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ロシアは永遠の戦狼蛮族

2022-09-06 08:24:25 | 戦争
ロシアは永遠の戦狼蛮族
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」88/通算520 2022/9/6/火】隠居老人なのだから暇そうに過ごしても良さそうなものだが、三つ子の魂百までも、多動児のままである。多動爺、タドウヂイ。

幼い頃は祖母に「この子はほんとに“まめったい”よ」と言われて、落ち着きのない、チョロチョロ動き回る子、ということかと思っていた。今でも就寝でベッドに横たわっても本か新聞を読みながら寝付くが、寝ても必ず夢を見る。発狂した2016年の頃は嫌な夢ばかりだったが、今は穏やかな夢が多く、考え中の問題の解が見つかったり、笑いながら目を覚ますこともある。ハハハハ、深夜に笑っている・・・ちょっと不気味か?

寝ていても脳みそが活動しているというのは余りいいことではなさそうな・・・民衆が蜂起してプーチン、習近平、金正恩がギロチンにかけられるとかの夢だったら面白そうだが、その手の夢を見たことがないのはなぜだろう。「有料」だったりして・・・

かくして睡眠中もチョロQ多動児のままというわけだが、調べてみたら「まめったい」は静岡の方言だそうだ。祖母は静岡出身かも知れない。

<「よく働く」隣の嫁はまめったいね(よく働くね)。「達者」あのおじいさんはまめったいね(達者だね)。「キチンとしている」「細かいところまで気が利く」のように良い意味で使われることが多い。例「あの人はまめったいから、任せておけば安心だ」>

「まめったい」のは落ち着きがあるかどうかはともかく「いい人」のようである。伊豆の踊子曰く「いい人はいいね」。小生は「いい人」かなあ? 穏やかな好々爺になってきた感じはするが、加齢による諦観のような気がしないでもない。忘れていた昔のことを思い出すことも増えてきた。若者は未来を見、老人は過去を見る?

小生の文章表現は読書のみならず多くの先輩の教育によるものだが、芹川嘉久子先生の「文章実習」授業で「おもしろい!」と褒められたことで俄然やる気になったことは確かだ(豚もおだてりゃ木に登る?)。検索したら、

<芹川嘉久子(セリカワ カクコ、1924-)。著書:「愛とたたかいの物語 ソ連諸民族作家の作品集」 (1969)、「革命の嵐をついて ソビエト短編小説集」(1969)、「モスクワの顔」 (1969)、「ソビエトの東洋学者のみた日本 」(1970)、「露西亜学事始」(1982、共著)>

当時の芹川先生は50歳前後、ロシア・ソ連通の文筆家として脂が乗っていた時期で、随分元気が良かった。授業が終わって先生がドアから出ようとしたとき、急いでいた小生が追い越すと先生曰く、「あなた、レディファーストを知らないの?」とたしなめられた。小生が「それは欧米流ですよね、ソ連は違うのではないですか?」と生意気なことを言うと先生、憮然として曰く、「ソ連は、ヨーロッパの国です!」。

小生が先生の授業を受けていた1973年当時は、スターリン批判後でも冷戦は続いており、新左翼の残党(≒前科持ち)は依然として「反帝国主義、反スターリン主義(反帝反スタ)」のような主張を維持していたから、先生としては“第2の母国”が軽侮されるのは許せなかったのだろう。小生も当時は反帝反スタの残滓が残っていたから、いささか生意気が過ぎた。

そんな記憶が時折思い出され、海外旅行の促進を仕事にするようになっていたので「エルミタージュ美術館見学をコアにしたロシア旅行を提案してみよう、まずは視察せにゃいかんが、アエロフロートは人気がないからJALかANAの協賛が必要だな、まずは共産圏の旅行に強い菊間さん(ワールド航空サービス創業者)に事情を聴いてみよう」などと考えていたものだ。そのうちソ連が自壊(1989~91年)し、2001年には9.11同時多発テロで小生の会社も吹っ飛んでしまった。栄枯盛衰、世の倣い。

ロシア・・・第2次大戦終結以降、日本にとっては一番大嫌いで一番危険で一番理解し難い国である。二番は中共、三番は朝鮮・・・この悪党三傑は自由民主・人権・法治の国にとっても同じく脅威だろう。四番は民主党の米国で、操縦席にいるのがすこぶる怪しいダッチロール的ロートルで、何をするか分からない怖さがある。スリル満点の絶叫マシン、大丈夫か?

