南区別所だいすき 浦和

このブログは、さいたま市南区別所の「青い稲妻」の研究レポートサイトです。
別所研究と見聞録の編集所です。

20日*別所(第三自治会)歴史研究会・防災井戸水使用の*お茶会

2010-11-23 21:47:24 | 日記
まどろっこしいタイトルで恐縮です
つまり、別所の歴史を探る会の年に一度の総会をやるのに(二回目)
ついでのことに、別所の水で「お茶をいただきながら」発表会をやろうということになりました。
前回は
秩父別所野水(WHO認定の上質水)
浦和の高砂5丁目 関元屋のお助け水(関東大震災に大活躍)
別所3丁目の急救井戸水(飲料水として保健所の審査OK)
これらをあつめて、いただきました。

お手前は 不昧流修練40年を誇る 地域内の NN夫人 というわけです。

今年は、 関元屋お助け水
    北本別所無量寿院の阿弥陀水
    この二種です。
   菓子はNN夫人が手ずくりの「信州小布施産のマロンを練ってつくった」ほの甘い
   半生練り菓子でした。



お茶をいただきながら演目がつづきました。



まず、 参加の皆さんのお話(時間5分) 近況・心境・見聞・評論・小話などなど。



話題満載、笑いも満載、お茶がおいしい。



つづいて、「別所のむかしと今」と題して、さいたま情報誌「さいたま朝日」掲載の
桜区郷土史家・創作家の『さくら草五郎氏』寄稿の一編「徳川御実記・家康の鷹狩」の
記事と裏付け資料をみなさんに説明して・・・なるほど!とうなずかせた。つまりここ別所あたりで、
年代は関ヶ原の戦い後から大阪落城までの間 慶長年間に数回大がかりな鷹狩をやった記録が
徳川実記に記録されている、その部分のことなのです。



顧問のTA先生の評論もいただきながら、和気あいあい、楽しみながら進行したのでした。



いいもんだね、茶会って! お酒が無くてもこんなにたのしめました。






それから、

 別所の地図   浦和宿(文化年間地図) 浦和市の明治・大正・昭和地図を渡して
次回に備えるようお願いをして終了した。



いいわすれたが、「市民活動認可を・南区・さいたま市から頂いた」つまり正式な団体として名乗りを   を挙げたというわけなのです。

資料・茶道 不昧流とは?

資料・鷹狩について

資料・さいたま朝日誌は1450号のお知らせ

以下は明日またお知らせいたします。今夜はこれにて御免!font>





北本別所無量寿院(真言宗)山門のしめ縄の雄偉なこと、横綱格だった。

2010-11-21 19:37:15 | 日記
毎年成人の式を祝って、旧村民が総出で綯うのです。






伝ながら岡部六弥太忠澄が阿弥陀如来をまつった6別所のひとつにふさわしい寺格のたたずまい
だった。横手の入口には「糸ヒバ」の老木と100年は越している老桜がどっしりと門構えをなして
仏界への隔たりをおもわせて清浄の気をそそいでくれているようだった。 





庭を手入れするご住職さんはにこやかにあいさつを返してくれたので、ごく自然に話のながれが
できて居心地のよさは座布団でも敷いてもらったような気分になれた。

「ここが、常光別所です」と箒の柄で○を描いてトンとうってしめしました。 
「浦和の別所からきたって」?
「以前(20年ほど)そんなこと言って訪ねてきた人がいたけど、知り合いなの」?
「no]知りません。



かつて、この寺のある土地は今より1,5mほど高かった。
阿弥陀堂と塔頭が6堂あって周囲の信仰を集めて大きくにぎわっていた。

資料 ・新編 武蔵風土記稿参照







1800年前後の武州の様子がよくわかる重要な基礎資料に、各地の神社仏閣の挿絵がのっていて
此の無量寿院もこんな風にえがかれています。

本堂のまえのひなたで説明をききました。



ご住職は元国語の教師だったとかで、精度の高い、解りやすいお話しぶりでまことに聴きとり
やすくて助かった。字の説明はいうまでもなく同音異義もなんなしだった。

武蔵風土記以前のことでは、近くの姫宮神社は延喜式に載る古社で、そのころの水運のことを
言い伝えと断りながら、まるで最近の風景のようにいきいきとかたってくださいました。



