Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

能、松風

2018-09-30 | Théâtre...kan geki
台風の影響がかつてないほど感じられる日々のまさにピークに、京都東山の観世会館で、『松風』が上演されました。

能の謡のなかでも、とにかく美しい…と、識者がこぞって絶賛するこの演目。
ストーリーは、亡霊となった姉妹、松風と村雨が、在りし日に共に寵愛をうけた有原行平を懐かしみ舞う、という色っぽい内容です。
かの白洲正子さんは、この演目を評して、「色っぽいなんてもんじゃない、恋人の服を着て踊るというのは抱き合っていることの暗示であり、よくまあ黙認したものだ」とR指定扱い。
冷静になって思うと、姉妹を揃って恋人にするっていうのも、大胆。。


で、こんな感想を聞いて「どれどれ」と観たくなる方も居ると思います、が、
実際の舞台を観たら、肩透かしを喰らうことでしょう。

前半の動きはほとんどなく、静かな、海を渡る風のように囁く姉妹の声は、実際の戸外の荒涼とした風と対応し、静けさを意識に呼び込む。
隣で能初体験の夫はスウスウ寝ており、あーやっぱりね、、
子どもは例によって「動きのない動き」に吸い寄せられ、「ねえあの子泣いてるの?どうしたの?」とヒソヒソながら夢中でひたすら聞いてくるので、ほかの観客の方々に申し訳なくわたしはハラハラ。
S席で臨んだこの日でしたが、子供と一緒の日は二回正面席の最終列だ、、、と学んだ日でありました。


あとから、内田樹氏の著作を読んでいたら、
この松風村雨姉妹は、実際には1人の人間が分裂した、情熱と理性を表すのではないか、
という考察にハッとしました。
つまりすべてが暗示であり、姉妹も、ほんとうにただ松を渡る風であり、降る雨であり、、そうして意気消沈している男を優しく癒したのではないだろうか、という自然賛歌ともいえる。
世阿弥が作った、古典に題をとっていない演目であることですし、解釈が自由なのが良いと思いました。

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