雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(103」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/203(2020/11/11/水】米国大統領選は終わったのか? 何やら場外乱闘になりそうな気配で、ゲームオーバー、ノーサイド、“互いの健闘を称える”という風にはなりそうもない。
「遺恨を残し、米国民主主義に癒しがたい傷をつけた」、あるいは「米国民主主義の底力を見せた」ということになるのか。歴史、つまりは勝者が判定するのだろうが、年月とともに判定とか解釈は変わるから「両論併記」が多いようで、スッキリ感はイマイチだ。
明智光秀や織田信長の評価なんぞ毎年のように新説が出るが、古人はあの世で困惑しているのかもしれない。
「まあそういう面もあったのは否定しないが、本心としては諫言が目的で、成り行きでああなってしまった。まさか想定外だったとは言えないから天に代わって誅殺したと。今振り返ってみればそういうことだと思うけれど、当時は追い詰められていた感じで、実は心神耗弱であの日のことはあまり覚えていないんですよ。これ、オフレコってことで・・・」
何がなんだかわかりゃしない。勧善懲悪でバッサリと良いもんと悪もんが明確だった昔が懐かしい。TVで水戸黄門とか平次親分が活躍していた時代は安心していられたものだ。今は混迷、複雑、面妖、奇々怪々。
トランプは11/9に「Since when does the Lamestream Media call who our next president will be? We have all learned a lot in the last two weeks!」(いつから時代錯誤のメディアが次期大統領を決めるようになったのか? この2週間で我々は多くのことを学んだ!)とツイートした。
トランプは7日と8日を首都郊外のゴルフ場で過ごしたそうだが、パットが決まって気分転換になり、リベンジのいい策が浮かんだのかどうか・・・まあ、大人しく引っ込むようなタマじゃないな。優秀なビジネスマンは転んでもただでは起きない。シャッフルを期待するファンは実に多いだろう。
リベンジで驕れる者を痛い目に遭わせないと米国は4年、8年でファシスト独裁国家、USNAZI(United States of Nationalistic American by Zealots and Insanities)になるだろう、「アメリカ引き籠り暗愚合州国」、通称“ヒッキーアメリカ”とか。
この際だからずばり「アメリカ人民共和国」にしてもいい。民主党とその支持者は自由民主人権法治大嫌い&共産主義暴力独裁大好きだろうから、中華人民共和国とすこぶる相性がよさそうだ。WinWin で無理心中してくれると有り難いが・・・
民主党はリベラルが高じてアカ、ダーティーなFDRルーズベルトそっくりだから当然、共和党系の国民を排除、抑圧、弾圧していくだろう。今までさんざやってきたが、これからは遠慮会釈なく「汚れた野蛮人ども」を潰せるわけだ。「私は正義、ポリコレ教、教えに従わない奴は駆除すべし」、まるでナチの突撃隊そっくりのANTIFAに襲撃されたくなかったら大人しく従え・・・まずはそうなる。キチガイに自由、米国版の文化大革命、Great Cultural Political Correctness Revolution!
