「生まれは終わりを暗示します。
つまり、終わり善ければ全て由。
しかし、ここでの「由」は、「良」でありません。
それは、「由縁」であって、「義」であります。
つまり、正しき終わり方は、その始まりと経緯の全てに由来するという意味で、それは、始まりと経緯の誤りは、それによって求められた終わり方に則すれば正せるという事です。
これは、むしろ仏教思想です。
しかし、日本人の「自然観」に誤った終わり方は存在し得ませんから、神道は、それを包括すると考えます。
佐渡汽船の誕生は昭和7年(1932年)。
当時すでに、日本最大の面積、最大の人口を誇る離島航路には、島民生活路を置き去りにしながら、それを食い物にする海運3社が過当競争を繰り広げていました。
そして、共倒れを危惧した新潟県は、それらを買収。
ここが、そもそもの誤り。
そして、現、佐渡汽船株式会社は生まれ、暗黒を束ねてしまった悪因悪果故の、佐渡航路の非道な歴史が始まります。
自分は、それを自らが正せる等という自惚れを、たとえ妄想でも持ちません。
しかし、皆さんと同様に感じる事ができます。
そして、感じたままを伝えたい衝動に、強く駆られています。
そこにこそ正義が在ると信じるからです。
しかし、国家正義は、国民である皆さんの理解の上に打ち立てられなければ、意味を成しません。
それは、決して負の歴史でない、「大昭和史」からの教訓です。
路は国家形成の1つの要であり、離島航路は国民生活の要です。
この解釈に正道があり、道理が備わる限り、それを妨げるものを排除することが正義で、それを理解するのは「倫理」として、国家国民が共有すべき信条です。」