青草俳句会

草深昌子主宰の指導する句会でアミュー厚木での句会を主な活動としています。

新作巻頭3句

2019年11月29日 | お知らせ
「青草」主宰の句が、
2019「俳句界」11月号に掲載されました。

新作巻頭3句
草深昌子 

 欄干を跳んで蛙や秋の風
 底紅に看板出して鍛冶屋かな
 たまに来てすつかり秋の道であり

        (「俳界」2019年11月号所収)

2019「俳壇」11月号

2019年11月24日 | お知らせ
「青草」主宰の句が、
2019「俳壇」11月号に掲載されました。

俳壇ワイド作品集 今月の主宰
臭木の実  草深昌子 [青草]

 刻々の季節のありように驚かされます。
 変化してやまない宇宙の不思議をダイナミックに詠い上
げてゆきたいものです。
 俳句は季題で決まります、季題には私の愛情がこもります
ゆえに「俳句は愛情」ということになりますでしょうか。

 臭木の実摘むべく竹を編んでをり
 扇風機回つていゐたる三和土かな
 二の腕のゆたにたゆたに踊るなり
 道連れの法師蝉とはなりにけり
 寝姿の釈迦ある寺や新豆腐
 幹太くなまめく鮎の下るころ
 一家みな一つ間にゐる良夜かな

(「俳壇」2019年11月号所収)

「青草俳句会」吟行報告

2019年11月15日 | 吟行記
11月8日青草俳句会では南足柄市の最乗寺に吟行を実施しました。
当日は丁度立冬に当たり、少し冷え込みましたが元気いっぱいの青草会員22名が集まり、電車バスを乗り継いで最乗寺に向かいました。
今年の晩秋から初冬は紅葉の遅れが目立ち、せめて薄紅葉でもという切ない願いもむなししく青々とした葉っぱを見上げていました。
それでも最乗寺の広い境内には天狗伝説をはじめ古刹の風情てんこ盛りで、皆さん佳き俳句を詠いあげて句会を盛り上げました。

(草深昌子主宰5句)
老杉の丈をそろへて山眠る            
杉の木のひとくらがりも小春かな
立冬の三百段をのぼりきる            
着ぶくれて天狗に会はんかと思ふ         
杉の根に洞なきはなき神の留守          

(以下主宰選「特選句」清記番号順)
冬に入る天狗の鼻の影長し           まつを
おしやべりの遠くに聞こゆ暖房車         小径
くろがねの大下駄供へ落葉かな         まさ一       
神の旅金剛水は切れめなく           かづ乃 
沢の音に音奪はれて冬の森           翠 
杉落葉朴の落葉や和合下駄             昌緒          
水神の小さく御座す冬紅葉           きよ子
大杉の間の日輪冬に入る            昌緒          
花八手見開く金の天狗の目           しょう子 
突風は天狗のあそび冬立つ日          金太郎
幾百年生きてまつすぐ杉の冬            翠
杉仰ぐ狭間の空や今朝の冬           あき子
リフトより僧侶降り立つ山の秋          きよ子
水神の肌の白さや冬日和            さとみ
高下駄に落葉掃かれて最乗寺          きよ子
百段の磴の一歩や今朝の冬           黎
(記事 坂田金太郎)


「青草俳句会」選後に(令和元年10月)

2019年11月12日 | 「青草俳句会」選後に
色変へぬ松やはるかに即位礼      松尾まつを

 厳粛にも簡潔明瞭の響きがどこまでも透き通っている。
即位礼に対する慶祝がしみじみと余情をひいてやまない。
 実は即位礼の当日、青草俳句会では、芭蕉記念館にて句会を催した。
 作者は美しい松の木の立ち並ぶ清澄庭園を吟行されたのであろう。
まさに事実である。事実に即した俳句ほど強いものはない。
そして、「色変へぬ松」に込める作者の心情の篤さが、
文字通り「はるかに」も尊厳をこめたものとして奥深くも堂々たる一句に仕上がったのである。
事実から真実を引き出したということである。
松は一年中色緑であるが、ことに多くの木々が紅葉するころとなると、
その常磐木の緑のゆるぎなき鮮やかさは日本人の忍びごころそのもののようでもある。


秋時雨江戸深川に来てをりぬ      市川わこ

先の、芭蕉庵吟行では何とか一句をものにしようと、皆さんは相当に気張った句をお作りになった。
お互い、雨の中よく頑張ったよねという思いで読ませていただくなかで、
この句に出会ったとき、目の前がパッとひらけたような明るさに救われた。
本当に、よかったねというやすらぎをいただいた。
厚木から遠くやってきて、ここはかの芭蕉の深川なのだ、ここは江戸なのだという、その静かなる喜びをかみしめているような味わいに立ちどまされたのである。
「江戸」は東京の旧名である。
また今年は、芭蕉がここ深川から奥の細道の旅に出て、330年を迎えた、そう江戸は元禄二年のことであった。
「江戸深川に来てをりぬ」という自分に言い聞かせるような満足感の息遣いが、秋の時雨の情感にどこまでも溶け込んでいる。


