日台は“戦争孤児”の義兄弟だ/2
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」90/通算522 2022/9/13/火】小生が台湾人・林景明氏を知ったのは1970年頃だった。当時「出入国管理制度」の改定を巡って議論があり、調べていくうちに蒋介石政権による弾圧から留学を理由に日本に逃れてきたものの、台湾へ強制送還(=死刑)される危機にあった氏の著書「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」「台湾処分と日本人」に出会い、連絡を取ったことによる。「台湾処分と日本人」から引用すると――
<日本が敗戦し「終戦」を聞いた瞬間、台湾人は自分たちが戦勝国民になったのか、敗戦国民になったのかはっきり分からず、いつも空襲に来ているアメリカ軍が占領に来るのではないかと心配した人も多かった。
ソ連と中国の2国だけで「天皇を戦犯にせよ」と主張した蒋介石(中華民国総統・中国国民党党首)は、いずれの国よりも多くの戦犯を処刑して大陸(残留)の日本軍の反乱を封じ、無血で台湾を占領するために「日本人には恨みに報いるに徳をもってし、台湾人は祖国の懐に帰った同胞である」と声明した。
それでホッと胸をなでおろした台湾人は、各地で日本人を告発する集会を開き、特に横暴だった個人を対象とした暴力的報復も行われた。
だがしかし、10月24日に大陸から蒋介石の中国軍がやって来ると、事態は180度転換した。天秤棒で鍋釜を担ぎ、唐笠をさして背中を丸め、よちよちと歩く中国兵のみすぼらしさもさることながら、“無敵皇軍”を散々に打ち負かしたと宣伝された英雄的祖国の軍隊が、日本人の漫画に描かれていた“チャンコロ”の敗残兵そっくりで、中国人よりも日本人の方が真実を伝えていたことを認めざるを得ないことに、台湾人は意気消沈してしまった・・・
せっかくの台湾人の幻想もついに幻滅に変わらざるを得なかったが、中国人はただえばるだけが能ではなかった。台湾銀行の輪転機をフルに活用して続々と札束を生産し、農民からコメを買う時は、毎月、札束の量を増やして、遂には一袋の米と一袋の札束を交換するほどの度量と誠意も見せたし(極度のインフレ)、専売局からは、祖国の有難さを示す「光復」「祖国」というタバコも売り出した。
しかし、タバコ売りがいくら「祖国いりませんか」と呼び掛けても「お前、祖国を売っているのか、そんなできの悪い祖国を誰が買うもんか」とあたりちらされるだけで、なかなか商売にはならなかった。
その上、言葉が通じないときているのだ。期待が大きいだけに失望も大きく、信頼感はたちまち敵対感に変わってしまった。中国人が口先だけで「同胞よ、同胞よ」と呼び掛けても、台湾人は彼らを「豚」などと呼び、「犬(日本人、番犬)が去って豚(中国人、爆食の役立たず)が来た」「日本人の方が中国人より遥かにマシだった」と嘆き罵る声が巷に溢れた。
(蒋介石・中国人の侵略以前、日本統治下の台湾は豊かな島だった)1945年の年末から翌年にかけて台湾から引き揚げた日本人の中には、食糧難に追われ、台湾の豊かな物産と台湾人の親日感情を思い出し、漁船で沖縄を経て再び台湾に舞い戻り、米や砂糖の密輸で一財産を築き上げた者もあれば、海岸警備の中国兵に惨殺された者も少なくなかったのである。
(蒋介石一派の横暴により)台湾人の反日感情はたちまちにして親日感情に変わり、日本人に報復するとき「日本精神を返してやる!」と言っていたのが「中国人には日本精神を入れる必要がある!」と言い出した・・・台湾人による独立運動が始まった。
1947年2月28日に一斉蜂起した台湾人(2.28大反乱)は、大陸から派遣された蒋介石・国民党の大軍に弾圧されると、漁船に乗って沖縄、日本へ、(あるいは)香港経由で共産党支配の中国(主に福建省)へと脱出しなければならなくなったが、脱出の機会もない人々を含めて蒋介石軍に虐殺されたものは数万人にも上ったのである。
わずか350年の間に5度までも支配者が変わり、それが常に海外からやって来る異民族で、支配者が変わるたびに流血の惨事を余儀なくされる台湾人の歴史は、ただ「悲惨」の一語に尽きる>
