南区別所だいすき 浦和

このブログは、さいたま市南区別所の「青い稲妻」の研究レポートサイトです。
別所研究と見聞録の編集所です。

浦和駅の定点販売許可がおりたんだって。  「THE BIG ISSUE」   売れ行きは?  

2011-02-26 22:00:32 | 別所見聞録
それでも雨の日はちょっとつらいかな



161号はクリント・イーストウッドのスペシャルインタビューだ
1930年生まれの80歳
今年もアカデミー賞を獲得できそうだそうだ。



ページのなかから
  「80の誕生日が来た時は、自分でもちょっとおどろいた」。

  「のんびりするということでいつも思い出すのは、90を過ぎてもずっと忙しく働いていた
  母親のことだよ。97歳で亡くなったが、母の病気知らずの体をうけついだのはほんとに有りがたいことだね」

  「アカデミー協会は私のような老いぼれをいい気にさせたがっている」



僕らの年代はTVがはじまってまもないころに(1959,60年のころ)西部劇「ローハイド」にイーストウッドが
順主役で出ていて、かじりついてみていたもんだった。
1971年あたりから監督になって作品を世にだすようになったそうだ。
見に行ったけどどれも面白くてあきることがなかった。
「恐怖のメロヂー」 「マディソン郡の橋」「インビクタス」「ミリオンダラーベビー」はとくに秀作だったね。

もうひとつ、このひとはJAZZの理解者で制作し共演した~~はすばらしかった。
ぼくも30年らいのファンでこの素晴らしい企画なはしびれたよ。
ニュウヨークのJAZZセンターにはなんとかいってみたいとおもってるよ。


この雑誌は30ページほどだけど、
中間にあーと作品の掲載面があって 写真 イラスト マンガ 造形 が発表できるんだ。
上の作品は 大阪芸術大学の 潤いのうえ氏もので「 環境・カエル・自分にしかだきないこと」、 ここらが
コンセプトのようです。