すつぽんの貌突き出すや初紅葉     石堂光子

 先日発行された「俳壇」11月号に、私の作句信条として「俳句は季語で決まり」と、書いたばかりである。
さて、掲句を見るとまさにその通り、「初紅葉」なる季語でもって一句は見事に決まっている。
 何で初紅葉かいいのかと問われても困る。作者の直感に、選者が直感でこたえた句としか言いようがない。
散文では説明がつかない、いや説明するとこの句の良さが逃げていきそうである。
 俳句は作る楽しみの他に、俳句をわかる楽しさの方がもっと大きいものだと私は思っている。
 理屈抜きに、人さまの句を素晴らしいなあと思える、
 その日のためには私たちは日々俳句をこつこつ作り上げていくほかないのではないだろうか。
 実作のレベルが上がると、間違いなく選句のレベルはあがっている。


冷まじや鷗吹かれて波の上       佐藤昌緒

 この句も芭蕉庵句会でのもの。
 かの隅田川上空に鷗が飛んでいた、ただそれだけの句である。
 その情景が作者の眼と心を捉えてはなさなかったから一句が生れたのである。
 「初紅葉」の句と同様、「冷まじや」の句も見た通りでありながら、 そこには作者の心の風景とでもいえるものがはっきり投影されているのである。
 「ただそれだけ」の句ほど、強いものはない。
 俳句は意味を伝えるものではないので、ただ黙って自然を提示すれば、分かる人にはわかるのである。


秋園の数寄屋百年屋根の艶       泉 いづ

 清澄庭園には池に突き出すように数寄屋造りの建物がある。
明治42年に岩崎家が建てたものだという、「涼亭」たる名の通りまこと涼しげな一亭ではある。
ここで句会を度々行ったことのある私には、屋根のみどりが美しいぐらいの感慨であったが、
作者はしっかり屋根の艶というところまで見届けられたのである。
あとはもう「秋園」という、
言わば当たり前の季題を置かれたことで「数寄屋百年屋根の艶」なる韻律を一連にして大いに響かせているのである。


蔦紅葉し初むるここは相撲部屋     川井さとみ

 清澄庭園から芭蕉記念館まで小半時の散策には、相撲部屋が三つある。
 錣山部屋、尾車部屋、高田川部屋である。
 相撲というからには和風であってほしいところだが、今はみな大きなビルとなっていささか殺風景である。
でも、そのビルの壁には蔦紅葉が色付きはじめていたというのである。
 「相撲」は本来、年の豊凶を占う神事であったことから秋の季題となっているが、
 現在は大相撲が何回も行われて、季節感は伴わなくなっている。
 このほんのり赤らんだ蔦の生命力は、相撲取りの肌合いをそこはかとなくイメージさせて楽しい。


初鴨の中の一対よく動き        坂田金太郎

 初鴨は多くは群れをなしてくるものであろうが、その群れの中でも何故か二羽だけがしきりにあちこち往来するのである。
 あとの鴨は何やらゆうゆうとただよっているばかり。
 しばらく見惚れているに違いない作者にも何故だかわからない、
 何だか不思議と思われませんか?というのが自然を詠いあげる作者のゆとりである。
ところで、俳句の上達をめざす人は、つい先人の上手な表現を見習って真似をしようとするものであるが、
それだけではただの手練になって行き詰まってしまうであろう。
掲句のように、「素直」に発せられたものには好感がもてる。
 思わず読者もこの光景に首を突っ込んでしばし見とれてしまうものである。
「二羽」でなく「一対」とうところに表現の妙がある。
ここには、初鴨のやってきた喜びがおのずから滲み出ている。


二年目の京の暮しや新豆腐       二村結季

京都の名水は有名。当然のように、京都には名店として名高い豆腐の老舗がたくさんある。
私が今もって忘れられないのは、初めての吟行でいただいた南禅寺の湯豆腐である。
さて、掲句の「新豆腐」は美事においしそう、きらきらである。ふと読者に遠い昔の思い出がよみがえったのも頷けるものである。
結季さんのお嬢さんは先年、京都へ転居された。暮らしの趣が大きく変わった一年目には新豆腐を味わっている余裕なんてなかった、
でも二年目の今年は新豆腐をしんから有り難く思われたのであろう。
新豆腐に代表して語られてはいるが京都の暮しそのものにもよく馴染まれているであろうことが伝ってくるものである。