「かつての同胞がひどい目に遭っている、何とかしなければ」と義憤を覚えた小生は大学で新左翼の連中に「台湾独立運動家・林景明氏を助けよう!」と訴えたが、文化大革命最中の毛沢東・中共に親和感を持つ者ばかりで、「台湾? あれは中国の領土だ」とけんもほろろ、取り付く島もなかった。
小生は1971年春から、成田空港建設で三里塚農民に強制立ち退きを迫る政府にこれまた義憤を覚え、天浪団結小屋で暴れて拘留され、保釈後は党派間の内ゲバが激しく(中核派 VS 革マル派・社青同解放派)大学から遠のいた。要は駆逐されたのだ。レーニン&トロツキーを批判したら中核派からも「腐敗分子」と追放された。
保釈金を出してもらった父にまさか知らんぷりできないから、その後の1年間は家業を手伝っていたこともあるが、大学とは縁が切れ(学費滞納で除籍)いささか自暴自棄で酒や深夜の暴走で憂さを晴らしていた。
そんなことから「我が身を如何せん」と青春彷徨にどっぷり漬かっていた1973年あたりに林景明氏は台湾へ強制送還され、蒋介石一派に速攻で処刑されたようだ。
彼の名は王育徳著「台湾」歴史年表の1970年の項に「台湾独立連盟発足(1.15)林景明『知られざる台湾』出版(1.15)」とあるのみだが、王育徳自身も1985年、亡命先の日本で亡くなっており、その志を現在では「台湾独立建国聯盟」が受け継いでいるよう。林景明氏を含み蒋介石・国民党一派に処刑された人々の真実がやがて明らかになることを期待したい。
中国国民党・蒋介石一派という異民族支配が続いた台湾だが、2代目総統を引き継いだ息子の蒋経国は、農業経済学者の台湾人(本省人)である李登輝を国民党員にし、農業専門の行政院政務委員として採用(1971年)、信任厚く台北市長(1978年)、台湾省主席(1981年)、副総統(1984年)、1988年1月に蒋経国が死ぬと、7月に党主席代理に就任、1990年3月には任期満了に伴う信任投票で総統に選出された。
1996年に初の直接総統選挙で李登輝が当選、台湾史上初の民選総統として第9期総統に就任した。中共による恫喝、圧迫、国民党の反発に耐えながら、奇跡的・歴史的な無血の自由民主革命、「台湾の夜明け」をもたらした。
<李登輝は2000年の総統選挙では自身の後継者として副総統の連戦を推薦して選挙支援を行なうが、この選挙では国民党を離党した宋楚瑜が総統選に参加したことから、国民党票が分裂、最終的には民主進歩党(民進党)候補の陳水扁が当選し、第10期中華民国総統に就任した。
これにより台湾に平和的な政権移譲を実現したが、野党に転落した国民党内部からは李登輝の党首辞任を求める声が高まり、2000年3月に国民党主席職を辞任した>(WIKI)
今も民進党が政権を担っているが、習近平・中共による侵略圧力は日々高まっている。内憂外患の状態が続いているが、西日本新聞2005/12/25「台湾の本省人と外省人」から引用する。
<台湾に戦前から居住する「本省人」は、全人口約2300万人の69%を占める福老人(老は人偏、発音はホーロー人、福建省系の漢民族)と15%の客家(はっか)。戦後、国民党政権とともに大陸から渡ってきた「外省人」(蒋介石一派)は14%。ほかに2%の先住民がおり、大きく四つの「族群」(エスニック・グループ)に分けられる。
独立志向の与党、民主進歩党の支持者は本省人=福老人に多く、(中共との)統一志向の国民党の支持者は外省人、客家に多い。
国民党による本省人弾圧の歴史に根差す本省人と外省人の感情的な対立を「省籍矛盾」と言う>
在台湾・佐藤峻氏の「2022年版:台湾の政党・地域別支持基盤・選挙事情」から。佐藤峻 (さとう しゅん) 氏は国際基督教大学 (ICU) 、国立政治大学 (台湾) 卒業、国立シンガポール大学交換留学。 2017年に台湾でデジタルマーケティングの会社を設立。
<国民党 (KMT) は元々中国で孫文が始めた政党です。孫文は中華民国の礎を築いた人。中華民国はその後蒋介石がトップになった際、中国で内戦が起こり内戦に破れた国民党は台湾に渡りました。
