レガスピ移住計画・渡世編

移住を夢見たオヤジが愛国語ります。

自衛隊装備の機関拳銃: HK MP5 SD6 / HK MP5 K PDWの実射ビデオ

2011-04-30 23:47:30 | Weblog
最初に上下に2丁の機関拳銃が映されます。
上がMP5 SD6で、SDはサプレッサー(サイレンサー)仕様の意味。
下がHK MP5 K PDWで、PDWは短機関銃と小銃(AK47等のアサルトライフル)の中間サイズを表します。
口径は共に9mm。

映像は、その後、拳銃の実射に移り、機関拳銃は3分10秒後から観られます。

<音量注意!>



射撃訓練は、全くシャドーボクシングでいうところのウィービング、フットワーク、スウェーと言った1つ1つの段取りから構成されるリズムと一緒ですよね。
そのリズムを身体に叩き込む。
構え、狙い、撃ち、弾を補填し、再び構える。
この一見、単純な一連の動きは、銃撃と言うヘビーな動作を含むため、決して訓練なしにスムーズには行えません。
体力然り、精神力然り。
もっとも僕は、喧嘩の最中に怒鳴り疲れるくらいのヘナチョコおやじですが。

以前、故三島先生の東大全共闘との対談ビデオを掲載しましたが、その中で、先生が時々見せる前傾姿勢が印象的でした。
射撃もボクシングも喧嘩も、基本は前傾姿勢です。

石原知事定例会見 五輪招致のための積立金を

2011-04-28 22:26:30 | Weblog



動画がアップされたのは22日です。
もっと早くお知らせしたかったんですが、タイミングが合いませんでした。m(__)m

当該ページのコメント欄は荒れています。
先生の「謝罪」に増長した者達の仕業のようです。

が、
前回、都民として都市計画延滞問題から五輪招致反対に回りましたが、9年後と目される次回、たとえ竹島の土になっていようとも、賛同させて頂きます。
結果を問わず、震災と放射能汚染という風評の中でこそ、大会準備を立派に整えるのは、正に、政治的国威の表し方。

楽しみです。

竹島の夜明け 第一回

2011-04-25 21:31:56 | Weblog
(竹島の映像は18秒後)



■南鮮の竹島領有説を紐解くと、鬱陵島も日本の領土になる

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_kinshi.html
上記は「竹島傍観論」を否定するための外務省ページ。
内容は簡単なんですが、鬱陵島の領有権について江戸幕府と朝鮮王朝の遣り取りと、その背景が書かれています。
要点:
1、日本人は鬱陵島での独占事業を公認されていた。
2、朝鮮王朝は、当時、鬱陵島への渡海を禁止していた。
3、1692年、日本人事業者は、鬱陵島で活動する朝鮮人を確認し、内2名を連れ帰る。
4、江戸幕府は、その2名を送還し、朝鮮王朝に渡海禁止の明確化を求めるが、この時点になって朝鮮王朝は鬱陵島の帰属を主張。
5、1696年、幕府は鬱陵島の位置と日本人定住者が居ないという判断から、朝鮮王朝との友好を優先し、「竹島を含まない、北側」の鬱陵島への日本人渡海を禁止。
6、現在の南鮮政府の竹島領有説は、この時の鬱陵島への江戸幕府判断を竹島に摩り替えたもの。
7、その南鮮政府が竹島領有権の裏付けるとしている文献によれば、鬱陵島から日本へ渡った朝鮮人2名の内の1人は、送還後の朝鮮王朝の取調べに対し、鬱陵島には、多くの日本人が住んでいたと供述した。

つまり、現・南鮮政府の竹島領有説の視点に立つと、1690年代の竹島は、日本人でごった返していたって事になってしまい、この1ページを読むだけで、南鮮のデタラメさが曝け出されるという具合です。

ま、朝鮮族の主張なんて、こんなもんでしょ。
猪突猛進以外、なんの理もない。

もちろん、江戸幕府がそうであったように、今の日本に鬱陵島を我が物にしようなんて言う人は、まず居ない。
すでに朝鮮族の棲家と化している小さな孤島に人を送り込み、その生活を踏みつけ、混乱させ、乗っ取りを謀る、下種で卑劣でグロテスクな対馬の南鮮人のような振る舞いは、理念、理想を重んじる普通の日本人に到底できません。