父の釣る落鮎を待つコンロかな     古舘千世

 お父さんは相当釣り上手、もう次から次へと釣ってくださるのであろう。
 片や、河原には母も子もうち揃って落鮎のピチピチの到来を待っている。
コンロにも赤々と火が回っていますよというところ。
晩秋の日差しもさぞかしたっぷりとあたたかいことであろう。
「コンロ」という日常の何気ないシロモノに焦点を当てて、落鮎という生き物のかなしみをさりげなく感じさせる。
そのポソッとした語感のさびしさもまた落鮎にかようものである。


 いぼむしり肚の大きく脈打てり     湯川桂香
 濡れそぼつ馬の遊具や鵙の贄       加藤かづ乃
 初秋刀魚天まで煙とどけたし       丸山さんぽ
 新蕎麦や御柱道幟立つ        松井あき子
 耳語かとも防音部室の秋の蠅      日下しょう子
 二羽三羽石たたき来て刈田かな     河野きなこ
 彼岸花蝶の高さに咲き揃ひ       伊藤 波
 むらさきの一両電車花野過ぐ       奥山きよ子
 良きことを三つ数へる夜長かな       神﨑ひで子
 月の眉なほ細くして闇にあり        平野 翠
 秋の暮生け垣越しに話しをり        加藤洋洋
 貼りあげし障子の瑕瑾いまいづこ      伊藤欣次
 落鮎や純米吟醸盛りこぼし        柴田博祥
 鴨渡るこれより酒のうまくなる       間 草蛙
 落鮎や釣人の影長くあり         米林ひろ
 一つ家に表札ふたつ秋桜        大山 黎

講演会開催のお知らせ

2019年11月05日 | お知らせ

主催 青草俳句会

日時 11月21日(木曜日)

   14:00~15:00

会場 アミュー厚木504号室

講師 松尾まつを

演題 「俳句と仏教」

司会 草深昌子

多数のご来場をお待ち申し上げます。



講演会開催・盛況にて終了!

硬軟併せ持つ軽妙な話術にて1時間があっという間に終了しました。


記事 佐藤昌緒


結社誌「炎環」に掲載されました

2019年11月03日 | トピックス

「青草」会員の日下しょう子さんの一句が、結社誌「炎環」に掲載されました。

 

俳誌拝読    
 虚と実の間へ   近 恵  

 木の芽張る狸の糞のひとところ    日下しょう子

 

「青草」2019年秋季号より。

木の根元近くに狸のため糞がある。

かなり臭い筈だ。しかしその上方に伸びた木の枝にはしっかりと張った木の芽が。

ユーモラス、かつ繊細な観察眼。

まるで狸の糞も栄養として木の芽が膨らんでいっているようである。 

 

(『炎環』2019年11月号 所収)


「WEP俳句通信」112号(令和元年10月発行)に

2019年11月02日 | トピックス

「青草」同人坂田金太郎さんが掲載されました。
その一部を紹介いたします。

超結社句会・新12番勝負にゲストとして
「青草」同人の坂田金太郎さん、「都市」主宰の中西夕紀さん、「秀」同人の増山叔子さん、「晨」「梓」「棒」同人の水野晶子さん。
ホストは「玉藻」主宰の星野高士さん、「泉」主宰の藤本美和子さん。

以下、一部抜粋 

掛軸は武蔵贋作月今宵       叔子・晶子・高士 

高士 わたしからいいます。「武蔵贋作」って多いんでしょ。「贋作」 が人気あるのよ。作者は分からない。そんな謎めいたものが、この句にはある。満月に部屋に武蔵の贋作が飾ってある。「贋作」って知っていて普通は飾れませんよ(笑い)。「贋作」を堂々と飾っているというのは、誉れ高いですよ。わたしなんか虚子の「贋作」なんか恐くて飾れませんよ(笑い)。

晶子 「武蔵贋作月今宵」がいいなと。これが非常に著名な絵師の「贋作」だったらつまらないんだけど、「武蔵贋作」でそこに「月今宵」で、作者がご満悦な感じがいいなと。

叔子 全く同感です。欠けている月ではなくて、「月今宵」を置いてきたのが面白い。

美和子  採っていません。1句としては出来ているし、形もきれいなんだけど、何か芝居がかっている感じ。

叔子 なるほど。

美和子 見得を切っているような感じがしちゃって、ついていけなかったかな。

高士 やり過ぎ?

