
ところで、坂本竜馬ゆかりの千葉の鬼小町お佐那さんは、周作の弟である千葉定吉の息女という。
今年のNHK大河ドラマ竜馬伝で人気が出れば、
歴女たちがこの辺りに出没するかも?
歴爺じゃあなくて、歴女にぜひとも大勢来てほしい。
注:かめ蜂:スズメ蜂の別称。巣が水瓶(かめ)の形に似ているので
地方によってはカメ蜂と呼んだ。
雪の土手道を奥州街道へと戻る。
国道4号に出ると、左手に洒落たケーキ&カフェがある。
寒村には驚きの技能士金賞受賞のパテシエが開いたケーキ店である。
ケーキもコーヒーも安くて美味。
ランチには早かったので、モンブランとコーヒーを頼む。
「今日は何処まで歩くのですか?」
「築館で弥勒菩薩をお参りして、くりこま高原駅まで行くつもりです」
「お客さん。遠いですよ」
「駅前のホテルを予約してあるので」
「昨日も歩いているお客さんが休んで行かれましたが、
築館までやっとだとおっしゃってました」
「よく街道歩きの人が、寄るのですか?」
「ちょうど一休みして行くのにこの店は丁度いいのでしょうね。
毎日のように街道歩きの人がいらっしゃいます。
これまでで一番お年を召したお客さんは72歳でした。
歩けなくなったらコンビニに飛び込んでタクシーを呼んでもらうそうです」
「そうか、そういう手があるんですね」
「お客さんも、無理をなさらないで下さいね。
国道から外れると除雪してませんから旧道は避けた方がいいですよ」
親切なパテシエ夫人だった。
ボクの年がわかると驚いて、
高清水宿分岐点の手前にコンビニがあるから、
そこでタクシーを呼んでもらうようにと心配してくれた。
彼女は毎朝、くりこま高原駅辺りから車で通っているという。