その上、竹島の領有権を吠え立てる南鮮人には、流浪の蛮族的物欲しかない。
正に、それが大陸や半島の民族観です。
即ち、盗人。
モロコシを見て下さい。
3000年の歴史だか何だか知りませんが、その間、延々内戦で破壊と略奪を繰り返していただけだから、僅かな文化が残されたとしても、そこから派生されるべき文明がない。
だから現代モロコシ社会は真似するしかないし、たとえ真似からでも何も生み出せない。
結局、後にも先にも盗人でしかないんです。




■心願・民間竹島特攻

南鮮の竹島奇襲は、問答無用という姿勢の表れであって、はなから議論で決着させる気なんてありません。
実に盗人らしい手口で、ある意味、開き直りです。
従って、強制力のない国際司法裁判手続きに応じないのも当然で、実効支配が出来上がっている南鮮からすれば裁判沙汰などは迷惑なだけ。
しかしながら、連中が、この問題から両国の戦闘状態突入の可能性を読んでいるのか、いないのか、少々の分かり難くさがあり、ここに南鮮流の竹島領有権主張方法にある自己矛盾を見ている気がします。
南鮮は、今年に総合海洋科学基地、防波堤建設に加え、ヘリポート拡大等の大規模な竹島投資を予定しているとか。
しかし、そんなものは、攻撃が開始されれば海の藻屑と消え去るしかありません。

南鮮が日本の竹島奪還作戦が無いと見ているとした場合の根拠が4つあります。
1つ目は、日本の憲法解釈。
竹島奪還が憲法9条の「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に反するというもの。
しかし、そもそも、自衛隊を容認している憲法解釈上、竹島奪還作戦は、国家間の対等な立場からの紛争としての国際紛争に当たらず、自衛権の行使に付随されるべきものです。
盗人と被害者の権利が対等であるなら秩序は保てません。
南鮮建国は1948年。
それ以前に竹島が日本の公認領土であったことは、1945年、ポツダム宣言受諾後に、竹島の所轄が海軍から大蔵省へ移された事により明らか。
その竹島は、1953年、警備隊常駐によって、飽くまで南鮮に略奪されたんです。

2つ目は、実効支配を適える南鮮竹島警備隊が非国軍兵から構成されている事。
実際に、奪還作戦に際し、この事を憂慮する向きは日本にあります。
しかし、竹島奪還は、自衛権に基くもの。
たとえ民間人であったとしても、南鮮政府の国策による指揮の下、当地に不正駐留し、日本人への攻撃、殺戮を繰り返してきた事実を免責することは有り得ません。

3つ目は、全面戦争はもちろん、その切っ掛けすらもお互いに望んでいないと言う事。
が、しかし、
これは微妙です。
だったら、何故、南鮮は竹島に侵攻したか?
ここが南鮮の抱える自己矛盾の1つです。
事実、過去に、南鮮は、日本の竹島奪還作戦に怯え、24時間の警戒態勢に入ったことが何度かあったと言われています。
その時、日本は、高鼾…
これが日・南鮮間の1つの実情です。
本来、自衛隊は全面戦争を想定して竹島に特攻すべきです。
そこで、もし、米国が両国への不干渉を決定するのなら、全ての国民は、戦後初めて、国威と共に、主権を取り戻すことが出来るかもしれません。
もちろん、それでも尚、全面戦争は起こらないだろうし、そればかりか、不利になるのは北鮮と対峙しなければならない南鮮である訳です。

4つ目は、たかが無人島の1つや2つのために、日本政府が国民に犠牲を強いれるとは思えない事。
これは残念ながら、最後にして、1つの真相です。
確かに、1つを失ったものは、2つ、3つを失う傾向を持ちます。
が、戦後の自虐教育と、在日米軍が齎した1部国民の責任放棄によって形成される現代日本人の意識が、自分や家族の将来を、この理屈と引き換えに出来るとは思えません。