資料・延喜式とはなあに

頼朝の家人で「足立馬之丞」という武士がこの地にねを張っていて、奥州藤原氏を滅ぼして戻った時に  
 捕虜を連れてきてこのあたりに住まわせたとの伝えもあると。
そして、必ずと言っていいほど「坂ノ上田村麻呂」が登場してまるで諸説にクサビを打ち込むようにあるいは道しるべを立てるように「別所話」に形式が整えられるようだった。
此処から南に10k程の地「小室別所」でも坂ノ上田村麻呂は輝くように記入されていた。かれは言い伝えのとうりに、智勇兼備の敬愛を受けるような人物だったのか?どうなのだろうか?

資料・坂ノ上田村麻呂将軍とは?

つぎに話題となった小型ながら10枚ほどの青い石の板碑は文永(蒙古来襲のころ)年間銘のもの、
でいつのころか、ここに集まって枕を並べているとのことで、市文化財担当に調査されたが
特別めだったことはなかったようだった。それでも近くを流れる「赤堀川」あたりで大きな
板碑がみつかって市に引き取られていったとかの伝聞もあり、これも此の場所の盛時を裏ずける証拠といっていた。



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まだまだはなしは尽きなかったがさすがのご住職さんも御用をかかえているようで、来客もあり当然
自分も遠慮せねばならなくなって、さることにした。

目的のひとつ、別所の霊水を1リッターほどいただいてぶらぶら散策しながらバス停にもどった。



北本駅の改札口でやっとひといきいれた。



それにしても、20年まえのお寺をたずねた研究者ふうの先輩とはひょっとして
「別所研究家の柴田氏」ではなかろうかと思ったが、多分あたっているだろうと
今日投稿しながら確信するにいたった。だとしたらぜひにもお目にかかりたいものだ。

資料:別所地名辞典・柴田弘武氏とは>font>

秋天快晴 寺領紅葉 北本常光別所 無量寿院のレポート

2010-11-20 18:39:48 | 日記
19日・北関東は桶川の先、高崎線の北本駅東口よりバスで蓮田方面向かった。25分ほどで「白山神社前」
にて下車した。神社は目の前だ、あっけないぐらいだが、足の弱い者には大助かりだ。



渺渺たる関東平野のただ中でなぜ白山信仰が無ければならないのかと脳内の諸細胞がうごきはじめたが、
ひとまず礼を失せぬように祈りをささげよう。



お堂が二つあるが、左の堂は空っぽだった。



地名 別所に住むものにとって興味をそそり、身体をうごかさせる書物の中でとくにこの二人の
歴史学者の論考は際立った存在なのだ。
 
「別所と俘囚」・「別所と特殊」の著者 故菊池山哉氏
もう一人は、「鉄と俘囚の民俗誌ー蝦夷「征伐」の真相 全国『別所』地名辞典 柴田弘武氏

解り易く言うとこうだ。
別所という地名をもとにどう律令国家が全国を侵攻していったかの真相を明らかにする。

これを読みつなげながら、僕の場合浦和別所を基点にひとまず身近な六別所歩いて両氏の論説をたしかめようとしているところなのです。
このなかで白山神と別所の結び付きは従来の定説以上の何かが有るとし、それを「征伐」と一体の存在
ととらえて追及している姿勢に魅力を強く感じて、今日もここに立って手を合わせて脳が働いている
のです。別所ファンの皆様にわかっていただければ嬉しいのですが。





ここ北本には、まっすぐ西にゆくと荒川につきあたります。そこの地を「石戸」と言います。
そこに「蒲桜」という老桜があります。これは源の頼朝のもう一人の弟範頼が「蒲の冠者」と言われて
いたことに因んでつけられた古木です。
太い幹の地べたのところに石仏が抱かれるようにしてあります。まるで「竹取物語」のようにも見えます。
神社の正面に一本の樹勢盛んな若桜が屹立しておりますが、蒲桜の子孫つまり枝分けして育てているそう
です。こんな桜が何本あるのか、明日にでも市役所にといあわせてみますね。