政権を握るまではナチスも空気を読んで「いい人」を演じたりしていた。スタビライザー役のヒンデンブルク大統領なんぞヒトラーの演技に感動して涙さえ流し、多くの国民も騙された。ナチは無血革命で権力を握ったのだ。民主党そっくり。「もっとも良き人々は帰らなかった」(フランクル)・・・USNAZIを潰さなければ米国民はそのうち泣きを見るだろう。
民主党や共産主義者には「反省する」機能はない。宗教と同じだ。1970年前後からのチリ(アジェンデ共産主義政権→ピノチェト政権の混乱)、ペルー(ベラスコ将軍クーデターと赤色革命化→毛沢東主義左翼ゲリラとの内戦)は国家秩序を破壊し、以来50年たっても鳴かず飛ばず、存在感が薄いままだ。
ベネズエラはチャベス独裁の後、腹心のマドゥロが政権についたが、反米・社会主義路線は変わらず、オバマが肩入れした老舗のキューバと同様に今では生きているのかどうかも分かりゃあしない。
加々美光行氏は学者で、朝日に連載コラムを書くほどの左巻きだ。騒乱大好きな竹中労、シャクシャイン像棄損事件で有罪となった怪人・太田竜とも交流があるが、中国学者の泰斗として一目を置かれていたようだ。
氏の論稿「三つの世代を越えて見えて来るもの: 紅衛兵世代、天安門世代、ポスト天安門世代にとっての文革」(2014年)は、共産主義独裁がいかに国家、国民、民族の幸福を阻むかを示しているが、何やら「毛沢東、共産主義は悪くない、思うように事が進まなかっただけだ」という弁解みたい。それ自体が中共の毛沢東評価「7割貢献、3割失敗」を踏襲したものだ。
論稿を読んで小生は「中共・社会科学院、日共とか学術会議に巣くって美味しい思いをしている学者はこんなものか」とちょっとがっかりしたが、「リベラル=アカに未来はない」という小生の妄想は「ひょっとすると真理ではないか」と自信を持たせてくれたという意味では「反面教師」だ。以下、一部を引用するが、ツッコミも入れておいた。
<1959年3月にチベットに反中国の蜂起が起き、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマがインド北部ダラムサラへ亡命するという事件が勃発した。当然、この事件前後から中国・インドの関係が急速に悪化して行き、1959年9月には中印国境で最初の軍事衝突を起こすに至った。
(修一:勝てそうな相手には強気で出ていくというのは支那人の特性。反撃されたり痛い目に遭うと速攻で序列に従う。上には卑屈、下には傲慢、生きる知恵だが、こういう民族性は不変だろう)
同じ時期、人民公社政策が破綻し、2千万人から3千万人に及ぶ不自然死(餓死)を生んだ。そして同年8月の中央工作拡大会議で、人民公社政策の失敗を諌めた彭徳懐の毛沢東宛て私信が公開され、これに反撃した毛の名指しの彭徳懐批判が起きたのである。
(修一:WIKIによると、彭徳懐への紅衛兵の暴行は凄まじいものであった。1967年7月の批闘会(吊るし上げ)では7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ後遺症で下半身不随となった。その後は江青の監視下に置かれ監禁、病室で全ての窓を新聞紙に覆われたまま約8年間を過ごした。
1974年9月には直腸癌と診断された。彭徳懐は鎮痛剤の注射を拒否され、下血と血便にまみれた状態のままのベッドとシーツに何日も放置されるなど、拷問に近いものであった。死の直前に「塞がれた窓を開けて最後に空を一目見せてほしい」と嘆願したがこれも拒否され、同年11月29日に没した)
人民公社の大失政は、毛沢東の中国がそれまでの非同盟自力更生政策を貫くことが出来るかどうかを大きく左右するものとなった。しかし中国は自力経済政策の挫折後も援助依存の道を歩むことは出来なかった。
国連代表権を台湾に奪われ、IMF(国際通貨基金)、世界銀行など、国際機関からの援助を受ける道が閉ざされ、西側世界とは資本、技術、貿易面で援助交流は不可能だった。またソ連からの経済援助を受ける道も(スターリンの死去により)1958年までには既に途絶していた。
1960年代に入り、中国は従前からの対米対決に加えて対ソ対立の色を強くして行った。経済、技術、軍事面での援助がむしろソ連への軍事的従属を強いるものであることが明瞭となったことが、ソ連の言う社会主義、共産主義の国際連帯に根本的疑念を生んだからである。
(修一:スターリンが死んで、金の切れ目が縁の切れ目に。それなら俺は我が道を行く、と毛沢東はソ連組から独立しただけの話!)
中国はそうした状況下、1964年12月独自開発よって核実験に成功した。
(修一:ソ連からの技術供与と米欧などへ派遣した留学生が貢献したのであり、独自開発というのは「?」)
問題は当時の中国の民族主義がこの核保有国家化によって「抵抗」の民族主義であることをやめ、むしろ大国意識の台頭による「覇権主義」的な民族主義になり、インドシナ半島に、さらには東南アジア全域に勢力拡大の手を伸ばすのではとの疑念がアメリカに生じた点にある。
事実として言えば、中国はソ連や米国の覇権国家のように国境を越えて自軍を他国に送り込むような侵略的行動は取らなかったし、また取る余地も持っていなかった。
(修一:余地があろうがなかろうが、朝鮮戦争、核武装、中越紛争、中ソ国境紛争などなど、パンツ1枚になってもやるのが毛沢東・中共式! 加々美先生は毛語録読みの毛語録知らず。チベット、ウイグル、モンゴルの武力による併呑は侵略そのもの!)