謝礼はほんの「寸志」らしいけどわれと思わん人はふるって応募してください・

イッシュウの値段は300えん、160円が販売者の取り分です。
クリントイーストウッドも只同然で紙面作りにきょうりょくしているようです。
これも「伊達はやと」かな?

~~~の箇所題名を忘れた。なんだっけ? 思い出したおもいだした!!
「ピアノブルース」だ
レイチャールズや ディブブルーベックなんかゾロゾロでてったけ。
それにしてもニューヨークジャズの殿堂にはいちどいってみたいな~。






年寄り泣かせ・その①・・・  PCが動かなくなること(何のことは無いコードの接触不良だとさ!)

2011-02-25 10:01:50 | 別所見聞録
別所自治会防犯・昼巡回・(がんばってますね)携帯マイクのうぐいす爺さんは
艶やかな美声の「A氏」。W氏の原稿を忠実に読みます。 10M~20M間隔が適当のようです。





実は、こんな行動でも以外に効果があります。振りこめ詐欺に対するキャンペ~ンこそ
とりこんではいませんが、 「空き巣・窃盗・物とり・ひったくり・車上あらし」には極めて有効です。






当自治会では女性の参加も積極的です。

昼間なので行き交う人との挨拶交流も自然に活発になるのがこれの最大の効果のようです。





こんな風景です。
たのしみながら、明るい声で
あいさつはにこにこ、あいそよく。

これらくを心掛けながら、ながします。

小道具としては

拍子木
ハンドマイク
これだけです。  ノボリ・プラカード・風船・旗 などを装備したいと「意見具申」してるけど
         予算が無いらしくきよかがでません。  風船なんか行き交う子供達にわたせたらいいとおもうんだけど。     
         
        今日はこれにて御無礼です。

11日の新聞埼玉版をみて、「なんだって!!?・と絶句した」・・・

2011-02-16 20:48:28 | 別所見聞録
蕨の歴史資料館のすぐ近くの「西山神仏具店が燃えた」の記事だった。



独特のたたずまいと蕨宿の風景に溶け込んだ、貴重な商店だったのに。
 聞けば、江戸期の建物でまことに貴重な有形文化財だったようです。
 蕨にはまだまだ沢山の「江戸時代」がのこってはいるが、その損失は未来の人たちのためにも
 計り知れないものがある。はたして再建はできるのだろうか?
 保険にはいっていれば形だけはできるかもしれないが、どんな方法でもいいから「西山商店」を
 たてなおしてもらえないだろうか。事故で掛け替えのない人を亡くしたと同じような気持ちが
 伝わって暗澹として晴れようがないよ。




宿場資料より・石高  蕨・1419 浦和・763
       人口    2223    1230
       旅籠    23      15


1843(天保14年)  外国船が近海に出没して鎖国体制がだんだんと緊迫しだしてきたころだけど
            「西山神仏具商店」の存在はどんな姿でどんな人たちが働いてたんだろうか?
            つくずく「タイムマシン」があったらいいのにね、としきりに思うんだど・・・。


蕨の魅力のひとつに・「川鍋 暁斎 ・( きょうさい)記念美術館 」 があります。

2011-02-10 14:18:36 | 別所見聞録
場所は 南町ポンプ場 のすぐそばです。
こじんまりしているけど、なかなかどうして内容はガンとした堂々たるものでその密度の濃さにおどろきます。

2008年に京都国立博物館と京都マンガミュージアムで大々的な特別展をひらきました。
「キョウサイ」はまことにユニークなアーティストです・
江戸時代にうまれて明治元年を38歳でむかえました。没年は明治22年の4月でした。
どんなふうにユニークかと聞かれてもそう簡単に説明できません。
いやいや、専門家でも答えに窮するでしょう。
そんな異能の芸術家が活躍したことを、余すとことなくつたえているのがここなのです。

蕨とはまことに良き処なのです。



画像は入口からのぞいた中庭です。正面は第三展示室です。

資料 川鍋 暁斎記念美術館

京都展 図録 320ページの大図録です。


17号国道を横切って・蕨宿本陣資料館へ

2011-02-09 21:26:08 | 別所見聞録
1606(慶長11年)・関ヶ原の大会戦がおわって天下の大勢は決まっても、まだまだ予断を
許さないこのころ、蕨城主「渋川氏」の将「佐渡の守 岡田正信の子 正吉」が名主となって蕨宿の本陣をなした。
これより、明治に至るまで連綿とつづいたとの説明があった。この中仙道の宿場はおおよそこんな状況から成立したようだ。
乱世から平和にむかってゆく街道のすがたが見える蕨の本陣姿を垣間見る、たのしいタイムスリップの場面なのだ。
小さいけど、日本史スケールを感じさせてくれる、良きすがたを資料館としてでんと居てくれるのは有り難いよね。

今回そこに展示されていたのは、「春」だった。



そうです、江戸期をかんじさせてくれる、「御殿式の雛段の飾り」だった。






舞の手が華やかで、歌舞伎の舞台のようだ。 とてもダイナミックで音曲がながれていないのが
不思議なぐらいです。





この館はほとんど申し分のない設備と内容だけど、「質問」にちょっと弱くて「あれこれ聞けない」のが、惜しいところだ。
この雛飾りには10ほど聴きたいことが湧いてきたけど、まあ、次回にしようと・・ハラもへったので、「どうもありがとう」
とお辞儀をしてあとにした。ではまたあした。

2月6日(土) 蕨方面散策(自転車にて) 武蔵浦和・むつじ・蕨宿本陣資料館・川鍋暁斎記念美術館・一本杉

2011-02-07 20:18:30 | 別所見聞録
みなさん蕨を御存じですか?いいとこですよ。ぼくは大好きです。別所を中心にひとあたり見渡すと、断然
蕨がひかります。とても一口には説明できません。ぜひ行ってみてください。
この日は、川鍋暁斎記念美術館の日曜美術講座に参加しょうと出かけました。14:00の開始にあわせて、11:00
にスタートしました。武蔵浦和を基点にして、笹目川に沿ってゆっくりとカワセミにでも出会わないかと期待しつつでした。
程良いところで東に馬首を巡らして六つじへ、細い道をゆくと「和光院」にでっくわしました。
ここは、浦和の玉蔵院の傘下の真言宗のお寺で、山門のまえに寺伝が掲げられてあり、それによると、正保2年(1645)の記録が
一番古い記録だが、寺のできた時代はさらに遡るとのことだった、つまり玉蔵院(1400年代)に近いと推測できるらしい。
寺伝を拾うと
1645・玉蔵院より伝法灌頂を受ける。  白幡医王寺より僧侶くる

1874(明治7)4月辻学校開く(白幡・辻・根岸の生徒40人学ぶ)

1886(明治19)白幡医王寺に白幡学校ひらく

と、かかれていた。



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地域にお住まいの皆様・別所町会参加の皆々様

全国の別所・別府の地域活動の皆様。