今は堅気の我が親分に「君が代を5番まで歌ってみろ」と言われた。
同席していた日本人の<新しい>姐さんが「え、5番まであるの!?」と声をあげた。
親分は、刑務所仲間の某団体関係者から教わったとか。
幸い(?)2番までなら歌えたので、3番は1番を繰り返したら、拳固を頂いた。
国歌・君が代について調べようとすると、解説する「識者」の大方が、共通の問題を抱えているのが分かる。
それは、現国歌が制定される明治13年(1880年)10月26日以前に起こされた「旧君が代」を国歌と同列に解説してしまっている点だ。
おそらく、丁寧さを強調しての事だろうが、そのため、「現君が代は、初代君が代を省略した形になっている」等と誤った認識が公にされる結果になった。
現国歌と、旧君が代は、全く別ものだ。
従って、現君が代が国歌である以上、「君が代」を語るには、先ず、現国歌を語るべきで、その後に、補足として旧君が代が語られる事が、より明確な解説になると考える。
この事は、作曲者にも及んでいる。
編曲者は、作曲者と同列に記されてならない。
さて、
そこで、知り得た君が代の3番までが以下。
君が代は 千代(ちよ)に八千代(やちよ)に
さざれ石の 巌(いわお)となりて こけの むすまで
君が代は 千尋(ちひろ)の底の
さざれ石の 鵜(う)のいる磯(いそ)と あらはるるまで
君が代は 限りもあらじ
長浜の 真砂(まさご)の数は よみつくすとも
http://www.endanji.com/?p=172
こちらの方の内容は、全く明瞭で、読みやすいもの。
そして、もう1つ、3番が同じで、全3篇を記したものが以下。
君が代は 限りも有らじ
長濱の 眞砂(まさご)の數は 讀み盡(つ)くすとも
君が代は 千代とも止(さ)さじ
天(あま)の戸や 出(い)づる月日の 限り無ければ
君が代は 千代に八千代に
八千鉾(やちほこ)の 安(やす)らに研いで 針と成る迄
http://www.youtube.com/watch?v=FDRkHOW8j4w
これを繋げれば、5番まで歌えることになる。
その内容が、親分の教わった全5番と同様かどうかは分からないが、歌い切れば、次回、拳固は無さそう…
同席していた日本人の<新しい>姐さんが「え、5番まであるの!?」と声をあげた。
親分は、刑務所仲間の某団体関係者から教わったとか。
幸い(?)2番までなら歌えたので、3番は1番を繰り返したら、拳固を頂いた。
国歌・君が代について調べようとすると、解説する「識者」の大方が、共通の問題を抱えているのが分かる。
それは、現国歌が制定される明治13年(1880年)10月26日以前に起こされた「旧君が代」を国歌と同列に解説してしまっている点だ。
おそらく、丁寧さを強調しての事だろうが、そのため、「現君が代は、初代君が代を省略した形になっている」等と誤った認識が公にされる結果になった。
現国歌と、旧君が代は、全く別ものだ。
従って、現君が代が国歌である以上、「君が代」を語るには、先ず、現国歌を語るべきで、その後に、補足として旧君が代が語られる事が、より明確な解説になると考える。
この事は、作曲者にも及んでいる。
編曲者は、作曲者と同列に記されてならない。
さて、
そこで、知り得た君が代の3番までが以下。
君が代は 千代(ちよ)に八千代(やちよ)に
さざれ石の 巌(いわお)となりて こけの むすまで
君が代は 千尋(ちひろ)の底の
さざれ石の 鵜(う)のいる磯(いそ)と あらはるるまで
君が代は 限りもあらじ
長浜の 真砂(まさご)の数は よみつくすとも
http://www.endanji.com/?p=172
こちらの方の内容は、全く明瞭で、読みやすいもの。
そして、もう1つ、3番が同じで、全3篇を記したものが以下。
君が代は 限りも有らじ
長濱の 眞砂(まさご)の數は 讀み盡(つ)くすとも
君が代は 千代とも止(さ)さじ
天(あま)の戸や 出(い)づる月日の 限り無ければ
君が代は 千代に八千代に
八千鉾(やちほこ)の 安(やす)らに研いで 針と成る迄
http://www.youtube.com/watch?v=FDRkHOW8j4w
これを繋げれば、5番まで歌えることになる。
その内容が、親分の教わった全5番と同様かどうかは分からないが、歌い切れば、次回、拳固は無さそう…