芳草集巻頭 青草集巻頭 秀句集(草深昌子選)
芳草集巻頭 吉田良銈
赤とんぼ鞠を蹴る子に纏ひつつ
秋深し隣の明かりふつと消え
ほどほどで止めると決めて煤払
手袋を口にくはへて小銭出す
初騎や人また馬の息白く
まだ遠い疲れは無いか帰る雁
春よ春行きつ戻りつやつて来る
青草集巻頭 石原虹子
大根を一寸廻して引きにけり
木の葉髪夫は終日拾ひけり
初鴉鎮守の社を飛び立ちぬ
節分の大山靄ふ夜なりけり
一歩づつ踏み入る山の芽吹きかな
菜の花に白き月出て真昼かな
夕桜吹雪きて今日を惜しみけり
秀句集 草深昌子選
ほどほどに止めると決めて煤払 吉田良銈
作者は九十歳。ご高齢であることを知れば、いっそう説得力のある句である。だが、年末の煤払という厄介ごとに対する構え方は、誰にとってもいたく共鳴されるものであろう。
『煤逃」をしないで、伝統的にやるべきことはやるという態度が何よりダンディーである。
蕗の薹そばを流るる酒匂川 坂田金太郎
酒匂川(さかわがわ)は丹沢山系の麓を流れる水の美しい川である。蕗の薹の瑞々しさ格別に違いない。当然ながら摘草のあとの一献がたまらない。
例会の謡切り上げ年忘 菊竹典祥
年末のお謡いの例会は早めに切り上げて忘年会になったという。
何でもないようであって、まことに滋味深い。謡曲の余韻を引いた会は、しみじみとして華やいだものであったに違いない。
木の葉髪夫は終日拾ひけり 石原虹子
長年連れ添ったご主人さまの今日ある姿は、作者自身の姿にも重なるのであろう。切なくもおかしい木の葉髪は、燻し銀に光っている。
秋晴や蜂の来てゐる蜂蜜屋 佐藤昌緒
蜂蜜屋に蜂が飛んでいるとは、摩訶不思議なる光景ではないか。それこそ秋晴というもののありようを透明感満点に見せてくれるものである。
大家族ゐるかのやうに葱刻む 日下しょう子
あの真っ白な葱の棒を微塵に切りきざむ刻々は無心そのもの。いつしか葱は俎板に溢れんばかりになってしまった。「大家族」は幸せの象徴のようになつかしい。
手袋を投げ捨てここが勝負所 佐藤健成
俳句はリズムが勝負。見得を切ったような一句はまさに決まっている。さて、この勝負はどんな場面であろうか、想像するだに楽しい「手袋」である。
岐れ道夏蝶左われは右 狗飼乾惠
岐れ道にさしかかった、夏蝶は左、私は右を取った。ただそれだけの簡潔なる一句が、余情を生み出して人生的である。命盛んなる夏の蝶々の先にも、人の先にも涼やかに道は開けているのだろう。
その他の注目句を、次にあげます。
小正月モヒカン刈りに袴かな 松尾まつを
行く人の顔白白と初氷 栗田白雲
山里は風冷たくて山笑ふ 潮 雪乃
ストーブの音の静かに寒明くる 東小薗まさ一
冴返る駒の響きや奥座敷 鈴木一父
雄を追ふ春の雀の尾のかたち 長田早苗
探梅や絹の道てふ石畳 森田ちとせ
焙じ茶と田舎饅頭長閑かな 黒田珠水
朝日さす角度に春の兆しかな 小川河流
につこりと開く妻の手蕗の薹 中澤翔風
紅梅の散つて赤子のいやいやす 長谷川美知江
木の間よりひとむら見せて冬紅葉 平野 翠
美しき口元にして毛糸編む 川井さとみ
寒晴や霞ヶ関は坂の上 湯川桂香
いつの間に山崩れたり春の雨 大本華女
甘栗の爆ぜて寒晴中華街 藤田若婆
先のことつらつら思ひ柿を剝く 小幡月子
朧月米研ぐ水は温みけり 間 草蛙