Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

残酷さ。『ドリーマーズ』

2004-09-15 | cinema... eiga
先週の金曜のことですが、ベルトリッチ監督の、この映画を観に行きました。

なぜ一週間近くたった今頃・・・?ですが、何か映画を観ても本を読んでもetc、感想って、しばらく時間置いてからでないと、方向がまとまらないんですよね。。(^ー^;
気持ちが落ち着いてからじゃないと。
新しいものを受け入れたときって、すぐは、印象が、いろんな色で渦巻いて、暴れている感じで。。


コクトーの『恐るべき子供たち』を彷彿とさせる設定。
舞台は、1968年のパリ。
世間は革命に揺れています。
仲が良くて、二人だけのルールに生きる、大学生の双子の姉弟。
そこに加わり、生活をともにするのが、アメリカからやってきたばかりの青年、これも大学生。
美しい姉に恋した青年は、閉ざされた世界から、彼女を連れ出そうとするけれど、
姉弟に、2人の世界から出て行くなんてつもりは毛頭ない。
外の世界=おとなを意味し、二人は永遠に子供で居たいから。

登場人物たちが、外国人同士としていろいろ不安定な社会の現状について議論するわけですが、
フランス人組に加わるのが、アメリカ人、というのがポイントですね。
好対照というか。。
理想に燃えるのはフランス人と一緒だけど、理屈に溺れず、現実に何ができるかを具体的に考え、実行しようとする。
即物的なところも短絡的なところもあるけれど、まっすぐで、行動力がある。
純情。
ゆえに、謎めいた相手に進んで翻弄されがちなところがある。

それにひきかえ、フランス人は、現状に不満があっても、ただ議論するのが好きなだけで、その場で相手を論破すれば、もうよし、で、現実がどうあれ、気まぐれに次の話題に気持ちを切り替えてしまうところがある・・・。
ついでにお茶目に相手を煙に巻いて愉しむような。
楽天的といえばそうだけど。
結局なんなんだ?と思うと、堂々巡りの議論だけで、ただ現状のままい続けている、という。。

少なくとも、この映画の中で描かれている、当時のアメリカ人苦学生と、ブルジョワ家庭の、ちょっと問題ありなフランス人、の比較としてはそんな感じ。
お茶目なフランス人に翻弄される生真面目なアメリカ人の雰囲気が、なんか、わかるなあ。。。(^-^;

でも中身に国籍なんて関係ないかな。
すべきなのにしない、ということが後ろめたくって、なんだかんだ理由つける、って、どこにでもある光景かも。
迷いのない人はいつだってどこだって、言葉少なにびしっときめるものですよね。
あっ、自分で書いてて耳が痛い


ところで、ドリーマーズ、オフィシャルサイトを見ましょうか。

とりあえず、この映画を観て一番こころに残ったのが、
子どもがおもちゃで遊ぶみたいに愛をもてあそぶ、双子の姉弟。
精神はほんとに子ども。
変わること、成長することを恐れ、
与えられることばかり望み、それでいて与えられていることにも気づかない、
他人を受け入れない、他人の心に目を向けない、
という、残酷さ。

こどもって、無邪気な分、残酷なとこありますよね。
ほんとに子どもの年齢なら、仕方ないけど、
そろそろそうも言ってられないんじゃないの・・・
という年齢の、大きな子どもの「無神経さ」という欠点は、痛ましく目に映ります。

でも実はそれは、映画の中の姉弟のキャラクター、という特殊な話ではないのかも。
私たちはみんな、かつて子どもだった訳で、子どもらしさの片鱗は、誰の中にもあるもの。
監督が描いた「残酷な子ども像」は、私たちみんなの中に眠る一部の象徴かもしれない。
その存在を際立たせようと、人の形を与え、枠組みを設定して、映画として、誇張して描いたのかもしれません。

だって、完全に物分りの良い完璧な大人ばかりなら、極端な話、現実に、あんな暴力的なテロや戦争は、起きないはずですものね。。
あれは、まさに人間のなかの「残酷な子ども」が動いている証のような気がします。

観に行った日が、それこそ9.11を控えていたせいで、そんなことも考えてしまいましたが、
もっと卑近な「子どもらしい残酷さ」の例も、枚挙にいとまがないはず。
「人間の暗い内側」について、つい重く思いをはせてしまいました・・・。

ついでに言えば、撮影場所はほとんど家の中で、これもまた、どこかしら「内臓」を感じさせるのです。
観なきゃ良かった…、という気にさせられながらも、なぜか目が離せない一本です。


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