蒋介石は台湾に渡った当初は、現在の中国は中華民国のものであるという主張をして中国(本土)の奪還を考えていたようです。しかしその後奪還が難しいと判断してからは現状維持という現実路線を歩むことになりました。
2022年3月28日現在、国民党は台湾では野党で、与党は民進党です。国民党と言うと「中国寄り」というイメージが強いのですが、中国との統一を望んでいるというよりはどちらかというと現状を維持して中国と仲良くしたいと思っている印象を受けます。
従って国民党を支持している全ての方が中国と台湾の統一を望んでいるというよりは、「現実的に世界経済の主権は中国にシフトしているし、自分たちの経済のためにも仲良くしよう」と考えている印象を受けます。
民主進歩党 (民進党)は台湾初の政党であり、2022年3月28日現在台湾 (中華民国) における与党です。昔の台湾は国民党一党(独裁)で、言論や政党結成が厳しく管理されていましたが、1987年に政党結成が解禁になった時に民進党ができました。現在の台湾において国民党と並ぶ2大政党の一つです。
国民党がどちらかというと中国と仲良くしていきたいのに対して、民進党はどちらかというと台湾独立や、中国とは距離をおきたいと考えている政党と言えます。台湾の選挙で投票率が高いのは、国民党=中国寄り、民進党=台湾独立、と二大政党の構図がすごく分かりやすいからではないかなと思っています。
ちなみに民進党は「台湾独立支持」というイメージがありますが、総統の蔡英文氏が表立って「独立したい!」と言うことはありません。その辺は国際社会や中国を刺激しないよう意識しています。
2020年1月時点の支持率は、国民党28.65%、民進党21.4%、時代力量党5.4%、中立18.4%、その他13.4%。
2020年1月11日の総統選は与党民進党代表の蔡英文氏が勝利しました。蔡英文氏の2019年の同時期の支持率が極端に低かったことを考えると「大逆転の勝利」と思います。
4年に1度行われる台湾の総統選に民衆が直接選挙に参加できるようになったのはつい最近の1996年です。それまでは国民党の一党政治でした。その後1990年代初頭、李登輝氏が民主化の動きに合わせ、総統選直接選挙に向けて行動を始め、1996年ついに民衆の選挙参加によって台湾のトップが決まることになりました。この1996年の選挙で総統に選ばれたのが最近お亡くなられた李登輝氏です。
1996年以降、2000年の総統選では民進党が初めて勝利し、その後2004年も勝利しますが、スキャンダルが発生し、2008年、2012年の総統選では国民党が続けて勝利しました。
2016年の総統選は、2014年に「ひまわり学生運動」と呼ばれる、中国との貿易協定に反対するデモが起こり、国民党の支持率が一気に低下し民進党が圧勝。2020年は香港デモの影響もあり、再び民進党が勝利しました。
2020年の台湾総統選は香港のデモの影響からか、かなりの盛り上がりを見せました。その結果、投票率は74.9% と、前回2016年の66.27%から大幅なアップとなりました>
何となく「独立&名誉か、それとも中共に屈服して安全&カネか」という選択のようだが、中共に屈服することは即ち「自由民主人権法治を捨てる」ことで、カネを儲けることも「いつ摘発されるか分からない」という不安に身を任せることだろう。
大体、中共は香港を見ても分かるように、「一国二制度」という国際公約でさえ平気で廃棄する独裁国家だ。常識や良識が通用しない。憲法や法律の上に神の如く「中国共産党」が君臨しているのであり、すべては独裁者が決定するのである。金持ち連中は資産をもって外国へ移住するのが夢なのだ。そんな国に併呑されれば「生き地獄」以外の何物でもない。国民党の連中でさえ近年は習近平・中共への不信感を強めていると聞く。
次号では長尾賢氏(米ハドソン研究所研究員)の「台湾有事が起きた時、日本は主導権をとれるのか」(ウエッジ2022/9/3)を紹介する。習近平・中共を駆逐すれば世界はずいぶん居心地が良くなるのだが・・・明日を信じようぜ、同志諸君!