バスどうり側に大きな石碑があります。土地改良碑です。
通常横着な僕は魅力なしとしてしまいますが、きょうは何か虫の知らせが有って、裏に回って読み
ました。


昭和36年3月建立
北本宿 第一土地改良組合
常光村合わせて 68町の地域屠畜は湧水甚だしく、膝を没する湿田にて 作業困難収穫意のままならず
裏作不能の状態のため、土地改良は耕作者多年の宿望なり。

昭和29年2月全耕作者250名の同意
  32年秋 全地域の暗渠排水工事
工事費 七八〇万円

36年 1区 16町 2区 16町9反 3区 28町 云々とあるをメモった。

*付近を 赤堀川 元荒川 原市川  見沼用水 などと無数の細流が入り組む大湿地帯
であったことが書き記されていた。当時のお百姓にとっては大変な土地改良の出来事だった
こととこの地の風土が理解できる重厚な内容の「只の石碑」だったのだ。



資料 白山信仰とは

その2 白山神社について

その3 白山神社について

北本蒲桜の資料のこと

こうしてみるとなんとこの国と地域にはいろんなことが見え隠れしているのでしょうか!!
まことに、うれしいかぎりですことです。
子供のころは、土器の破片が簡単にてにはいってメンコ同様のおもちゃだったし、今も犬も歩けば
棒に当たるように、ちっちゃな旅でもこな様子です。・・・
ではこのつづきはまた明日投稿します。白山神社からたったの100M先の無量寿院に乱入です。

僕は芯底旅が好きです。 

秋をつかみました。 さいたま市役所広場   11月15日の秋のおにぎり

2010-11-19 06:16:53 | 日記




これが大月ではオサツとしてつかえるそうです。







楓がかれるとこんなふうになります。お札の化けの皮がはがれたようです。



「敗荷」ハイカとは蓮の葉の枯れた姿を言うのだそうですが、50%ほどにていました。
 「三秋の霜の後 敗荷衣薄く・・・」こんなフレーズも残っております。

一休みの間に「大型コピー屋で 『別所地図』が10枚出来上がったようです」。

これはおまけ、昭和21年頃の風景です。季節は初夏かな?
県立文書館の資料です。

 きょうは「北本別所」をめざします。
別所ファンのみなさま、レポートを楽しみにまっててください。 ではまた

資料・秋の夕日にてるやま紅葉・・・/font>

11月17(水) 冬らしくなってきた *「埼玉仏教会館」精進料理講座に参加

2010-11-17 21:43:13 | 日記


別所の隣町のひとつ、高砂4丁目にある 「埼佛会館」で昨年につづいて2度目の精進講座にいってきました。
現役バリバリの典座和尚・青森は弘前城近くの普門院住職 白澤雪俊さん(40さい)。

 テンゾ と読ませます。  典座  1時間の講演は短かったが内容はかなり激しくて、すこし
ハラハラ気味だった。地球上ワースNO1、食べ物を無駄にしている国と地域だということだった。
データーはWHOや各種の国連からの報告や警告からのようだった。僕も国勢調査のときに
ネットでひととうり眺めたけど、同じような印象とイメージを得ていたので、ご住職の講演内容には
共感をおぼえた。国費2兆円を使って(毎年)ごみとして処理しているとは、改めて嘆息の想いだった。



  

第2部は雪俊典座さんの用意した精進料理を頂いた。

時刻が丁度15:00ということで「おやつ感覚」のつもりです、との説明だった。





 献立  

 胡麻豆腐

 皮引き大根もみ漬け

 ピーナツ・くるみ和え   お茶

とてもおいしかった、 あわい味付けが絶妙だった。

越前は永平寺・曹洞宗を開いた≪道元禅師≫が37歳の時に著わした『典座教訓』を正確に遵守
して腕をふるったもので歴史の重みが淡い味ににじんでいるようだった。

外へ出たら寒いし雨だったが得るところの大きい上質のひと時をいただいたので、余韻を胸に
徒歩わずか5分の家にもどった。



もどれば、早速のこと晩飯の支度にかからねばならない。 別所の典座も楽はできないよ。


 資料 永平寺の精進料理

 資料2 道元禅師とは

資料3 「食う寝る座る 永平寺修行記」野の村磬著


余計なことながら
皆様もこの精進料理を正しく知って時折出かけては味わってください。
食の原理と原則がぎっしりつまっていることが即わかります。無駄が全くない 滋養満点で美味しい。   僕には生涯学習の必須科目の随一と改めて、確信したしだいです。
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別所第三自治会 11月度 常任理事会 議題と決定事項