1966年に始まり1976年まで続いた文化大革命の背後に働いていた政治意識はどのようなものだったか。文革の骨子は、政治闘争が世界革命に通じ、かつそれがアメリカの侵略者を打破する道に通じると言う感情である。主観的意識としてはそこにプロレタリア革命の国際主義が働いていたことは確かだ。
(修一:文革は失政で引退を余儀なくされた毛沢東のリベンジ! 加々美先生、冷静になって下さい! 中共菌に侵され病膏肓だな)
1958年から毛沢東の号令で全国で展開された「人民公社化」は余りにも早熟な形で「共産主義世界」の実現を目指したものだった・・・しかし実現された「人民公社化」は理想の(桃源郷的な)「大同の治」ではなく、「共産主義世界」の実現でもなかった。そのことは漢民族以外の少数民族地域で行われた「人民公社化」やその前段階の「高級農業集団化(合作社化)」の実態を見れば一目瞭然だった。
「人民公社化」は、草原の民、森の民にとっては、むしろ彼ら固有の伝来の遊牧、牧畜、狩猟などの生活生産の営為を破壊して、定住化を迫り、農耕生産を強いさえしたのである。さらに問題は少数民族の生活生産方式の変更や放棄に伴って、草原や森や河川の自然生態系が破壊され、草原や森の生活に密着した民族の言語や文化、風俗・習慣などが失われてゆくことだった。
つまり「人民公社化」は漢民族にとっては普遍価値、理想の実現だったかもしれないが、少数民族にとっては、漢民族の想い入れの押し付けとしてしか働かなかったのである。「公社化」は土地の集団化を前提としていたから、草原の民、森の民の定住化政策が不可欠なものとして推進されたが、その際中央政府は、「貧困と階級的抑圧」の下に呻吟している少数民族を「解放」するのだとする十字軍的な使命感を持っていた。
少数民族の「貧困と抑圧」が、劣悪な生産生活様式である遊牧、牧畜、狩猟などに従事していることに原因があり、それをより優勢な生産様式である農耕に転換するのを助けるべきだ、と考えたのである。
文革期に少数民族地域に漢民族の青年が紅衛兵として派遣されてくると、弊害は一層大きなものになった。紅衛兵達は各地域に特権化し蟠踞する「官僚主義者階級」あるいは「資本主義の道を歩む実権派」が存在すると確信し、そうした人々を摘発し打倒することが、その地域の民族住民を被抑圧から解放することだと信じ、またそう行動したのだった。
「(階級闘争によって特権階級の実権派を打倒する)大義は民族、国家を越える」と紅衛兵は考えたのである。
国家と社会が合致した民族意識は、一般には全体主義、ファシズムに特徴的である。しかし文革期中国の民族意識を全体主義、ファシズムと同一視する、しばしば見られる通俗的な解釈は間違っている。
文革における流血は、それ以前の中国共産党の党史を彩るどの血の粛清劇とも似て非なる点を持っていた。この点で文革下の毛沢東の個人崇拝は、現在の北朝鮮の金正恩の個人崇拝や過去のスターリン、ムッソリーニ、ヒトラーなど、どの個人独裁体制とも多くの点でその様相を異にしていたのである。
(修一:基本的に独裁政権は「奴は敵だ、敵を殺せ」で皆一緒、加々美先生、毛沢東個人崇拝が過ぎませんか? 中共に迎合するのはカネ、女、名誉のためですか?)
中国が1955年4月の第1回アジア・アフリカ会議(AAバンドン会議)に、冷戦下の米ソ東西のどちらにも与さない非同盟自立、第三世界の盟主の一員として参加した。当時、中国はAA諸国に相次ぐ「民族独立と民族自決」とを「民族解放」と呼んで全面的に支持していた。
その同じ中国が、自国内のモンゴル、ウィグル、チベットなど少数民族の「民族自決権要求」に対してはこれを受け容れないだけでなく、「中華民族」の統合を動揺させる意図を持つとの疑惑を抱くとともに、それを「反マルクス主義、反社会主義」さらには「反革命」として断罪し、かえって血の「虐殺」をもって報いたことにある・・・云々>
くだくだしいから引用は終わりにするが、加々美先生の言わんとするところは「中共の政策は貢献7割、失敗3割、だから評価すべきだ、共産主義革命万歳!」のようだ。要は中共のクチパク。これって学問か?
