青草俳句会

草深昌子主宰の指導する句会でアミュー厚木での句会を主な活動としています。

「青草俳句会」選後に・草深昌子選

2020年04月07日 | 「青草句会」選後に
                             令和2年3月   

 コロナウイルス感染拡大防止対策によりまして、令和2年3月の青草俳句会の句会はすべて中止となりました。
4月も中止の予定につき、目下「青草」の本部句会としまして「通信句会」を準備中です。
 青草俳句会の「花野」におきましては、幹事のとりまとめによりまして清記用紙が届きましたので、選句いたしました。もちろん無記名です。
ただ今、作者名を知りましたので、その一部の鑑賞を記します。
皆様のご熱心に大変感動いたしました。こういう時こそ、静かにも楽しく俳句の姿勢を継続してまいりたいものです。


  雀の巣我に一男三女あり  二村結季
 堂々たる一句です。「一男三女あり」には自身を肯定する、誰に誇るのでもないひそかなる自負、いや喜びが「雀の巣」への愛情とともに見事に切り結ばれています。
「雀の巣」に喝采をおくりたい気持ちになりました。

  天窓に透けて青空朝寝かな  結季
 青空の「ア」がすぐに「朝寝」の「ア」を引き寄せてリズムが心地よく、いよいよ寝床を離れなさそうです。
朝寝というやや俗っぽい季題が、美しく仕上がりました。

  山浮いて家並動かぬ朝霞  結季
 写生という王道にそった一句です。やはりゆるぎない「朝霞」が詠われています。
朝寝坊には、作れない句です。まさに早起きは三文の徳ですね。
大ぶりに詠いあげたところ素晴らしいです。

  吊橋を湖に架けたる郷の春  平野翠
 美しい湖に吊橋がかかっているのです。
この吊橋は今どきの鉄筋コンクリートなどでなく、渓谷などに架かっているようなよく揺れそうな感じのものを「郷」からイメージします。
よき光景がなつかしみをさそいます。

  草喰むや目のまったりと孕馬  坂田金太郎
 一読、「目のまったりと」とはどんな目なのだろうとしばらくほのぼのと想像を誘われました。
きっと気だるいような、でもしっかり産まねばという決意もあって身を養うべく草々をよく味わいながらうっとりと食べているのでしょう。
牧歌的です。
飯田龍太に「冬の雲生後三日の仔牛立つ」を思い浮かべました。
馬の子もこんなに早くすっくと立ちあがるのでしょうか。

  珍しき人と会ふなり春彼岸  渡邉清枝
 彼岸と言えば春のお彼岸であって、「春彼岸」と言わなくてもいいようですが、この句では「春」の一字が明るくひびいています。
彼岸詣りにたまたま出くわすということはあるでしょう。
「珍しき人と会ふなり彼岸寺」といえばそれまでとなりますが、この句からは
仏事を離れて、お彼岸のとある日に出かけてばったり出会ったという佳き時節の印象がもたらされます。

  目に見えぬものを蹴上げよ半仙戯  大山黎
 「半仙戯」が巧いです。
大抵の場合は「ふらここ」と言えばいいものをかっこつけて「半仙戯」等とやって失敗するのですが、この句に限っていえば半仙戯ならではの「目に見えぬものを蹴上げよ」のフレーズが機能しています。
春の遊具ですから、色っぽいものでも長閑でも何か春らしさを感じるのが本意ですが、私には少々うがったものの見方かもしれませんが、コロナウイルスのようなものをふと思い浮かべました。

  春の湖人恋ふやうに鳶のこゑ  伊藤波
 「鳶」がいいですね、どこにでも飛んでいる美しくもない鳥ですが、その鳶にしてちょっと切ない声で鳴いたのでしょう。
春の湖にはきらきらとさざなみが輝きます。


  朝寝せり庄助さんと同郷ぞ  神﨑ひで子
 朝寝から思はぬところへ飛んだのは面白いです。
俳句は写生が大事ですから、私は発想で作った句は好みませんが、時と場合によります。たまにはこのように冒険して作ってみるのも大歓迎です。


  保母さんとおててつなひで春の虹  中澤翔風
 春の虹は夏の虹より少し淡い感じが、「おててつなひで」という幼な言葉に生きています。
虹というとすぐに消えるというはかなさを思いますが、守られているという安らぎがあります。