2010-11-10 20:59:45 | 日記
各部からの報告



1 総務部  敬老会の報告
       祝い金(寄付)の扱い
       新転居世帯に対する、自治会入会の要請(10世帯ほど)。
       45班・46班の状況説明
       英語教室の借り室希望あり、どなたか受け入れ可能を申し出て欲しい。

2 会計報告  

3 環境部  粗大ごみ不法投棄の対応
       新案内板の交換申し込み連絡をうけつける。
       ゴミ問題の意識啓もうの要あり(間断ない継続)。

4 防災部  9月30日の南区防犯講習会の内容報告
       ≪資料≫浦和警察生活安全課より・22年度1~9月犯罪発生一覧が配布される。
       10月27日・さいたま市主催・防災ボランテイアコーディネーター講習会
       内容の解説と市側の主旨説明。



11・12月  決定事業は

11月27日  出前防犯講習会  10時より 別所公会堂

12月 5日  第二自治会と合同 防災訓練  10時より 附属中学校庭

12月18日(土) 地域一斉清掃  10時より  3・4・5丁目 道路周辺

 成人調査 12月 回覧版にて(10日)



上記 一覧に沿ってことしの最終行事をしゅくしゅくとすすめることとけっていされた。



終了にあわせて副会長らによって茶菓子がくばられた。

この日の議題には上らなかったが、帰りの道みち「国勢調査」の体験が数人で交わされ
交互になんとなく釈然としないまま三々五々わかれたが、40世帯もの未集票があると
きいて唖然としてしまった。

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かけがえのないもう一人の詩人が殆ど同時にこのよを去った

2010-11-09 19:29:25 | 日記
数年まえにぼくは姉、弟と4人で山口の母の故郷へでかけてひとめぐりした最後に湯田温泉にある「中也文学館」よった。なぜだろうかなにかにつけて気になって仕方がない此の詩人のことだが。館では、よに文学館幾多はあれど断然 最多入場者NO1はここですと。誇らしげに話していた。だいたい文学館とはあまり面白いものは陳列してなくて、ペンと原稿用紙それに身に着けていた靴、帽子、ステッキ、あつめた書画なんかがほとんどで、絵画彫刻のように じっと眺めようなことは
ないのが通例のようだ。
1930(昭和5) 23歳  「汚れちまった悲しみに・・・」発表
          27歳   第一詩集『山羊の歌』刊行
1937(昭和12)30歳  鎌倉にて死去(結核性脳膜炎)

心友小林秀雄は・・「中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余るものであったとわたしは思っている。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なずけるにたりなかった。・・・いいようのない悲しみが果てしなくあった。・・・・彼はこの不安をよく知っていた。
それが彼の本質的な抒情詩の全骨格をなす。・・・・詩もとうとう彼を救うことができなかった・・・・・ 「中原中也の思い出」  鎌倉文学館・中原中也-鎌倉の軌跡展図録より。

話題としての共通点は置いておこう。
昭和12年は7月 日中戦争(盧溝橋事件)が始まっている。
10月に中也没 それを知ってか知らずか、なにを思ってか立原道造は九州に最後の旅をした。話は
これだけだ。 余計なことだが、宮沢賢治はふたりとも愛読していたらしい。

賢治、1933・9・21没

 中也第二詩集「在りし日の歌」より

   また来ん春

 また来ん春とひとは云う
 しかし私は辛いのだ
 春が来たって何になろ
 あの子が返ってくるじゃない

 おもへば今年の五月には
 おまえを抱いて動物園
 象を見せても猫(にやぁ)といひ
 とりを見せてもにゃあだった

 最後にみせた鹿だけは
 角によっぽど惹かれてか
 何とも云はずに ながめてた
 
 ほんにおまえもあの時は
 此の世の光のただ中 
 立ってながめて
 いたっけが・・・

 角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編 中原中也詩集より

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夭折の詩人 立原道造を偲ぶ  ヒヤシンスシンポジュウムin別所沼