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」90/通算522 2022/9/13/火】小生が台湾人・林景明氏を知ったのは1970年頃だった。当時「出入国管理制度」の改定を巡って議論があり、調べていくうちに蒋介石政権による弾圧から留学を理由に日本に逃れてきたものの、台湾へ強制送還(=死刑)される危機にあった氏の著書「知られざる台湾 台湾独立運動家の叫び」「台湾処分と日本人」に出会い、連絡を取ったことによる。「台湾処分と日本人」から引用すると――
<日本が敗戦し「終戦」を聞いた瞬間、台湾人は自分たちが戦勝国民になったのか、敗戦国民になったのかはっきり分からず、いつも空襲に来ているアメリカ軍が占領に来るのではないかと心配した人も多かった。
ソ連と中国の2国だけで「天皇を戦犯にせよ」と主張した蒋介石(中華民国総統・中国国民党党首)は、いずれの国よりも多くの戦犯を処刑して大陸(残留)の日本軍の反乱を封じ、無血で台湾を占領するために「日本人には恨みに報いるに徳をもってし、台湾人は祖国の懐に帰った同胞である」と声明した。
それでホッと胸をなでおろした台湾人は、各地で日本人を告発する集会を開き、特に横暴だった個人を対象とした暴力的報復も行われた。
だがしかし、10月24日に大陸から蒋介石の中国軍がやって来ると、事態は180度転換した。天秤棒で鍋釜を担ぎ、唐笠をさして背中を丸め、よちよちと歩く中国兵のみすぼらしさもさることながら、“無敵皇軍”を散々に打ち負かしたと宣伝された英雄的祖国の軍隊が、日本人の漫画に描かれていた“チャンコロ”の敗残兵そっくりで、中国人よりも日本人の方が真実を伝えていたことを認めざるを得ないことに、台湾人は意気消沈してしまった・・・
せっかくの台湾人の幻想もついに幻滅に変わらざるを得なかったが、中国人はただえばるだけが能ではなかった。台湾銀行の輪転機をフルに活用して続々と札束を生産し、農民からコメを買う時は、毎月、札束の量を増やして、遂には一袋の米と一袋の札束を交換するほどの度量と誠意も見せたし(極度のインフレ)、専売局からは、祖国の有難さを示す「光復」「祖国」というタバコも売り出した。
しかし、タバコ売りがいくら「祖国いりませんか」と呼び掛けても「お前、祖国を売っているのか、そんなできの悪い祖国を誰が買うもんか」とあたりちらされるだけで、なかなか商売にはならなかった。
その上、言葉が通じないときているのだ。期待が大きいだけに失望も大きく、信頼感はたちまち敵対感に変わってしまった。中国人が口先だけで「同胞よ、同胞よ」と呼び掛けても、台湾人は彼らを「豚」などと呼び、「犬(日本人、番犬)が去って豚(中国人、爆食の役立たず)が来た」「日本人の方が中国人より遥かにマシだった」と嘆き罵る声が巷に溢れた。
(蒋介石・中国人の侵略以前、日本統治下の台湾は豊かな島だった)1945年の年末から翌年にかけて台湾から引き揚げた日本人の中には、食糧難に追われ、台湾の豊かな物産と台湾人の親日感情を思い出し、漁船で沖縄を経て再び台湾に舞い戻り、米や砂糖の密輸で一財産を築き上げた者もあれば、海岸警備の中国兵に惨殺された者も少なくなかったのである。
(蒋介石一派の横暴により)台湾人の反日感情はたちまちにして親日感情に変わり、日本人に報復するとき「日本精神を返してやる!」と言っていたのが「中国人には日本精神を入れる必要がある!」と言い出した・・・台湾人による独立運動が始まった。
1947年2月28日に一斉蜂起した台湾人(2.28大反乱)は、大陸から派遣された蒋介石・国民党の大軍に弾圧されると、漁船に乗って沖縄、日本へ、(あるいは)香港経由で共産党支配の中国(主に福建省)へと脱出しなければならなくなったが、脱出の機会もない人々を含めて蒋介石軍に虐殺されたものは数万人にも上ったのである。
わずか350年の間に5度までも支配者が変わり、それが常に海外からやって来る異民族で、支配者が変わるたびに流血の惨事を余儀なくされる台湾人の歴史は、ただ「悲惨」の一語に尽きる>