青草7号3

2020年03月27日 | お知らせ
大峯あきらのコスモロジー③  草深昌子


一休寺
烏瓜佛ごころも戀もあかし  あきら 
    『鳥道』                  
 住職である大峯あきらに「仏ごころ」はいかにも近しい。「仏心(ぶっしん)というは大慈悲これなり」であろう。だが「恋」の一字は大峯あきらに似ても似つかない。そこのところが意表を突かれて異色である。恋はドキドキとしか言いようがないが、仏心と並列されるとなると、その辺の赤とは一線を画する色調が偲ばれもするもの。
夏には純白のレースの花を咲かせ、秋には実を結ぶ烏瓜であるが、その実の真紅は蕭条たる枯れの中でも失せることはない。そんな烏瓜の静かなる執念の色合いをふと恋心に転じたような感覚はなるほどはっとするほどにロマンチックである。
ところがこの句には前書きがあることを失念していた。一休宗純禅師が晩年を過ごした一休寺。ここで一休は七十七歳から八十八歳まで、美女を愛したという言い伝えがある。複雑な一休の生涯だが、大峯あきらには悉くわかるのであろう。
烏瓜はそのまま一休禅師の化身だと言わんばかりである。一休への手向けかもしれないが、私には前書き無しの方がぐっと来るものではある。

紅梅や雪いつまでも笹の奥   あきら  
   『鳥道』
 文字通り奥行きがある。ひんやりとした冷たさの中でこそ、この紅梅の鮮やかさがきらめく。
今ここに在る紅梅、今だけでありながら、今という時が流れていくのをやめたような命のなつかしさ。「いつまでも」と言われると、まことありありと「いつまでも」あり続けるというふうに納得させられるのが大峯あきら俳句の特質である。

檜山出る屈強の月西行忌     あきら
    『鳥道』
 面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて
歌人であり、武士であり、僧侶であった西行、その出家には謎が多い。かの芭蕉は西行を敬慕して、奥の細道の旅に出たのであった。芭蕉の文学に連なる大峯あきらもまた西行に心酔している。 
遥かに仰ぎ見る月は、僧形にして北面の武士であった佐藤義清を偲ぶに十分のものであった。およそ屈強というような大仰なる措辞を用いることのない作者にして、屈強としか言いようがなかったこの時、檜山から上がった月は西行の面影を相照らしてやまない凄みであったことだろう。
屈強という強靭なる言葉は、西行にして持ちこたえるものであると同時に、図らずも作者自身を写し出してしまったかのような心象が思われる。
私の愛誦してやまない句である。

武具飾り鶏鳴何とはるかなる   あきら
    『鳥道』
 「鶏鳴何とはるかなる」という韻律の奏でる詩情はやはり独特のものではないだろうか。ロマンチストを包み隠さないものである。それでいて断じて情に流されるというようなものではない。
「武具飾り」なる季題の由緒が行き渡っている。

黒南風のやがて白南風長命寺   あきら
  『鳥道』
黒南風と白南風を並列して、その違いを明らかに示している。つまり長命寺でなければこうは詠えないものとなっている。長命寺は琵琶湖畔に聳える長命山の山腹にあり、参詣すると長生きすると言われる。そんな所以を知らなくても、その字面から、日々刻々吹き寄せてくる風のありようが生き物のごとく印象されるものではないだろうか。「黒」と「白」の対比も垢抜けしている。
 じっくりと感興が湧くまでそこに吹かれて得た一句であろう。読者にも通ってくる風である。
第二句集『鳥道』は昭和五十六年刊行。作者四七才から五二才までの作品である。
―題名とした「鳥道」は、九世紀の中国の禅僧、洞山の語録にある。鳥の飛行する道には何ものも残らない。蹤跡をとどめない鳥道の端的に、洞山は佛道の大いなる自由を教えたのである。そして佛の道とはとりもなおさず、われわれの真の自己の道のことである。山国に住む私にとって、頭上を通る鳥道は朝な夕なに親しい。
洞山が説いた実存の根柢は、そのまま、鳥が行く碧落の美学たることを拒みはしないであろう―
あとがきに呼応するまでもなく、一集に「日」と「月」の句は多い。
年用意朝日も夕日も大きくて
梟の月夜や甕の中までも
鰯来て日と月とある小村かな
月の杣高き齢でありにけり
餅搗のすみて夕日の前を掃く
木賊刈ゆふべの月のことを言ふ
 大峯あきらの自然観照は大振りにして静謐なるものであるが、そこにはそのまま作者の全体重が乗っかっている。ロマンを感じるのは自己が自然の中にそっくり溶け込んでいるからであろう。
「人」の句も出色。人には格別の品格がただよっていて、すこぶるやさしい。
杉山を餅配る子が越えてゆく
水餅や中千本によき娘をる
光秀のやさしさ思へ早苗籠
寒櫻人もをらずに咲きにけり

青草7号2

2020年03月27日 | お知らせ
芳草集  草深昌子選

松尾まつを
万緑や君とキスせむ丘の上
令和元年皐月朔日鹿島立ち
南州の像高きこと棕櫚の花
赴任してあらぬ彼方に遠花火
病棟の丸き天窓寝待月
色変へぬ松やはるかに即位礼
落鮎や小鮎川から中津川