自衛隊の竹島奪還作戦は、短時間の空爆で南鮮設備を叩き、直ぐに引き返すというパターンを繰り返す事と、潜水艦での領海防御が主軸になり、上陸までには時間がかかると読みます。
これは、日本の作戦に、それ以上の侵略意図が無いことを世界に示しながら、上陸部隊が孤立することを防ぎたいからです。
しかし、連続的に出入りが繰り返される外環攻撃は、逆に猪突猛進型の南鮮反撃を日本本土へ引き込む事に成りかねません。
対馬をはじめとする在日朝鮮族の動向も要注意です。
そこで実際に被害が出た時、現代日本人が無人島の1つや2つのために結束できると信じることは、僕にはできません。



でもね、
ここまでの内容には、一番大事な事が抜けているんです。
それは、南鮮が、どう読もうと、自衛隊は決して竹島奪還作戦を行えないという事。
そして、竹島奪還が日本の主権と国威の回復になくてはならないものという考えに基づいて作戦を行うには、自衛隊員である必要がないという事。

だから、日本政府には、民間人が自衛隊装備を使用できるシステムを早急に作って頂きたいと真面目に願うんです。
僕は自衛隊員を侮辱するつもりは全くありません。
しかし、故三島先生のお言葉通り。
現実問題、主権と国威を取り戻すための役割は、自衛隊に与えられていません。
そして隊員達も、それを承知している筈。
しかも、若く、国内はもちろん、国際支援の要となる有望な隊員たちが、たかが劣性大陸種の片割れのために死ぬ必要もない。
それこそ、このオヤジに任せて頂きたい。
タップリの腹巻を着けたら、HK MP5あたりを持たせて、竹島に置いていってくれれば十分。

重要な事は、民間竹島特攻が国家の信任の元に行われる事です。
これは、戦後日本の最初の破壊工作であって、無秩序なテロリズムを否定し、薄っぺらで歪な日本の国防体系を辛うじて支えるための現代の「桜花」でなければなりません。
初回の特攻は、南鮮の反撃を見送らせるでしょう。
長期的に2陣、3陣と続けられれば、その楔は、より深く、南鮮社会に打ち付けられ、1億皇軍の威光を呼び覚ます筈です。
そして、日本本土は安泰。
この上なし。

猪突猛進で知られるイノシシが銃声で気絶する話は昔からあります。
それを連想させる事態が2010年3月に南鮮で起きました。
北鮮潜水艦による攻撃と言われた哨戒艦沈没事件です。
2009年の南鮮軍事計画によれば、在・南鮮米軍は、2016年までに完全撤退を予定。
当時の政府は、国軍への自信と、国内感情を優先した国策だと胸を張ります。
が、南鮮は、行方不明を含め、兵士、46人の命が無抵抗のまま奪われた、この屈辱的な事件に対し、北鮮総攻撃態勢を整えるどころか、当初の国策を放り投げ、180度転換、現在では、2020年までに在・南鮮米軍兵28000の半数に家族招致サービスを与える計画を明らかにしています。

南鮮の、このイノシシ質が、最小規模からの徹底的ダメージを狙う民間・竹島特攻で曝け出されると、僕は信じます。

ネトウヨってなぁに? / 実存する朝鮮主義

2011-04-19 17:36:56 | Weblog
日本の土下座外交という言葉がメディアで使われなくなって久しいです。
でも、なくなった訳じゃない。
最近では割腹外交とでも言うべきでしょうか?

東日本大震災での支援を対日向けカードに摩り替え、それを公然と翳せる南鮮メディアの卑しさは、南鮮社会の劣性さの象徴です。
そのトップ、李明博は、最近、福島第一原発問題に関し、「日本人は無能」と吐き捨てました。
この事態に動いた日本政府は、
「日本人に向けて無能呼ばわりしたものでない事は、先方に確認済み」と答えます。

通常、身内の煩型を押さえ込み、事態収拾を図るため、運用機関が詭弁を呈する例は多々ありますが、これでは、詭弁にもなっておらず、それどころか、国民の信任を受ける国家間の遣り取りにおいて、相手の不穏当な発言は、その意図を明確にする必要があることから、毅然と正すのが作法。
更に、この場合、言い訳は日本でなく、南鮮にさせるべきものであり、全く基本的な対外関係構築すら出来ていないのは、本当のバカか、属国以外にありません。

