青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

前沢から水沢まで

2010年01月31日 20時08分19秒 | 街道歩き(奥州街道)
ノンビリし過ぎた。
フロントでリュックサックを宅配便送りにする。
昨夜の酒蔵に帰りしなに寄りたかったが、どう考えても無理だ。
一ノ関の朝は雪だった。
ローカル線は乗り遅れると一時間以上待たされる。
前沢駅に到着が11時51分。



前沢牛のナカザトでランチには、
ホテルの朝食バイキングを詰め込み過ぎた。
前沢牛を諦める代わりに昨日見過ごした西岩寺の五百羅漢を拝みに戻る。
戻り道はやけに遠い。
戻れば2倍歩くことになる。
日曜日の商店街に人っ子一人なしだ。
西岩寺の急階段を上る。
本堂の前にこんな掲示。
本堂に入ってたまには静かにお座りなさい。
靴紐を解いて本堂に入る。
五百羅漢は見当たらない。
内陣の奥、本尊両脇に木像が数体。
羅漢ではなく十大弟子だ。
暫くうろうろしたが寺人はお昼寝か?
本堂を出て周囲を探す。
五百羅漢は石仏のはずだ。
石仏が五百もあれば外に違いない。
そう考えたが、ここの五百羅漢は木造だった。
200余年前に西岩寺九世唯峰不白禅和尚が
諸国を行脚して浄財を募り500体の羅漢像を
残したという話だが、
残念ながら昭和24年の大火で消失。
28体のみが現存していると。
ということで、現在は収蔵庫に。
上手に庫裏。更に右に歩くとあった。


石段上に五百羅漢収蔵庫が。
山の斜面を前沢駅方向へと戻る。
途中に観音坂。
急坂を上ると鳥居の奥に古い祠。
雪は止んで薄日がさしてきた。
駅への丁字路に到着。
街道は逆に右へとクランクする。
再び右折。


途中、いかにも古色蒼然とした屋敷があった。
これが前沢宿の本陣である。
前沢明峰支援学校(養護学校)の向かい山腹に
歌舞伎浄瑠璃「伽羅先代萩」の政岡のモデル
三沢初子の持仏釈迦如来木像が残る日蓮宗久成寺がある。


300メートル弱の急坂を登るが、
釈迦仏は市収蔵館に預けられて
公開は年に一度の4月8日花祭りのみ。
「わざわざ何しに来たの?バッカミタイ
とけんもほろろ。
「遠路はるばるご参詣にお出でなさった。」
なんて住職からの愛想は無し。
「池上本門寺開基日朗上人伝記も書いたのに」とPRをしたのにね。
「法華経の現代語訳もさせて頂いたんですが?」
と話せばよかったのか?
池上本門寺は前沢には通じなかったか?
ぶつぶつ言いながら”樅の木は残った”
じゃない、坂道を戻った。


一ノ関へ

2010年01月29日 14時57分18秒 | 街道歩き(奥州街道)
随分ためらったが出かけることにした。
継続こそ成功の基本である。
先ずは第2保育園屋に登り
やりっ放しの外壁工事を点検する。
屋上野菜畑に"撒くだけ肥料"をまんべんなく散布。
ほうれん草は順調だ。
螺旋階段を下りる。
外側から施錠?
閉じ込められた。
人影が見えるが誰一人、気がつく気配もない。
大声を張り上げるのも、携帯で呼ぶのもしゃくだった。
2メートル余のフェンスをよじ登り
プール前の芝生にジャンプ。
この調子なら傷めた腰は快復した。
立腹するより、まだまだ若いことを、喜べ喜べ。
街道歩きのためらい心が、これで消えた。
第一で園長に新人教育のための劇
”泣いた赤鬼演出法”の留意点を教授。
来週金曜日が、赤鬼上演本番だった。
分室の郵便受けに水戸将史参議院議員のパンフと名刺。
民保協新年会で名刺交換したと添え書きがある。
小沢幹事長仕込みか?と感心する。
残念!とメールを送る。
そのまま相模原駅へ。
今は武蔵野線の車中である。
やまびこ59号で一ノ関へ直行。
夜食は何処で?
気分は既に旅の空である。

