南区別所だいすき 浦和

このブログは、さいたま市南区別所の「青い稲妻」の研究レポートサイトです。
別所研究と見聞録の編集所です。

町ブログを名乗って速報を心掛けるも、少々遅れ気味だけどたゆまず綴ります・

2011-05-28 05:21:46 | 別所見聞録
別所第三自治会23年度34回通常総会の様子
5月の8日の10:00
さわやかな気候の影響ばかりではありません、集まるみなさんのお顔と交わす挨拶から
好調な出足で続々と登城が続きました。



接待ようのお茶もつぎつぎと運ばれます。




資料がくばられます。
始まり前の十数分の緊張の昂まりはいいですね。脳の働きも高まります。
みなさんの胸中には、自分はどの場で発言の機会があるのかを推量しているはづです。


総会の格別の雰囲気は当然です。この一年の自治会の進路を決定して公表するからです。
僕は3度目の参加だけど、今回は雰囲気の違いをよりひしひしとかんじました。


さ~始まりました
司会に促されて、演説巧みな関根会長の登壇です。

総括演説は当然のように大災害でしたが、3月11日の御自身の体験とその時自治会の周辺は
どうだったかを語りました。 なかで耳に残る言葉がありました。
「この町にはまだまだ愛がある」ともうしておられました。
具体例も数件あげていたけど、そのときの町の様子を一言でそんなふうに表現していました。
そうです。無縁社会の重層を一気に覆す連帯を直接見たのです。 そしてそんな表現になりました。



23年度事業計画

このこと初めてでしょうか?  「事業計画の基本方針」が発表されました。

充実と発展のための今年度の推進事業6項目です

① 人材の育成と組織の活性化
② 少子高齢化対応
③ 防災防犯の強化q
④ 助け合いと健全な町づくり
⑤ 行政・関連団体との協調
⑥ 会員相互の情報交換

おおむね具体的で解かりやすい表現で「さあやろう」とのメッセージの塊が会場にはづみました。


これをふまえて、総務部を皮切りに各部長がつぎつぎに発表しました





総務・・高齢 単身居住者の所在の把握

土木部・・別所沼の陥没箇所

防災部・・防災士1名と防災コーディネーター1名の公式登録による防災計画の立案・実施

環境部・・事業部の組織的行動の強化

福祉文化部・・公民館の活用の協力幅を広げたい

青少年育成部・・自治会内外の広範囲な参加者への働きかけ。

こんな骨子が次々と会場に伝えられて「求められることと求めてゆくこと」を意志的にそして一つ一つ
進めてゆこうとの合意がけいせいされた。





長沖さんの会計報告があり事業規模の裏付けが数字としてしめされ、ここでも質疑応答によって
不明があきらかにされ監事さんの確認説明がよどみなく伝えられた。



以下 役員・理事・各班のメンバーの改選と入れ替えが公表された






最後を締めくくったのは早川副会長です

今年もこの方の肩には相当の重荷が乗りそうです。
この町の推進力・スーパーレディーさんよろしくおねがいします。
みなさんも協力をおしまないでしょう。


 みなさま おつかれさまでした
次の会合は6月11日です。
理事会 自治会費集金 夏対策などがぎだいです。


 がんばりましょう。















   五月の風

2011-05-23 22:47:58 | 別所見聞録

映画の好きな方、時間が見つからなくて逃したことってよく
ありませんか?それって歳をとって暇ができても、よっぽど注意していないと同じ
轍をくりかえします。それで僕は、「埼玉映画ネットワーク」に入会しました。
月に一度、小品だけど必見の名作を見ることにしました。
それはそれとしまして、イッシュウ166号は「ブラック・スワン」が表紙でした。

浦和駅西口に立つLさんC子さんです。
ブログで宣伝するから正面にたってくれとお願いしたらはにかんで、「きおつけ」して
くれました。


イッシュウの記事のなかで、「頑張れがんばれ」はありがたいのだが、災害後の茫然自失の
なかで、多かれ少なかれ鬱状態になるのは当然なのですこし声を和らげてもらえないだろうかとの投書を載せていたが、僕も同意したかった。