誤解してもらっては困るんですが、この「属国質」は民主、自民に変わりなく、日本政体が持つ問題です。
従って、もし竹島特攻を許可する政権が現れるなら、「命を懸けて、その政権に従い、且つ、守りますよ。」という事。



日本の米国属国化が批判されたのは古い話ですが、それは、過去の事でなく、依然、そこに脅かされている実態が無数にあります。
しかし、僕は、それと同じ問題を、竹島略奪を許し、割腹外交を続けるしかない対朝鮮外交に見ずにいられません。

この問題の原因は、財界に有ると思っています。
日本財界の強かさは、ユダヤ資本でさえ恐れさせました。
それが、また、戦前、欧米が画策したアジア包囲網の1つの切っ掛けにもなった訳ですが、それに対抗するため、日本は、国土防衛の骨格に財界を従属させます。
それが大アジア主義です。



日本の保守思想の始まりとして、江戸時代の反儒教に基づいた「国学」が挙げられる例は少なくありません。
この思想は、一方で神道と結びつき、近代・尊皇派を確立して行ったと見ます。
そして、もう一方で、仏教思想に基づく国家主義が起こりますが、これは、皇室を統合させる内容を持つと理解され、その点において完全な国家主義で、且つ、純正国粋論を形成して行ったと見ます。
もちろん、仏教的国家主義に原生保守主義は組み入れられません。
飽くまで仏教は政治(政体)論法であって、国体に影響しないものと考えるからです。
従って、皇統において仏教は組み入れられました。

大アジア主義に基づき、アジア開放を目指した大東亜共栄圏は、欧米・白人至上主義からの国土防衛を適える最前線でした。
そこに、仏教国家連帯を図る仏教的国家主義からの派生という視点がありながら、原生保守は、国土防衛という主眼によって立ち上がります。

この構想は、大日本帝国の1つの段階です。
それは、ロシア・コミンテルンを含む1国支配圏の拡張を目指した欧米帝国主義と一線を画し、八紘一宇の元、世界規模での平等経済圏構築から欧米帝国主義との対峙を目指したものでした。
そこで主軸となったのは、分派としての「台湾主義」「支那主義」であり、「朝鮮主義」であったでしょう。
戦前、大アジア主義に傾倒し、現地へ乗り込んだ多くの日本人の先導によって、日本の莫大な大陸投資が開始されます。

それを警戒した欧米は、アジア包囲網を狭めます。
モロコシでは日本勢力の排斥が起こりますが、それが朝鮮に及ぶ事はありませんでした。
戦後、1950年から51年にかけ、勃発した朝鮮戦争の停戦直後に、南鮮政府が日本へ投資促進を働きかけます。
これを見れば、日本が降伏した1945年前後にも朝鮮投資が続けられたと察することもできる筈です。

終戦により、在日朝鮮族の半分以上が帰国し、南鮮は、反日体制と竹島略奪を整えます。
1953年、竹島に上陸した南鮮占領軍は、日本人漁師の虐殺行為を繰り返し、海上保安船に対する発砲事件を起こします。
たとえ降伏から8年という僅かな期間とは言え、日本が国家である以上、もはや、「攻撃已む無し」と決せられても不思議のない状況でした。
しかし、何も起こらず、その裏で、日本は南鮮利権を握り続けます。
そして、2007年前後を契機に毎年のように持ち上がる南鮮・対日貿易赤字問題に表されている通り、日本による朝鮮主義は機能し続け、現在に至ります。



世界を席巻したアジア経済圏の一角を成す工業大国へ劣性南鮮を育てたのは、ほぼ1世紀に渡り、半島に君臨し続ける大アジア主義の片鱗としての朝鮮主義です。
その相互共栄が継続されて行く中で、何故、先導役の日本が、朝鮮属国化という屈辱の中に埋没しなければならなかったか?
そもそも大アジア主義の本義は国土防衛にあった筈。
その国土たる竹島は、切り売りされ、一国の政府とも在ろうものが卑屈な姿を曝け出し、南鮮の顔色を伺い、機嫌を取りながら、何故、日本国民の威信を打ち砕くのか?
その全ての理由が、財界による経済至上主義に日本政体が組み入れられた事にあると、僕は考えます。