2010-11-05 21:22:39 | 日記
わかれる昼に (第一詩集『萱草に寄す』から)

 ゆさぶれ 青いこずえを
 もぎとれ 青い木の実を
 ひとよ 昼はとほくすみわたるので
 私のかへってゆく故郷が どこかにとほくあるようだ
 
 何もみな うっとりと今は親切にしてくれる
 追憶よりも淡く 少しもちがは無い静けさで
 単調な 浮雲と風のもつれあひも
 きのうの私のうたってゐたままに

 弱いこころを 投げあげろ
 噛みすてた青くさいたねを放るように
 ゆさぶれ ゆさぶれ

 ひとよ 
 いろいろなものがやさしく見いるので
 唇を噛んで 私は憤ることが出来ないようだ。

このソネットを詩人 三好達治は 「よわよわしげに見えはしてもとにかく強い
みずみずしく新らしい精神のうえに、蝶の翼を彩る鱗粉のように配列されている」。
 こんな讃辞を自著『詩を読む人のために』のなかでのべている。
 
昭和12年の7月に第一詩集を、12月には第二詩集『暁と夕の詩』を出したが不治の病を得、
翌13年9、10月に東北旅行
  11、12月長崎に最後の旅をして、翌年の3月29日に帰らぬ人となった。

基調講演は 原 子朗さん(花巻 宮沢賢治イーハトーブ館長で賢治語彙辞典を作り上げられ)    

質素な、詩を愛するかたがたにふさわしい会場だった。

/

ヒアシンス代表ぼ北原立木さんのリードで進められた各氏の講演はそれぞれ聴きごたえ
充分だった。







100人ほどの聴衆が聞き入った会場のピンと張った様子です。





活発なシンポジュームとつらなる質疑応答。 3人の詩の朗読。 
一息ついて 芝山祥子さんによる・フルート・リコーダー・の演奏が心地よかった。



肩のほぐれたところでそとにでたら黄昏がせまっていた。



ぶらぶら帰りながら 中野四郎さんの彫刻がだいぶよごれているなとおもいながら
何気なく1枚とったが、このひとも講演を聞いていたのかもしれないとおもった。





資料 ・立原道造について

資料・三好達治のこと。>font>

文化の日は第6回 ヒアシンスハウス祭りin別所沼が盛大に開かれました。

2010-11-03 20:56:39 | 日記
とっても良きいちにちだった。
天気はいいし顔がほころんでるし風はないでるし、ここにくれば軽い財布で身も軽くなる。



10:00~12:00は ハウスのまえ庭でアトラクション。

「水引車は風に立つ」の公開制作とアルトサックスによるアドリブ独奏で華やぐ。









しかもこのひは賑々しくも「さいたま・子供まつり」が別所沼広場ど同時開催だ。





あったあったいろんな催しが、知恵を絞ってあれやこれやだ。








  それはそれとして

13:00からの別所沼会館でのシンポジュウムに行こう、これで2度目だ。
これが結構おもしろいしためになるんだ。
まあァもっとも多少のなんかを胸のなかに持ってないと、入ってから空気が読めない
なんてことになるかもしれないけど、いっぱいもってゆくことないんで、
君のフトコロ同様に「すこしばかり」でいいんだ、おまけしとくよ。

さ~入ろうか。

南区・ふるさと・ふれあい フエア ≪ 競馬場  11月7日(日) 09:30~≫

2010-11-02 15:15:33 | 別所の研究
 第8回 楽しもう ふれあい 世代間交流!

共催・南区区民会議  南区自治会連合会  さいたま市PTA協議会  浦和商工会連合会
 
  ・南区まちずくり大学  南区役所


とうじつは 南浦和東口より直通 無料バス 往復運行します。

うちの塀に はりつけました。・・・へェ~






048-844-7130
お問い合わせは  南区コミニチー課まで

絵本クラブも出展します。 小雨決行

 参考資料は 631urawahe   /font>

地域にお住まいの皆様・別所町会参加の皆々様

全国の別所・別府の地域活動の皆様。