社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

岩崎俊夫「統計学体系と社会統計学(『統計通報』誌(1975-78年)での討論)」『ロシア統計論史序説-社会統計学・数理統計学・人口調査[女性就業分析]』晃陽書房、2015年

2016-11-21 11:08:22 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
岩崎俊夫「統計学体系と社会統計学(『統計通報』誌(1975-78年)での討論)」『ロシア統計論史序説-社会統計学・数理統計学・人口調査[女性就業分析]』晃陽書房、2015年

 本稿の目的は1975年から77年にかけて『統計通報(Вестник Статистики)』で行われた統計学の対象と方法に関する討論(以下,「討論」と略)を紹介し,検討することである。この「討論」で展開された論点は,統計学の基本性格,その研究対象はもとより,一般統計理論と個別統計学との関係,社会統計学と数理統計学との関係,統計学教程の構成など,多岐にわたる。

 筆者はまず「討論」全体の特徴と問題点を整理している。次いで,「討論」に参加した論文の内容を,それらがよってたつ思考基盤別にグループ化された諸論者の見解,すなわち普遍科学方法論説と社会科学(方法)理論説を紹介し,検討している。前者は統計学が社会科学と自然科学のいずれの分野の分析にも適用可能な数量的手法を保証する普遍的な方法を研究するという見解であり,後者は統計学が社会科学に限定した統計的認識方法を研究するとする見解である。どちらも50年代統計学論争に認められた見解の系譜である。

 第2節では前者についてУ.メレステ(У.Мересте)[ターリン政治経済大学],Н.ドルジーニン(Н.Дружинин)[ロシア共和国名誉科学者]の諸見解が,第3節では後者の考え方についてТ.カズロフ(Т.Козлов)[モスクワ・経済学博士],И.マールィー(И. Малый)[モスクワ国民経済大学],Л.カジニェツ(Л.Казинец)[サラトフ経済大学]の諸見解がとりあげられている。両者以外ではО.ミフニェンコ(О.Михненко)[モスクワ鉄道運輸技師大学],И.スースロフ(И.Суслов)[ノボシビルスク・経済学博士])の諸見解が第4節で扱われている。 

 最初に「討論」の特徴の概略と「討論」を評価するにあたっての留意点について触れられている。ここでは旧ソ連で1950年代に展開された大規模な統計学論争の紹介がなされている。統計学論争とは,1954年3月にソ連邦科学アカデミー,ソ連邦中央統計局,ソ連邦高等・中等教育省主催で開催された「統計学の理論的諸問題のための科学会議」と,それに先立って『統計通報』『経済学の諸問題』誌上で展開された統計学の対象と方法に関する「討論」である。論争の結果,到達した結論は,次のとおりであった。「統計学は独立の社会科学である。それは大量的社会現象の量的側面を,その質的側面との不可分の関係において研究し,場所と時間の具体的諸条件における社会発展の方法則性の量的表現を研究する。統計学は社会的生産の量的側面を,その生産力と生産諸関係の統一において研究し,文化的および政治的社会生活の諸現象を研究する。さらに統計学は,社会生活の量的変化に対する自然的および技術的諸要因の影響と,社会生活の自然的諸条件に対する社会的生産の発展の影響を研究する」。「討論」ではこの規定が繰り返しとりあげられ,その是非をめぐって意見の交換がなされた。

この定義が取り上げられたのは,それが統計学のその後の発展,現実経済の運営にとっての課題解決に良好な役割を果たしていないとの認識が,統計学に携わる者の間にあったからである。議論の先頭にたったのは科学論の観点から,ユニークな問題提起を行ったメレステである。メレステの統計学理解は,論文「統計科学の構造と他の諸科学の中での統計学の位置」によれば次のとおりである。