大アジア構想の要は、軍と財界でした。
その時代、財界と議員との関わりは、現在と大差なかったと思われます。
しかし、その間に、楔のように軍が置かれます。
それは政体に属しながら、国会議員との対立関係が作られ、両者の綱引きが行われる事で、資本家の動向が制御されました。
その軍を失った現代の日本政体は、もはや、世界屈指の財界の手玉でしかありません。
民族意識や国威は流通の妨げ。
その中で脈々と生き続ける現代朝鮮主義。
それは、そのシステムを、そっくり日本へ移築しようと謀っているらしい小沢一郎という「新国家主義者」を生み、国営放送によって、年間、数百億円規模の事業を南鮮に生み落とさせ、精神を衰弱し、国威を見失った日本国民を飲み込んでいます。

経済至上主義の誤りは、割腹外交で明白。
経済特圏は国家に成らず、それは、国難を前に手も足も出せない、未熟で些細な贅沢と引き換えに、議員の腹でなく、その手によって国民の腹を引き裂いているんです。
竹島奪還は、時代を超えて生きながら、歪めらる大アジア主義の修正です。
それなくして、北方領土に基地建設を謀るロシア、南方領土を狙うモロコシとの対峙は起こり得ません。

転載: 現代語訳『軍人勅諭』

2011-04-16 02:03:39 | Weblog
知識の殿堂 様より / http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/index.htm

「■現代語訳

 我が国の軍隊は代々天皇が統率している。昔、神武天皇みずから大伴氏(古代の豪族)や物部氏(古代の豪族)の兵を率い、中国(当時の大和地方)に住む服従しない者共を征伐し、天皇の位について全国の政治をつかさどるようになってから二千五百年あまりの時が経った。この間、世の中の有様が移り変わるのに従い、軍隊の制度の移り変わりもまた、たびたびであった。古くは天皇みずから軍隊を率いる定めがあり、時には皇后(天皇の妻)や皇太子(次の天皇になる皇子)が代わったこともあったが、およそ兵の指揮権を臣下(天皇に仕える臣)に委ねたことはなかった。中世(鎌倉、室町時代)になり、文官と武官の制度をみな支那風に倣って六衛府(左近衛、右近衛、左衛門、右衛門、左兵衛、右兵衛という軍務をつかさどる六つの役所)を置き、左右馬寮(左馬寮、右馬寮という軍馬をつかさどる二つの役所)を建て、防人(九州の壱岐、対馬などに配置された兵。外国の侵略に備える)などを設けたので軍隊の制度は整ったが、長く平和な世の中が続いたことに慣れて朝廷の政務(政治をおこなう上での様々な仕事)も武を軽んじ文を重んじるように流れていき、兵士と農民はおのずから二つに別れ、昔の徴兵制(徴集されて兵隊になること)はいつの間にか廃れて志願制(自分の意志で兵隊になること)に変わり、遂に武士を生み出し、軍隊の指揮権はすっかりその武士の頭である将軍のものになり、世の中が乱れていくのと共に政治の権力もその手に落ち、およそ七百年の間、武家(武士)の政治がおこなわれた。世の中の有様が移り変わってこのようになったのは、人の力をもって引き返せないと言いながら、一方では我が国体(国家のあり方)に背き、一方では我が祖宗(神武天皇)の掟に背く浅ましい次第であった。
 時は流れて弘化、嘉永の頃(江戸時代末期)より、徳川幕府の政治が衰え、その上、外国の事(米国をはじめとする欧米列強が通商を求めて日本を圧迫)が起こって侮辱を受けそうな事態になり、朕(天皇の自称)の皇祖(天皇の祖父)仁孝天皇、皇孝(天皇の父)孝明天皇が非常に心配されたのは勿体なくもまた畏れ多いことである。さて、朕が幼い頃に天皇の位を継承したはじめに、征夷大将軍(幕府の長)はその政権を返上し、大名、小名が領地と人民を返し、年月が経たないうちに日本はひとつに治まる世の中になり、昔の制度に立ち返った。これは文官と武官との良い補佐をする忠義の臣下があって、朕を助けてくれた功績である。歴代の天皇がひたすら人民を愛し後世に残した恩恵といえども、しかしながら我が臣民のその心に正しいことと間違っていることの道理をわきまえ、大義(天皇の国家に対する忠義)の重さを知っているからである。だから、この時において軍隊の制度を改め、我が国の光りを輝かそうと思い、この十五年の間に、陸軍と海軍の制度を今のようにつくり定めることにした。そもそも軍隊を指揮する大きな権力は朕が統括するところなのだから、その様々な役目を臣下に任せはするが、そのおおもとは朕みずからこれを執り、あえて臣下に委ねるべきものではない。代々の子孫に至るまで深くこの旨を伝え、天皇は政治と軍事の大きな権力を掌握するものである道理を後の世に残して、再び中世以降のような誤りがないように望むのである。朕はお前たち軍人の総大将である。だから、朕はお前たちを手足のように信頼する臣下と頼み、お前たちは朕を頭首と仰ぎ、その親しみは特に深くなることであろう。朕が、国家を保護して、天道様(おてんとう様)の恵みに応じ、代々の天皇の恩に報いることが出来るのも出来ないのも、お前たち軍人がその職務を尽くすか尽くさないかにかかっている。
 我が国の稜威(日本国の威光)が振るわないことがあれば、お前たちはよく朕とその憂いを共にしなさい。我が国の武勇が盛んになり、その誉れが輝けば、朕はお前たちとその名誉を共にするだろう。お前たちは皆その職務を守り、朕と一心になって、力を国家の保護に尽くせば、我が国の人民は永く平和の幸福を受け、我が国の優れた威光(人を従わせる威厳)は大いに世界の輝きともなるだろう。朕はこのように深くお前たち軍人に望むのであるから、なお教えさとすべきことがある。どれ、これを左に述べよう。