菊竹典祥
飛んできて落花の一つ鍬に付く
麦こがし口に這入れば静なり
彼と我漉餡をとる柏餅
幼虫のとことんかじるキャベツかな
昼寝覚め謡の稽古また始め
長茄子や盛り過ぎれば丸々と
秋晴や打込む鍬は土深く


青草集  草深昌子選

佐藤昌緒
老鶯や急坂ゆけば行き止まり
昼寝より覚むるや猫のかほ間近
クリムトの金のようなる代田かな
紙魚の書や眠れぬ夜の入り口に
潮浴や遠目に足の透きとほり
黒雲の西は明るき五月雨
深川や飯屋のおやぢ日焼顔

松井あき子
坂道に柏若葉の門のあり
雲の囲や植込みに雨ちらばりて
川縁の斜面の枇杷のたわわなり
虫食ひの青紫蘇毟る日暮かな
丈高き柘榴の花の雫かな
強羅発殿様ばつた同乗す
白桃に老いの掌丸くなりにけり

青草7号

2020年03月27日 | お知らせ

「青草」2020年春季(第7号)が令和2年2月に発刊されました。
さらに頁を増やして、内容の充実を計りました。
その一部をご紹介いたします。



青山抄(7)  草深昌子
欄干を跳んで蛙や秋の風     
たまに来てすつかり秋の道であり
子規の忌の霞が関を過ぎりけり
底紅に看板出して鍛冶屋かな
今しがた蛇の失せたる臭木の実
寝姿の釈迦ある寺や新豆腐
秋夕べ地べたのやうな海の色
その人は遥か蜻蛉の群るるなか
秋暮れて一つ糸瓜を長くせり
豊の秋鴉のこゑのただ阿房
一亭は水に浮きたるやや寒う
宵月のニセアカシアの実と思ふ
ふと濠にさざなみたてて柳散る
大手門出でて大路や十三夜
幹太くなまめく鮎の下るころ
薔薇のほか無きが如くに秋の苑
あめんぼの大きくまはす水澄めり
部屋の名に山また川や雁渡る
たれかれと目の合ふ美男葛かな
小春日の珈琲買ひに行つたきり
(「俳壇」「俳句界」に発表を含む)

青草往来  草深昌子
 芭蕉が『おくのほそ道』の旅に発ったのは元禄二年、西行の五百回忌の年である。令和元年は三百三十年を迎えるというので、都内で芭蕉展があった。芭蕉の真蹟はもとより芭蕉を慕った人々の書画が展示された。
野をよこにむま引むけよほとゝきす  はせを
落款の「を」は意気揚々と撥ね上がっている。これに画を付けた森川許六の馬のふんばりも頼もしい。
 馬からふと思い出されたのが、竹西寛子が、与謝蕪村の「奥之細道図」を褒め上げ、馬の尻尾の振り方までいいと書いていたことである。なるほど那須野の図など、馬上の芭蕉は飄々とありながら曾良と心を通わせているさまが偲ばれて、筆の先の先まで芭蕉への敬慕の念が滲み出ているものであった。
ふる池やかはつ飛込水の音  はせを
芭蕉の筆致は柔和でありながら、筆の入れかたや止めにはメリハリが利いていて筆は一息に走っている。 
 書道に疎いにもかかわらず、いちいち引き込まれたのは、その筆跡が俳句の内容と切っても切れぬ関係につながっているからであろう。
事実、芭蕉の書風は、俳風の展開に伴って変わっていったという。命をかけて推敲した一句一句の情は、まこと真摯に一字一字に乗り移っているのであった。
 芭蕉展を出ると、旧友の姿が思い浮かんだ。ばったり出くわすたびに、「今日もこれですか?」と、左の手のひらを短冊に見立てて突き出すと、右手に筆をすべらす仕草を大げさにして見せるのである。俳句という文芸は今も矢立を手にした芭蕉と結びついてしまうのかと、恥かしくも笑ってしまうのであったが、実はこの即興こそが俳句の根本ではなかったか。
昨今は、筆はおろかペンさえも遠のき、パシャパシャとパソコンに打ち込むばかり、そんな私に友人は発破をかけてくれているのかもしれない。
 俳句は芭蕉の文学であることを再認識するにいたって、せめて句帖には心のこもった文字を書き付けねばならないと気付かされたものである。

青草俳句会・新春句会選後に

2020年03月27日 | お知らせ


令和2年2月20日(木)、「青草」の新春句会が開催されました。
アミュー厚木において真剣そのものの句会のあと、懇親会をレンブラントホテル厚木に移して、
華やかにも大いに盛り上がりました。
主宰作品
  金塊のただつるつるの寝釈迦かな  昌子
  日輪に顔を曝して梅見かな  
  磐石につぐ磐石や梅見頃

