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マッカーサーの創った日本/4

2025-07-28 09:57:50 | 戦争
【雀庵の「大戦序章」418/通算850 2025/令和7年7/28 月曜】 マッカーサーの創った日本/4 “シーチン”修一
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塩野七生先生の「マキアヴェッリ語録」に曰く、
≪人は、古代の彫像のかけらを巨額の金を出して購入し、身近に置き、他人に見せびらかし、果ては模造品を造らせすることには熱心だが、歴史が我々に知らせてくれる古人の気高い行為についてとなると、同じような敬意を払ってきたであろうか。
人々は、歴史上の人物が祖国のために尽くした行為に対してはほめたたえ感心はするが、真似しようとはしないのが一般的である。
私には、この種の傾向は、それらを真似した場合の利益を考えると、残念でならない。
この傾向は、キリスト教の悪影響によると思う。なぜなら、古代人は、それが良くても悪くても、野望というものに相応の敬意を払ったが、キリスト教では、野望をいだくこと自体が悪だったからである≫

物質文明は日進月歩の勢いで進化するが、「いかに生きるべきか」という面で人間はまったく成長しないようである。戦争→停戦→平和→戦争・・・寄せては返す波の如しだ。人間のサガ(性質)だからと諦観するしかないようだが、それでも精一杯生きる、前進を目指すのが人間なのだろう。野望をいだくこと自体を悪とするキリスト教徒の総理総裁に前進は期待できそうもないが・・・閑話休題。
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スティーブン・C・マルカード 著、秋塲涼太訳「陸軍中野学校の光と影 インテリジェンス・スクール全史」(芙蓉書房出版)に話を戻そう。

前回までのサマリー:「1945年9月20日、戦艦ミズーリの甲板には連合国代表が集まり、大日本帝国は降伏を受け入れた。米国代表のチェスター・W・ニミッツ提督に続き、英国のブルース・フレーザー提督、フランスのジャック・ルクレール大将、オランダのコンラート・ヘルフリッヒ中将が降伏文書に署名。その結果、英国、フランス、オランダが中断していたアジア地域の支配を再開し始めたが、アジアの民は日本によるアジア植民地解放の「大東亜共栄圏」構想を支持して宗主国に反旗を翻していった」・・・今回はその続き。
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≪民族主義の台頭に直面した英国ほど鋭敏ではなかったフランスやオランダは、アジアでの支配を維持するために無謀な戦いを繰り広げていた。戦後の9年間のフランスの戦いは、ディエンビエンフーでの敗走とインドシナからの撤退によって幕を下ろした。

1940年にインドシナに進出した帝国陸軍は、1945年3月にフランスを権力の座から一掃し、大戦末期には民族主義者を先導し列強からの独立運動を起こさせることで、フランスのアジア帝国を破壊した。何もなければその先の何十年と支配を強めていたであろう植民地を(先住民族と日本による独立を求める)戦争は台風の如く破壊していったのだ。

第2次世界大戦の終結まで、帝国陸軍はじっくりと時間をかけてアジアの民族主義者を育成し、現地軍を訓練していた。中野学校要員たちは、インドからインドネシアにかけての現地軍部隊を訓練、統率していたが、最終的に日本軍は(敗戦した際に)武器や物資を連合国ではなくアジアの民族主義者たちに計画的に引き渡していた。仮に戦争の行く末が異なり、日本帝国がアジアで西洋の地位を射止められなかったとしても、帝国陸軍は日本の影響力が継続的に及ぶよう、ヨーロッパの植民地支配につながる痕跡を破壊しただろう。
ある英国人学者曰く「1945年の日本敗戦により膨大な量の武器が日本から植民地のアジア人に引き渡されていた」。

1948年までに、米国は不安定な立場に立たされることになった。英国、フランス、オランダと共にヒトラー・ドイツに対する自由への戦いに加わっていたが、この世界的な同盟関係は米国をアジアでは「独立を望む民族を弾圧する帝国主義者」にしていた。

米国人ジャーナリストのセオドア・ホワイト曰く「英国は二つの別々の戦争を戦っていた。ヨーロッパでは人類の自由とナチスの奴隷制度破壊のために。アジアでは帝国の植民地主義の現状維持のために。英国は誇りをもって立ち上がった」。

米国の世界的な同盟関係と「ヨーロッパ第一主義」政策は、戦後のソ連との緊張が高まる中でも続いた。米国は1946年にフィリピンの独立を承認したが、英国、フランス、オランダと同盟を結びソ連に対抗したことで、米国は戦後の民族主義高潮の前に立ちはだかったのである。

その結果として起こる危険性は明らかだった。1945年8月からの米国OSS(後のCIA)は、痛々しいほどの状況分析をしていた。
「日本はヨーロッパの植民地システムを破壊することで、東南アジアの民族主義の大義を推進したように見える。日本は現地民に新たな自信を与えたが、同時に彼らがそれまでの生活に戻るのを不可能にした」

1948年9月のCIAもまた日本がもたらした変化をこうとらえている。「第2次世界大戦での日本による植民地列強の打倒と、日本による占領地での現地民族主義の助長の結果として、極東における鬱積した民族主義活動が活性化。民族主義運動は最早ヨーロッパの植民地列強とその従属国間での純粋な内輪の問題ではない」と警告している。

植民地独立に対する米国の支援は、(一歩間違うと)ソビエトとの冷戦に直面している欧州の同盟国と不和をもたらしかねない危険性をはらんでいる。結局、米国は「日本が粉々にした植民地を元に戻す」というヨーロッパの意向に添い、支援する一方で、民族主義の「抑えられない力」に対する賭けに負け、「将来の混乱」の危険性を冒し、長期的には西欧諸国の弱体化を招くことになる。

冷戦における(欧米の)悲劇は、米国政府の政策立案者が将来を暗示したCIAの警告に耳を傾けなかったことである。ソビエト連邦や中華人民共和国との冷戦に直面した米国は、共産主義の勝利を阻止すべく、インドシナでの「民族主義の潮流」に立ち向かった。この潮流は20年前にフランスの植民地勢力を一掃しているのだ。(結局)米国は衰退していく。

1975年4月、ベトナム社会主義共和国軍はサイゴンを制圧し、南ベトナム政府関係者は米国と共に沖合の船に撤退した。日本が(西洋列強に)破れ降伏文書に署名してから30年後、日本が解き放ったアジア民族主義の力は、米軍をアジア大陸から追い出したのであった≫ 以上。次号に続く。
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