有壁宿から一関宿へ

2010年01月19日 00時00分00秒 | 街道歩き(奥州街道)

                          ●有壁宿本陣



                           ●有壁無人駅



●十万坂明治天皇御旧跡


                      ●豊吉の墓


              ●一の関新幹線駅 駅中売店のお茶セット 

高清水宿から築館宿へ

2010年01月18日 00時00分00秒 | 街道歩き(奥州街道)

親切なパテシエ夫人の忠告を無視して、
分岐点にあったミニストップで
特売2個120円也のおむすびを買い。
コンビニ裏を右へ旧道に入った。
この先が高清水宿になる。


高清水は名水百選に選ばれている貴重な水が湧く集落だ。
日本三善光寺という霊験あらたかな善光寺がある。
善光寺は左手奥の丘の上にあったが、
寄り道をしないで直進、善光寺橋のレプリカを写し。
南沢川を越えた。
三つの善光寺は、信州善光寺、甲州善光寺と、ここ奥州善光寺。



                    ●高清水 善光寺橋。
奥州善光寺は今から886年前、藤原基衡が父清衡の供養のために
長野の善光寺に模して建立したという。
境内には、新田義貞に敗れて自害した北条高時を悼んで建てられた
北条塔や石碑群がある。
道は下り坂になり橋の右手に伊藤ハムの工場が見える。
坂を登るとすぐに国道4号に合流する。
                     


●この辺りの沼にも白鳥がいる。

旧街道はローソンの先を右折するはずだった。
この辺りから肩のリュックが気になりだした。
冬の東北、リュックの中は冬物がぎゅう詰めだった。
ここまでは宿は少なくとも二泊滞在と決めて
リュックは宿に置いてきた。
それにローカル線沿いの街道なら、
引き返すのも容易である。
仙台から北は東北新幹線沿いで駅と駅の間が長い。
路線バスも遠距離急行はあるが、近距離は途切れている。
街道歩き泣かせの道である。
積雪は少ないが、暖地の人間には少しは応える。
気がついたら目標のローソンを通り過ぎていた。


                    ●東京(日本橋)から400km。
                     築館宿まで16km
街道歩きで頼りになるのは、同行の士のホームページだ。
平成13年9月の東海道踏破では、運良く東海道宿駅制定400年に当たり。
JR東海発行のウオーキングブックに世話になった。
そもそも街道歩きを始めたきっかけは、
浮浪雲氏のホームページを見たのが、そもそもだった。
今回の旅は、「シングルおやじの気ままな一人旅、歩人かっちゃん」氏の記録を
頼りに歩いている。
ところがである。
すでに齢76歳9が月。
若さには定評があるが、物忘れが増えたのだなあ。
わざわざ国土地理院2万5千分の一の地図を買ったのだが、
古川から一関までの地図がお留守番だったのである。
一関から盛岡の地図はリュックに入れてあったのにだ。
これでは横道に入るのは危険だ。
パテシエ夫人の忠告を守って、ひたすら国道を歩くことにした。
おかげで歌舞伎十八番”暫”の鎌倉権五郎所縁の力石は諦めた。


                    ●東京から410km。
                    ●一関まで31km。
まだ10キロしか歩いてないんだ。
蟹沢橋の交差点を右折して1kmで、力石があるそうだ。
1km歩くということは、往復2km余分に歩く計算になる。
荒谷宿で千葉周作に惹かれてすでに4kmは寄り道をした。
そう思ったら急に足が動かなくなった。
蟹沢橋の袂で国道脇にへたり込む。
リュックからおむすびを出して、ほおばる。
小休止だ。


スノーダスト(古川宿へ)