「かつての同胞がひどい目に遭っている、何とかしなければ」と義憤を覚えた小生は大学で新左翼の連中に「台湾独立運動家・林景明氏を助けよう!」と訴えたが、文化大革命最中の毛沢東・中共に親和感を持つ者ばかりで、「台湾? あれは中国の領土だ」とけんもほろろ、取り付く島もなかった。
小生は1971年春から、成田空港建設で三里塚農民に強制立ち退きを迫る政府にこれまた義憤を覚え、天浪団結小屋で暴れて拘留され、保釈後は党派間の内ゲバが激しく(中核派 VS 革マル派・社青同解放派)大学から遠のいた。要は駆逐されたのだ。レーニン&トロツキーを批判したら中核派からも「腐敗分子」と追放された。
保釈金を出してもらった父にまさか知らんぷりできないから、その後の1年間は家業を手伝っていたこともあるが、大学とは縁が切れ(学費滞納で除籍)いささか自暴自棄で酒や深夜の暴走で憂さを晴らしていた。
そんなことから「我が身を如何せん」と青春彷徨にどっぷり漬かっていた1973年あたりに林景明氏は台湾へ強制送還され、蒋介石一派に速攻で処刑されたようだ。
彼の名は王育徳著「台湾」歴史年表の1970年の項に「台湾独立連盟発足(1.15)林景明『知られざる台湾』出版(1.15)」とあるのみだが、王育徳自身も1985年、亡命先の日本で亡くなっており、その志を現在では「台湾独立建国聯盟」が受け継いでいるよう。林景明氏を含み蒋介石・国民党一派に処刑された人々の真実がやがて明らかになることを期待したい。
中国国民党・蒋介石一派という異民族支配が続いた台湾だが、2代目総統を引き継いだ息子の蒋経国は、農業経済学者の台湾人(本省人)である李登輝を国民党員にし、農業専門の行政院政務委員として採用(1971年)、信任厚く台北市長(1978年)、台湾省主席(1981年)、副総統(1984年)、1988年1月に蒋経国が死ぬと、7月に党主席代理に就任、1990年3月には任期満了に伴う信任投票で総統に選出された。
1996年に初の直接総統選挙で李登輝が当選、台湾史上初の民選総統として第9期総統に就任した。中共による恫喝、圧迫、国民党の反発に耐えながら、奇跡的・歴史的な無血の自由民主革命、「台湾の夜明け」をもたらした。
<李登輝は2000年の総統選挙では自身の後継者として副総統の連戦を推薦して選挙支援を行なうが、この選挙では国民党を離党した宋楚瑜が総統選に参加したことから、国民党票が分裂、最終的には民主進歩党(民進党)候補の陳水扁が当選し、第10期中華民国総統に就任した。
これにより台湾に平和的な政権移譲を実現したが、野党に転落した国民党内部からは李登輝の党首辞任を求める声が高まり、2000年3月に国民党主席職を辞任した>(WIKI)
今も民進党が政権を担っているが、習近平・中共による侵略圧力は日々高まっている。内憂外患の状態が続いているが、西日本新聞2005/12/25「台湾の本省人と外省人」から引用する。
<台湾に戦前から居住する「本省人」は、全人口約2300万人の69%を占める福老人(老は人偏、発音はホーロー人、福建省系の漢民族)と15%の客家(はっか)。戦後、国民党政権とともに大陸から渡ってきた「外省人」(蒋介石一派)は14%。ほかに2%の先住民がおり、大きく四つの「族群」(エスニック・グループ)に分けられる。
独立志向の与党、民主進歩党の支持者は本省人=福老人に多く、(中共との)統一志向の国民党の支持者は外省人、客家に多い。
国民党による本省人弾圧の歴史に根差す本省人と外省人の感情的な対立を「省籍矛盾」と言う>
在台湾・佐藤峻氏の「2022年版:台湾の政党・地域別支持基盤・選挙事情」から。佐藤峻 (さとう しゅん) 氏は国際基督教大学 (ICU) 、国立政治大学 (台湾) 卒業、国立シンガポール大学交換留学。 2017年に台湾でデジタルマーケティングの会社を設立。
<国民党 (KMT) は元々中国で孫文が始めた政党です。孫文は中華民国の礎を築いた人。中華民国はその後蒋介石がトップになった際、中国で内戦が起こり内戦に破れた国民党は台湾に渡りました。
蒋介石は台湾に渡った当初は、現在の中国は中華民国のものであるという主張をして中国(本土)の奪還を考えていたようです。しかしその後奪還が難しいと判断してからは現状維持という現実路線を歩むことになりました。