このバイデンのさらに上を行くのが常軌を逸した餓狼戦狼のプーチン・ロシアで、ウクライナ侵略以降、小生は「ロシア兵はまるで山賊、強盗、殺人鬼、ロシア人は無知蒙昧、現代人とはかなり違う蛮族」と憎むようになった。産経2022/9/4の花房壮記者の論稿「ロングセラーを読む『ロシア的人間』井筒俊彦著 “怪物”の正体に切り込む」から。

<ウクライナ戦争が始まってから半年が過ぎたが、ロシア国内で厭戦機運が高まる気配はそれほどない。戦線は膠着し、ウクライナの無辜の民が日々犠牲になっていく。何のための戦いなのか。戦争を終わらせる方策はないのか――。

ロシアの人々の思考や精神を読み解く手がかりを求め、手にした一冊が『ロシア的人間』だ。著者の井筒俊彦(1914~93年)は東洋思想と言語哲学を専攻した世界的な学者として知られる。19世紀ロシア文学を通じて、その精神の古層に迫る本書は東西冷戦初期の昭和28年に刊行。その後復刊を繰り返し、今年7月に新版として復刊。根強い人気のロングセラーだ。

「今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た」――本書の第1章の冒頭部分だけ読めば現在の状況と錯誤しそうで、いきなり引き込まれる。

そんな本書は全14章構成で、1~4章は異民族に長らく支配されたロシア人の精神史形成の流れを俯瞰。残りで、19世紀ロシア文学の嚆矢と位置づけるプーシキンから掉尾(ちょうび)を飾るチェーホフまでの作家論を展開する。

総論と各論を通じて「ロシア的人間」の輪郭がつかめる書きぶりだ。19世紀ロシア文学の特徴についても「一日中太陽の光の射し込まぬ薄暗い部屋の臭いがする」と表現するなど、独自の比喩が随所に盛り込まれ飽きさせない。

井筒の描く「ロシア的人間」とはどんな人なのか。「ロシア人はロシアの自然、ロシアの黒土と血のつながりがある。それがなければ、もうロシア人でも何でもないのだ」と。その上で、西欧的文化への熱望と憎悪・反逆という相反するロシア独特の態度を指摘し、「こういう国では西欧的な文化やヒューマニズムは人々に幸福をもたらすことはできない」と断じる。今回の戦争の底流にあるロシア側と米欧側の“断絶”の一端と読めなくもない。

けた外れの呑気さ、自由への渇望、激しい怨恨・・・指摘される数々のロシア人気質の中で印象的なのが、熱狂的な信仰だ。

「この国では、『父なる皇帝(ツァーリ)』を戴く専制政治や、さもなければ唯物論が、堂々と神の王座にすわることができるのだ。ここではマルクスが、救世主の姿で熱狂的に迎え入れられたのも無理はない」

であるならば、ソ連崩壊後のロシアの人々は今、何を“信仰”の対象としているのか。(中公文庫1210円)>

ロシア人の“信仰”の対象?・・・今はこれしかないね Да здравствует абсолютный монарх, император Путин!(Da zdravstvuyet absolyutnyy monarkh, imperator Putin!)。 つまり「絶対君主、プーチン皇帝、万歳!」

蛇足ながら芹川先生が「おもしろい!」と褒めてくれたのは、「私の顔」がテーマの作文で、小生はこう書いたのだ。「通学の車内ではいつも知的で穏かな表情をしているつもりである。新宿から総武線で市ヶ谷へ向かうと、信濃町と四谷の間はトンネルになり、ガラス窓に自分が映る。その顔は知的でも穏かでもなく、下品で醜い。現実は残酷だ」

ロシア人もやがては自分の姿を見るか? 100年後? 1000年後? 小生は絶望的な気分になるが、ロシアは永遠に戦狼蛮族のままだろう。檻に入れておくしかない。
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