2010年01月16日 00時00分00秒 | 街道歩き(奥州街道)
                            ●斗螢稲荷からの土手道

昨夜、誕生童話会で一年ぶりに「ジンボン時計」を話したが、
どうも、いけないと思った。
枕で”お爺さんが越えるはずの小さな山を忘れたのだ。
童話というのは絵のように情景が聞き手の脳裏に浮かばなくてはならない。
「老いたな」
気がついたら、お婆さんがおむすびを作るのも忘れていた。
「やっぱり、歩きに行こう」
「歩きに行くのですか?」
「うん。夜のうちに古川まで行くことにする」
14時15分相模原駅発。八王子、西国分寺、
武蔵野線武蔵浦和経由、大宮へ。
16時06分発やまびこ59号盛岡行乗車。
古川駅に17時55分着。
駅ナカで夕食を取ることにする。
駅ビル一階に新宿さぼてんがあった。
迷わず店内へ。
「お客さん、東京ですか?」
「わかるかい?」
「言葉で。驚いたでしょう。寒いので」
「まだ外に出てないので。そんなに寒いの?」
「さっき、雪が降り出しました。道が凍るから滑りますよ」
健美豚ロース定食1,290円也。この店では最高級の定食だ。


                       ●プラザホテル古川

古川から築館へ三ヶ月ぶりの歩き旅。
目覚めると、
屋根も道も真っ白だった。

                       ●古川市台町商店街
朝食バイキングを売り物にしているだけあって
和食も洋食も結構いけてる。
のんびりと食事をしてホテルを8時45分出立。
滑らないように新雪を踏んで歩く。
台町商店街は朝が早い。
再開発も終わり一昨年、
シネマコンプレックスリオーネ古川もオープンした。


          ●四季彩通りの黄色いポスト
                
日本一美しい町を目指す「四季彩通り商店街」を通過、


               ●江合橋から白鳥を    

国道4号線に合流してして陸羽(奥州)街道をしばらく進むと、
旧道は左へと分かれて荒谷集落へ向かう。


                 ●荒谷宿旧道中程の案内板
旧街道分岐点に大きな標識。
「千葉周作が幼少期に過ごした地、斗螢稲荷神社へどうぞ」と。
荒谷集落をしばらく進むと
荒谷郵便局(荒谷宿本陣跡)の先にも案内看板があった。


                  ●斗螢稲荷境内にある周作旧居跡
周作の出生地は、この地という説と、
陸前気仙郡気仙村、現岩手県陸前高田市の説が有力である。
幼名を於英松といい、五才頃父幸右衛門に連れられて、
この明神下に住居を定め江戸へ出るまでの十年余を過ごしたという。
周作の少年時代の逸話として、
斗螢山の麓を流れる小川の岸辺にカメ蜂の巣があり。
それを木刀一本で退治した話や泥棒を捕えた話、
あるいは桜ノ目石母田邸にあった道場やぶりなど話が残っている。
周作の父はこの地で見廻り役などをし屋敷跡は、
後世まであったという。


              ●斗螢稲荷神社

当時この辺りに相馬藩で北辰夢想流を創始した
千葉吉之丞という武士が居を構えていた。
周作父子はこの地で吉之丞を師匠として北辰夢想流の剣法を学んだ。
その後に周作は江戸へ出て小野派一刀流を学び、
北辰一刀流をあみだした。
北辰という名称も北斗七星を意味し、あるいは斗螢が妙見に由来しているかもしれない。
ところで、坂本竜馬ゆかりの千葉の鬼小町お佐那さんは、周作の弟である千葉定吉の息女という。
今年のNHK大河ドラマ竜馬伝で人気が出れば、
歴女たちがこの辺りに出没するかも?
歴爺じゃあなくて、歴女にぜひとも大勢来てほしい。
注:かめ蜂:スズメ蜂の別称。巣が水瓶(かめ)の形に似ているので
地方によってはカメ蜂と呼んだ。
雪の土手道を奥州街道へと戻る。
国道4号に出ると、左手に洒落たケーキ&カフェがある。
寒村には驚きの技能士金賞受賞のパテシエが開いたケーキ店である。
ケーキもコーヒーも安くて美味。
ランチには早かったので、モンブランとコーヒーを頼む。

