Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

能、猩々

2019-12-22 | Théâtre...kan geki
思い立って行けるのが、能の良いところ。
東京ではえらく高価なチケット代に慄きますが、京都では毎週のようにあちこちの能楽堂で行われている能楽公演、3,000円くらいからで、気軽に入れます。
大江能楽堂の納会も、そんなわけで気楽に出かけました。猩々が好きなので観たかったのです。



大江能楽堂は黒い檜舞台なので、大島がしっくりくる気がしています。伯母の大島に縮緬の帯は落ち着く好きな組み合わせです。
銘仙も、この場所には似合う気がしています。
柳家三三さんの落語を聴きにこちらへ9月に来た折は、単の銘仙を着ました。


今日のシテ方は初めて知る方でした。まだかなり若い。フレッシュな猩々さんでした。途中で左足の足袋のコハゼが全部外れてしまい、後見が嵌め直すも、またプチプチ外れて、そのまま終演を迎え橋掛かりを去っていきました。激しい舞でもなかったのに、
育ち盛りだったのか?…
なんとなく気になるアクシデントでした。


猩々の仕舞を息子がこの5月にしたので、わたしもラストの詞章は謡えます。めでたい大らかな内容で大好きです。亡くなったお茶の先生も、「これだけは謡えんねん」と、以前に仰って謡ってらしたなあと、そんなことも思い出してしんみりします。
猩々の仕舞の所作は、丁寧でふわりと無重力な、妖精らしい雰囲気で、視覚的な癒しです。
真に独りになるために、わたしは能を見に行っているのかもしれません。

それにしても、最近のこの能楽堂満員御礼状態は、いったい何があったのでしょうか?
時には券売り切れで入れない公演もある、、なんて、ちょっと前までは考えられないです。紅葉シーズンによる一過性の混み具合かと思っていたら、年の瀬になっても人気は高まるばかりです。

戸惑いを抱えたまま、友達と待ち合わせしていた堺町の和久傳へ、テクテク歩いていきました。
おぜんざいをいただいてあったまりました。炉開きに頂いた先生の最後のお善哉を想い出しました。


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