一年ぶりに浅草公会堂へ行きました。
末弟の聰の吹奏楽団の演奏会です。
第16回下町大音楽市”祭りだ、まつりだ、マツリダマンボー”
「100才まで丈夫に生きられる法」伝授します!?
第1部 祝典行進曲(団伊玖磨)、吹奏楽のための木挽歌(小山清茂)、威風堂々第1番(E.エルガー)
第2部 あの日聞いた歌(真島俊夫編曲)・ヴォルガの舟歌(S.ネスティコ編曲)・
ロシア民謡メドレー(岩井直溥)・ 軍艦行進曲(瀬戸内籐吉)・
ジャパニーズ・グラフティⅩⅦ
美空ひばりメドレー(星出尚志編曲)
愛燦々・リンゴ追分・お祭りマンボ・川の流れのように
指揮者 音楽監督 家田厚志(フィルハーモニア東京指揮者)
映画館に入ると、決まって途中で寝入るカミさんも、
かぶり付き正面に席を取ったせいか、最後まで寝入ることはありませんでした。
何しろテーマが「100才まで丈夫に生きられる法」伝授します。ですからね。
このテーマを付けたのは、主催者の台東区芸術文化財団だそうで、
家田厚志指揮者は、主催者の意を汲んで演奏曲をそれなりに選定したそうです。
祝典行進曲は、天皇皇后両陛下の結婚パレードに流れた曲。
軍艦マーチも、美空ひばりのお祭りマンボとくりゃ、聴衆全員が昔に戻ったかも?
とてもとても、居眠りなんかしてられない。
第1部の木挽歌を聴いたときに、
こんな俳句を作りました。
秋深し 山に響くや 木挽歌
註 もしかすると『木挽き歌』も季語かも?
晩秋の歌
●女郎花(オミナエシ)
寂しさや 北の岬の 女郎花
子らの声 励みに登る 石榴かな
万両の 実を一つ摘む 古寺の庭
秋深し 山に響くや 木挽き歌
●江差海岸
●北海道 厚沢部の風車
リハビリに 行く妻と見し 秋の雲
●リハビリに 励む妻なり 鰯雲
秋の夜 妻の痛みを 揉みほぐす
●揉みほぐす 妻の痛みや 星月夜
いつ立つか 迷う秋の夜 北帰行
●「北帰行」 旅立つ刻や 秋の夜
赤蜻蛉 三月もかかりし 我が池に
●我が池に 遅れ遅れの 赤蜻蛉

註:●の句は添削後の句。
突然、携帯電話に変なメールが入ったので
ドコモショップで相談に寄ったら、
「迷惑メールですから、すぐにカットするよう」に
と相談にのってくれたんだ。
ついでに、最近流行の老人向けスマートフォン
に買い換えようと思ったら、
「ブログをおやりなら、こちらがお勧め」
と小型軽量の『ドコモタブレット』をと云われたのだ。
その日は、
丁度連れ合いが大腿骨手術のために
一ヶ月ほど入院するのを病院まで送った帰りだった。、
手術については、担当医に面談し本人も私も
すべてを担当医に任せることに動揺はなかった。
実は、手術よりも今日から始まる家族と自分の
食事作りが心配だった。
全くの衝動買い。
スマートホンを老人向けを選ぼうかと考えていた
私だ。
連れ合いの入院中に、街道歩き最後の旅に久しぶりに
ゴロウを連れて函館から松前・江差・熊石まで
踏破するつもりだった。
要するにその間は私の食事作りはない。
もちろん、旅立ちは連れ合いの手術を見届けてからだ。
クジラの会で
例によって有馬君の舞台美術展の
葉書を頂いた。
銀座7丁目の資生堂の横町を入ると
竹川画廊がある。
11月12日(月)から11月18日(日)に
新宿シアターモリエールで
劇団未来劇場の
「泪と接吻」が上演される。
座長の里吉しげみさんは
かみさん縁の人だ。
かの
水森亜土さんは里吉さんのお奥さん。
もちろん、
舞台と照明は有馬君。
ぜひ、お出かけを

金曜日の午後、
やり残した庭仕事を

すべて完了。

残るは、雨の降るのを待つだけだ。
チョッピリ冷えた夜だったけど、
郵便局まで歩いて行くことにした。
年金定期検査の返信は投函に行ったのだ。
それが油断だったのか?
扁桃腺が痛み出したのは。
今朝、かみさんをバス停まで送って
トンボ返りで医者に寄った。
「どうしたんですか?」
「土曜日の朝から喉が痛くて、咳がちょっと出て」
残念ながら、今日のクジラの会は飲むのは禁止だ。
熱は6度7分だから、仲間に会えばすぐに直る。
梅村の兄貴は来ない?
昭ちゃんも来ない?
カヤさんも、
ケイコさんも来ないそうだ。

横浜東口のそごうの十階、
洒落た和食の大和屋さんの奥の部屋で
今日は、
この五人だけ?

●とりさん。クジラ。やよい夫人。あおおに。馬さん。

熊石に宿を取る。
ここは、木喰上人の旅、最果ての地だ。
この先はアイヌの領分。
かの円空上人もこの地で多くの円空仏を遺す。
木喰上人も円空仏を尋ねて熊石まで旅を重ねたのだろう。
選んだ宿は、熊石村の東外れ、
熊の入っていたのを見て創業者が温泉宿を創ったという見市温泉旅館。
残念ながら、
木喰仏の残る熊石泊川の薬師寺は雨の中を尋ねたが住持不在。
「熊出没注意」の看板に、そうそうと退散する。
すぐ近くに円空仏がある神社があった。
見市温泉から薬師寺までは4kmほどだ。
江差の金剛寺で 木喰仏に逢えた。
木喰上人初期の制作である。
本堂左脇に幼子を抱いて立っていた。
当時、江差地方に天然痘が蔓延し金剛寺の過去帖に多くの子どもの名が残って居ると。
それゆえの子安地蔵尊だ。
今では子宝が欲しい信者が参るとか。