「今日は何処まで歩くのですか?」
「築館で弥勒菩薩をお参りして、くりこま高原駅まで行くつもりです」
「お客さん。遠いですよ」
「駅前のホテルを予約してあるので」
「昨日も歩いているお客さんが休んで行かれましたが、
築館までやっとだとおっしゃってました」
「よく街道歩きの人が、寄るのですか?」
「ちょうど一休みして行くのにこの店は丁度いいのでしょうね。
毎日のように街道歩きの人がいらっしゃいます。
これまでで一番お年を召したお客さんは72歳でした。
歩けなくなったらコンビニに飛び込んでタクシーを呼んでもらうそうです」
「そうか、そういう手があるんですね」
「お客さんも、無理をなさらないで下さいね。
国道から外れると除雪してませんから旧道は避けた方がいいですよ」
親切なパテシエ夫人だった。
ボクの年がわかると驚いて、
高清水宿分岐点の手前にコンビニがあるから、
そこでタクシーを呼んでもらうようにと心配してくれた。
彼女は毎朝、くりこま高原駅辺りから車で通っているという。




誕生童話会

2010年01月15日 16時27分43秒 | 日記
今日は1月生まれの誕生会。
どういう訳か?舞台に上がると子供たちは、少しだけ照れる。
プレゼントは絵本だ。
今日のパホーマンスは新人のパネシァター、懐かしいたけとんぼ作不思議な箱。最後はけんちゃんとヂンボン時計。
無事に終わって、今はやまびこ59号盛岡行きに揺られている。奥州街道一人旅の再開だ。今夜は古川駅前のプラザホテル古川に宿を取る。

横山大観邸

2010年01月11日 23時17分41秒 | 散歩


          ●横山大観邸門前
 ここは、横山大観が明治42年より昭和33年まで住んでいた場所です。
戦災後、昭和29年に再建したものを昭和51年より横山大観記念館として
公開しています。入館料大人500円。65歳以上300円。不忍池南側
東天紅の並びです。

          ●記念館絵葉書霊峰飛鶴(横山大観昭和28年作) 
     

上野池之端の横山大観邸を
訪ねました。
山手線御徒町駅下車。アメ横を横目で素通り、
上野松坂屋前で交差点を斜めに渡り、
上野広小路を不忍池方向に歩くと
岡埜栄泉総本舗が目に入ります。
もちろん、買うのは豆大福(塩大福)。
130年間一子相伝で守られてきたという
逸品です。漉し餡と粒餡の二種。
周りの餅が本物ですから実に美味。
少し歩くと酒悦本店。
「酒悦の創業者・野田清右衛門は、伊勢山田の出身で、本郷本町に「山田屋」と号して店を構え、伊勢から仕入れた海産物を商い、後に店を寛永寺の境内である上野池之端に移し、うに・このわたなど、酒の肴になる珍味類も扱うようになりました。又、当時の上流社会の人々がお茶断ちの日に、お茶かわりに飲む香煎も扱い、上野近辺の寺に出入りするようになりました。やがて寛永寺の本坊である輪王寺の御門跡の白川宮から、「酒が悦ぶほどうまいもの」の意として「酒悦」の屋号を賜り、江戸名店の一つとなりました。今日広く知られ、ご愛顧いただいております「のり佃煮」「福神漬」は、15代清右衛門の発明によるもので、江戸末期から明治の始め頃、創製に着手し十数年の歳月をかけて完成した日本伝統の逸品です。」
                            (酒悦HPから引用)
酒悦では当然、福神漬け(淡味)と梅酢楽京などを。
酒悦の先を右へ曲がると、これまた老舗の蓮玉庵がある。
斎藤茂吉や森鴎外、波正太郎お気に入りの蕎麦屋だ。
連れ合いは、ここで昼食がご希望だった。
だったが満員。日曜祭日はいつも混むという。
特別メニューのセットは午後2時までだが、
昼休みなしだと言うので、「先に大観邸に行って来ます」といったん出る。
一回りして戻ったら店の前に十数人の待ち客。
諦めて別の店を探す。


            ●湯島天神下天久
この天ぷら屋も古い店舗だ。中年夫婦二人で切り盛り。
座席は15。入ったらほぼ満席。
かき揚げが売り。
あがりが熱湯で内唇を火傷。
天油も焼き過ぎか衣がやけに焦げ茶色。
忙しすぎか?