ところで、弁天祭りの沼の周辺で、ちょっと目に付いた地震の影響を掲載します。







 じつは別所沼地域は当然のように昔からの湿地帯です。地盤が軟らかいのは言うまでも
ありません
写真にあるように、黄色いテープで立ち入り禁止をしている一帯に凹凸ができていました。
あちこちにといっても過言ではありません。

 陥没のないところでは悠々とした場面もあったけど



弁天様でもかなり危険な事態を招きかねなかったのです。

手洗い場の屋根が倒れかかりました。





浦和市内ではおよそ4000件の地震被害の保険請求があったそうです。
テレビや新聞紙上で久喜周辺がクローズアップされていたのが県下の代表れいのようでした。 埼玉図書館では昔(明治初期)の地図が大人気で、最近埋め立てられた土地かどうかを
心配するひとが連日閲覧に来て確かめに来ていた(これからも)とききました。

/谷川俊太郎さんの5月の新聞詩を読みましょう

 何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなっかった
ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味

言い古された言葉が
苦しみゆえによみがえる
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて

 題は「言葉」です

 
うちの弟が再び亘理におてつだいに往きました。
今度は友達と組んでゆきました。 車に食糧と燃料テントを積みました。
南相馬の不気味な原発地帯をかすめて前進したようです。







2度目なのでだいぶ要領を得て作業効率があがったと同時にいろいろな
事象も見えたようです。献金がひつようなところにピンポイントで渡らない
歯がゆさなど、もくもくと働く間にいやがおおでも感じないわけには往かないなど
片手にスコップ左手に気苦労を抱えて歩き回ったとのことでした。





爺さん!だいじょぶか?とこえを掛けられるとさらに燃え上がるそうです。


弁天様から直会(なおらい)会場に移動・・会場は「うなぎの萬店」です

2011-05-15 21:12:41 | 別所見聞録

別所の町ブログででここは欠かせません、
そもそも別所をしらべようと思い立って最初に☎電話を入れてご挨拶したのがここの
金子さんだったのです。そこですぐに「それなら須田毅彦さん」が最適だ、☎電話しとく
からいってごらん、なんでも教えてくれるよ!と口添えしてくれたのです。


入り口左に板碑があります。弘安4(1281年まさに2度目の蒙古来襲の年です)とあります。
大切されているので、こぶりだけど緑泥岩がきれいな表情で植木に囲まれています。










会場は純日本式のお座敷だった。
「別所沼観光協会」これが「別所沼弁天祭り」を支えている母体なのです。
そして世話人代表が萬だなの金子さんで理事さんが数人いて、それらの人たちの
上に(かつがれて)会長の 相川元市長がいるのです。

会長の挨拶は災害が別所沼にも及んで何箇所かの被害があり、その対策をてていると
報告があった。
会計報告では年間で56万円ほどの予算で運営されていて、いくつかの年度事業が実行されているようだった。
/
萩原市会議員は当選した喜びのご挨拶でみなさんに冷やかされていたが、まんざらでも
なさそうだった。


この会の特徴のひとつは、浦和市域の西方の別所沼を中心として政治経済行政にかなりの深度
をもって関わってるひとが集まっていてかなり面白そうなはなしが交差していた。





当然、昔話に花が咲いて僕としては興味津津、聞き逃すことのできない重要なポイント
がうけきれないほどの速度でおこってはながれていった。
初めての参加のため、最初から飛ばしすぎてはと自重しつつ、それでもメモしながら
くいついていった。日常の資料収集のためになるようなことを書き込んでいった。




次回には自己紹介や興味のある話題を用意しておいて、それらを発言する機会を
あらかじめ司会者に申し込んでおくとかの根回しを須田毅彦さんに申し込んでおくなどして
しっかりと備えを固めて参加しようと2時間たらずの間に考えをまとめたのだった。
お酒の飲めない僕はこの手の宴会には皆目弱いのだがそれではお役が務まらない
人と土地のつながりの濃いいこんな会に参加できるということは、地方の歴史を調べる上
で必要不可欠な条件なのだから、このような場にとびこんで丁丁発止と渡り合わないと
ダメなのだ。