「アメリカ人民共和国」は米国版文化大革命を推進するだろう。共産主義者は粛清が大好きで、国内を血糊で固めたら、次は世界を赤く染めるために中共やロシアと結託してEU、次いでアジア諸国を篭絡するだろう。アカは広宣流布で蛮族を良い子にさせたいのだ。
「まさか」と油断したドイツは猫をかぶったナチスに騙されて理性を失い、今も中共に尻尾を振っているから本質的に独裁が好きなのだろう。独裁は正義を装うのだ。ドイツ人は正義が大好きで、自分は利口で正義、自分と考えの違う奴はバカなワル、と、まったく信じ込んでいるから、自称リベラルのアカは平気でAfD叩きをしている。一般国民は恐れをなして逼塞するばかりだ。
戦後のフランス共産党は先進国では最多の40万人党員を誇っていたが、今は4.7万人と凋落したとはいえ、全体的に主要政党は容共的な印象だ。ルノーが国有企業だと知って小生は驚いたが、福祉政策、外交を見ても自由主義と共産主義のどちらにも極端になびかないような感じはする。それをドゴール主義と言うのかもしれない。
EUの盟主は独仏だが、ドイツは本質的に中共と親和性(=理性ではなく感性優先)があるから「米国版文革」になびきそうだ。ドイツはいつでも欧州の頭痛の種で、フランスがEU全体を引っ張って「ダメ!絶対!」とドイツを抑え込まなければならない。
アメリカ人民共和国と中共がラブラブになる前に世界は「中共包囲網」を始めるべきだ。米抜きの日英豪加印台+ASEANでやるしかない。上手くいけばフランスの支援も得られるかもしれないが、まずは始めの一歩、例えばハイテク分野の貿易制限などを進めていくべきである。 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/203(2020/11/11/水】米国大統領選は終わったのか? 何やら場外乱闘になりそうな気配で、ゲームオーバー、ノーサイド、“互いの健闘を称える”という風にはなりそうもない。
「遺恨を残し、米国民主主義に癒しがたい傷をつけた」、あるいは「米国民主主義の底力を見せた」ということになるのか。歴史、つまりは勝者が判定するのだろうが、年月とともに判定とか解釈は変わるから「両論併記」が多いようで、スッキリ感はイマイチだ。
明智光秀や織田信長の評価なんぞ毎年のように新説が出るが、古人はあの世で困惑しているのかもしれない。
「まあそういう面もあったのは否定しないが、本心としては諫言が目的で、成り行きでああなってしまった。まさか想定外だったとは言えないから天に代わって誅殺したと。今振り返ってみればそういうことだと思うけれど、当時は追い詰められていた感じで、実は心神耗弱であの日のことはあまり覚えていないんですよ。これ、オフレコってことで・・・」
何がなんだかわかりゃしない。勧善懲悪でバッサリと良いもんと悪もんが明確だった昔が懐かしい。TVで水戸黄門とか平次親分が活躍していた時代は安心していられたものだ。今は混迷、複雑、面妖、奇々怪々。
トランプは11/9に「Since when does the Lamestream Media call who our next president will be? We have all learned a lot in the last two weeks!」(いつから時代錯誤のメディアが次期大統領を決めるようになったのか? この2週間で我々は多くのことを学んだ!)とツイートした。
トランプは7日と8日を首都郊外のゴルフ場で過ごしたそうだが、パットが決まって気分転換になり、リベンジのいい策が浮かんだのかどうか・・・まあ、大人しく引っ込むようなタマじゃないな。優秀なビジネスマンは転んでもただでは起きない。シャッフルを期待するファンは実に多いだろう。
リベンジで驕れる者を痛い目に遭わせないと米国は4年、8年でファシスト独裁国家、USNAZI(United States of Nationalistic American by Zealots and Insanities)になるだろう、「アメリカ引き籠り暗愚合州国」、通称“ヒッキーアメリカ”とか。
この際だからずばり「アメリカ人民共和国」にしてもいい。民主党とその支持者は自由民主人権法治大嫌い&共産主義暴力独裁大好きだろうから、中華人民共和国とすこぶる相性がよさそうだ。WinWin で無理心中してくれると有り難いが・・・
民主党はリベラルが高じてアカ、ダーティーなFDRルーズベルトそっくりだから当然、共和党系の国民を排除、抑圧、弾圧していくだろう。今までさんざやってきたが、これからは遠慮会釈なく「汚れた野蛮人ども」を潰せるわけだ。「私は正義、ポリコレ教、教えに従わない奴は駆除すべし」、まるでナチの突撃隊そっくりのANTIFAに襲撃されたくなかったら大人しく従え・・・まずはそうなる。キチガイに自由、米国版の文化大革命、Great Cultural Political Correctness Revolution!
