Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

上賀茂神社、下鴨神社

2011-11-22 | Kyoto sneakers since 2008
とくに信仰はないのですが、個人的にいちばん親しんでよく足を運んでいる神社は、上賀茂神社と下鴨神社です。
上賀茂神社は比較的自宅から近いということもありますが、川の上流にある、というところが、イメージ的にも清廉で好きな理由です。
そして下鴨神社は、糺の森の広い空間が気持ち良い。洛北に住む人にとって、買い物へ出る時などの通り道になることが多いと思いますが、わたしもその例に漏れず、わざわざ出向くというよりは通りすがるついでに、気分転換をさせていただいている感じです。街のど真ん中に横たわっているにも関わらず、あの深い森の荒っぽい魅力といったら。

神社仏閣には、それぞれ成立に至るストーリーがあります。
ロマンチックな神話の真偽や、それを信じる信じないは別として、そのストーリーを踏まえて神社を歩くと、より親しみを持てるのは事実です。 
ちょうどディズニーランドで基本設定にはまって遊園するのと、少し似ています。

上賀茂神社と下鴨神社について、今まで、おぼろげには歴史と神話の筋を知っていたのですが、ひと様をご案内した時に、細かいところが雑でこぼれおちていたことに気が付いたので、整理してみようと思いました。

まずはwikipediaから部分を拝借。

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【上賀茂神社 = 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)】
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

創建については諸説ある。
社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。

wikipediaより抜粋)

【下鴨神社 = 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)】
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

付属施設に糺の森(ただすのもり)、みたらし池がある。平成6年(1994年)12月25日に世界文化遺産としてユネスコに登録された。

・祭神
東殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと)
西殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)

・歴史
京都の社寺でも最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝える。また、崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造が行われたとの記録があり、この頃の創建ではないかとの説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

wikipediaより抜粋)

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と、いうことなのですが、
wikipediaの文章だけでは、少々堅苦しいです。

簡単にいうと、

・地域の実力者であった賀茂氏が、出自に箔をつけるために、神の子孫である、ことを示そうと神話を構成し、神社を建立したもの
・京都で最も古い神社たちである(『山城国風土記』)

という前提のもと、その神話というのが、
「玉依媛命が賀茂川で禊ぎをしていて、川上から流れてきた丹塗りの矢を持ち帰ったら、懐妊。」
その矢は神様の化身であった、というものです。

そして、

・上賀茂神社に祭られているのは、賀茂氏の祖神である「賀茂別雷命(玉依媛命と神様の間に生まれた)」。
・下鴨神社に祭られているのは、「賀茂別雷命」のお母さん「玉依媛命」、玉依媛命のお父さん「賀茂建角身命」。
(※玉依媛命とは、玉=神として、“神の依り代”を示す呼び名でもあるようです)

となります。
賀茂氏は、神と人間のハーフを起源にもつ、ということを示しています。
こうまとめると、矢から人が生まれた・・・ことになり、「そんなバカな!」、現代に生きる人間として、そこに信仰を持つのは難しくなります。
安産お守りといわれても・・・
しかも、2年前だったかな(忘)、落雷除けを謳う上賀茂神社の境内に、なんと雷が落ちて「市民の木」が焼き折れたことがありました。
あの時は音にもびっくりしたし、見に行って無残さにもビックリしました。(こういう出来ごとはどうして検索に引っかかってこないのでしょう)

しかしそれは置いておいて、
いにしえに生きた賀茂氏の拠点が京都の地の中心であり、今も尚しっかりとその形を留めて在ることには、感動が湧きます。
下鴨神社の敷地に数えられる原生林、糺の森は、12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積があり、それも、かつてはなんと、約495万平方メートルもあったそうです。
一方、上賀茂神社はアメリカ進駐軍によって大部分をゴルフ場に変身させられてしまいましたが・・・、わが家は割と、そちらに楽しくお世話になっています☆


紅葉の季節になると、両神社は炎を吹いたように紅く美しく染まります。
人の手や心のおよばない・・・何か大きな力を、確かに感じる風景ではあります。



photo...昨年の紅葉、上賀茂神社にて
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