美和子 芝居がかり過ぎ、という感じを受けた。

高士 確かにそうだね(笑い)。

金太郎 漢字ばかり。ふんわりした感じの満月なのに、漢字ばかりで堅苦しいな、という感じはしました。

夕紀 わたしは予選では頂いたんです。最後にやめたのは「月今宵」が出来すぎているから。

高士 逆にいいと思ったけどね。「贋作」だから。

美和子 そこに作為を感じた。

高士 みんな演技が上手いね。どなた?

金太郎 金太郎。「月今宵」はやり過ぎかなという気はしたんです。「贋作」に対して、本物の月をこれでもかと、もってきたんです。

高士 ところで「武蔵贋作」は持っているんですか?

金太郎 妹のところにあるんです。

 

 その他、下記のような句々についても、忌憚無き意見のやりとりが掲載されています。 

  けぶりをる堅田の雨や新松子           中西夕紀

  いちじくを煮てをり母に詫びてをり        水野晶子

  置石の一つは四角初嵐              星野高志

  水甕の水飲む鳩や野分雲             藤本美和子

  待宵や一人事務所の灯を消して          増山叔子

  写経には無の字多しや今朝の秋          坂田金太郎

 以上、坂田金太郎さんには、「青草」同人として大いに活躍されましたことをご報告いたします。 


青草中央句会「芭蕉記念館及び清澄庭園周辺」吟行記 

2019年11月01日 | 吟行記

 令和元年十月二十二日(火)、「即位の礼」の祝日、台風二十一号は温帯低気圧に変わったものの午前中、関東地方に激しい雨と風をもたらしました。気温は十一月相当の低さといわれました。折しもその中での中央句会開催となりましたが、熱意ある二十八名がうち揃い楽しくも有意義な句会となりました。

 芭蕉記念館は、芭蕉ゆかりの地である江東区に位置し、その名の通り様々な資料が展示されていて近くには芭蕉稲荷人社があります。墨田川堤防沿いには芭蕉の句が掲げられています。しばらく行くと、芭蕉庵史跡展望庭園で、芭蕉像と句碑のそばには萩が咲いていました。

 そして、小名木川にかかる万年橋を渡り、町中に入ります。高田川、錣山、尾車といった相撲部屋も皆ビルとなり、今は木の看板ばかりに相撲の情緒を留めています。

  部屋の名に山また川や雁渡る    昌子

  秋時雨江戸深川に来てをりぬ    わこ

  相撲部屋蔦の紅葉の初めかな    さとみ

  秋深むもんじや焼屋の赤提灯    小径

  大川の観光船や秋時雨       あき子

 この辺りから清澄庭園は間近です。祝日であるにもかかわらず、荒天のためか人影もまばらな庭園の、何処もたっぷり水を含んだ風情は、いつにも増して美しく、池の中の島の青鷺が雨に打たれてじっと立っているかと思うと、一方では若い鴨たちが元気いっぱいに水に戯れていました。木々はほとんどがまだ緑で一枝、二枝の先に紅葉が始まったばかり、滑りやすい石に気を取られ、寒さの中で震えながら、この景色に見とれました。

   秋惜しむ雨の飛び石伝ひかな    昌子

  色変えぬ松やはるかに即位礼    まつを

  秋園の数寄屋百年屋根の艶     いづ

  こぼれ萩雨に堰きつつ押されつつ  ちとせ

  石橋の青き縞目や秋の雨      きよ子 

  赤石の赤の際立つ秋黴雨      草蛙

この界隈には深川江戸資料館があり、江戸の町が再現展示されていて、時代小説のあれこれの名場面を彷彿とさせ、興味深いものでした。

  深川や江戸の長屋の暮の秋    秀弥

  頭陀袋下げて飯屋に火の恋し   園子

  句会場は芭蕉記念館の研修室で窓から墨田川が望める、情趣溢れるお座敷でしたが、和室での句会は初めてでしたので、どうなりますことかと少し心配でしたが、この地に相応しい落ち着いた雰囲気の会となりました。

そして、句会の途中には一瞬日が差しこむこともあり、閉会の頃には完全に天候は回復しました。

  大川に雨の上がりて柳散る    昌子

  すつぽんの貌突き出すや初紅葉  光子

  水嵩を増し、荒ぶる墨田川を眺め、風雨に煽られ、足元を濡らして歩いたことは、きっといつまでも、私達の心に刻まれることでしょう。〝雨の日は雨を愛そう、風の日は風を好もう〟という言葉で始まる詩がありますが、この日はその境地をはるかに超えていると思いました。これが、吟行の醍醐味というものでしょうか。

   逆まきの隅田の流れ鴨渡る    金太郎

  冷まじや鷗吹かれて波の上    昌緒

 

記事 佐藤昌緒