庚申塔」
この塔は貴重です。
造立は1713年(正徳3)別所村 厄女十八人 と彫られているからなんといっても「女性の講中」
が主役だったことがはっきりしているんです。。
どんな、事情といきさつがあってのことか?ひじょうに興味がありますね。
この民間信仰の石塔に詳しいのが「県立文書館」です。
次回はしっかり調べてもうすこし楽しい報告ができるようにしますから待っててください。
そうして、真福寺へゆきました。
ここは、史跡の宝庫です。簡単に説明できません。「新編 武蔵風土記」「武蔵郡村誌」の別所の主役
であることにまちがいありません。
岡部六弥太の奉じた「足立六別所」のひとつである、としんじている僕にとって最も大事な古刹です。
御覧のとうり、埋め戻されてスッポンポンの更地になっていました。
出土したも遺物はすでに、研究室の机の上で各種の計測がなされて、発表の日を待っていることだろう。
それが何時頃になるのか、あすにでも問い合わせてみよう。
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おはようございます。
最近の更新振りは順調ですね!
今日の「熟年パソコン勉強会」、よろしくお願いいたします。