             ●大観邸庭園と六地蔵石灯籠
大観邸は不忍池を遙か根津方向へと歩いた先にあった。
途中でホームレスの人たちが溢れていたが、
給食サービスを待っていたのだ。

大観邸を覗いてから上野動物園西門からモノレールで表門へ。
腰痛の連れ合いのために坂道をモノレールでと思ったのが、
裏目に出て、モノレール待ちに長蛇の列。
私だけは歩いて坂を登る。
モノレール東乗り場出口で待つこと半時間。

動物園内に寛永寺の五重塔があったとは知らなかった。
寛永寺牡丹園の幟を横目に上野駅に速歩。
何度か連れ合いとはぐれる。
疲れた散歩だった。
収穫は岡埜栄泉の豆大福。
「この大福、美味しいわね」
この一言で疲れが吹き飛ぶ。
気がついたら、
連れ合いの腹中に漉し餡と粒餡の二個の大福が?

その夜の夕食は、カレーライス。
カレーライスには酒悦の福神漬けと梅酢楽京が付きものだ。
今時の若者は、カレーライスに福神漬けなんて食べるのかな?


年賀状

2010年01月10日 00時21分29秒 | 日記
三年ぶりの年賀状。
喪中失礼の葉書が
毎年増えて、辛い年末が続きます。
もう、止めておこうかなと思うのですが?
やっぱり、来ないと寂しいものです。
そう思って作りました。

虎の絵は奥州街道歩き旅で
11月28日の夕方、
仙台市郊外堤町で
見つけた堤人形店の手作り干支の張り子です。
色鉛筆で写生したのですが、
なんだか薄くて、マジックでなぞったら
気に入らなくなりました。
「いいんじゃない?」
「そうかな?」
かっては、年に何回か詩の葉書を作って
一度に300通出し続けていたことがあります。
当時の詩の葉書のイラストは、
学院同級生の下村まさる氏でした。
「100枚出したら、本にしような」
「うん、出来るといいね」
と話していました。
その下村氏も、もういません。



鳩山荘

2010年01月07日 00時00分00秒 | 旅行

               ●洲崎灯台からの富士

「今から70年ほど前。南房総館山、西岬海岸に、
2600坪もの広大な松林に囲まれた一軒の瀟洒な別邸がありました。
その別邸の主は、現鳩山首相の祖父、鳩山一郎元首相でした。
その後、氏は別邸跡地を地元館山市に寄贈。県内初の国民宿舎が
この地に開設されました。以来、大規模な改築工事を経て、
約40年間、国民宿舎鳩山荘として親しまれてきました。」
                (松庵パンフより一部引用)

別荘が、どういう経緯で館山市に寄付されたのかは存じませんが、
私が新婚旅行の宿に鳩山荘を選んだ時には、国民宿舎でした。
結婚披露宴は帝国ホテル。
新婚旅行は、ハワイか宮崎日南海岸。
が夢だった新婦にとって、
国民宿舎鳩山荘では、夢も希望もない選択だったと思います。
なにしろ当時の私は両親はすでに他界。
勤め先は、結婚が決まった直後に計画倒産・失業。
手持ちの金は、退職金一ヶ月分。
式場と披露宴だけは、
恩師と朝比奈宋源老師の好意で
鎌倉・円覚寺で挙行出来、仲間たちの肝煎りで
新婚旅行の費用も賄えたくらいです。
近場で格安の国民宿舎が身分相応でした。
その鳩山荘が、民営化復活して、
現在、鳩山荘松庵として生まれ変わっていました。
洲崎灯台に行く途中で、この生まれ変わった鳩山荘を見つけたのです。


            ●鳩山荘松庵前にて


            ●洲の崎灯台にて


お墓参り

2010年01月06日 00時40分55秒 | 日記
●長兄樹5年生・ボク1年生当時の写真。



1月六日は、樹兄貴の命日です。
朝からカングーを飛ばして
アクアラインを通り、
木更津のお寺 興教寺まで
お墓参りに出かけます。