政権を握るまではナチスも空気を読んで「いい人」を演じたりしていた。スタビライザー役のヒンデンブルク大統領なんぞヒトラーの演技に感動して涙さえ流し、多くの国民も騙された。ナチは無血革命で権力を握ったのだ。民主党そっくり。「もっとも良き人々は帰らなかった」(フランクル)・・・USNAZIを潰さなければ米国民はそのうち泣きを見るだろう。
民主党や共産主義者には「反省する」機能はない。宗教と同じだ。1970年前後からのチリ(アジェンデ共産主義政権→ピノチェト政権の混乱)、ペルー(ベラスコ将軍クーデターと赤色革命化→毛沢東主義左翼ゲリラとの内戦)は国家秩序を破壊し、以来50年たっても鳴かず飛ばず、存在感が薄いままだ。
ベネズエラはチャベス独裁の後、腹心のマドゥロが政権についたが、反米・社会主義路線は変わらず、オバマが肩入れした老舗のキューバと同様に今では生きているのかどうかも分かりゃあしない。
加々美光行氏は学者で、朝日に連載コラムを書くほどの左巻きだ。騒乱大好きな竹中労、シャクシャイン像棄損事件で有罪となった怪人・太田竜とも交流があるが、中国学者の泰斗として一目を置かれていたようだ。
氏の論稿「三つの世代を越えて見えて来るもの: 紅衛兵世代、天安門世代、ポスト天安門世代にとっての文革」(2014年)は、共産主義独裁がいかに国家、国民、民族の幸福を阻むかを示しているが、何やら「毛沢東、共産主義は悪くない、思うように事が進まなかっただけだ」という弁解みたい。それ自体が中共の毛沢東評価「7割貢献、3割失敗」を踏襲したものだ。
論稿を読んで小生は「中共・社会科学院、日共とか学術会議に巣くって美味しい思いをしている学者はこんなものか」とちょっとがっかりしたが、「リベラル=アカに未来はない」という小生の妄想は「ひょっとすると真理ではないか」と自信を持たせてくれたという意味では「反面教師」だ。以下、一部を引用するが、ツッコミも入れておいた。
<1959年3月にチベットに反中国の蜂起が起き、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマがインド北部ダラムサラへ亡命するという事件が勃発した。当然、この事件前後から中国・インドの関係が急速に悪化して行き、1959年9月には中印国境で最初の軍事衝突を起こすに至った。
(修一:勝てそうな相手には強気で出ていくというのは支那人の特性。反撃されたり痛い目に遭うと速攻で序列に従う。上には卑屈、下には傲慢、生きる知恵だが、こういう民族性は不変だろう)
同じ時期、人民公社政策が破綻し、2千万人から3千万人に及ぶ不自然死(餓死)を生んだ。そして同年8月の中央工作拡大会議で、人民公社政策の失敗を諌めた彭徳懐の毛沢東宛て私信が公開され、これに反撃した毛の名指しの彭徳懐批判が起きたのである。
(修一:WIKIによると、彭徳懐への紅衛兵の暴行は凄まじいものであった。1967年7月の批闘会(吊るし上げ)では7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ後遺症で下半身不随となった。その後は江青の監視下に置かれ監禁、病室で全ての窓を新聞紙に覆われたまま約8年間を過ごした。
1974年9月には直腸癌と診断された。彭徳懐は鎮痛剤の注射を拒否され、下血と血便にまみれた状態のままのベッドとシーツに何日も放置されるなど、拷問に近いものであった。死の直前に「塞がれた窓を開けて最後に空を一目見せてほしい」と嘆願したがこれも拒否され、同年11月29日に没した)
人民公社の大失政は、毛沢東の中国がそれまでの非同盟自力更生政策を貫くことが出来るかどうかを大きく左右するものとなった。しかし中国は自力経済政策の挫折後も援助依存の道を歩むことは出来なかった。