主宰選評

  もの言はぬ日も十日目や春の水   佐藤昌緒
 上五中七と読み下ろしてゆくと、果たしてどうしたのだろうかと、句またがりの感覚もあって、「十日」という長さに驚き、そのうす暗がりの雰囲気をさびしくも危ぶむものである。
そこへ下五に「春の水」とくると、杞憂を吹き飛ばさんばかりに鮮やかな真っ青な水がひらけてしばし得難い安堵につつまれた。
春水に出会った今日からはもう元気はつらつである。
「春水四沢に満つ」という詩情に満たされたのである。
人の世にはいろいろのことが降りかかってくるが、いつの時も、
なぐさめをもたらすのは永遠の今という自然との出会いである。
「春の水」のうるわしい感覚が一句のどこにも染み入るようである。

  春ショール扇のやうな藻の揺れて  日下しょう子
 水にひらいた藻を扇のようだと見届ける心には、春の日中にあってふわりと羽織ったショールのよき感覚があってのものであろう。
つまり、扇のようなという比喩は頭で考えたものでなく作者の直感でとらえたやさしさである。
 言葉数が多いと思われるフシもあるが、ショールを通して春到来のよろこびが匂い立つものである。

  春寒や水鳥の羽舞ひ上がり  平野翠
 富士山を源流とする相模川は四季折々自然の宝庫である。
我らが青草俳句会の面々は、どれほど相模川と大山阿夫利嶺の恩恵にあずかっていることだろうか。
これからも感謝をこめて風土のありがたみを詠い続けていきたいものである。
掲句も相模川での一句ではなかろうか。
 水鳥」は冬の季語だから季重なりなどというのは野暮ったい。
「素直に本当のこと」を詠いあげただけのこと、それが韻律のよろしさに表れている。
 何鳥であろうか、川から飛びあがった瞬間にひろげた羽の白さに、思はずはっと寒さを覚えたのである。
 冬の寒さではない。
「水鳥の羽舞ひ上がり」の表出には「春」の感覚がゆきわたっている、春寒料峭である。
「春寒」は「はるさむ」でなく、「しゅんかん」とやや強い響きをもって読み上げたいと思う。

  雛菓子の一つ二つと増えてをり  堀川一枝
 3月3日にさきがけて雛人形は立春から飾って、一か月はゆうに楽しませてもらうものである。そこには桃の花や菜の花も活けられるであろう。
そして雛壇に供えられた雛菓子は、はじめ菱餅だけであったのに、日の経つうちに桜餅があり、雛あられがありといろいろのお菓子やお餅が増えていったというのである。
 老いて雛飾りをしない者であっても、せめてもとばかり色とりどりの美しい雛菓子だけは揃えたくなるものである。
 この折に来客のもたらすものもまた雛菓子である。
 掲句は人の動きも感じられ、愛らしくも明るいなごやかさが溢れている。
 桃の節句をこういう角度から詠いあげることもできるのかと感銘しきりである。

  蕗の芽のあと一週間は太らせよ  湯川桂香
 「一週間は長過ぎないか」という意見も出たが、俳句における一週間は実数としての一週間ではない。
大まかな、手につかみ取れる程度の空間をそう言ったまでのことである。
実際のところ一週間もすれば蕗の花となって呆けてしまうかもしれない。
とにもかくにも、蕗の芽大事の気持ちを、今引き抜くには時期尚早ということを、
詩情たっぷりに表出すると掲句のようになるのである。
 桂香さんはまぎれもなく詩人である。

  かたかごの花や小雨の詩仙堂  古舘千世
 詩仙堂は石川丈山が詩歌三昧の隠遁を送ったという美しい庭をもっている。
 詩仙堂というと即座に〈初冬の竹緑なり詩仙堂  鳴雪〉が浮かび上がって、
 もう他の句は要らないというものであったが、この片栗の花に出会って、
 ひそやかなる吐息がもれたものである。
 内藤鳴雪とは別種の、こんな表情も見せてくれる庭であったかとしみじみする。
「小雨」の詩情がゆきわたっている。

  花咲くや仕舞ひしままの車椅子  佐藤健成
 以前は使っていた車椅子だが、いまは不要になって倉庫か納屋に仕舞ったままになっているのだろう。
桜の美しく咲くある日のこと、しばしそのありように引き寄せられたのである。
「花咲くや」からは車椅子のそこに在った人へのなつかしさというか、
面影が濃く漂っているように思われる。
作者自身が過去に使っていた車椅子であれば「桃咲くや」でも「梅咲くや」でもいいだろう、
「花咲くや」は作者にとって取り換えのきかない季題ではないだろうか。
感情は一切述べず、車椅子という具体的なものを提示しただけであるが、
分かる人には分かる、これが俳句である。