帰り際に萩原議員と立ち話が有って、自治会の防災対策の抜本的方策の意見交換をチカジカ
始めようと云うことになった。




上の書簡は宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」だ、万人の人生への励ましと社会と共生する
規範となる明快無垢なこの一編の詩はかくべつの輝きをこの5月に放っているようだった。font>

ちょっと申し遅れました、5月の3日・別所沼弁天祭りのレポです。

2011-05-14 05:00:09 | 別所見聞録
僕にとっては最大級の地域内の関心事です。
そもそもこの別所研究は別所沼畔にお住まいの「毅彦さん」のお宅を訪ねたことに
始まります。 毅彦さんとは、「司馬遼太郎の街道を往くで挿絵を担当した・須田克太」
の甥ごさんです。この地に生まれて75年ほど沼の水を見続けてきた方です。
このかたの推挙を頂いて今年初めて正式参加の招待ハガキをにぎって参上しました。



薫風さわやか、09:15 こいのぼりになったような気分でした。


主催は「別所観光協会」です。
うなぎ屋「萬店」の金子さんを中心とする、沼のほとりに古くから住んでいる人たちで
守られている組織です。 会長さんは元市長の相川さんです。


10:00はじまり 続々とあつまってきます







3月11日の被害がここにもありました


親子の参加は歓迎です、弁天様がお喜びです。




毎日の散歩を欠かさないひとと沼の移り変わりを眺め続けた人たちが弁天島に
集まったのです





神主さんが支度をはじめました。 調の宮の神主さんです。




そもそもこの弁天様は江東区深川の「洲崎弁天様」を勧進したものです
昭和の2年(1927)に小島政次郎さんというおかたが主導しました。
昭和の初期は国際てきにも日本でも難しいころで、不景気が渦をまいて国民を苦しめて
いました。金融恐慌が嵐を呼んで、銀行が休業と倒産が連続するような時代でした。
(このさなかの別所沼での弁天様の勧進の様子は改めて紹介します。)
  この手洗い石には「深川の石工」の名が刻まれています。



祀りはしずしずとはじまりました。 司会は金子さんの甥ごさんのようです。
/ 
神主さんは二人です、ひとりは女性です。



浦和区・南区の区長さんも神妙です。 ちょうかいの高橋さん 内木さんご夫妻も
しずしずと祝詞をきいてました。






榊を渡されて神前にぬかづきます。




約90人ほどの参会でした。引き出物が手渡されて自然に流れてかいさんしました。

一般に見聞きする祭りの様子は、通例ですと「序 破 急」が用意されていて
派手やかな演出で周囲の耳目をそばだてるのですが、こちらの弁天祭りではそれは無く
淡々ととりおこなわれて終了でした。
なんか、もうちょっと、たとえば笛太鼓で奉納舞をやるとかあってもという気分がない
でもないのですが、これはこれでさらっとして無駄の無理もなくいいもんでした。>font>

5月9日・我が家の 『桃子』 を紹介します

2011-05-09 21:04:16 | 別所見聞録
といっても、ただのうさぎです
もらわれてきました、5年ほど経ちますがなかなか懐きません。



いつでも一定の距離を置いて程良いところでこちらをみています。



これがかのじょにとっての友好親善の表現方法なのです。
だっこをしようと、無理につかまえると大変、ひっかきまくって拒絶します。

でもそれだけです。 翌日にはまた一定の距離をたもってこちらを見て静かに
しています。   



僕の家は生まれてこのかた 動物 鳥 魚などなどずうっと居ました。
それがどうかしたかといわれると どうもしないと答えるのですが。
今はウサギのももちゃんが中心になって生活しているのです。
 



 

地域にお住まいの皆様・別所町会参加の皆々様

全国の別所・別府の地域活動の皆様。