社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

浦田昌計「クローメの表統計学と統計調査論」『初期社会統計思想研究』御茶の水書房,1997年)

2017-04-08 00:17:13 | 4-2.統計学史(大陸派)
A.F.クローメ(A.F.Crome,1753-1833)は,ゲッチンゲン国状学派(ドイツ国状学派)に対する新学派の代表者の一人である。表統計学派,線的算術家と呼ばれた人々の最初の人物でもある。1753年にオルデンブルク領クニップハウゼンの聖職家の家に生まれ,最初,神学を志したが,1778年からデッサウに設立された博愛学院で地理学と歴史学の教師を務めた(1783年まで)。1782年に最初の著作『ヨーロッパの産物,新しいヨーロッパの産物図表の利用のために』が出版された。次いで,デッサウ公国の世嗣の教育係に任じられた(1786年まで)。1787年にはヘッセン・ダルムシュタット大公国のギーゼン大学に迎えられ(統計学および官房学の正教授),ここで50年間,勤めることになる。公表された書物に「ヨーロッパ諸国の面積と人口について」(1785年),「ヨーロッパ諸国の文化関係について」(1792年),「ドイツ連邦加盟全ラントの国力の地理的・統計的叙述」(1820-28)がある。

 本稿は「ヨーロッパ諸国の面積と人口について」をとりあげ,クローメの統計学を紹介することである。構成は次のとおり。「はしがき」「1.クローメの略歴と主著の構成」「2.主著の対象とクローメにおける統計学」[3.クローメの人口調査論]「4.クローメの人口調査論の意義」
主著「ヨーロッパ諸国の面積と人口について」の内容は,以下のようである。
序文/第1章 数量誌の重要性,そのこれまでの運命,この科学を容易にする試み/第2章 一国の大きさあるいは面積を調べる手段について/第3章 人口誌の重要性,それの運命,それをさらに完全にまた一般的にする提案/第4章 この著作に付属するヨーロッパの数量図表の用途と仕組み/第5章 ヨーロッパ諸国の面積と人口についての,一部は図表そのものに一部は後続の諸表に現れる,様々な報告についての注釈,ならびにそれが得られた典拠の指示/第6章 ヨーロッパの全地域全国家の面積と人口についての14の表。
クローメは諸国家の「面積誌と人口誌」を一個の科学とみたて,その意義,歴と現状を明らかにし,そのための資料的基礎と方法の改善を具体的に追及する。この著作の第一の目標は,「面積誌と人口誌の個々の部分を明らかにし,正しくし,またはその暗い部分を引き出して,政治学者,政治家,愛国者は昔は偏見がそれらを国家機密として仕舞っておいたそのような知識の暴露に促されるようにすること」である。第二の目標は文字通り「ヨーロッパ諸国の面積と人口」の数え上げであり,国別に各種の典拠から得られる面積と人口の数字と人口密度が示されている。

クローメにあっては,「国土誌(=国家誌)」と「統計学」とはとくに区別されていない。このことを前提として,クローメは自らが取り組もうとした「数量誌」を,「国土誌」あるいは「統計学」のなかで新たに発展させるべき部分と考えていた。彼が「面積・人口誌」を「国家誌」=「統計学」において特別な領域と考えた場合に,その方法としての数量的観察が意識されていた。その限りで「政治算術」との関わりが問題となる。実際に,本書の序文,第1章,第3章で,人口誌発展のための「政治算術」の役割に言及がある。ここで言われている「政治算術」は出生・死亡記録による人口研究である。彼の主題である「諸国家の数量誌」は人口推計において「政治算術」の成果を活用するが,「政治算術」の内容はこれだけではないから,その対象の全体をカバーするものではない。筆者は次のように述べる,「彼が『政治算術』の数量的観察方法を重視していることは明らかであるが,・・・彼が考えているのは,『出生・死亡リスト』=人口動態統計の分析を中心とする狭義の『政治算術』を国家誌=統計学に置き換えることではなくて,こうした研究の成果も活用しつつ,彼の『面積=人口誌』を中核として『国家誌=統計学』を再構築することであったと思われる」と(147-8頁)。

クローメは「面積・人口誌」で資料の批判的な検討が必須の前提であるとしている。そのために自身の統計表に使ったデータの典拠と正確性の具体的な検討を行っている。それだけでなく,可能な場合には,別の典拠とつきあわせて検証に努めている。当該の著作では,個々のデータの説明だけでなく,「数量誌」の基礎資料の獲得方法についての一般的考察とその歴史の叙述にも言及するべく努力している。第2章では,土地面積の測量の方法・手段とその歴史・現状について説明を行っている。第3章では,人口誌の資料,それの基礎 データの作成の手段と方法をとりあげている。この章は人口静態調査の部分と人口動態(教会リスト)の利用に関する部分からなる。

クローメは一国の人口数を知る手段として「数え上げ調査」をあげ,それを部分的調査と一般的調査とが分けて論じている。部分的調査は国家の個々の部分あるいは個々の階級,または年齢層などにかかわる調査である。地域的部分だけでなく家屋や家族の調査もここに含まれる。クローメはこれらの部分的調査の有用性を認めつつ,全国土の人口誌にとっては「全国土に,またその全住民に及ぶ」一般的調査が必要であるとする。この調査は人口数の確定だけでなく,人口構造や人口の発展法則の解明についても価値があるというわけである。その先進的事例としてクローメがあげているのは,プロイセン(1733年開始,1773年改正),ヴェルデンブルグ(1769年開始),スウェーデン(1746年のストックホルム科学アカデミーによる開始,1749年以降身分制議会の人口調査委員会が担当)である。

 筆者はまた人口調査に関するクローメの議論のなかで調査に対する住民の抵抗(負担にもとづく),隠し立て,虚偽の報告を問題にしているところに興味が惹かれると書いている。その他,人口調査が本来の目的以外の副次的目的を掲げることなく実施されなければならないこと,調査員が調査の実状に習熟するために,また住民の側で調査に慣れてもらうために毎年繰り返して実施すべきこと,が指摘されている。

 静態人口調査に関するクローメの所説は,当時の若干の諸国で始まっていた統計調査についての知見にもとづいている。議論の内容はとりたてて斬新なものではないが,そこに意義があるとすれば,それはクローメが人口誌ひいては統計学との関連で政府による統計調査論を展開していることである。