青草往来 青山抄(2)
青草往来
結社誌「青草」は船出したばかり。
その第二号に、図らずも草深昌子自らの句集『金剛』の特集が組まれることに、いささか躊躇った。でも、今はこれでよかったと感謝しています。
皆様から寄せていただいた鑑賞文の数々、これは私への激励だけではなく、我らが「青草」会員の一人一人にとりましても、得難く学ばせてもらえるものであることを、確信したからです。
先日ふと、三木清「人生論ノート」を再読しました。
「死者が蘇りまた生きながらえることを信じないで、伝統を信じることができるであろうか」は、もとより、
「人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである」に、
はっとさせられました。
だからこそ、俳句という芭蕉の文学を一生懸命に学ぶ価値と喜びがあるということでしょう。
希望をもって生きる者はいつだって若い、その心意気で、静かにも明るく歩んでいきたいと願っています。
草深昌子
青山抄(2) 草深昌子主宰
花冷を啼いてその鳥緑濃き
松の木に寺を囲うて鳥雲に
一とテント張つて昭和の日なりけり
緑蔭や人のはだへのやうな幹
方角を新樹に見失ひにけり
木々にうち囲まれてゐて行々子
鳥どちの笛のするどきビールかな
羊蹄の丈を高くし青嵐
短くて太き毛虫を嫌ひけり
さつき降り今降り夏の雨細か
音聞いて鐘としもなくさみだるる
泉殿石の大きく横たはり
蛇を見てその血らしきを見て過ぐる
よこはまは風に涼しく日に暑く
南風のビルの立て込む港かな
サングラスどこにどう目を合はさんか
我に来て我に構はぬ夏鴉
晩涼や八幡さまに池二つ
かの人とかの時ここに滝落つる
悼 上田知代子様
老鶯のこゑのはるけく逝かれけり
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