統計学は,「社会-自然科学」であり,それは独立した統計科学の統一システムとして存在する。「社会-自然科学」という用語はメレステに固有であるが,その内容は純粋に社会的でも,純粋に自然的でもない対象を,すなわちこれら二つの領域にまたがり,それらと固く結びつき,社会―自然的,あるいは自然―社会的事象を研究する科学である。メレステはさらに,統計学が独立した統計科学の統一システムであると特徴づける。この点もメレステの統計学理論のユニークなところである。メレステの図式によれば,科学の体系は同心円的内部構造をもつ。内側の同心円は科学の体系の核をなす部分であり,換言すれば「純粋」形態の,あるいは狭義の科学である。これに対し,外側の同心円には相当程度,枝分かれした,他の諸科学とのきわめて多様な統合形態をとる個別諸科学が位置する。二つの同心円はあわせて,広義の科学となる。

この解釈を統計学の体系にあてはめると,一般統計理論は内側の同心円である。内側の同心円に位置するのは,厳密に理論的観点から対象を研究する科学だけであり,統計学体系では一般統計理論がそれにあたる。これに対し,経済統計学および人口統計学は,一般的統計論と経済学,人口論との総合的統合であり,数理統計学は一般統計理論と数学との総合的統合であって,それらは外側の同心円に位置する。

 メレステに続く「討論」の内容は統計学の体系構成とその対象,社会認識の方法としてのその役割であった。論者ごとの理解は、本稿で詳細に紹介されているが,これらを批判的に整理すると,まず統計学の対象に関して,多くの論者がそれをおおむね社会的現象と過程の量的側面(若干の異論があった)としている。統計学の対象は,このことを踏まえ,積極的に社会集団とらえられている。ドルジーニンは,「社会的大量」あるいは「社会的要素と現象の集団」という概念に懐疑的であるが,独立の社会科学(方法)理論の延長上にある論者は,この概念を承認している。カズロフは,「統計的集団」という概念を用いている。そこには,客観的社会集団と統計集団との次元の相違をとらえようという意図があるように思われる。プロシコは一般的社会統計論と数理統計学とはその対象が異なり,前者では「標識,集団の単位,類型の相互連関の発展的複合体としての集団」,後者では「物質的内容について一様で,ある一定の安定的規則性(分布の法則)にしたがい,しかもある一定の安定的な相互の関係にある量の集団」としている。

「討論」の詳細は、ここでは紙幅の関係で、省略せざるをえない。「討論」参加者の多くは,統計学の対象が社会的認識の集団であることを承認している。しかし,ここで承認される統計学は,厳密には統計学体系である。政策当事者,研究者は,この統計学体系(あるいは統計の指標体系)を活用して,社会現象と過程を,ひいてはそれ自体,歴史的存在である社会集団を認識する。統計学体系に一般統計理論を,あるいは数理統計学をどのように位置づけるのか,両者を社会統計学といかに関連付けるのか,見解はここで分かれる。

一般統計理論を社会統計学と同じ次元でとらえる論者もいれば,それを体系の核と考え,社会統計学と数理統計学をその核から分岐する分野ととらえる論者もいる。数理統計学は数学の一分野であるとして,そもそも統計学体系に存在場所を認めない論者もいる。こうした見解を主張する論者には,当然ながら,一般統計理論の内容と構成が問われることになる。

 重要なのは,こうした討論が国民経済運営のための統計業務の飛躍的機械化のなかで行われ,国民経済の運営と政策提言に貢献する実践的役割の強化という問題意識のもとで展開されたことである。「討論」を閉じるにあたって「統計通報」誌編集部は「大多数の論文では,統計理論と統計業務の実践との相互連関の問題は,統計科学の課題,その対象と構造を審議するさいの関心の中心におかれなかった。明らかに,このことは理論が生活の要請から,経済活動の実践からかなりの程度,立ち遅れていることを表わしている。国民経済の計画化と管理の改善という課題,また経済統計的分析という課題から離れて,統計理論の具体的諸問題を解決することは,正しくない」と総括した。実際にそうした側面があったことは否定できないものの,しかし「討論」そのものが生活の要請と経済活動の実践から生じた問題意識のから始まったのは否定できず,この点の確認は重要である。