 一、軍人は忠節を尽くすことを義務としなければならない。およそ生を我が国に受けた者は、誰でも国に報いる心がなければならない。まして軍人ともあろう者は、この心が固くなくては物の役に立つことが出来るとは思われない。軍人でありながら国に報いる心が堅固でないのは、どれほど技や芸がうまく、学問の技術に優れていても、やはり人形に等しいだろう。その隊列(兵隊の列)も整い、規律も正しくとも、忠節を知らない軍隊は、ことに臨んだ時、烏合の衆(烏の群れのように規律も統率もない寄せ集め)と同じになるだろう。
 そもそも、国家を保護し国家の権力を維持するのは兵力にあるのだから、兵力の勢いが弱くなったり強くなったりするのはまた国家の運命が盛んになったり衰えたりすることをわきまえ、世論に惑わず、政治に関わらず、ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。その節操を破って、思いもしない失敗を招き、汚名を受けることがあってはならない。

 一、軍人は礼儀を正しくしなければならない。およそ軍人には、上は元帥から下は一兵卒に至るまで、その間に官職(官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲)の階級があって、統制のもとに属しているばかりでなく、同じ地位にいる同輩であっても、兵役の年限が異なるから、新任の者は旧任の者に服従しなければならない。下級の者が上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命令を承ることと心得なさい。自分がつき従っている上官でなくても、上級の者は勿論、軍歴が自分より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くしなさい。
 また、上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ、上級者も下級者も一致して天皇の事業のために心と体を労して職務に励まなければならない。
 もし軍人でありながら、礼儀を守らず、上級者を敬わず、下級者に情けをかけず、お互いに心を合わせて仲良くしなかったならば、単に軍隊の害悪になるばかりでなく、国家のためにも許すことが出来ない罪人であるに違いない。

 一、軍人は武勇を重んじなければならない。そもそも、武勇は我が国においては昔から重んじたのであるから、我が国の臣民ともあろう者は、武勇の徳を備えていなければならない。まして軍人は、戦いに臨み敵にあたることが職務であるから、片時も武勇を忘れてはならない。
 そうではあるが、武勇には大勇(真の勇気)と小勇(小事にはやる、つまらない勇気)があって、同じではない。血気にはやり、粗暴な振る舞いなどをするのは、武勇とはいえない。軍人ともあろう者は、いつもよく正しい道理をわきまえ、よく胆力(肝っ玉)を練り、思慮を尽くしてことをなさなければならない。小敵であっても侮らず、大敵であっても恐れず、軍人としての自分の職務を果たすのが、誠の大勇である。
 そうであるから、武勇を重んじる者は、いつも人と交際するには、温厚であることを第一とし、世の中の人々に愛され敬われるように心掛けなさい。理由のない勇気を好んで、威勢を振り回したならば、遂には世の中の人々が嫌がって避け、山犬や狼のように思うであろう。心すべきことである。