国連代表権を台湾に奪われ、IMF(国際通貨基金)、世界銀行など、国際機関からの援助を受ける道が閉ざされ、西側世界とは資本、技術、貿易面で援助交流は不可能だった。またソ連からの経済援助を受ける道も(スターリンの死去により)1958年までには既に途絶していた。
1960年代に入り、中国は従前からの対米対決に加えて対ソ対立の色を強くして行った。経済、技術、軍事面での援助がむしろソ連への軍事的従属を強いるものであることが明瞭となったことが、ソ連の言う社会主義、共産主義の国際連帯に根本的疑念を生んだからである。
(修一:スターリンが死んで、金の切れ目が縁の切れ目に。それなら俺は我が道を行く、と毛沢東はソ連組から独立しただけの話!)
中国はそうした状況下、1964年12月独自開発よって核実験に成功した。
(修一:ソ連からの技術供与と米欧などへ派遣した留学生が貢献したのであり、独自開発というのは「?」)
問題は当時の中国の民族主義がこの核保有国家化によって「抵抗」の民族主義であることをやめ、むしろ大国意識の台頭による「覇権主義」的な民族主義になり、インドシナ半島に、さらには東南アジア全域に勢力拡大の手を伸ばすのではとの疑念がアメリカに生じた点にある。
事実として言えば、中国はソ連や米国の覇権国家のように国境を越えて自軍を他国に送り込むような侵略的行動は取らなかったし、また取る余地も持っていなかった。
(修一:余地があろうがなかろうが、朝鮮戦争、核武装、中越紛争、中ソ国境紛争などなど、パンツ1枚になってもやるのが毛沢東・中共式! 加々美先生は毛語録読みの毛語録知らず。チベット、ウイグル、モンゴルの武力による併呑は侵略そのもの!)
1966年に始まり1976年まで続いた文化大革命の背後に働いていた政治意識はどのようなものだったか。文革の骨子は、政治闘争が世界革命に通じ、かつそれがアメリカの侵略者を打破する道に通じると言う感情である。主観的意識としてはそこにプロレタリア革命の国際主義が働いていたことは確かだ。
(修一:文革は失政で引退を余儀なくされた毛沢東のリベンジ! 加々美先生、冷静になって下さい! 中共菌に侵され病膏肓だな)
1958年から毛沢東の号令で全国で展開された「人民公社化」は余りにも早熟な形で「共産主義世界」の実現を目指したものだった・・・しかし実現された「人民公社化」は理想の(桃源郷的な)「大同の治」ではなく、「共産主義世界」の実現でもなかった。そのことは漢民族以外の少数民族地域で行われた「人民公社化」やその前段階の「高級農業集団化(合作社化)」の実態を見れば一目瞭然だった。
「人民公社化」は、草原の民、森の民にとっては、むしろ彼ら固有の伝来の遊牧、牧畜、狩猟などの生活生産の営為を破壊して、定住化を迫り、農耕生産を強いさえしたのである。さらに問題は少数民族の生活生産方式の変更や放棄に伴って、草原や森や河川の自然生態系が破壊され、草原や森の生活に密着した民族の言語や文化、風俗・習慣などが失われてゆくことだった。
つまり「人民公社化」は漢民族にとっては普遍価値、理想の実現だったかもしれないが、少数民族にとっては、漢民族の想い入れの押し付けとしてしか働かなかったのである。「公社化」は土地の集団化を前提としていたから、草原の民、森の民の定住化政策が不可欠なものとして推進されたが、その際中央政府は、「貧困と階級的抑圧」の下に呻吟している少数民族を「解放」するのだとする十字軍的な使命感を持っていた。
少数民族の「貧困と抑圧」が、劣悪な生産生活様式である遊牧、牧畜、狩猟などに従事していることに原因があり、それをより優勢な生産様式である農耕に転換するのを助けるべきだ、と考えたのである。