2022年3月28日現在、国民党は台湾では野党で、与党は民進党です。国民党と言うと「中国寄り」というイメージが強いのですが、中国との統一を望んでいるというよりはどちらかというと現状を維持して中国と仲良くしたいと思っている印象を受けます。
従って国民党を支持している全ての方が中国と台湾の統一を望んでいるというよりは、「現実的に世界経済の主権は中国にシフトしているし、自分たちの経済のためにも仲良くしよう」と考えている印象を受けます。
民主進歩党 (民進党)は台湾初の政党であり、2022年3月28日現在台湾 (中華民国) における与党です。昔の台湾は国民党一党(独裁)で、言論や政党結成が厳しく管理されていましたが、1987年に政党結成が解禁になった時に民進党ができました。現在の台湾において国民党と並ぶ2大政党の一つです。
国民党がどちらかというと中国と仲良くしていきたいのに対して、民進党はどちらかというと台湾独立や、中国とは距離をおきたいと考えている政党と言えます。台湾の選挙で投票率が高いのは、国民党=中国寄り、民進党=台湾独立、と二大政党の構図がすごく分かりやすいからではないかなと思っています。
ちなみに民進党は「台湾独立支持」というイメージがありますが、総統の蔡英文氏が表立って「独立したい!」と言うことはありません。その辺は国際社会や中国を刺激しないよう意識しています。
2020年1月時点の支持率は、国民党28.65%、民進党21.4%、時代力量党5.4%、中立18.4%、その他13.4%。
2020年1月11日の総統選は与党民進党代表の蔡英文氏が勝利しました。蔡英文氏の2019年の同時期の支持率が極端に低かったことを考えると「大逆転の勝利」と思います。
4年に1度行われる台湾の総統選に民衆が直接選挙に参加できるようになったのはつい最近の1996年です。それまでは国民党の一党政治でした。その後1990年代初頭、李登輝氏が民主化の動きに合わせ、総統選直接選挙に向けて行動を始め、1996年ついに民衆の選挙参加によって台湾のトップが決まることになりました。この1996年の選挙で総統に選ばれたのが最近お亡くなられた李登輝氏です。
1996年以降、2000年の総統選では民進党が初めて勝利し、その後2004年も勝利しますが、スキャンダルが発生し、2008年、2012年の総統選では国民党が続けて勝利しました。
2016年の総統選は、2014年に「ひまわり学生運動」と呼ばれる、中国との貿易協定に反対するデモが起こり、国民党の支持率が一気に低下し民進党が圧勝。2020年は香港デモの影響もあり、再び民進党が勝利しました。
2020年の台湾総統選は香港のデモの影響からか、かなりの盛り上がりを見せました。その結果、投票率は74.9% と、前回2016年の66.27%から大幅なアップとなりました>
何となく「独立&名誉か、それとも中共に屈服して安全&カネか」という選択のようだが、中共に屈服することは即ち「自由民主人権法治を捨てる」ことで、カネを儲けることも「いつ摘発されるか分からない」という不安に身を任せることだろう。
大体、中共は香港を見ても分かるように、「一国二制度」という国際公約でさえ平気で廃棄する独裁国家だ。常識や良識が通用しない。憲法や法律の上に神の如く「中国共産党」が君臨しているのであり、すべては独裁者が決定するのである。金持ち連中は資産をもって外国へ移住するのが夢なのだ。そんな国に併呑されれば「生き地獄」以外の何物でもない。国民党の連中でさえ近年は習近平・中共への不信感を強めていると聞く。
次号では長尾賢氏(米ハドソン研究所研究員)の「台湾有事が起きた時、日本は主導権をとれるのか」(ウエッジ2022/9/3)を紹介する。習近平・中共を駆逐すれば世界はずいぶん居心地が良くなるのだが・・・明日を信じようぜ、同志諸君!
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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