 一、軍人は信義を重んじなければならない。およそ信義を守ることは一般の道徳ではあるが、とりわけ軍人は信義がなくては一日でも兵士の仲間の中に入っていることは難しいだろう。
 信とは自分が言ったことを実行し、義とは自分の務めを尽くすことをいうのである。だから、信義を尽くそうと思うならば、はじめよりそのことを出来るかどうか細かいところまで考えなければならない。出来るか出来ないかはっきりしないことをうっかり承知して、つまらない関係を結び、後になって信義を立てようとすれば、途方に暮れ、身の置きどころに苦しむことがある。悔いても手遅れである。はじめによくよく正しいか正しくないかをわきまえ、善し悪しを考え、その約束は結局無理だと分かり、その義理はとても守れないと悟ったら、速やかに約束を思いとどまるがよい。
 昔から、些細な事柄についての義理を立てようとして正しいことと正しくないことの根本を誤ったり、古今東西に通じる善し悪しの判断を間違って自分本位の感情で信義を守ったりして、惜しい英雄豪傑どもが、災難に遭い、身を滅ぼし、死んでからも汚名を後の世までのこしたことは、その例が少なくないのである。深く戒めなければならない。

 一、軍人は質素を第一としなければならない。およそ質素を第一としなければ、武を軽んじ文を重んじるように流れ、軽薄になり、贅沢で派手な風を好み、遂には欲が深く意地汚くなって、こころざしもひどくいやしくなり、節操も武勇もその甲斐なく、世の人々から爪弾きされるまでになるだろう。その人にとって生涯の不幸であることはいうまでもない。
 この悪い気風がひとたび軍人の間に起こったら、あの伝染病のように蔓延し、軍人らしい規律も兵士の意気も急に衰えてしまうことは明らかである。朕は深くこれを恐れて、先に免黜条例(官職を辞めさせることについての条例)を出し、ほぼこのことを戒めて置いたけれども、なおもその悪習が出ることを心配して心が休まらないから、わざわざまたこれを戒めるのである。お前たち軍人は、けっしてこの戒めをおろそかに思ってはならない。

 右の五ヶ条は、軍人ともあろう者はしばらくの間もおろそかにしてはならない。
 さてこれを実行するには、ひとつの偽りのない心こそ大切である。そもそも、この五ヶ条は、我が軍人の精神であって、ひとつの偽りのない心はまた五ヶ条の精神である。心に誠がなければ、どのような戒めの言葉も、よいおこないも、みな上っ面の飾りに過ぎず、何の役にも立たない。心にさえ誠があれば、何事も成るものである。まして、この五ヶ条は、天下おおやけの道理、人として守るべき変わらない道である。おこないやすく守りやすい。
 お前たち軍人は、よく朕の戒めに従って、この道を守りおこない、国に報いる務めを尽くせば、日本国の人民はこぞってこれを喜ぶだろう。朕ひとりの喜びにとどまらないのである。

明治十五年一月四日

御名 御璽」



原文によるビデオ:




軍人勅諭の歌:

レベル7がどうしたってんだよ!

2011-04-13 05:14:48 | Weblog
在日質がピーピー煩せぇ。

放射線漏れは3月12日から続いてんだ。
それを止められないまま放出量は上がる一方。
福島第一原発はとっくに「チェルノブイリ2」って呼ばれてんだよ。

東電は遣れる事を遣って、この様だ。
政府は、その東電頼み以外に手がない。
つまり、レベルが上がったからって何も変わりゃしねぇんだ。
しかも、レベル7までの評価尺度範囲自体、福島第一原発は引き上げさせるかもしれねぇしな。
しょうがねぇだろが。

日本人なら腹を括れ。

腹を括れりゃ、多少懲りて、次の時代は、もうちっと良くなるだろうよ。
でなきゃ、同じことの繰り返し。
「一掃」とは、そういうことだ。

できなきゃ、とっとと出てけ。
大陸臭がウザくてしょうがねぇ。