文革期に少数民族地域に漢民族の青年が紅衛兵として派遣されてくると、弊害は一層大きなものになった。紅衛兵達は各地域に特権化し蟠踞する「官僚主義者階級」あるいは「資本主義の道を歩む実権派」が存在すると確信し、そうした人々を摘発し打倒することが、その地域の民族住民を被抑圧から解放することだと信じ、またそう行動したのだった。
「(階級闘争によって特権階級の実権派を打倒する)大義は民族、国家を越える」と紅衛兵は考えたのである。
国家と社会が合致した民族意識は、一般には全体主義、ファシズムに特徴的である。しかし文革期中国の民族意識を全体主義、ファシズムと同一視する、しばしば見られる通俗的な解釈は間違っている。
文革における流血は、それ以前の中国共産党の党史を彩るどの血の粛清劇とも似て非なる点を持っていた。この点で文革下の毛沢東の個人崇拝は、現在の北朝鮮の金正恩の個人崇拝や過去のスターリン、ムッソリーニ、ヒトラーなど、どの個人独裁体制とも多くの点でその様相を異にしていたのである。
(修一:基本的に独裁政権は「奴は敵だ、敵を殺せ」で皆一緒、加々美先生、毛沢東個人崇拝が過ぎませんか? 中共に迎合するのはカネ、女、名誉のためですか?)
中国が1955年4月の第1回アジア・アフリカ会議(AAバンドン会議)に、冷戦下の米ソ東西のどちらにも与さない非同盟自立、第三世界の盟主の一員として参加した。当時、中国はAA諸国に相次ぐ「民族独立と民族自決」とを「民族解放」と呼んで全面的に支持していた。
その同じ中国が、自国内のモンゴル、ウィグル、チベットなど少数民族の「民族自決権要求」に対してはこれを受け容れないだけでなく、「中華民族」の統合を動揺させる意図を持つとの疑惑を抱くとともに、それを「反マルクス主義、反社会主義」さらには「反革命」として断罪し、かえって血の「虐殺」をもって報いたことにある・・・云々>
くだくだしいから引用は終わりにするが、加々美先生の言わんとするところは「中共の政策は貢献7割、失敗3割、だから評価すべきだ、共産主義革命万歳!」のようだ。要は中共のクチパク。これって学問か?
「アメリカ人民共和国」は米国版文化大革命を推進するだろう。共産主義者は粛清が大好きで、国内を血糊で固めたら、次は世界を赤く染めるために中共やロシアと結託してEU、次いでアジア諸国を篭絡するだろう。アカは広宣流布で蛮族を良い子にさせたいのだ。
「まさか」と油断したドイツは猫をかぶったナチスに騙されて理性を失い、今も中共に尻尾を振っているから本質的に独裁が好きなのだろう。独裁は正義を装うのだ。ドイツ人は正義が大好きで、自分は利口で正義、自分と考えの違う奴はバカなワル、と、まったく信じ込んでいるから、自称リベラルのアカは平気でAfD叩きをしている。一般国民は恐れをなして逼塞するばかりだ。
戦後のフランス共産党は先進国では最多の40万人党員を誇っていたが、今は4.7万人と凋落したとはいえ、全体的に主要政党は容共的な印象だ。ルノーが国有企業だと知って小生は驚いたが、福祉政策、外交を見ても自由主義と共産主義のどちらにも極端になびかないような感じはする。それをドゴール主義と言うのかもしれない。
EUの盟主は独仏だが、ドイツは本質的に中共と親和性(=理性ではなく感性優先)があるから「米国版文革」になびきそうだ。ドイツはいつでも欧州の頭痛の種で、フランスがEU全体を引っ張って「ダメ!絶対!」とドイツを抑え込まなければならない。
アメリカ人民共和国と中共がラブラブになる前に世界は「中共包囲網」を始めるべきだ。米抜きの日英豪加印台+ASEANでやるしかない。上手くいけばフランスの支援も得られるかもしれないが、まずは始めの一歩、例えばハイテク分野の貿易制限などを進めていくべきである。 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp